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第六日:大和に迷う

巻向遺跡周辺~天理編です。

 赤ん坊とは面白いもので、今しがた泣き出したかと思うともうけろりと笑っていたりなどする。従姉のところの太郎を見るに、これは(たっと)き品格であろう。


 玩具の電車どうし――数日前に接合部を破損したらしい――がうまく連結できず、彼は「マ゛ー!」と慟哭していた。けれどもこれらをぽいと放ると、間もなく泣き止んでしまった。悲しみに暮れたのはものの寸刻で、こちらがあわやと思うころには興味をよそへやっている。別の玩具をいじくって、無邪気に遊び始めたのであった。

 この切り換えの素早さを、自今ぜひとも見倣いたい。


 人生山あり谷ありなれば、ろくでもない目にだって遭う。旅に出づれば尚更で、その山谷も濃密である。旅は人生の縮図というが、(わたくし)は一陽来復の言葉でこれを祖述したい。

 陰が極まり陽へと返る。夏の登山は苦しいけれども、上に至って眺める景色やそこにて味わう冷たい水が、過酷の気分をさっぱり埋める。家を思えば不安にこそなるけれども、地元の輩に何をくれてやろうと考えると土産屋めぐりも愉快になる。

 赤ん坊の遊びというのは、うつろう視界の先々でその都度一生懸命なのだ。ゆえに彼らは苦を引きずらぬし、情緒が楽天なのである。この旅はそんなことを教えてくれた。


 斯くして言うのも、今日の旅路がなかなか多難なものであったことに由来する。まず第一に本日は、出足が実に遅かった。従姉宅も二泊めとなると、よく眠れてしまうのである。

 ゆっくり朝餉を頂いて、赤子と遊んでやるなどすれば、寝間着のままに時刻は十時。いかんなアとも思いつつ、挨拶をしてそこを発つころには表がすっかり暑くなっていた。

 加えて、一つ誤算もあった。私の逗留していた金剛というところは奈良との県境に近く、そちらへ行くに苦労など無かろうと勝手に考えていた。

 ところが交通機関は乏しい。これを知ったのは今朝方である。「今度はどっち行くの」と尋ねられた際、奈良だと言うとこう告げられた。


「あすこはマイカーありきな(とこ)でしょ」

 路線図を見れば明白である。早くも心安からず、私は電車に乗り込んだ。


 かなりの大回りと言える。

 難波から鶴橋、鶴橋から大和八木、そこからやっと桜井駅に着く。この桜井と呼ばれる町が、今日一日の目的地だ。

 鶴橋で立ち食いそばを喰ったらば案の定乗り換えに失敗し、その到着は更に遅れた。ようやく駅前に立つとき、時刻は一時をとうに回っていた。私はにわかな焦りを覚える。この調子では目ぼしいところを、見て回れないのではないかと。

 間抜けもこんこんちきにして、今宵の宿だに定まっていない。このあと余裕が出た隙にでも、決めてしまいたいところであるが……。


 観光案内所のおばさんに、言われた通りのバスに乗る。ところがここにも()()が出た。一体どこで降りたら良いかを、訊かずに出てきていたのである。

 グーグルマップは不機嫌なのか、現在位置が明後日の方にあった。何度か試すも、結果がころころと変わっていけない。いよいよどうして良いやら知れず、私は下車ボタンを押していた。

 しかし、これさえ闇雲(やみくも)である。炎天のもとに放り出されて、己がどこを歩いているかも、ほどなくして分からなくなった。気温は三十六度ある。ほどなくして私の気は滅入っていった。

挿絵(By みてみん)

 まだ青い柿畑が眼前に広がっている。立て看板によると、ここらは「木の辺」という道らしい。だから何だと独言(ひとりご)ち、うろうろ、ふらふら歩き回る。私は迷子になっていた。

 辺りは普通の民家であるが、例外なき和風建築が軒をつらねている。風致地区というやつであろうか。現代にいる気が、いかにもしない。尻の火傷が恐ろしく、腰かけられる石もない。湯のごとくなった爽健美茶を私は一気に飲み干した。

 いやます不安は、そこはかとなき望郷の念を呼んでいた。よく考えれば昨日の暮れ方、大阪城にて抱いた心地はこれに近いものやも知れない。

 思えば今日は六日めだから、家を出たのは七日も前だ。ああして朝が遅くなるのも、斯くしてずぼらが目立ってくるのも、旅の疲れが響きつつあるためか。

 古人も多く旅に死せるあり。

 熱中症になんなんとして、私は木陰に転がり込んだ。ふと見る先には立て札がある。「大和神社(おおやまとじんじゃ)このさき650m」と。時刻はすでに二時四十分、午後一番の笑みが出た。


 ここは歴史の古い神社でありながら、戦艦大和ゆかりの社として近年は有名である。そして本日八月八日は、何を隠そう大和の進水日である。私も一人の“提督”として、訪ぬべきかとは思っていたのだ。

挿絵(By みてみん)

 斯くてどうにか頑張って、大和神社にたどり着く。手水が冷たく心地よい。摂社の猿田彦にも詣でて、この先の道開きを願った。

 すると今度はにわかに空が曇り出し、南西からは雷鳴が轟いてくる。脇に祀られた(おかみ)の神が、暑さのあまりに慈悲でも持ったか。万事都合よく考えて、足取り軽く次へ発つ。


 そもそもここがどこかといえば、三輪山の裾野に雄大な古墳がひしめき、種々の出土物は太古の繁栄を伝える――巻向(まきむく)遺跡の一帯である。

 そしてその一画に鎮座せし箸墓は倭迹迹日百襲姫やまとととひももそひめ、すなわち邪馬台(やまと)姫巫女(ひみこ)が眠るのだ。

 私はかの邪馬台国の地で、その土に立ち、その大気を取り込んでいる。しかしてこれを実感すべく、その(みささぎ)を目指すのである。


 しばらく曇天を歩くと、柳本駅が見えてきた。ここには崇神天皇陵があるので、いざ尋常に寄り道をしたい。

 彼こそは実在を認めうる我が国最古の大王(おおきみ)である。史実性のある最初の統率者ということで、大和政権の創始者との呼び声も名高い。

 ただし、場の趣は異様であった。

 私がそこへ近付くにつれ、雷鳴はよりおぞましくなっていく。遠からぬ地に落ちたらしい。轟きが耳に届いたのは、私が参拝場への石段を上がりきる刹那に重なった。

挿絵(By みてみん)

 なびく樹の葉はおどろおどろしく、天つ風がびうびうと鳴く。私はどうもそれ以上、この場に居てはならぬ気がした。すたこらさっさと退くと、柳本駅に駆け込んだ。土砂降りの始めも、丁度その頃である。


 その後はしばらく電車が来ず、そこばくの待ちぼうけが続いていた。本文序盤も、ここにて記す。

 気の良い小学生が一人いて、「雨、ヤバないですか」と言ってきた。君も雨宿りかと問うに、「オカンが迎えに来んねん」と言う。なるほどそうかと私が笑うと、間も無く迎えは現れた。彼は元気よく手を降って、彼の家へと帰っていった。


 巻向駅に着くころは、雨がほとんど止んでいた。時刻は五時に迫ってしまい、もはや博物館には行けまい。だが箸墓は、すぐそこにある。私にはそれで充分だった。

 大きな池のほとりから、ついに私はそこに至った。水面にうつる陵が、かすかな夕陽を浴びている。これを佳景といわずして、一体何を美しがろう。卑弥呼は()()だったかもわからぬ。さりとて景色は斯くのごとし。私はすっかり見惚れてしまい、しばらく言葉を失っていた。

挿絵(By みてみん)

 蛙がぴょんぴょこ跳ね回るなか、古墳の小脇の(あぜ)を通り抜ける。そこから一駅延々歩くと、鴻大なる鳥居が見えてきた。

 大斎原のそれにも迫る、大神神社(おおみわじんじゃ)の鳥居であった。夕焼け小焼けをその身に浴びて、むくつけき影を伸ばしている。


 本日最後の目的地にして、日本最古の神社が一つだ。三輪山そのものを以て神体と為し、蛇神大物主(おおものぬし)を祀っている。伝説的に箸墓とは深い関わりを持ち、私の興味も津々である。

 長大な参道を歩きつつ、私は宿を心配していた。

 はてさてこの近辺には無いが、移動の出来る範囲はどうか。そもそも当日転がり込んでくるような頓馬(とんま)を受け入れる空き室などあるのか。この道中で八ヶ所電話したが、当然どこも埋まっている。相手もこちらを阿呆と見てか、いささか突っ慳貪である。私はげんなりしたままに、拝殿まで上がって行った。


 神職の方の話では、この拝殿がいつ造られたかは知れないという。紀記やその後の文書でも、書かれているのは三輪山本体のことばかり。

 境内について触れたものは古いもので、「殿(あらか)無くして三ツ鳥居有り」と書かれたものだけだそうな。

 拝殿裏に回して見せていただいたが、確かに横に三つの鳥居が柱を共有して立っている。鳥居の先は禁足地であり、神職すらも入れない。そこに蛇神が潜むのか。掻き立てられて、たまらない。


 片っ端からかけ続けた電話が功を成したのは、三輪駅の歩廊にて、宵闇に沈む神山を眺むるころであった。

挿絵(By みてみん)

 天理駅より程近い小宿が、こたびの救い手である。

 天理というと柔道にその名をば知る。なんでも、試合の応援客でいつもは満室だそうだが、実にたまたま一組だけキャンセルが出ていたという。受付の婆さんは嬉しげにそう語っていた。対する私がそれ以上に嬉しかったのは、まあ言うまでもなかろう。

 どうにか野宿は免れた。ひとまず安堵し、筆をおく。ぼちぼち帰りの新幹線を、考えなければなどと思いつ。

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