思考少女は床の上 “感情”
怒るから眉間にしわができるのだろうか? 泣くから悲しいのだろうか? ぶっちゃけ私はどっちでもいいし、どっちもあり得ると思ってる。どっちかなんでないと思う。
問題はその違いではない。本当に私は悲しいのか、だ。辛いことがあって悲しくなる。でも、周りからすれば当たり前のことで、いちいち悲しむことではないと言う。それを聞いて私はより悲しみを深くしている気がする。実際悲しみは深い気がする。でもそれは演じている悲しみなのではないだろうか? 小さい頃に怪我をすると親が心配してくれた。小学生になり、あまりかまってもらえなくなった。少し転んだとき、大袈裟に振る舞ってかまってもらおうとした。それとおんなじ。かまってほしいだけ。悲しみを否定しないでほしい。悲しみを認めてほしい。たったそれだけ。もとあった感情を塗りつぶしてまで、嘘をついてまで見せたい感情。なんて醜いんだろうな。
楽しさだってそう。面白くもないはなしをさも面白そうに聞く。作り笑いや、嘘の共感。下らない話や支離滅裂な話だって生真面目に聞く。そんなふり。顎を引いて真面目な顔つき。適所適所で相づちをうつ。
悲しみを装い、楽しそうに振る舞い、真面目を演じる。そんなことをしているうちに、見失ってしまった。今感じている悲しみは悲しいのか、それとも誇示するための悲しみなのか。面白い話ってどんな話だったのか。わからなくなってしまった。
そもそも人と比較しなければよかった。気を引くため感情を利用するんじゃなかった。感情は自分の思うがままに任せておけばよかったんだ。でももう戻れない。
好きっていうこの感情も……。
これでおしまい。続きはまた別の日にしよう。
親はまだ起きてるみたいだ。私の今の感情を親は知らない。私も親の感情を知らない。壁一枚先の存在を感じれどもね。私は寝よう。