幼馴染みは、俺より強い。
鍛えられた筋肉とそれを十分に発揮できる体格を持った男ダルフは、自分を見下ろす長髪の女性を倒れたままに見上げる。
此処は町から少し離れた場所にある草原の一か所で、多少の魔物は出現してもそのどれもが初心者にも狩りやすい弱い魔物ばかりだった。
そのためこうして二人が特訓という名の模擬戦を行っていても問題はないのだが、横になってリーシャを見上げているダルフにとっては、一つだけ問題があった。
倒れているダルフとそれを見下ろすリーシャ、そして、少し離れたところに落ちているダルフの剣とリーシャがその手に持っている自慢の槍。
誰がどう見てもその勝敗は明らかだった。
「はぁ、はぁ……。リーシャは、強いな」
息も絶え絶えに言葉を発するダルフは、その顔を濡らしている汗を拭う事もできないほどに疲れ果てている。
だが、それを見下ろすリーシャは、その顔に汗を流す事なく息も荒れていない。
二人は同じ村から出てきた幼馴染みである。
人口が増えすぎた村が人手過多のために選別をして少しの食料と金銭を渡して村から追い出す。
そんな慣習がある村で生まれた二人は、ある年齢を境に同時に村から追い出された。
互いに同い年ではあるけれど村には多くの兄弟と同年代がいる。
そこまで関係が深くなかった二人は生き抜くために共に行動していく中で親しくなっていき、町についてからは誰でもなれる冒険者へと登録した後、二人で一緒に依頼をこなす事が日常となっていた。
同じ村出身で同じ日に村を追い出され、それから毎日一緒にいる二人は互いを家族のように思っていた。
けれど、ダルフにとってリーシャは異性であり守るべきものという認識でもあった。
そのため日々の鍛錬はリーシャ以上に行っているし他の冒険者と共闘する時はリーシャを守るための技を増やすべく、その動きや技術を見て盗むように努力している。
今回の模擬戦だって本当は勝つつもりだったのだ。
勝つ事でリーシャにはこれからも自分がいるから安心して冒険してできると思って欲しかった。
だから、いつもは軽い打ち合い程度で互いの癖や苦手な部分を理解して無くしていく事を目的としている模擬戦で、今日に限っては本気でやろうと宣言したのだ。
なのに、意気揚々と武器を構えて始まった模擬戦は、こうして圧倒的な差の下にその幕を降ろした。
「ダルフ、大丈夫……?」
眉を八の字にして不安げにダルフの顔を見てくるリーシャは、汗一つかいていない頰に髪が落ちてくるのも気にしていなかった。
彼女の心の中にあるのは一つの安心だった。
もちろんダルフを心配する気持ちに嘘はないが、彼女はこうしてはっきりとダルフに勝てた事で今後も彼を守っていく事ができるのだと安心しているのだ。
ダルフがリーシャを異性として守ろうと努力したのと同じく、リーシャもダルフを家族として守ろうと努力していた。
彼女にとってダルフは弟のようなものだった。
何にでも興味を持つし少し揶揄うと面白いくらい反応してくれる。
けれど自分が少しだけ寂しさを感じる時にはただ黙って傍に居て温もりを与えたりしてくれる。
そんな大切な存在であるダルフを危険な冒険者稼業の中でも守っていくために、リーシャはダルフの知らないところで鍛えていたのだ。
そして、今回その努力が結果として現れた。
ダルフは敗北しリーシャは勝利し、そこに圧倒的な差があることを表して、二人に其々違う感情を与えながら。
◆
ダルフは一人で町の中を歩いていく。
今日は冒険を休む日であり、常に一緒にいる二人が唯一別々に行動する日でもある。
武器と装備の手入れを終えてダルフが向かうのは、通り沿いにある一軒の食堂だった。
あまり人通りが多いとは言えないその通りにある食堂は、ダルフとリーシャが昔からよく通っていた場所で時折、一人でやってきては昼飯を食べて散歩に戻っていく。
少しだけ軋む音のする扉を開けてダルフが入れば、いつも自分が座っている席から対角に位置する場所に見覚えのある後ろ姿があった。
(あれって……)
先日、意気揚々と挑んで大敗を喫することになったリーシャだった。
そんな彼女が誰かもう一人の人物と二人で食事をしていた。
ダルフは、あまり音を立てることなくいつもの席につき、近づいてきた店員にいつもと同じ料理を注文する。
ダルフとリーシャの事を知っているその店員もリーシャがダルフ以外の人物、それも男性を連れてきているためか注文を聞く以上の事はせずにその場を後にした。
「えー、本当に?」
「本当だよ。ほら、その時の傷」
他のお客の話声も聞こえる中、聴き慣れた声は自然と耳の中に入ってくる。
決して今さっき知り合った者同士ではない親しげな会話は、傍目には二人をお似合いだと言われてもおかしくない光景にさせていた。
リーシャはダルフの目から見ても顔立ちが整っていると思えるし事実、気づけば誰かから口説かれている事はよくあった。
けれど特別、誰かと必要以上に親しくなることはなく、こうして二人きりで食事をするなんて事も同性を除けばダルフ以外にはいなかった。
だが、今の光景はどうだろうか。
リーシャの対面に座るのはダルフもよく知る人物。
(ケイリー、だよな?)
同じ冒険者としてその実力の高さから最近その名前を有名にしてきている新ルーキーだ。
もちろんダルフもその名を知っているし、リーシャが口説かれる場面に出会したこともあった。
けれど、その時の記憶が正しければリーシャはダルフを見て助かったと言わんばかりにホッとした表情でその場を後にしていたはずである。
(けど、二人の雰囲気的にあんな事なかったみたいだ)
もしかしたら、自分の記憶が間違っているのかも知れない。本当はリーシャもケイリーのことを悪くなく思っていて、あの時はホッとしたのではなく自分が一人だったから心配して来てくれただけなのかも知れない。
そんな風に考え始めたダルフは、誰も止める者のいない思考の中で次々にあの時ももしかしたら……と考え始める。
(本当は、俺はリーシャにとって邪魔なんじゃないか?)
先日、リーシャに大敗したことで弱気になっていたダルフは、普段なら考えもしないような事まで考えてしまい、碌に料理の味も感じないまま食堂を後にした。
◆
扉が軋む音を聞いたリーシャは何の気なしにそちらを確認する。
振り返った先はいつもと同じ見慣れた店内であり特段変わったところがある訳では無さそうだった。
「どうしたの?」
そんなリーシャの行動に首を傾げながら問いかけるのは対面に座っているケイリー……ではなく、彼の双子の妹であるサリー。
「いや、なんとなくダルフが居たような気がして……」
少し不思議そうな顔をしながらサリーに向き直ったリーシャは、机に置かれていた飲み物で喉を潤す。
基本的に休日は一人で過ごしているリーシャにとって同性と二人で過ごすなんてことはあまりないのだが、こと彼女に限っては例外とも言えた。
サリーの兄であるケイリーに口説かれた後日、外を歩いていたリーシャにサリーが声をかけて来たのだ。
はじめはリーシャもケイリーかと勘違いしていたがその節々から分かる女性らしさから本当に双子の妹なのだと分かり、彼女の兄の言動に対する謝罪をもらった。
どうやらケイリーの行動は彼女にとってもあまり嬉しいものではないようで、リーシャを口説くのに失敗したと嘆いていた兄の話を聞いて迷惑をかけたと思い謝りに来たのだという。
そんなサリーの話を聞いたリーシャは、お茶に誘い少しでも日頃の疲れを癒してもらおうと思った。
普段なら別にそんな事はしないのだが、一際しつこかったケイリーの口説きを体験した以上、妹であるサリーの気苦労もそれなりのものだろうと思ったのだ。
それから、話をする内に打ち解けた二人はこうして何度か休日に話をする程度の中にはなっていた。
そしてそんなサリーは、今しがた自分が見ていた事実をさらりと告げる。
「ああ、ダルフならさっきまでそこに居たよ」
「えっ……」
ケイリーから告げられた内容に思わず固まってしまうリーシャ。
もし彼が言っている事が本当ならダルフは自分に声を掛けることもなく出て行ったことになる。
あのダルフがそんな事するだろうか。
リーシャは少しだけその可能性を考えて否定する。
(ううん……ダルフがそんな事するわけない。いつも町中であったら声を掛けてくれるし……)
互いに相手を大切に思っている二人は、いつも町中で偶然あったら声を掛けてそのまま買い物に行ったりする事がよくある。
それは二人ともあまり休日に誰かと遊んだりといった事をせず一人でいる事が多いから等の理由もあるだろうが、事実町中であって声を掛けるのは当たり前のようなものだった。
けれど、もしサリーが言っている事が本当ならダルフは何も言わずに出て行ったことになる。
サリーの言葉を否定しながらもどんどん顔色が悪くなっていくリーシャに、事実を述べただけのサリーは心配そうに声をかける。
「ど、どうしたの? もしかして教えた方が良かった?」
リーシャからは家族のような存在として紹介されていたダルフ。
サリーは直接話した事はなくとも遠目からその姿を見る事はあり、優しそうな人だという印象が強かった。
そして、今回ダルフの姿を見つけたサリーは、リーシャに伝えるべきかどうか一瞬考えはしたが、自分と兄との関係性を考えた時に自分なら外で友人と楽しく話してる時に家族と会うのは少しだけ嫌だな、などと考え教えるのをやめたのだ。
だが、その結果、目の前のリーシャはひどく顔色を悪くしているし、元気も無くなっていっている。
まさかダルフの事を教えなかっただけで、ここまで落ち込むことになるとは思っていなかったサリーは、少しだけその理由を考えてある可能性を思いつく。
けれど、家族のような存在だと言っていた彼女が彼にそんな想いを持っているのかわからないサリーは、目の前で落ち込んでいるリーシャに確認してみることにした。
「ねえ、リーシャ。ダルフとは血が繋がってないんだよね?」
「……うん」
サリーからの質問に少しの間の後返答するリーシャ。
それは突然の質問に対する戸惑いとその内容に対しての思考が含まれていた。
「でも、ダルフは家族のような存在で大切な人なんでしょ?」
「……うん」
「もし、ダルフに恋人ができたらどう思う?」
その質問にはすぐには答えられなかった。
リーシャにとってダルフはいつも共にいる存在で、たまに休みがあって別々に行動することはあってもその休日でさえ一緒に行動する日があるくらい常に一緒にいる。
そんのダルフに恋人ができる。
(ダルフに恋人ってことは、休日はその恋人と一緒に過ごして、ご飯もその人と食べる事が多くなって、宿に帰らずにその人の家に行ったりして、たくさん会うために冒険の数も減って……)
ますます顔色が悪くなっていくリーシャの様子に自分の予想が当たっていると確信したサリーは、その表情を真剣なものにして一つの確信を突いた。
「リーシャってダルフの事、好きだよね?」
「……え」
一拍置いて真っ赤に染まったリーシャの顔を見て納得するサリー。
どうやら目の前の彼女は、幼馴染みのことを家族のようだと言いながらも自分も意識していないところで恋をしていたのだ。
だから、声を掛けられないだけでひどく落ち込み、恋人ができたらなんて妄想であそこまで顔色を悪くする。
「だ、ダルフの事が好きって、そんな……」
真っ赤になったリーシャがサリーからの言葉を否定しようとするも全く意味がない。
その様子が全てを物語っているのだから。
「いいよ、否定しなくて。ずっと一緒に居たいって思ってるんでしょ?」
「うっ……。まあ、うん」
核心を突かれて思わず声が出てしまったリーシャは俯いてしまう。
今まで自分が弟のようだと感じていたこの気持ちは、もしかしたら好きな異性に向ける気持ちだったのかもしれない。
(た、確かにダルフに温めてもらってる時とかドキドキしたりしてるけど……あれってそういう事?)
弟のようだと思い接して来たこれまでの行動を思いだしては赤面していく。
そんなリーシャの様子を見ていたサリーは、早めに二人をくっつけないとリーシャは良くてもダルフが問題だと考えていた。
恐らく先程リーシャに声を掛けなかったのは自分のことをケイリーだと勘違いして邪魔しないように出て行ったのではないかと予想できる。
もしそうならダルフはリーシャの恋を邪魔しないように一緒に過ごす時間を減らしていく可能性もあるし、最終的には、リーシャだけ一人でダルフには恋人が出来てしまう可能性もあるのだ。
これは早めに手を打たないといけない。
「ねえ、リーシャ。ダルフをデートに誘ってみようよ」
「で、デート!?」
思いがけない提案に顔をより真っ赤に染めたリーシャを見ながら、サリーは話を進めていった。
◆
明くる日、冒険を終えたダルフとリーシャはいつも通りギルドへ帰るための道を歩いていた。
表面上は普段と変わらない二人だがその心の中では互いの考えを巡らせていた。
ダルフは昨日の出来事の後、リーシャと会うことはなく一人で考えを纏めていた。
もし自分の想像が正しくてリーシャにとって自分の存在が邪魔ならこうして一緒にいることはよく無いんじゃないか、互いに独立して暮らした方がいいんじゃないか、という考えが生まれては消えるのを繰り返しなんとかその答えを求める。
そんな思考の中でダルフは一つの方法を思いついた。
(リーシャを旅行に誘ってみよう。もしダメならリーシャはこの町から離れるのを嫌がっている事になるし俺と二人になるのを避けていることになる。もしそうなら少しづつ一緒にいる時間を減らしていけばいい)
そう考えたダルフは、早速明日の冒険の帰りに誘ってみようと決意して今日この時を迎えたのだ。
もしダメなら、などと考えてはいるが彼の意識の外では無意識にリーシャはきっと了承してくれるという思いがあった。
それは長年連れ添って来たからこその経験則と信頼からくるものであり決して慢心などとはまた違ったものだった。
そうしてダルフがリーシャへと声を掛けようとしたその時、何かを決意したような表情のリーシャが先んじて言葉を発した。
「あ、あのさダリル……。男の人ってレストランとかどうなのかな?」
「レストラン?」
突然の質問に思わず聞き返したダルフは困惑した。
これまでリーシャと会話して来た中でこんな質問をされた事はなかったのだ。
普段ならあの店は美味しいのか、あの新しい冒険者はどうなのか、等の質問であって抽象的なものについての意見を問われたことは無いと言っても等しかった。
けれど、そんなダルフの困惑など気づいていないリーシャは緊張した様子で話を続ける。
「うん……。男の人って女性と二人だけでレストランに行くのとかどう思うのかなって……」
(男の人と二人……)
その言葉にダルフの頭の中を嫌な考えが過っていく。
思い出されるのは昨日見た食堂での光景。
親しげに話すリーシャとケイリーの姿が一日経った今でもはっきりと思い出される。
(もしかしてこの質問って……)
「あ、いや、そのね、今度、友達と行こうかと思ってて……」
ダルフの沈黙から自分が別の男性と行こうとしていると勘違いされてるんじゃないか、と考えたリーシャは慌てるようにして言葉を付け足す。
だが、そこには性別の指摘がなく、ただの友達だという言葉のみではぐらしているように受け取ることができる言い方だった。
(わざわざ友達って言って俺に気を遣ってくれてる……)
そして、ダルフにはそうとしか考えられなかった。
昨日の二人と今の言い回しから一度口説かれるのを拒否したリーシャが後日、ケイリーに靡いてしまいそれをダルフに申し訳なさそうに言っている。
(俺はリーシャを守りたい。けど、それはリーシャの邪魔をすることか? ……違う。俺はリーシャに幸せになってほしい)
「そ、それで一応、ダルフの意見も聞いておきたいなー、なんて思っててね?」
手を所在なさげに合わせながら問いかけてくる様子は、決してただの友達と行くレストランが不安だからじゃない。
ただの友達なんかじゃなく、想い人だからだ。
(もし、ここで良いと思うなんて言ったら、リーシャはケイリーと二人で行ってしまうんだろうか。そうなったらリーシャは俺とじゃなくケイリーと冒険をするんだろうか)
浮かんでは消えていくリーシャと傍に居るケイリーの姿。
ダルフは、その想像を消そうと頑張っても隣で恥ずかしそうにしているリーシャの姿を視界に捉えると勝手に頭に浮かび上がってしまう。
(やめろ、やめろ! 想像するのもそれを消すのもやめろ! それがリーシャの幸せなら受け入れろ! ―――……でも、もし俺がここでリーシャを誘ったら―――)
そこまで考えてダルフは、自分の中の何かが壊れかけるような気がした。
(ダメだ。これ以上先のことを考えたら最低だ、リーシャの幸せを願えていない、でも、もしかしたらリーシャなら―――)
「そ、それでね、ダルフに友達と行く前の練習に……ダルフ?」
少し頰を朱色に染めたリーシャがいつの間にか俯いていた顔を上げてチラリと目を向けた先には、先ほどまでそこに立っていたはずのダルフの姿はなかった。
ただ風が少し吹くだけで誰かがそこについ先ほどまで居たとは思えないような静けさがあった。
◆
人で溢れかえる通りを持ち前の身体能力を駆使して誰にもぶつかる事なく走り抜けて行く。
流れ落ちる汗も荒れる呼吸も関係ない。
今はただ当てもなく走りたかった。
(馬鹿だ、馬鹿だ、俺は大馬鹿だ!)
移ろい変わっていく周囲を横目にひたすら走り続けるダルフの頭の中では、自己嫌悪の言葉が浮かんでは消えていく。
(どうしてリーシャを誘おうとした。どうしてリーシャに思い人がいることを考えなかった。どうしてリーシャなら自分を優先してくれると勘違いした!? 最低だ。幸せになってほしいと願っている女性の意思を無視して、自分だけが幸せになれる未来ばかり夢想して自分本位に物事を考えていく……。俺は、最低なクズだ)
「うわっ!?」
躓き、転ぶ。
人を避けるようにして入っていた路地は、ろくに整備もされておらずヒビ割れた地面とそこら中に転がっている小石が目立っていた。
そんな荒れた場所で転倒したダルフは、再び立ち上がろうともせず蹲ったまま地面を見つめる。
その頭の中では、今なお続く自己嫌悪とどうすればこんな自分でも彼女の幸せを守れるかという二つの思考が暴れ回っていた。
そして、ダルフは一つの答えに辿り着く。
(……そうだ。魔族との戦争が起きている前線に行こう。幸いクズな俺には力ならあるしリーシャから離れれば邪魔にならない。リーシャが住むこの町を守って命を散らせば、もしかしたら女神様からの多少の温情が頂けるはずだ)
―――それは落ち着きを失ったダルフがリーシャの幸せを望むが故の自己犠牲の決意だった。
◆
魔物は死を恐れない。
この戦場において常識とされるその言葉は、ダルフの体に傷と共に刻み込まれた。
自己犠牲を決意し戦場へと赴いた日から既に半年は経過している。
その間にどちらかの勢力がその領土を奪い取る等といった事はなく、互いにその戦力を日毎に減らして行っている状態だ。
だが、そんな状況などダルフ達雑兵には関係がない。
今日も彼らは薄汚れたテントの中で、互いの体にぶつかりながら寝食を共にしていた。
「おい、ダルフ。その野菜食わねーなら俺にくれよ」
左目に傷を負った隻眼の男が隣のダルフへと声をかけてくる。
彼の狙いはダルフがずっと皿の端に残している久方ぶりの野菜だ。
決して瑞々しくて美味しそうといった見た目ではないが、この戦場においては敵の魔物から取れる大量の肉はあれど野菜といった物が兵数に対して圧倒的に足りていない。
隊長格にでもなれば隔日食べることは出来るだろうが、前線に来て半年程度のダルフにはそんな事は不可能に近い。
実力主義と年功序列が微妙に混ざり合わさった前線での昇格方法はダルフには縁遠いものだった。
「嫌だよ。俺は楽しみは最後にとっておく性格なんだ」
そう言って最後に皿に残っていた野菜を口へと入れたダルフは、くそ不味い栄養剤以外での久方ぶりの野菜の栄養と味を堪能した。
別に特別好きだという訳でもなかった野菜が、次はいつ食べられるか分からないといった状況の中では楽しみの一つになっとしても無理はない。
その後、食事を終えた隻眼の男とダルフが軽口をたたきながら日頃の死へのプレッシャーを癒していると、テントの外、魔族の領地側を確認していた兵が道具を使い甲高い音を響き渡らせる。
魔族側が動いた報告だ。
またこれから魔物を狩り、その中にいる数少ない魔族を見つけて斃す。
隻眼の男との会話を終えたダルフも武器片手に戦場へと駆けていく。
ここでの作戦なんてダルフ達雑兵には関係がない。
もっと複雑なものは更に強い奴らにだけ伝えられて実行されるのだ。
彼ら雑兵に与えられるのは単純で分かりやすいもの。
魔物の軍勢とぶつかり、その命を散らせばいい。
「うおおおおお―――!!」
ダルフの剣が魔物の体を切り裂いた。
◆
前線から遠く位置する町には、その長髪を靡かせながらギルドへと歩いていくリーシャの姿があった。
今日も朝早くから活動を始め依頼を受けにギルドへと向かう。
その姿は朝から準備をする商人などに目の保養を、同業者に恋心を与える。
彼女をその目に映した彼らは、今日もまたいい男になるための一日を過ごすため活力を漲らせるのだ。
(ダルフ、何処に行っちゃったの……)
だが、そんな彼らの心中とは変わり長髪を靡かせながら歩くリーシャの心は今日もひどく暗いものだった。
ダルフが居なくなって半年以上。常に傍に居た存在はある日、忽然と姿を消しギルドの登録さえも消していた。
ギルドはその関係に関わらず他の冒険者についての情報をやむを得ない事情がない限り与える事はない。
故にリーシャは彼がこの町には居るのか、東西南北どこに向かったのか、なぜギルドの登録を消してしまったのか、彼に関わるあらゆる事が分からなくなっていた。
「リーシャさん、おはようございます」
頭では別のことを考えていても体は毎日の動きを覚えている。
無意識の内にギルドの中へと入っていたリーシャは、そのまま依頼板も見ずに受付へと向かい一人の受付嬢の前に立っていた。
その彼女はかつてはダルフと二人、一番話がしやすいからと常に対応してもらっていた人でもあり、ダルフが居なくなった日に申し訳なさそうな顔で情報の提供ができない事を伝えてくれた人でもある。
「ロナさん、ダルフは……?」
今にも消えそうな声で問われた内容は、ダルフが消えた日から毎日訊かれたものだ。
朝早く来てはその質問をし、その後依頼を受けて出発していく。
それがリーシャにとって一日の活動だった。
「すみません。お答えすることはできません……」
そして、ロナと呼ばれた受付嬢もその端正な顔を申し訳なさそうにしながら質問に答えられないことを告げる。
リーシャは、その答えを聞いて少しだけ表情を暗くした後、頭を振って意識を切り替える。
ここからは死と隣り合わせの冒険である。
一日中ダルフの事ばかり考えていては生きていく事も出来なくなる。
(ダルフの事を考えるのは安全な場所にいる時だけ……よし!)
意識を切り替えたリーシャは、依頼を選びに依頼板へと足を向ける。
その後ろ姿に向けられるロナの心配する視線に気づかないまま。
◆
血に濡れた戦場でダルフは、仲間と魔物が倒れる中で敵の一人、魔族と一騎討ちを行なっていた。
既に半ばから折れた自慢の剣は、近くに倒れている魔物の首筋に突き刺さったままダルフの手元から離れており、今、ダルフの手の中にあるのは仲間の誰かが使っていた槍だった。
「ンハーハッハ。君ィ、もしかして私とやる気ですか? 見たところ、捨て駒のような格好をしているようですが? 其方の実力のある方は、腕の装備に不思議な紋様が刻まれているそうなのですが? どういう事ですか?」
片目を見開きながらの問いかけにダルフは答えない。
魔族と軽口をたたくくらいならさっさと斃して、隻眼の男とたたいた方がずっとマシだ。
血で滑る槍の持ち手をどうにか力を込められる様に握りなおす。
ダルフの人生において槍を扱った事は全くない。
彼には常に槍の使い手として遥か高みの存在が常に傍にいた事で、自分が槍を使う姿を想像することができず試しに使ってみるといった発想も浮かばなかった。
けれど、その槍を扱う姿は今でも鮮明に覚えている。
慕う人の姿を目で追ううちについ覚えてしまったその動きを、今はこの体で再現しようと記憶の中のリーシャと自分を重ね合わせていく。
呼吸のリズムを合わせ、足の位置、腕の角度……細かいところまでを模倣したその姿に思わず魔族も口を噤む。
その姿は先ほどまでの槍を初めて持った者の姿ではなく、槍だけを使い熟知してきた者の姿だったから―――。
◆
「おい! そっちに可愛い救護員はいるか?」
薄汚いテントの中、体中に包帯を巻いた隻眼の男が互いに背中を預けるようにして座っている戦友に声をかける。
それに返事をするのは同じく全身を包帯に巻かれて思うように動けないダルフだった。
「いないよ。ここは最前線だよ? 前みたいに時々魔物が来るんじゃなくて常に来続けるんだ。そんなところに可愛い子はやれないよ」
最前線。
町を出てから半年ほどまでいた前線とは違ったその場所は、休憩の時間があった前線とは違い常に魔物と魔族が攻めてくる場所。
そんな場所で悠長に食事を摂っている時間なんてあるはずもなく、長時間体を休めておけるのはこうして救護用テントの中で療養が必要と判断された兵士だけだった。
「だー、くそ! こんな事なら外に出て戦ってた方がずっとマシだぜ!」
それは戦場にいる味方の中で腕の装備に強さの印である紋様を刻んだ者たちの姿を思い浮かべながらの発言。
彼らはその一人一人が強さと同じだけ顔も整っており、隻眼の男にとってその女性陣は目の保養とも言えた。
「ああ、全くもってその通りだね」
そしてその発言にダルフも同意する。
しかしそれは、決して目の保養が居るからといった理由からではなく戦場の中には敵味方関係なく参考にすべき技と技術がゴロゴロと転がっているからである。
要はダルフにとって戦場は死のリスクを通行料として使える訓練場でもあるのだ。
「じゃあ、行くか?」
「うん、行こう」
およそ怪我人の会話とは思えない言葉を交わした二人は、他の療養者が呻き声をあげながら横たわっている中を歩いてテントを出る。
その姿を見ていた救護員たちは驚きのあまり固まったまま動けなくなっていた。
二人は体中から血は出ているし骨も内臓もダメージを受けたままで未だ完治には至っていない。
救護班の目から見ても彼らは動けるような怪我ではないし、他の兵士たちから見ても動いて良いような怪我ではない。
それなのに二人は平然と歩いてテントを出て行き、装備が保管されているテントへと向かって行く。
ダルフが町を出てから一年以上が過ぎていた。
◆
ギルドへと訪れたリーシャは、今日もまた受付嬢のロナのもとへと歩いて行きダルフについて訊ねる。
けれど、こうして一年以上過ごしてきたリーシャにも分かっているのだ。
いくらこうして訊いても受付嬢であるロナがダルフについて知っている事を自分に教える事はできないし、もう一年以上が過ぎている今、ロナにも今のダルフの居場所は分からないだろうと。
だから、リーシャは決めていた。
今日でダルフについて訊くのはやめる。
これからは一人で生きて行くのだと。
「ロナさん、ダルフは?」
だから、ロナから帰ってきた言葉に思わず固まってしまったのだ。
「……リーシャさん。最前線って知ってますか?」
普段とは違う返答に少しだけ脳が理解するのに時間がかかってしまった。
ロナはそんな動きが止まったリーシャをただ黙って待った。
そして、なんとか動くようになった口で疑問を口にする。
「えっと、最前線って人間と魔族が争ってる場所ですか?」
「はい。その最前線です。なんでも最近、前線の方から目についた人たちを移動させたとかで……」
なぜダルフについて訊いたのに最前線などの戦場の話をするのか。
その意味を理解していく度に鼓動が早くなるのが伝わってくる。
「その中でも最前線でその名を知らしめている人達がいるそうです」
「も、もしかして……」
声が震える。
違うかもしれない、そう考える自分もいるけれど、それを押しつぶすほどの期待が自分の中に溢れかえっている事をリーシャは自覚していた。
そして、そんなリーシャの期待に応えるようにロナがその名を告げる。
「はい。その中の一人居るんです。ダルフさんと同じ名の人物が―――」
◆
最前線において兵士の数は変動しやすい。
増員したばかりの兵士がその日のうちに死んで亡くなり、増えたはずの数字が逆に増える前よりも下回る事だってある。
だが、ここ最近、兵士の数があまり大きく変動していない事に腕に紋様を持つ兵士カタリナは気付いた。
負傷した足が治るまでの暇つぶしとして見ていた記録帳に記載されていた、これまでの兵数の増減に関する記録について何の気無しに見ているとある日を境にあまり大きな減少が無くなっているのである。
それは国からの増援を少しだけ減らして前線から優秀そうなやつを連れてきた方が良いんじゃないか、等と決まってからの日付。
(ふむ。となると、前線から人員を連れてくるというのは存外、間違っていなかったということか……)
その案が出た当初はあまり乗り気ではなかったカタリナだが、こうして結果として表れているのならそれを認めるしかない。
少しの変化で大きな効果が生まれたのだから上々である。
(しかし、こうしてすぐさま結果として表れるなら前線からの増員をもう少し考えるべきか?)
「カタリナー!!」
今後の予定について一人で考え始めたカタリナの下へと一人の少女が駆け込んでくる。
テントの中へと事前の声かけも無しに入って来たのは、同じく紋様持ちの少女サハだった。
カタリナよりは小柄な体格であるサハは、駆け込んできた勢いそのままにカタリナへと近づくと興奮気味に持ってきた情報について語っていく。
「どうした?」
「どうしたじゃないよー! 今さっき他の人と交代してさ、戻ってくるついでに他の兵士の様子でも見てこうかなー、なんて考えて戻ってきてたらだよ! ほら、私たちって最前線のそのまた前線みたいな所でばっかり戦ってるじゃん? でもね、でもね、私たちの目の届きにくい所でも魔族って攻めてくるでしょ? そんな所をだよ? 魔族目掛けて走っていく人達がいたんだよ!」
一気に捲し立てられた内容をゆっくりと理解していたカタリナは、まだ少女として無邪気さを残しているサハの頭を撫でながら微笑む。
そして告げられた内容に対する答えを口にする。
「どこにだって自分より強いやつを相手にしたいという輩は居るものだ。その者たちも魔族と戦いその力を試したいと思ったのだろうさ」
戦場には多種多様な人間が集まってくる。
その中には今聞いたような戦いを好む者だって一定数いるのだ。
それがサハにとっては珍しかっただけであり、カタリナにとっては見慣れたものだった。
だから、この会話は終わりだと思っていたカタリナは、次に語られるサハの言葉に思わず耳を疑った。
「でもだよ、カタリナ! その人達、全身包帯グルグルだったし、私が見たときにはもう何体か魔族を斃した後だったよ?」
「……全身包帯で、魔族を複数斃していた?」
そんな強さを持った兵士なら既に紋様を刻まれていてもおかしくない。
だが、そんな仲間の話などカタリナもサハも聞いたことがなかった。
今のところ紋様持ちさ全部で十七人であり、その全員が包帯グルグルなどという状態にはなっていない。
だが、サハの言っていることが本当ならそんな強さの兵士が複数居ることになる。
(一度、見ておきたいな)
カタリナの好奇心が刺激された瞬間だった。
いつの間にか完治していた足でテントを出たカタリナは、傍にサハを連れたままその兵士たちを見たという場所まで案内してもらった。
いくら常に魔物と魔族が攻めてくる最前線と言えども、そこの主戦力である紋様持ちには休憩が必要である。
紋様持ち達が疲れでやられたとれなれば人間側の勢力に大きな欠損が出ることになる。
そのため慌ただしく人が動く中でも歩いているカタリナとサハに文句を言うような人物は誰も居なかった。
そして、辿り着いたのは最前線の端、あまり紋様持ちの目も届きにくい場所であり、最近では魔族による被害の報告も無いとの事でより目が届かなくなった所。
魔物と兵士の血で赤く染まっている戦場を見下ろせる位置に来た二人は、その中で動いている兵士達に目を向けて件の人物達を探し始めた。
だが、探す必要などなかった。
明らかに戦場で他の者達と動きの違う兵士が二人、戦場で暴れまわっていたのだから。
(……なるほど。サハも興奮するわけだ)
カタリナの視線の先、丁度魔族と戦うことになった兵士が武器を構える。
動ける兵士は数入れど魔族と戦えるようなレベルとなると、今この場所には二人しかいない。
二対一という数的有利はあれどそんなもの関係ないとばかりに突っ込んでくる魔族に、兵士二人は慌てた様子もなく対処していく。
その動きは並の兵士とは全く違う。
避けられない攻撃は傷が最小限になるように動き、僅かな隙も見逃すことなく攻撃を加える。
(だが……)
感心できる部分は多くあれど、カタリナには眼前で戦っている兵士二人を手放しで称賛することは出来なかった。
動けば滲み始める血に明らかに庇うようにして動いている体の重心。
どれもが療養を必要としているものであり、決してこんな戦場の中に居ていいようなものではなかった。
(まさか私が知らないだけで兵士達は、それほどまでに追い込まれているのか? ……だが、あの二人以外の兵士は怪我はしていても包帯や何らかの障害は見られない)
サハの発言は半ば冗談だと思いながら聞いていたカタリナは、包帯グルグルだという情報も多少の誇張であり、実際は腕や足などの一部のみだと考えていた。
だが、現実は聞かされていた言葉の通り。
件の二人は自分の体が悲鳴を上げているのを無視するかのように、最低限の体へのカバーをしながら魔族と戦っていた。
そして、カタリナとサハが観戦し始めてから少しして、二人と魔族との戦いは敵の敗北によって終わりを告げた。
「うわー、勝っちゃったよ! あの二人! あんな怪我で魔族に勝っちゃうなんて……ねえねえ、カタリナ! 私、あの二人、部下に欲しい!」
爛々と瞳を輝かせて述べられた内容は、カタリナにとっても同意見と思えるものだ。
あの自分の身を全く大事に扱っていない所に目を瞑り、此方の指示を守ることができるなら他の紋様持ちに比肩する程の力を持った部下として是非とも欲しいと思える人材。
紋様持ちはその数に差はあれど個人的に部下を持っている者は多い。
自分が魔族と全力で戦えるよう周囲の殲滅や援護などを指示して協力したりしている。
紋様持ちであるカタリナとサハも他の者同様、部下を持ちたいとは思ってはいるが、目ぼしい人材は後方で戦うことを望んでいるか既に誰かの部下になっていたりと確保できたことは未だに一度もない。
だが、今ここに至っては他の紋様持ちも気づいていないだろう有望な人材が二人もいる。
これを逃す手はなかった。
(あの体を大事にしないところは後で直すとして……。誘うだけ誘ってみるか)
そうしてサハの要望に同意したカタリナは、二人がテントに戻るのに合わせて声をかけ、部下にならないかと提案した。
これがダルフの名がリーシャの下へと届く約二ヶ月前の出来事である。
そして、提案を受けたダルフが口にしたのは―――
「カタリナさんの部下になれば、俺は大切な人を守れますか?」
カタリナは、その言葉に頷いた。
◆
人間と魔族の戦いが行われている場所で最も危険とされる最前線。
その最前線の中でもより危険が及ぶ境界線付近では、一人の男の活躍が他の紋様持ちの間で話題となっていた。
元冒険者でありながら使う武器の種類は戦場にるある物全てであり、そのどれもが他の兵士と比べても遜色がない。
戦いの最中であるにも関わらず敵味方の動きを観察し、その技その技術を見て盗み自分の物とすることに長けている。
もう一人の隻眼の男と同様、常に包帯を巻いて傷だらけで戦っている。
その男がどれだけ傷を負っても戦い続ける理由はたった一つ、平和な町で暮らす想い人に幸せになってほしいから。
そんな話を話題の少ない戦場で幾度も繰り返す紋様持ち達、特にその男の戦う理由に盛り上がる女性陣達は、その想い人と男との関係を妄想しては更に盛り上がる。
その姿はさながら戦場を駆け回る戦士などではなく、町でお茶を楽しむ普通の女性のようだった。
だから、ダルフも何も言わない。
心を擦り減らす戦場において自分の情けない話で、彼女達が一時でも普通の女性のように過ごせるなら幸いだと。
けれど、ダルフは知らなかった。
「此処に、ダルフが居るんだね!」
その守ろうと決意した想い人が紋様片手に自分の下へと近づいてきていることに。
そして、紋様持ち達は知らなかった。
「ダルフ、この戦争が一区切りついたらどうだ? 私と旅行にでも行かないか?」
死にそうな言葉を言っても生き残るだけの実力を持った紋様持ちの存在によって、この殺伐とした戦場が修羅場となることを。
ダルフとリーシャが出会うまで、残り―――。