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さよならのワルツを君に  作者: 駄作量産機
2/5

2 「⋯⋯君」

 不意に意識が浮上し、僕は目を覚ました。


 日差しに照らされる白い天井が見えた。睡眠薬を飲んだおかげで、朝まで眠れたらしい。


 学校から抜け出し自宅へ帰り、無事朝を迎えることができて喜びたいところだが、睡眠中に見た夢が気分を重たくしていた。


 白黒の教室の窓際にあるピアノを引く少女の姿が脳裏に浮かんだ。


 何度も間違えながら、懸命に子犬のワルツを引いていた彼女。

 そして、「⋯⋯君。あの人に、完成したワルツを聞いてもらうまでは諦められない」という言葉。


 あれは、音楽室で出会った少女が見せた夢だったのだろうか。彼女が夢を通じて僕に何かを伝えようとしていたのだろうか。


「完成したワルツを聞いてもらうまでは、諦められない⋯⋯」


 僕は少女の言葉を反芻(はんすう)し、推測する。もしかすると、少女は「⋯⋯君」に完成したワルツを聞いてもらいたくて、音楽室で一生懸命練習していたのでは。


「⋯⋯君」にワルツを聞いてもらうことなく少女は何かしらの理由で死んでしまい、幽霊になっても完成したワルツを弾けるようになるまで頑張っているのだとしたら。


 あの子は目標を達成するまで、音楽室にこの先何年も自縛され続けるのだろうか。


 そう思うと、胸が締め付けられるような切ない気持ちになった。それは、人間に対する同情と何一つ変わらなかった。


 突然ベッド横の棚上に置かれていたスマホが震動して、僕は驚き悲鳴を上げた。画面には僕が勤める警備会社の電話番号が表示されている。早朝の退勤時にするタイムカードを押していなかったのが向こうにばれたらしい。


 僕はスマホを手に取り、通話ボタンを押した。


「はい、空見です⋯⋯」


『おはよう空見君。退勤の記録残ってないけど、タイムカード押し忘れたの?』


 優しくておっとりしたおじさん社員の山田さんだ。


「あ、はい⋯⋯すみません。忘れていました」


 幽霊が出てパニックになり、学校から逃げ出したんです。と言いたかったが、『言ってもどうせ笑われるだけだ』と思い直し、つい謝ってしまった。


 僕の疲弊しきった声を聞いて具合が悪いと思ったのか、山田さんは心配そうに言った。


『元気無いね? 体調悪いの?』


「あ、いえ⋯⋯」


『いえっ、て声じゃないよ。代わりに他の奴行かせようか? 今日学校近くの支店区間に田中君応援で来てるし、あいつに任せる? 田中君、あんたの中学校の同期生だし、学校の中の巡回なら慣れてそうだからシフト交代する?』


 十二年前、僕は三年A組で田中はB組にいた。彼とは違うクラスだったので当時交流はなかったが、警備会社に務めてからは何度か同じ担当場所に配置されて仲良くしている。


『空見君、どうすんの?』


 山田さんの優しい声が、恐怖と疲労困憊(ひろうこんぱい)で脱け殻のようになった僕の身体に染みる。


 学校の警備を誰かに任せたい気持ちは山々だが、田中に自分と同じ恐怖を味わわせるわけにはいかない。自己保身をするべきか田中の防衛をするべきか葛藤した末、田中が音楽室の怪の恐怖により発狂死する可能性を踏まえて、僕は断った。


「僕が行きます。今度からはちゃんとタイムカード押すよう気をつけますので」


『そうかい、わかったよ。じゃあ気を付けて行ってきてくれ』


 そう言って山田さんは電話を切った。僕はスマホを離してベッドに放り投げると、今更になって込み上げてきた後悔に浸った。額に手を当て、呟く。


「ああ⋯⋯断っちまった⋯⋯」


 これでまた学校の警備一週間継続決定。自業自得なのはわかっているが、絶望が重い鉛のように心にのしかかり、僕はベッドに倒れ込む。


 このまま明日の朝までこうしていたいが、無断欠勤がバレればクビだろう。大学を卒業してから一年近く就活浪人し、ようやく入れた会社だ。クビにはなりたくないという気持ちも強いが、一方で自己防衛本能が行くなと僕を引き留めようとしている。


 それから出勤二時間前の夕方までベッドに横になった。段々と時間が迫ってきて、学校へ行く恐怖と共にクビになる恐怖も膨らんできた。このままここにいてもどうしようもないと思い、僕はベッドから身を起こす。


 学校へ行けば、またあの幽霊少女の奏でるピアノ音を聞かされるはめになる。だが引くことはできない。こうなったら対策を考えるしかない。背水の陣に追い詰められた僕は、頭を抱えて考え耽る。


 数分後、一つの策を思い付いた。あの少女を成仏させて音楽室から解放してやれば、もう真夜中の怪奇現象に合わずに済むかもしれない。


 しかし、完成しワルツを「⋯⋯君」に聞かせてあげたいという未練はどうやって達成させてやればいい? 色々考えていくうちに自分の無力さに気付いて、僕は考えるのをやめた。


 だいたい、「⋯⋯君」はどこにいるのか。少女と知り合いということは、彼女の同年代か先輩、後輩に当たるだろう。そこは直接少女に訊いてみなければわからない。


「行くしかない」


 残り一週間の勤務を無事終えるために。

 そして、少女の未完成のワルツを聴くと込み上げてくる懐かしさと既視感の正体を探るためにも。


 僕はベッドから立ち上がり、代用の新しい警備員服に着替える。


 出発間際、いきなり田中からメールが来た。こんな時に何の用だ、と僕はうんざりしながらメールを確認する。


『もしかして、音楽室のお化けに会っちゃった?』


 図星過ぎて僕は面を食らった。まるで僕が音楽室の怪に出会うのを知っていたかのような文面に驚きながら、返す。


『お前がばらすことがないのを信じて正直に言うよ。実はまじで心霊現象にあったんだよ。音楽室のピアノ、勝手に動いてた。めっちゃ怖くてパニックになって学校トンズラした。絶対上にトンズラしたっていうなよ!』


 末尾でそう念を押してメールを送信した後、アパートの階段を下りて住宅街の歩道を歩く。夏の夕焼けに照らされ橙色に染まるコンクリートを、あの中学校の生徒たちが駆けていく。


 彼らに混じって中学校への道をたどっていく途中、田中から返信が来た。振動するスマホをズボンのポケットから取り出し、彼からのメールを見る。


『やっぱりね。俺らが学校にいた時、毎日のように音楽室でピアノ弾いていた女の子がいたんだよね。俺の同級生でさ、ピアノ大好きピアチャンって言われてた。有名だったよ。覚えてる?』


 心臓が鷲掴みされたような衝撃を受け、僕は立ち止まる。毎日のように音楽室でピアノ弾いていた女の子、俺の同級生。どんぴしゃすぎる情報に、僕は恐怖と驚愕に震え上がった。


 ピアチャン。その言葉を聞いた時、あの懐かしさと既視感を覚えた。きっと無意識に葬られた記憶が、ここにあるよと僕に合図を送っているのかもしれない。


 記憶は芋ずる式になっていると言われており、連想することで思い出せるという。僕はピアチャンというキーワードを頼りに、十二年前の遠い朧げな記憶を掘り起こす。

 

 半分目を閉じて、懐かしさと既視感の根源を探っていくうちにある光景が瞼裏に浮かんだ。


 見えてきたのは、下校時の夕暮れの廊下。スクールバックを肩に背負って三階を歩いていると、音楽室からピアノの音が聞こえてきた。その時は何を思ったのかは思い出せないが、気にせず素通りしたのはなんとなく覚えている。


 僕は固唾を呑む。もしかしてあの時、少女と僕は鉄扉越しに出会っていたのかもしれない。


 記憶の発掘をしていると、田中から二通目のメールが来た。


『でもその子、交通事故で死んじゃって。だから、死んでもまだ音楽室にいるんじゃないのかなって』


 十二年前に事故で亡くなった生徒、確かにいたかもしれない。

 中学三年生の時、季節はいつだったかすっかり忘れた。ある日、涙目の担任教師が教室に入ってきて教壇に立ち、訃報を告げた。十二年も前で、別のクラスで友達というわけでもなく、深い悲しみを覚えたことはないのであまり印象には残っていないので、名前も顔も覚えていない。


 音楽室の少女は、あの時事故死した生徒だったのだろうか。彼女に会って、確かめてみなければ。


 少女の断片的な情報を手に入れられたところで、僕は「⋯⋯君」についても田中に訊いてみることにした。


『ところで、その子と仲が良かった子っていた? 男子なんだけど』


 返信はすぐに来た。


『さぁ? あいつピアノばっかり弾いてる変わり者でいじめられっこだったし、教室で孤立してたし、誰かと仲良く話してたりしてるところは見たことないよ。僕はあいつが可哀想だったから、音楽室にいる時、たまに話しかけてたけどね。友達関係には至らなかったけど』


 あいつが可哀想だから、たまに話しかけていた。その言葉が含みのあるものに感じられて、僕は息を呑む。

 ――田中、まさかお前か? お前が『⋯⋯君』なのか?


『じゃあ、お仕事頑張って。怖い目に遭ったらいつでもメール頂戴』


 呑気なメールに呆れつつも、僕は田中のことを勘繰っていた。


 田中、お前なのか⋯⋯?

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