第23話 “業炎の暴君” と “眩惑の貴人”
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「ウッホッホ、そろそろ諦めろッホ」
筋骨隆々のゴリラの巨獣が、仰向けで倒れている人狼に向けて言う。
人狼の体をよく見れば、青黒い痣があちこちに浮き出ていた。
「っく……なんの、これしき……」
それでも人狼は立ち上がる。
それが、友との約定であるからだ。
彼も昔は、人間であった。
だが、たまたま、本当にたまたま神々の一柱に気に入られ、望みもしない加護を植え付けられたのだ。
そのスキルである【月の祝福】、その技能のうちの一つ、『人狼化』。
まだ幼かった頃の彼はその技能をコントロールできず、幾度となく暴走した。
その中で彼は、家族も、友人も、追いかけてきた衛兵も殺してしまった。
人の住む領域から追いやられた彼は、自然とモンスターの住む領域へと入っていき、そこで、本能の、技能の命じるままに暴れ回った。
そうすることで、孤独を紛らわせていたのだ。
そうすることでしか、孤独を紛らわせることができなかった。
そんな彼は、ある満月の夜、初めて敗北の味を知る。
新月の夜以外では、三日月の夜でさえ負けを知らなかった彼が、満月の夜に負けたのだ。
それはもう、完膚なきまでに。
地に伏した彼は思った。
自分もこのまま殺され、食われるのだろうと。
今まで自分もそうしてきたからだ。
しかし、そうはならなかった。
『気に入ったぜ、オメェ。オレとダチにならねェか?』
彼は、差し伸べられたその手を取った。
孤独から、抜け出したのだ。
自分を孤独から救ってくれた友との、約定。
破るわけには──いかなかった。
(せめてもう少し、もう少しだけ月が満ちていればな……)
そうは思えど、事実が変わることはない。
真っ黒な夜空には、細い細い月が出ていた。
唐突に、人狼が口元をフッと緩める。
その様子に、ゴリラの巨獣が少しだけ眉をひそめた。
(さて、この一合で終わりかな)
そう思いながら、人狼が、拳を構えて──
──大地が、揺れた。
巨大な影が、人狼と巨獣の間に現れる。
その影は現れるやいなや、人狼に向かって軽い調子で声をかけた。
「オイオイ、大丈夫かァ? ヴォルフよォ、随分とボコボコじゃねェか?」
人狼はその声に安心したのか、フーっと息を吐き、構えを解いた。
「グルートさん、無茶言わないでくださいよ。今日は新月からまだ数日しか経ってないんですよ?」
そう言って肩を竦めながらも、人狼は人へと戻っていった。
「難儀な技能だよなァ、ソレもよォ」
「それでは俺はもうその辺で寝るとしますね。もうヘトヘトでしてね」
「オゥ、任されたぜェ」
そんなやりとりをする男と巨獅子に、巨獣は顔を顰める。
男がそのまま、森の奥へと消えていったからだ。
「おまぇら二人がかりでかかってこなくて、本当にいいッホ?」
「あァ? オメェごとき、そんな手間はかかんねェよ」
挑発的な表情をするグルート。
売られた喧嘩は買うとでも言うように、巨獣は口角を吊り上げ、地響きとともに走り出した。
「ウッホッホッホ! “業炎の暴君”グルート! お前は俺が殺すッホ!!! そしてその後に、あの人狼も殺すッホ!!!」
瞬く間に間合いを詰めた巨獣が、勝利を確信したのかニヤリと笑い、右の巨拳を振り下ろす。
「──オレに勝てる、だとォ──?」
振り下ろされた巨拳と、持ち上げられたグルートの前足が衝突する。
ジュっと、何かが焼ける音がした。
「ウボァァァァッ!!!」
悲鳴を上げながら半歩後退したのは、巨獣。
見れば彼の巨拳は──黒紫色の炎に、覆われていた。
「オイオイ、まだまだ本気には程遠いぜェ?」
グルートが獰猛な笑みを浮かべて言ったその刹那、彼のたてがみが炎に包まれる。
無論、ただの炎ではない。
闇を司るかのような──黒紫の炎。
「オレが、なんで“業炎の暴君”って呼ばれるか知ってるかァ?
──他に言いようがねェからだよ」
たてがみから全身へと、黒紫の“業炎”が広がっていく。
やがて彼の体は、完全に“業炎”の鎧に包まれた。
「いくぜェ──?」
言うが早いか、グルートが地を蹴り加速する。
そのまま矢のように、一閃。
黒紫の閃光が、巨獣の体を貫いた。
巨獣は声を上げることすら許されず、膝から崩れ落ちる。
見ればその半身が──抉れていた。
グルートは四足でブレーキをかけ、木々を巻き込みながらも、勢いを殺していく。
完全に止まってから振り返ってみれば、自分の四足に抉られた土と木々、そして、既に遺灰へと変貌した巨獣だけが残っていた。
「ケッ……雑魚が。ソレにしても、ヴォルフの奴は本当に寝に行きやがったのかァ?」
グルートが『魔力感知』を発動すると、ヴォルフらしき魔力反応が木の上にあることがわかった。
彼が寝たままモンスターに食われる心配がないことに安堵したグルートは、体の向きを真反対、ゴブリンの村の方に向けた。
「まだ耐えてろよォ……ダル」
その呟きは夜の闇に吸い込まれ、誰にも届くことはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウヒッ。うひひひひっ!!!」
狂笑を浮かべる男が、ブンブンと耳障りな羽音をたてながら空を飛びまわる。
男の背中からは、大きな二枚の羽が生えていた。
突如、湖面が輝く。
水の精達の魔法だ。
数多の水弾が羽男に襲いかかる。
男は嵐のような水の弾幕を回避しつつ、湖上で剣を構える河童に向かっていく。
「まるで曲芸のようでありんすね」
河童が忌々しげに呟く。
やがて弾幕が途切れ、河童との間合いを一気に縮めた男が、両腕から生えている鎌を振り下ろす。
河童は両手で構えている半透明な水の剣で、男の斬撃をいなしていく。
上、下、右、両横。
彼らの戦いに合わせて、リズムよく金属音が奏でられる。
金属音に合わせて、二人が舞う。
「はっ!」
河童女が男の横凪ぎを払い、左手の人差し指を向けた。
魔法の輝きとともに、透明の銃弾のような何かが凄まじい勢いで発射される。
「うひ、ひっ!」
男は空に飛び立ち回避する。
すかさず、水の精達が魔法を撃ち始めた。
先ほどの、焼き直し。
男は一瞬不機嫌そうな顔をして──笑った。
その直後、空中で止まっていた男にいくつもの水弾が着弾し、弾けた魔力の煙に覆われる。
──そして次の瞬間、その場にいた者はみな、息を呑んだ。
唐突に、煙の幕が晴れたのだ。
そこから現れたのは──二人の男達。
瓜二つの、男達だった。
「「うひひひひ……」」
二人の完全な同質の声が重なる。
彼等は同じく狂笑を浮かべ、左右対称の動きで羽を広げた。
──飛翔。
目にも止まらぬ速さで、夜の空を縦横無尽に飛びまわる。
水の精達はその速さと予測不可な動きに、魔法の狙いを定めきれない。
河童女はその端正な顔を歪めながらも、湖面に立って剣を構え続ける。
しかし、彼女は二人を見失った。
否。
正確には、消えたのだ。
彼女の青い視線が、闇に包まれた夜の空を右往左往する。
次に男達の姿が現れたのは、佇む河童の目と鼻の先であった。
河童女の目が驚愕に見開かれる中、闇に包まれた二振りの凶刃が、彼女の命を奪おうと翻り──
──白い一閃に、弾かれた。
反撃を警戒したのか、瞬時に男達が空へと戻る。
河童女は安心したのか、ほっとため息をつき、構えていた剣を下におろした。
「随分と待たせてくれんしたね、スカル様」
そう、すんでのところで斬撃を弾いたのはスカルであった。
河童女の言葉に、彼は白い後頭部に片手を当てながら口を開く。
「いやはや、これでも全速力で駆けてきたのですがね……」
何でもないように湖面に立ちながら、そう言って苦笑するスカルに、河童女も口の端を緩める。
「まあ何にせよ、わっちは疲れんしたわ。巻き添えをくらうのも嫌なんで、ここでお暇させてもらいんす」
「ええ。スイレン、ゆっくり休んでください」
スカルの言葉に、河童女が笑みを漏らしながら湖へ潜っていった。
やれやれと肩を竦めながらも、スカルが改めて空で滞空している二人を見上げる。
すると、空の男達が同時に笑みを浮かべた。
「「……あア。斬れる斬れる斬るきルキルキルキル!!!」」
叫びながらも、二人の男達は三人に、四人に。
スカルが睥睨する中、遂に彼等は十人にまで増え続けた。
「死ねェェェェェ!!!!」
十人がそれぞれフルスピードで、夜の闇を切り裂くように、湖上の空を縦横無尽に翔け始める。
やがて彼等は、その勢いそのままに──スカルに突っ込んだ。
計二十の鋭利な刃達が、棒立ちで湖上に佇むスカルの体を串刺しにする。
骨を貫通されたスカルが崩れ落ちた。
鎌を突き刺した十人の男達が、その狂笑を更に深くしていく。
「「「「うひっ、うひひっ。斬った斬っタキッ──」」」」
「──カカカ、“幻影”です」
その瞬間、男達が串刺しにしていたスカルの死体が、魔法の残滓を残して消え去った。
その声に振り返った男達が目を見開き、言葉を失う。
そこには、殺したはずの──スカルがいた。
「──“理想、“妄想”、“幻想”。想いは“虚構”」
スカルの静かな詠唱とともに、彼の腰から剣が抜かれていく。
鞘から抜かれた刀身が、喜ぶかのように紫紺の光を発した。その様子は余りにも美しく、神秘的。それでいて──不気味だった。
妖しく光る剣に目を奪われながらも、男達が茫然と呟く。
「“眩惑の──貴人”」
その言葉を聞いてか聞かずか、スカルが完全に抜刀した剣を男達へ向けた。
「惑え、夢を見ろ。『永遠の夢幻』」
──横凪ぎ一閃。
次の瞬間、剣先から放たれた紫のオーラが、瓜二つの動作で目を見開いていた男達を襲った。
男達は避けることもかなわずにオーラに触れ、次々に意識を失っていく。
「うひ、うひひ、うひひひ──」
最後の一人が意識を失うと、他の分身達が一人も残らずに消え去った。
滞空していた男は、意識を失ったことで飛行状態を維持できず、そのまま湖に向かって落ちていく。
すかさずスカルが湖面の上を走り出す。
瞬く間に、スカルは男との間合いを詰めた。
「それでは──南無」
呟きながら、落下してきた男の喉を搔っ切る。
スカルは血を噴射し始めた死体を確保すると、そのまま一跳びで岸へと戻っていった。
「ふむ、中々いい死体が手に入りましたね。……さて、ダル殿のところに向かうとしますか」
スカルは緩んだ頬を元に戻すと、ゴブリン村の方に向かって、走りだした。
???「一体いつから──【幻惑魔法】を使っていないと錯覚していた?」




