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第八日:飛鳥を走る

めちゃんこ遅くなっちまいましたが(泣)

最終日(八月十日)の日記です(笑)

 友人からの或る連絡は、(わたくし)をして俗世界に戻らしむる端的因由となった。

 その旨は事実上微塵の変哲も無きものであるし、またこれをうけた私としても、拒むべき都合の一つとして無きことである。池袋で飲み騒ぎをやるから来い、との通達だ。

 まことに(ただ)それだけであり、実に大したことではない。さりとて私が長旅を切り上げる理屈としては、ごく充分であった。


 十日午後の適当な新幹線で戻って、そのまま宴に参じよう。私は左様の返信をすると、土産話は何からせんかな、などと頭を回し始めた。

 以上、昨夜の出来事である。


 私は猿沢池の(へり)に腰掛け、ぼうっと鳩を眺めている。

挿絵(By みてみん)

 夕べは浴衣美人で賑わっていたそこが、刻の違いで斯くも形相を変えるものか。まだ高からぬ朝日が湖面を仄白く塗りつぶしている。茫然たるその心象は、私の気分と似通っていた。

 時刻は六時を回ったところ。奈良駅前の漫画喫茶をのそのそと這い出ると、別段何がしたいでもなくして、私は猿沢に戻ってきたのであった。

 冷えた缶珈琲がうまい。対岸の鹿たちも、うまそうに草を食んでいる。彼らとてせんべい以外もちゃんと食うのだな、と妙な安心を覚えなどした。

 早朝の興福寺は、常にも増して美しい。

 これを共有できる者が辺りにおらず、悔やまれること限りなし。この閑散と清涼のなか、取り込む空気は無類である。私は大きく伸びをして、アーァと野太い声で唸った。はばかる人目は見当たらない。


 しからばすなわち旅の出足は、早きを尊ぶべきである。

 反省すれば一昨日なんど、これとは丸きり逆だったのだ。ゆえに難儀が多かったのだし、あらぬ焦燥もしたのであろう。

 私はすっくと立ち上がり、ともかく発とうと駅に向かった。飲み会は十八時からだという。新幹線を弁えるに、京都への足掛かりも念頭におかねばならぬ。もたくさしている(いとま)なぞ、どたいそれほど無さそうである。


 まずは近場でどこかと企て、法隆寺駅に降り立った。

 ただいま七時四十分。ここから目当ての寺までは一・六キロというから、開門時間の八時と同時に拝観が始められよう。一番乗りの気分になって、斑鳩(いかるが)の町を歩いていった。


 鐘が鳴るなり法隆寺。柿食わずとも、よく響いてくる。

 平日といえど先客はいるようであった。おばさま方ご一行と家族三人連れに次ぎ、世界最古の木造伽藍を拝せんとして中に入る。

 ところがここでぶったまげた。何たることか、拝観料が千五百円もするではあるまいか。

挿絵(By みてみん)

 各伽藍と宝物館をまとめた券として販売されているから、妥当といえば妥当かもしれない。しかし一度にこの額を求めてくる寺社は、これまた始めてみた。

 学校の教科書でお馴染みの文化財、至宝のたぐいが次々と現れてくる。まさしくめくるめく様に、展示の解説文が頭に入ってこない暗記の試験をするでもないから、それで困ることもあるまいが。


 聖徳太子の開いた寺をこの身で感じたのであれば、次は彼の生まれた地へと足を運ぶのが美しかろう。この旅に残された時間は多くないのである。少しでも早くそこに至り、旅の終わりの華としたい。しかれば目指すべき地は一つ。


 法隆寺から次の地までは、なかなか不便な道のりがある。

 JR「高田」駅で乗り換えまでは良ったが、そこから近鉄「高田市」駅には腹の立つほど距離である。歩めば二十分はかかろう。もしもここで乗り換えに失敗すれば、夕方へ皺寄せがいきかねない。

 これを恐れて大急ぎである。静御前のゆかりの社に立ち寄ることもほどほどに、燦然たる古代の里、明日香(あすか)の地へと列車に乗った。

 そして、ここぞまさしく本旅行最後の目的地と言えた。

挿絵(By みてみん)

 奈良県明日香村。いにしえより「阿須加」とも「飛鳥」とも書き、多くの大王がその宮を置いた古京である。広大なる農村地帯と、歴史ある古刹、そして数多の古墳を有するそこは、正に()()()()である。

 しかし時間との戦いだ。

 一時半の電車で発たねば、時間通りには京都に着けぬ。巡る名所はそこら中にあるけれども、一体今から歩き始めてどこまでものを見られるだろうか。駅前の地図を面を合わせて、私はたいそう肝を煎った。

 そんな私の目に入ったのは、「貸し自転車」の文字だった。


 この上無き助けであった。嬉しい誤算はここに極まる。嬉々と九百円を支払い、颯爽として走り出した。

 下る坂道で向かう涼風が、汗ばむ体に良き褒美となる。ひゅうと叫ぶほど心地よい。今や私の前頭前野は、お天道(てんと)様より晴れやかである。

 高松塚古墳に至るまで、おおよそ十分強だった。


 キトラ古墳と並び、絢爛なる石室壁画を有する五世紀頃の円墳である。東西南北には被葬者を護る四神が配せられ、装飾古墳の白眉としてその生彩を放ちつづけている。

 決して巨大なものではないが、若草に覆われし萌黄色の丘は私をして「これが、あの」と嘆息せしめた。

挿絵(By みてみん)

 明日香の地を駆け巡っていれば、この種の感動の連続だ。古人の生きた証が見せる正夢の岡なのだ。


 聖徳太子の生まれが伝わる(うまや)のあったとされる地は、橘寺(たちばなでら)と呼ばれている。法隆寺からの仏徳を、ここにて全きものと為す。

 左様の気持ちでこれを拝むと、私は更に東へ向かった。

 石舞台古墳、都塚古墳、いずれも名だたるところであって、その美しき石室を、この双眼に焼き付ける。墳墓の上から見る風景は、さながら飛鳥のパノラマだった。四方山(よもやま)へとカメラを向ければ、画像フォルダは緑で埋まる。

挿絵(By みてみん)

 この長旅にあって、斯くも清々しき心象があったろうか。伊勢も熊野も素晴らしかったが、この純朴なる自然の表情は、なかなか見られてこなかった。


 私はこの風景の中を、しばらく愉しく走り続けた。既にして電車の時間が迫る。すなわち、旅の終わりも迫って居った。

 橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)からは、京都直通の特急が出る。これに乗りさえすれば、十八時の池袋に間に合う。むしろこれを逃してしまえば、私は時間に間に合わぬ。ある程度の余裕は持って、特急電車に乗り込んだ。

 さらば、さらば、飛鳥の里よ。


 そして程無く京都に至り、新幹線にて畿内を罷る。隣に座ったOLは、大阪から出張のことである。こちとら関東に帰りますと、言って私は呵々大笑した。

 彼女はお疲れ様と言い、この長旅を労ってくれた。

次回は後書き(?)です!

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