第51話 一週間後
あれから、一週間が経過した。
あれってのは勿論、団子屋の後の戦いだ。
そのときに俺が倒れた原因は、精神力の使い過ぎ。
気絶した後、俺は丸一日寝込んでたらしいんだけど、本当ならもう二日くらいは寝込む筈だったらしい。
それがなかったのはハリオンさんのお陰なんだと。
なんでも、俺が気を失った直後に【回復魔法】の技能の内の一つの、精神力を回復させる技能を使ってくれたんだって。
戦う前はあんなに嫌がってたのにね。
俺が目を覚ましてから、ハリオンさんはまるで別人のようだよ。
気を失うちょっと前に、あの人なんか凄い笑顔浮かべて笑ってたのは覚えてるけど、その時に取りあえず笑い返しといたのがポイント高かったのかね。
てかあの笑顔マジでなんだったんだろう。
まあとにかく――あんまり喋ってくれなかったり、嘲笑わらってきたり、ボコボコにしてきたりはするけど――俺はハリオンさんに、認められたらしい。
……あれ、俺本当に認められてるのかな……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「フン。君も意外と、くだらないことを気にするんだな」
《だっていつも、ハリオンさんから、話しかけてこないし。僕が失敗したとき、声を押し殺して笑ってるし。気絶するまで殴ってくるし》
「ハッ」
ハリオンさんが鼻で笑った。
彼は今、俺の隣で片膝を立てて座っている。
《そういう、ところ》
そう念じると、ハリオンさんは黙ってしまった。
手持ち無沙汰になり、それとなしに頭上を見上げる。
空を遮る巨木は、ここにはない。
翠緑色の半透明のベールの向こうで、無数の星々が瞬いていた。
時刻は夜中。
場所は円形闘技場。
俺が目を覚ました日から、ハリオンさんが毎晩ここで稽古を付けてくれるようになって、今はその休憩時間。
稽古を付けてくれるようになった理由はよく知らない。ただ、目覚めたらハリオンさんからそう持ち掛けられて、俺にも断る理由がなかったってことだ。
こうして無言のまま、ハリオンさんと二人っきりで夜空を見上げていると、何とも言えない気持ちになってくる。
勿論、星はとっても綺麗なんだよ。
日本の山奥では比べ物にならないくらいの夜空で、初日からすごく感動したんだけどね。
でもさぁ……やっぱりさ……なんか物足りないよね。
別にハリオンさんのことを悪く言ってるわけじゃないんだけど……てか、ハリオンさんも超イケメンだし雰囲気出るしいいんだけどさ、やっぱり……ねえ。
ま、何が物足りないのかは具体的にはわからないんだけど。
うーん、リアリスとかかな?
試しに、隣にリアリスがいるところを想像してみる。
……彼女は、隣で体操座りの姿勢のまま、夜空を見上げている。
美しい碧眼には、無数の輝きが映り込んでいる。
金糸の髪は月光に照らされ、幻想的な雰囲気を醸し出す。
此方に向けられる端正な横顔は、どこか憂いを含みながらも確かな意志を感じさせて――
しっくりきた。
しっくりきすぎてしまった。
思わず、顔から火が出そうになる。
いやいやいやいや、ないないないないない。
同じ転生者同士で感動を分かち合いたいってだけで、深い意味はない、よね。
うん。ない。
深夜こわ。深夜テンションこわ。頭おかしくなってんじゃないの。
てか今考えるべきことじゃないでしょ。
後回しだ後回し。
俺が思考を無理矢理逸らしていると、唐突に、ハリオンさんが口を開いた。
「……いいか、虫」
その呼びかけに、ぱっと、ハリオンさんの方を向く。
渡りに船、思考の方向もそちらに向ける。
「認めることと、馴れ合うことは同義じゃない。わかるかい?」
星を見上げながら、ハリオンさんはそう言った。
ああ、なるほど。
なんとなくだけど、わからなくもない。
《じゃあ、ハリオンさんは、僕と仲良くなる気が、ない?》
だって、その考えでいくと、そういうことなる。
俺の送った思念を、ハリオンさんはフッと笑う。
「一応、弁解をさせて貰うとするならば――笑うのは、君を鍛えるのが楽しいからで、君を気絶させるのは、緊張感のない訓練は訓練にならないから」
ハリオンさんが一旦、言葉を切る。
そして、言葉を選ぶようにして、彼はゆっくりと口を開いた。
「あまり喋らないのは……元々の僕の性分だ。性質と言ってもいいのかもしれない。僕は昔からそうなのさ」
そう言って、ハリオンさんは物憂げな表情を浮かべた。目を細めて、星空の向こうに何か見えない物を見ようとしてるみたい。
その横顔を見ていると、俺の頭の中に一つの考えが浮かんだ。
もしかしたら、ハリオンさんは過去に何かしらの辛い経験があったのかもしれない。
そのせいで、俺にあんな態度を取ってたのかも。
んー、考えてもどうせわからないだろうけど、ハリオンさんにこんな顔はして欲しくないな。
《――でも、リアリスとは、もっと、話してた》
「まあ、あのバカとは一応幼馴染みだからね。一緒にいた年月という奴が違う」
《じゃあ、この前の戦いまで、僕と、もっと話してくれてたことは?》
「それは、僕の君に対する認識が変わったからだね。君は、どう思われてもいい相手にも気を使うかい?」
あー、なるほどね。
ってことは、俺って今は気にされてるのか。
……うへへ、なんかちょっと、これはにやけちゃうな。
俺が存分に頬を緩ませていると、案の定、ハリオンさんに「なんだよ、その顔は」と、嘲笑された。
彼はひとしきり笑った後、「ああ、そういえば」と、表情を変えた。
「君のその背中の痣は、なんなんだい?」
《へ?》
「間抜けな声だね、その背中の赤い痣だよ……まさかとは思うけど、気付いていない?」
えー、なんじゃそれは。
心当たりがゼロなんですが。
……ハリオンさんが真面目な顔してるし、一応確認してみるか。
首を伸ばし、体を曲げて、ハリオンさんの指差す方を覗き込む。
果たして、俺の背中――いつも太陽に向けているような部分――にそれはあった。
人の掌くらいの大きさの赤い痣。
が、殆ど治っているのか、赤色は薄かった。
《殆ど治ってる。なんで、もっとはやくに、教えてくれなかった?》
この痣の状態を見るに、多分ハリオンさんとの訓練でついた傷の治し残しだろう。
ハリオンさんとの訓練でついた傷は、彼自身が全て【回復魔法】で治してくれているからね。
いくらハリオンさんとはいえ生き物なんだし、ミスくらいはするでしょ。
……ハリオンさんがミスしてる姿が全く思い浮かばないけど気にしない。うん。気にしない。
教えてくれなかった理由は……いつもの意地悪かな。
うん、そうだ。そうに決まってる。
痣が残ったまま街を巡る俺を見て笑っていたに違いない。
そういう奴だもんな、ハリオンさんは。
今にニヤリと笑うに決まってる。
そう思い、睨み付けてやろうと眉間に力を入れながらハリオンさんの方に顔を向ける。
しかし、俺の予想を裏切ることに、ハリオンさん浮かべていたのは怪訝な表情だった。
「いや、昨日まではそんな傷は見当たらなかったと思うよ」
あり?
《ほんとうに?》
「ああ、僕は少ししか嘘をつかないからね。君、心当たりはないのかい?」
うーん、心当たりねえ。
寝てるときにベッドの角にでもぶつけたかな。
昼頃からリアリスに森を案内してもらって、終わったらスリープタイム。
深夜にハリオンさんと稽古して、次の日の昼頃までスリープタイム。
この一週間これの繰り返しだし、別に今日は背中に痛み感じてないしなあ。
心当たりなんてハリオンさんの治療忘れくらいしかないや。
そのことをハリオンさんに伝えると、
「そんな目立つ所にある痣を、この僕が見逃す筈がないだろう? それにしても君、働きもせずにそんなグータラ生活を送ってたとはね。貢がせるとは、全くいいご身分だよ」
そう言って肩を竦めてきた。
彼にとって、毎日気絶してるのはハードじゃないらしい。
でも、それ以外反論できないのがとても悔しい。
こんなに悔しいことはない……。
「話を戻すけど、本当に心当たりがないなら、それはただの傷じゃないのかもしれないね。……ま、そこまで治りかけているなら、【回復魔法】をかける必要もないかな」
そこでハリオンさんは立ち上がった。
「続き、やろうか」




