第五日:食い倒れる
私の従姉には一歳になる赤ん坊があって、あれや育児にそれや家事、と毎日毎日鞅掌している。
そうしたところへ丸二泊、厄介になるが今般である。私はいやにへこへことして、そこばくの高野山土産を渡した。
従姉は「そんな良いのに」と言ったが、こうでもせぬと向こう二晩、伊勢や熊野の神々に夜毎叱られる心地がする。何せありがたきことなのである。旅の出費の最たる一つ、宿代を免れるのであるから。
この家が富田林に代々住んできたのかというと、そういう訳ではない。
私の近い親戚は大体が首都圏に居を構えており、従姉もその実家にいた。ところがお嫁にいって間もなく旦那の転勤が決まると、産まれたばかりの赤子ともども富田林に越したのだった。
こうなると親類もなかなか行かれず、すくすく育つ稚児に会えるのも盆暮正月くらいのものだ。私が最後に会った頃には、まだタオルの上で引っくり返っていた子である。ところが今回見てみると、よちよち歩いているではないか。これには驚くばかりであるし、従姉は稀の客だからとて、よくよくもてなしてもくれる。これまたありがたやと感銘し、私は彼女の言葉に甘えた。
金剛山の麓にひろがる閑静な住宅街から、南海電鉄高野線にて今日の旅へと繰り出してゆく。
金剛駅は急行も停まるから、交通の便に不自由が無い。これまでさんざん伊勢だの紀伊だの山野の境をたどった私は、都会の電車の便利の妙に心の底から驚かされた。
いったい私は都会者のくせに、何を今更驚くか。
所詮は人の感覚なんぞ、数日のうちに変わるのだ。旅をしてこそ判ることがある。己の普段生きる世は、まことに当たり前のそれか――これもまた拡ぐべき見聞であろう。
三国ヶ丘に威勢良く立つ。今朝はゆっくり寝ていたもので、時刻は既に十時を回った。かわりに疲れもよく取れたるが、やはりこの陽射しはつらい。
されどめげじと歩みを進め、私は堺市博物館を目指した。
大仙古墳こと仁徳天皇稜は、面積のみをいえば世界史上最大の墓である。学校の教科書に載る航空写真などで見知っていたつもりだが、いざ来てみると印象が変わる。何しろ見掛けが“ただの森”なのだ。
私は濠にぴたりと沿いつつ、面白きものを探して歩く。行けども行けども変哲が無い。柵の向こうで大きな鷺が、蛙を捕らえて飛び立った。これは雅かなとなど思うも、ほかはぜんぜん無感動である。むしろ周りの小粒なものは、いかにも古墳という雰囲気だ。実感がわいてとても良い。
さてそののりを保ったままに、私は博物館を巡った。
埴輪や勾玉、銅鏡なんかは、古代の浪漫の塊である。
日頃「和風ファンタジー」と号して奇異譚をしたためているほうだから、こんな実物を我が目で見ては、いっそう夢想が逞しくなる。これはああして使えるか、あれはこうしてねたに出来るか……考え出すときりがない。
駅への道は変わりばえなし。けれども夢想を膨らませれば、暑さのほかは敵でない。
住吉大社までの道程は、電車にのればあっけないものだ。各駅停車に乗ったとて、ものの十五分である。
裏口から入るとすぐに、神木の辺りに鴨がたむろしていた。これを尻目に境内を抜け、立派な太鼓橋にに出くわす。ここまでくれば正門である。そこから再び中へと入り、三つの本堂に詣でる。
一寸法師の故郷を訪ねて大きな茶碗も写真に納めた。連想ゲームというではないが、いやに腹が減ってきたではないか。
天下の台所に来たりなば、満腹を以て満喫と為す。ゆえに現在の空腹は、まさに然るべき条件である。では存分に食い倒れるのみ。どこか大きな駅が良かろう。
すると折しも来た準急は、なんば行きの電車であった。なるほど良しと思った私はその終点まで優雅に座る。
難波の街は、いうまでもなくその賑々を極めていた。
気温はよそと変わるまいのに、どうしたわけか熱気が凄い。迷い混んだ金物屋街や厨房道具屋通りは、その道にはさぞ縁無からん人でごった返している。軒を連ねた食品サンプル店を覗いてみるに、精巧な模造品が私の空腹をこじらす。エアコンの効きは今一つである。
私はあえて予算を無視し、思うがままに色々喰らった。とりわけ粉物のうまい町だ。「ゆかり」で食ったすじネギ焼きは、切れば玉子がとろりと垂れて、甘辛たれとよく絡む。面積よりも厚みを重んじ、その食べごたえは並みならぬ。
ラーメンだって中々いける。駅前「神虎」のチャーシューは溶けるようだけれども、品の良いスープの功か嫌みがない。
加えてたこ焼に明石焼きまで食った日には、私の腹とてはち切れんばかりだ。私は健啖なほうであるが、これだけ喰えば仕方ない。どうかこの際、容赦されたし。
阿呆なまでに食ったからには、歩いて消費すべきであろうか。
環状線に乗り継いで、私は大阪城へと向かった。新今宮のホームから、通天閣が彼方に見える。望遠レンズでこれを撮り、旅の満足の足しとする。
大阪城公園前は、苛烈な西日に炙られていた。水のみ場で私が手を洗うと鳩がちょこちょこ寄ってきて、溢れたものを飲んでいる。彼らも暑さに抗う同志だ。
しかし、ちょっと妙な感じがする。
人はたくさん来ているのだが、日本語がほとんど聴こえてこない。おおかた中国韓国か、東南アジアの方々である。大所帯の黒人ご一行も、揃って天守にのぼっていった。今や戦国の城など、日本人には受けぬのか。否、そんなはずもない。……その言葉にも、根拠はない。
ではこの不思議は如何ならん。
私は城を仰ぎ見た。陽の眩しいのは我慢である。この巨城の上からは、果たしてどこまで見えるであろう。明日の行き先をいずことするか、上に登れば決まるであろうか。
もう飲み物が手持ちにない。鳩はどこかに飛び去った。知らぬ言葉が、周りを飛び交う。
私はすこし不安になって、天守にのぼるとまっさきに、金剛山の麓をさがした。