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第七日:群鹿と戯る

奈良公園編です。

 八月九日午前九時、(わたくし)はコンビニ前で立ったまま唐揚弁当を食った。

 夕べは食事をしそこねたこともあり、今朝は奮発気味である。これを喰らえば今晩まで動く熱量はまず獲得出来よう。


 貧乏の私にとって、長期旅行中に三食の全きを得るなど端から企てるところでなかった。

 ごく限られたる予算を以て、旅は幾日可能であるか。出発前の私は、その検討だに付けかねていた。尻青くして旅慣れもせず、極めつけには算数の不得手ときたものだ。然らばすなわち可能な限り、緊縮的に行くほかない。ゆえにここまで一部を除き、素泊まりと安宿で渡り繋いできたのである。

 昼餉に関しては、あらかじめ持参の菓子で済ませることもあった。チョコレートと豆を練ったものなどは、腹持ちが良く重宝できる。味もいろいろ売られているからしばらく食うには飽きもこない。そして、チョコなのにヘルシー。私は満足である。

 それよりも移動費と宿泊費がよほど恐ろしいのであるから。きたるべき新幹線代にうち震え、唐揚げも喉を通らない。水で流し込み、今日もゆく。


 天理から奈良駅への便は申し分無かった。さすがは市内の中心とあり、近鉄JRを問わず盛んな往来があるようだ。

 今日も今日とて快晴至極。抜けるような青空に、雲は綿菓子のごとくある。奈良駅前は車も多く、タクシー乗り場は上景気である。これを横目に少し歩けば広い観光街に出て、とうとう私は南都入りを果たした。


 開化天皇陵を拝して、猿沢池の脇をかすめる。私は春日大社を目掛けて一直線に歩いてゆく。

挿絵(By みてみん)


 すると我が目に入ってきたのは、愛くるしい鹿たちだった。

挿絵(By みてみん)

 私は幼少より、動物愛好心の強い男である。野山にわけ入り虫も愛でたし、インコなんかもよくよく世話した。この奈良公園に至って、気の昂らぬ理由は無い。

 しかし、なかなか難儀も感じる。道すがら狂ったように写真を撮ったが、後でよくよく見返すに、その大方は()()ていた。私のちんけな撮影技術は大いに責むべきだけれども、あの鹿たちときてみれば、どうにもこうにも落ち着きがない。鹿せんべいを与えてみるも、撮影条件は悪化の一途を辿った。

 この鹿せんべいなる代物は、十枚一束百五十円にて園内各所で売られている。鹿どもは人間を見る際、その手に関して餌の有無を一瞬で調べる。無しと判るや寄ってもいかず、有りと知れるや群がっていく。可愛い顔をしている割に、行儀や遠慮のたぐいは皆無だ。


 私の手からせんべいが尽きるには三十秒とかからなかった。

 せんべいから帯を外すことすら、彼奴(きゃつ)らはちっとも待とうとしない。先鋒の大柄な雌鹿が向かってきて、いきなり束ごと齧ろうとした。ちょいと待てとも言おうものなら、次は体に飛び付いてくる。すると横から小さなやつが、漁夫の利を得べくこんにちは。

挿絵(By みてみん)

 こりゃかなわんと軽く跳び退き、どうにか紙の帯を外した。いよいよ彼らはフンフンいって、更なる多勢を率いて迫る。私が素早い“せんべい(さば)き”でこれを次々差し出すと、たちまちこの嵐は去った。

 私が今に忍者となればきっと手裏剣上手になれよう。我ながら誇らしき奮迅であった。


 これだけ熱く渡り合うのに、餌が消えると大半が離れていく。ほかの客が持つせんべいに、すかさず食って掛かっていくのだ。

 唯一私のところには、冴えぬ牡鹿が一頭のみ残った。薄い物なら何でもござれと、私の団扇(うちわ)に噛みついてくる。止せと言うのに聞く耳持たず。間抜けな絵面の引っ張りっこが、人混みの中でしばし続いた。

 この往来は常に、鹿と観光客の群れで溢れていた。ここらの鹿は広々した芝生よりも人波で所狭き参道を好んでいる。そこかしこに立つ「鹿注意」の札は、誰の目にもとまらぬ様子であった。


 春日大社は現在、式年造替の最中である。

 二十年ごとに本殿その他もろもろを新しく造り替えるといったもので、こたびは平成十九年よりその普請が行われている。来年には新御殿が完成するとのことで、今日は仮本殿への参拝となった。境内では若宮や金龍を巡り、やっと一息というところである。

 太陽が真上に昇っていた。しかし腹ごしらえに先立ち、まだまだ見ねばならぬところはある。勢いのまま北へと急ぎ、東大寺へと私は至った。


 やはりここに来なくては、奈良を旅したことにはならぬ。人に土産話をしてやるにも、大仏を拝んだ感想が(つぶさ)でないと疑われかねない。ヤイ、お前は本当に奈良見てきたのか……と。

 そこは全てが巨大であった。南大門はそのものも、左右に控える阿吽の仁王も、思い描いた以上であった。これに睥睨されてしまえば、まさに泣く子も黙るであろう。余計な発汗を感じて、門下の日陰をしぶしぶと出た。

 大池の生き物たちは鹿に負けず劣らずの食い意地である。

 なかんずく、亀の勢いには目を見張るものがあった。ひしめく鯉どもをずいずいと押しのけ、我先にとて岸辺に来るのだ。前足で石にのし上がると、天をも穿たんばかりその首を伸ばす。餌を鼻先にくれてやったら、手から直接食うてゆく。これは可愛いものである。


 身仰ぐばかりで首を痛めつつ、私は盧遮那仏を拝した。鎌倉の阿弥陀とは比べ物になるまい。そこはかとなき敗北感を、覚えた神奈川県民である。

挿絵(By みてみん)

 どうにかここまで無事に来られた。この期に及んで祈るべきは、帰路の安全に尽きよう。私はとある急な理由で、明日には京都駅から新幹線で帰らねばならない。今日のところは日がくれるまで、奈良を満喫しようと思う。


 興福寺を訪ねる前に、休憩がてらに茶店へ入る。「塔の茶屋」では当地名物の茶粥(ちゃがゆ)を味わうことが出来る。

挿絵(By みてみん)

 苦味強いの粥をすすって、そのつど漬物を一口。柴漬け、奈良漬け、糠漬けが出るが、いずれもこれに大変よく合う。猛暑の中から逃れた私を、ひんやりとして癒してくれる。腹にたまるものではないが、三百五十円の価値はある。汗を沢山かいた後こそ、こういう料理が望ましかろう。

 元気を少し取り戻し、私は伽藍に入っていった。


 元興寺には有名な「がごぜ」なる鬼がいたという。敏達天皇のころ尾張から来た怪力童子と闘って敗れたというが、その正体はかつて当寺に勤めた無頼の男の悪霊であったそうな。「がごぜ」という名はそもそも元興寺の訛ったものである。この言葉は妖怪とか鬼神をあらわす普通名詞として、後に各地へ広がるものだ。

 妖怪の元祖といって、過言のない存在であろう。だから妖怪の好きな最近の子供は、皆一度ここに来てみるべきである。


 興福寺よりいくばくか南に、この元興寺はある。

 猿沢池の横を抜けると、夕陽が水面(みなも)に輝いて、五重の塔を映していた。名残惜しきかな、奈良公園。明媚のうちに、私は退く。いつまでたっても涼しくならぬが、池の周りは大にぎわいだ。行き交う浴衣美人たちはなおも町へと繰り出していく。

 今宵の宿は、どうしたものか。

次回、帰宅編(?)

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