第四日:高野を巡る
高野山~富田林編です。
僧たちの朝は早い。
彼らの暮らしは万事修行と一体であるから、飯炊きをすることも、風呂を沸かすことも、客をもてなすことさえも、皆もれなくその一環である。
八月六日、午前六時半。朝の法要を見学させて頂けるとのご厚意により、私は普賢院の仏堂にて背筋を正していた。
不思議なまでの静けさである。雀のさえずる音はおろか、蝉の声だに響いてこない。薄闇の先はぼうっとして明く、灯し火が護摩壇を黄金に照らしている。
着坐した私は、何が始まるかとて眼をきょろきょろさせた。真言密教のお勤めに参加したためしなど、生まれてこのかた一度も無い。住職が壇の正面に座り、ほか四人の僧侶が両脇に就く。ここまで支度が整うと、私の情緒も高ぶるものだ。
合掌礼拝、懺悔文、三帰三竟と読経が始まる。私も勉強不足ゆえ、その中身などよく聴き取れない。幽玄なる調べのごとく、づらづらとして経は読まれた。
斯かる塩梅がひとくさり済むと、昨日私を出迎えた若僧が、仏舎利殿に案内してくれた。釈迦の遺骨は細かく砕かれ、全世界八万ヶ所に祀られているやに聞く。それらは〆て二トンというが、むろん仏陀は巨人にあらず。野暮な話は、この際すまい。
以上が、「朝飯前」である。
宿坊のお食事はすこぶる美味い。夕べのものなど豪華も豪華で、精進料理の白眉といえた。白飯、汁は言わずもがな、ガンモと野菜の煮物に加え、名物高野豆腐も一鉢。更には桃の丸々一個と、酒の一合までが付く。
今朝は菜っ葉のお浸しと、香の物なんかが賜わされた。胡麻油がよく効いており、飯の進むこと限りない。少塩多酢を地でゆくような、味わい深い献立である。
朝の早きに参っていたが、腹が満ちると気力は出てきた。いざここからは高野山をば、ぐるり巡って散策としよう。私は荷物を宿に預けて、揚々として繰り出した。
普賢院より金剛峯寺は、のろのろ歩いて五分とかからぬ。写真で幾度も見た門ながら、その場に立つと迫るものが違う。厳かなる本殿を拝観し、歴史と功徳の香りを浴びる。
高野は一大宗教都市だ。標高九百メートルにして、数えがたい寺社がひしめく。色々回るによくよく歩くも、涼しさゆえか何の苦もない。行く先々に浄財を撒き、その最奥を目指して進む。
行脚の果てに待っているのは、言わずと知れた奥の院である。弘法大師が入定し、今なおそこにましますという、当山最大の聖域である。
一の橋を渡るやいなや、筆舌尽くしがたき気に呑まれた。老杉そびえるその森は、歴史に名だたる者たちの墓所だ。武田信玄、石田三成、前田利家など錚々と、武将を祭る石碑が並ぶ。
苔むした道をゆくこと半刻、にわかに賑やかなところに出た。この安堵感は何であろう。私は知らず知らずのうちに、緊張していたようだった。それもそのはずここらの路は、恐れ多さが興趣に勝る。
名文を一つ引用したい。
『大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。(随筆「高野山管見」より)』
こうつづった司馬遼太郎は、この森を抜けるおり何を思ったろうか。「異域」の一語にいうごとく、我らの生きる褻の世界からはすっかり隔絶されし場所。更に聖地が近づくにつれ、あまりの霊威に圧倒されて、人の心は引きしぼられる。
そこで目にする廟直前の、人だかりが安心するのである。
私はこの勢いに乗り、空海の眠る廟へと進んだ。荘厳の中に灯籠が光り、大師の禅定を守っている。多くを語るべくはない。ごく大人しく手を合わせると、私はそこを後にした。
少し遅めの昼餉をとると、ぼちぼち移動の時間が迫る。天かすそばを掻き込んで、韋駄天のごとくバス停へ駆ける。後はとんとん拍子であった。ケーブルカーと高野線を乗り継ぎ、次なる目的地を目指す。
今晩から明後日にかけては、大阪の親戚宅に逗留するつもりだ。
しかし例によって、私は寄り道の味をしめてしまった。こたびは学文路で途中下車して、蒸し暑い坂をてくてく登る。
著名な浄瑠璃演目でもある「石童丸物語」は、高野山からこの地にかけてを主な舞台とする。罪の意識から出家した男と、その妻子の運命を描いた悲哀譚として知られよう。
ゆかりの寺たる苅萱堂は、登場人物たちの持ち物や、関連資料などを展示する。なかでも一際めずらしいのは、千里の前の家に伝わる「人魚のミイラ」にほかならない。
推古女帝の御代に捕らえられ、代々祭られてきたという。私はほかにも尋ねてみたが、苅萱堂の娘さんは、詳しいことは判らないと語った。
有形民俗文化財にも、ミイラは指定されている。こうした怪奇的な浪漫に、私はたいへん掻き立てられる。
私は喜びの笑みを浮かべたが、人魚はムンクの叫びによく似た、苦悶の形相で干からびている。ピラニアよろしく歯が鋭い。水から引きずり出されては、牙も剥きたくなるであろうか。
茹だるような御堂の中で、人魚と私は見つめあっていた。山を降りるとこうも猛暑か。汗一つかかぬミイラに会釈し、私は富田林へと発つ。
西の空からどろどろと、雷の鳴いているのが聴こえた。