13 もしも夢破れても
またイオの特訓に付き合う。
エレナは今日も読書。
ウェンディは何やら用事を頼まれたらしく、学院の中を動き回ってヒルダもそれについている。
マリアはエレナにくっついて一緒に読書しているらしい。
「畜生……全然上手くいかねえ」
肩で息をしながらイオは悔しそうに吐き捨てる。
「少し休憩した方が良いな」
「……ああ。そうだな」
ポケットから取り出したハンカチでイオは額を拭う。
汗が眼帯の下にも入り込んだのか。煩わし気にしながら眼帯を外した。
端正な顔立ち。その瞳があるべき場所に刻まれた傷跡。
一瞬だけ見えたそれはハンカチに遮られた。
オルガのその視線に気付いたのか。イオが少しだけ恥ずかしそうにする。
「あんまりジロジロ見んなよ」
「っと、悪い」
確かに人に見せたいような物では無いかと思いオルガは短く謝罪した。
「見てて気持ちいい物じゃないだろ?」
「別に、俺は気にしないけど……」
誤魔化すようにしながらオルガは水筒に口を付ける。
「無理すんなって。オレの婚約者だって気持ち悪がってたんだから」
「げほっ!?」
全く予想していなかった単語に、オルガは飲んでいた水が気管の方に入った。
激しく咽るオルガの背をイオが擦った。
「あーあー。何やってんだよお前」
「い、いや。ちょっと驚いただけだ……お前婚約者とかいたのかよ」
やっぱりこいつも結構良い所のお嬢様では? と言う疑惑が再燃してきた。
「ま、過去形だ。結局そいつはこの怪我が止めになって破談になったからな」
あっははは、とイオは快活に笑う。だがオルガは笑えない。
そんな扱いを受けて、イオが傷ついていない筈が無いと思えたから。
「ま、オルガが気にすることじゃねえよ。どうせその前から向こうは破談にしたがってたんだからさ」
「そう、なのか?」
やっぱり自分は話を聞くのが下手だとオルガは思った。
こういう時、何か気の利いた言葉の一つでも投げられれば良いのにと思わずには居られない。
同時に、そんな物は必要ないと思う自分が居るのも確かだったが。
「ほら、オレってこんなんだろ? 元婚約者殿はもっとお淑やかな奴が良いってさ」
「……ま、確かにお淑やかって言葉は似合わないな」
「だろ?」
オルガの言葉は正直失礼にもほどがあったが、イオはそれが誉め言葉と言わんばかりに笑う。
「まあだから親父は焦ったんだろうな。このままじゃ嫁の貰い手が無くなるって」
「それで家出したんだっけ?」
「その前に家を真っ二つにする大喧嘩だ。うちの親父と上の兄貴。真ん中の兄貴と下の兄貴とで分かれてな」
いや、あれは凄かったとイオは笑っているが。その話は本当に笑って聞けるような話なのだろうか。
「まあ親父と上の兄貴はこれを機にオレには淑女として教育すべきだ! って言うし、真ん中の兄貴と下の兄貴はオレは自由に生きるべきだ! って言うしで。寧ろ兄貴達の方が盛り上がってたな」
見事に家族の中で意見が割れたらしい。
「ちなみにオルガがそこに居たらどっちの味方したよ?」
「そりゃお前の味方だ」
決まってるだろと即答するとイオは一瞬目を丸くして破顔した。
「さっすが相棒。良く分かってんな」
そう言ってオルガの肩を強めに叩く。ちょっと痛い。
「まあその喧嘩で家が真っ二つになった隙に、下の兄貴がこの学院の入学試験の手続きしてくれてな。そこから抜け出して今に至るって訳だ」
「……なあ、さっきからちょいちょい出てくる家が真っ二つになったってワード。それ家族が二つに別れたって意味だよな?」
「いや、屋敷が真っ二つになった。物理的に」
屋敷何てある時点で金持ち……何て考えるのはもう止めだ。
「……お前の親父さんと兄貴ってもしかして」
「ん、全員兵士。聖騎士にくっついて戦場走り回ってたって。ちなみに母さんもそうだったらしい」
超絶武闘派一族……!
そりゃ聖騎士にくっついて行けるようなのが本気で喧嘩したのならば屋敷の一つや二つ。真っ二つになるだろう。
……なるだろうか? ちょっとオルガには自信が無い。
「マジか」
「だからオレもまあなるなら聖騎士かなって。こんな剣なのは予想外だったけど」
こんな、と言われた<ウェルトルブ>は沈黙している。マリアの様に文句を言ってこない辺り静かで良いなとさえ思う。
「……もしも退学になったらどうするんだ? 家に戻るのか?」
「まさか。そうなったらそうなったで、自力で生きてくっての。オレはもう家出たんだぜ? 都合が悪くなったら戻るなんて真似できねえよ」
つまりはイオはそれだけの覚悟で家を飛び出したのだ。
「大体ダメだった時の事なんて考えるよりも、どうやったらそうならないか考えた方がいいだろ」
「まあな」
最初から後ろ向きでは出来る事も出来ないだろうというのはオルガも同感である。
目の前の障害を一つ一つ取り除いていく。そちらの方が余程有意義だ。
「そう言うオルガだってスラムに戻るのかよ」
「いや、それは無いな。あそこに戻るのだけは無い」
全く以て今となっては愛着も何も残っていない場所だ。
仮に学院を志半ばで立ち去る事になったとしてもスラムに戻るだけはあり得ないだろう。
例え学院を退学になったとしても。きっとオルガは止まらない。止められない。
強くなって強くなってその先にへ――。
「まあ小隊組んでるし。退学になるとしたら多分一緒だよなあ」
「試験も個人単位と小隊単位があるから何とも言えないけどな。半々くらいじゃないか」
「そんなもんかね……もしも揃って退学になったら何時もの農村で農家でもやるか?」
ちょっと想像してみる。
イオと聖剣の代わりに鍬を持って農業に精を出す。
……そこまで悪くも無い様な気がした。
そんな風に一瞬でも思ってしまった自分に嫌悪する。
そこでハタと気付く。
「いや、待て。何で二人一緒に行動する事が前提なんだ」
「えー良いじゃん。旅は道連れって言うだろ?」
「言うのか……?」
「言うんだよ。オルガと一緒なら楽しそうだしさ」
と言うか、イオはそれがどういう意味か分かって言っているのだろうかとオルガは半眼で睨む。
不思議そうな顔をしているイオは――まあ間違いなく分かっていないだろうなと嘆息。
「あ、おい。何だよ今の溜息」
「まあ、もしもそんな事になったらな。だけどそうならない様に考えるんだろ?」
「おう、もちろんだぜ」
全く、一緒に農業始めるなんてそんなのまるで結婚して農村に移り住むかのようだと思った何て。
そんな感想は自分の中だけに収めておけばいいのだ。
聖剣無しで聖騎士追いかける奴とか間違いなくマッチョだよねという話。
筋肉ダルマが四人いる家は間違いなく暑苦しい