09 カスタールの交渉
カスタールがオルガの前でベンチに腰かけていた。
オルガの斜め後ろには例の下っ端二人だ。
道を塞ぐように立ちはだかる下っ端を避けて歩いていたらこんなところにまで誘導されてしまった。
誘導されている事には途中で気付いていたが、無理やり突破する事を面倒くさがっていたらこの有様である。
なるほど、これは面倒くさい。たった一回でこれだ。イオは相当に辟易している事だろうと同情した。
「聞いたぜ。イオと手を組むらしいな」
随分と耳が早いと思いながらオルガは己の現在位置を確認する。
校舎裏の空きスペース。聖剣を振り回すには向かない為訓練に使う場所としても人気の無い場所だ。穴場と言ってもいい。
そんな場所を、カスタールは別の用途で使う気らしい。
人には言えない話をする場として。
「幾ら欲しい?」
「は?」
唐突な質問にオルガは理解が追い付かなかった。別段それはオルガの頭の回りがどうこうと言う話ではないだろう。
カスタールの切り出し方が唐突過ぎるのだ。
「間抜けが」
とカスタールは吐き捨てる。
「お前は幾らでイオを売るかって聞いてるんだ」
その言葉にオルガは視線を細めた。
色んな意味で論外な言葉だ。
何よりも仲間を金で売る様な人間だと思われている事がこの上なく不快だった。
「話にならないな。お前馬鹿じゃないのか?」
「はっ! 馬鹿はお前だ。今なら金で解決してやろうって言ってるんだぜ?」
そう言いながら、カスタールはオルガの足元に革袋を放った。
『わーお……豪気ね』
マリアが思わずと言った様子でぼやく。その革袋からは金色の輝きが覗いていた。
上の方だけ金貨を詰めて、下の方は石ころ、だなんてせこい事をしていなければ相当な大金だろう。
「ちょっと調べさせてもらったぜ? お前。金に困ってんだろ」
そう言いながらカスタールはもう一袋、下っ端から受け取ってオルガの足元に投げつけた。
「ちょっと関わっただけの相手から手を引くだけで、そこらの平民なら一年は遊んで暮らせる金が手に入るんだ。悪い取引じゃねえだろ?」
この物言いで、やっぱりこいつ貴族かとオルガは内心で舌を出した。
学院では生まれを差別しないという名目の元、平等を謳ってはいる。だがこうして普段の素行で何となく分かる。
この品の無い金の使い方は間違いなく貴族だろうとオルガは偏見込でそう判断した。
「おい、返事しろよ!」
「見たこと無い大金見てブルってんのか?」
『うーん。何て模範的三下』
下っ端が騒ぎ立てるがオルガはカスタールから目を逸らさない。その目をカスタールは面白そうに見つめながら、口元を歪めてもう一袋投げつけた。
それでも動かないオルガを見て楽し気に笑う。
「どうやらお前は俺が思った以上に強欲みたいだ。この程度じゃ足りないって?」
「勘違いするなよ。この自己中野郎」
オルガは今しがたの言動に対する物以上の嫌悪感を覚えながら吐き捨てる。
「金で仲間を売る様な真似はしないってだけだ」
「そう言って今までに首を縦に振らなかった奴は見たことがねえけどな。だがお前は案外頷かなさそうだ」
そう言ってカスタールは立ち上がる。その瞳に隠し様の無い愉悦を宿しながら。
「お前がいくらでイオの奴を売るのか興味はあるが……俺も暇じゃないんでな。交渉はここまでにしよう」
そう言ってカスタールは指を二本立てた。
「選べよ」
高圧的に、オルガへ二択を突き付ける。
「大人しくイオとの協力関係を解消するか。それともボコボコにされて協力関係を解消するか」
「おっと、全然選ぶ物が無いぞそれは?」
何とも交渉が下手糞な事だとオルガは挑発的に嗤う。
尤ももう向こうは交渉のつもりはないと言っているのだから当然だが。
今日はまだ剣を抜いてこないだけ理性的にも見えるが、それも何時までもつかは分からない。
下っ端二人は兎も角カスタールはそんな事に拘っていないのは先日の件から明白だった。
どうやってこの場を切り抜けるか。
「良い事を教えてやるよ」
カスタールが黙っているオルガを嘲笑うように言う。
「この学院には退学に関して明確なルールがある。暴力沙汰程度で退学になる事はまずねえよ」
つまり、この場でそれを行使する事に何ら躊躇いは無いという事。その意思表示に他ならない。
『……私ならこの三人気絶させて乗り切れるわよ?』
マリアの提案は魅力的だった。
だが、とオルガは考える。
今のカスタールの言葉。退学になる事はまず無いと言ったのだ。
言い換えれば稀にあったという事。
その理由は? どうして今自分はそれに該当しないと確信しているような態度なのか。
昨日の聖剣を抜いた事。あれも恐らくはカスタールの中で学院のルールには抵触しないという確信があったはずだ。
「悪いけど……その条件でもイオを切るつもりはない」
「そうかよ」
カスタールは笑わなかった。代わりに拳が飛んで来る。
避けられない事は無いだろうとオルガは思う。恐らく素手ならばそれほど大きな差はない。
差はないからこそ単純に三対一という構図が圧倒的に不利な訳で。
それでも反撃すれば一人位は何とかなっただろう。二人だって行けるかもしれない。或いは勝利を収めることも。
だが敢えてオルガは反撃することなく甘んじてその拳を全て受けた。
流石に多勢に無勢だ。可能な限り受け流したが、ダメージを0にすることは出来ない。
顔を腫らしたオルガの髪を掴んで、額がぶつかり合う程の至近距離で言う。
「これで終わりだと思うなよ?」
「顔を近づけんな。息がくせえ」
頭突きを一発――だがオルガの額が予想以上に硬かったのか。カスタールも僅かにふらついた。
「おい、行くぞ!」
その醜態を隠すように、殊更大声を出してカスタールたちが去って行く。下っ端が革袋を拾い集めて駆け去る。
それを見送ってオルガは地面に転がった。その冷たさが腫れた身体に気持ちいい。
「あーいってえ」
『ちょっとオルガ! 何でやられっぱなしなのよ!』
「あー、煩い煩い。耳元で喚くな」
マリアに任せれば確かにこの場は切り抜けられただろう。
だがオルガは下っ端二人の態度が気になったのだ。
昨日は青ざめていた二人が今日は積極的に暴力に加担している。
ならば、あの二人を安心させるに足る何かがある筈だとオルガは考えたのだ。
そう、例えば――強い聖騎士を求めるこの学院において、強ければペナルティが緩和される、とか。
最悪その逆も有り得る。同じ問題行為であっても罰則に差が出る。
そう考えると昨日のオルガ――と言うかマリアの行為は危険だったかもしれない。
確かな事は分からない。だが敢えてオルガは完全な被害者になる事を選んだ。
少なくともそれで罰則を喰らう事は無いだろうと。
ついでに言うのならば――その立場が逆になった時に今回の自分の被害が相手にどれだけダメージを与える事が出来るのか。
それを確かめたいという思いも。
「……あの、大丈夫ですか?」
コイツ殴りたいと思った方は(