第二日:古道を往く
新宮~本宮(川湯温泉)編です。
秦の始皇帝は、不老長寿を欲して已まぬ男であった。これを求めるためならば、惜しむことなく財を投じた。
始皇帝に仕えた方師、徐福もその野望に運命を翻弄されたうちの一人である。七人の家臣と三千人の童男童女を与えられた彼が嘱されたのは、東海の果てに浮かぶ蓬莱より、不老不死の霊薬を得てこいとの命であった。
大任を負い漕ぎ出して、たどり着けるは東夷の島。仙山などとはほど遠い、倭人たちの住む里だった。
彼の船が漂着したという海岸こそが、波田須駅から徒歩二十分の矢賀と呼ばれる浜である。そしてこれを見下ろすブロッコリーのような岩山は、昨日終盤に訪れた「徐福ノ宮」であった。
この不味そうな見た目の山に、小さな丹塗りの鳥居がぽつり。大陸から多くをもたらした彼を讃えて、造られたのがこの社だという。
徐福の伝説は紀伊のみならず列島各地に残されている。おのおのその所縁を名乗るのだが、とりわけここは筆頭である。
良いアクセスが有るでもないし、壮麗なる古刹が有るでもない。丘より臨む海は素晴らしいが、やはり辺鄙なところといえた。それでも歴史の浪漫に惹かれ、脚を運ぶ者がいるのであろう。
こころみに参拝者名簿を閲すると、比較的最近の訪問はあるようだった。オヤ、とこの目に止まったのは、私の通う大学から研究員が来たという初夏ごろの記録だ。なるほど、やはり来る人は来るのだ。私は一人、にたにた笑った。己の物好きに酔ったのである。
一晩明けて本日四日、私は新宮駅前の、徐福公園に立ち寄った。とうとう秦へは帰ることなく、倭国に永住した徐福。そんな男の墓石があるのは、日本全国紀伊だけである。
しゃあしゃあとクマゼミの声が降るなか、中国風の門をくぐると、小池に鯉が泳いでいる。そこに植わった天台烏薬は、飲めば不死身の薬効ありとて徐福が探し求めていたらしい。
かたわらに立つ彼の石像は、朝日を浴びても涼しい顔で、じっと南を見つめている。気の良さそうな白亜の像に、私は軽く会釈した。
さて賽銭を幾ばくか奉じて、私は今日の本願である熊野古道へと歩を進めだした。まず目指すべきは三山の一、熊野速玉大社である。
気付けば熊野の神使と名高い三本脚の大鴉は、町の至るところに見られる。駅舎の壁やら貼り紙なんかに、はたまた店の看板なんどに、そのシンボルが描かれていた。速玉神社はすぐそこである。汗をふきふき脚をすたすた、それでも脇目は振り振り、歩く。
大きな鳥居が見えてきた。木肌を活かしたお伊勢と違い、こちらはよく見る丹塗りのそれだ。しかし朱色は目を惹くもので、こうでなくちゃと思うところもある。
一風かわった龍の口から手水を済ませていざ参拝。神倉神社のゴトビキ磐が、彼方の山から見下ろしている。今日も一日先は長い。露店でジャバラ(紀州特産の柑橘)のジュースを買うと、私はバス乗り場へと急いだ。
露店の婆さん曰く、我が第二目的地たる那智方面へは、バスが極めてまばらだそうな。新宮には個人的にもう一つ見たい場所があったけれども、那智に行けねば本末転倒か。
今回ばかりは縁がなかった。もしも縁があるならば、いずれまた訪れられよう。――かかる具合に割りきって、私はバスに飛び乗った。
バスが那智山を登るにつれて、車窓は一面緑になっていった。
緑といえども色々である。昨日のごとく大樹を根本から見上げたときの緑、その暮れ方に徐福ノ宮で見た、沈み込むような深緑。「那智の滝前」にて降りた私は、いずれとも違うものを見た。
停留所はすでに、瀑布の音のおよぶところにある。
大翼をひろげるがごとき雄大な山景は、晴天の青と山の緑、これらが交わるようである。もやのかかった山際は、両者の区別がなかんずく無い。
私に能があるならば、この絶景を絵に描きたい。何十年か後でも良いから、描くためにでも登ってきたい。私は心底そう思っていた。
華厳の滝に勝るとも劣らぬ、那智の滝に心を洗われる。古色蒼然の石段をのぼり、熊野那智大社を目指す。滝の「神水」を飲んだは良いが、歩けばすかさず汗となり、これを古道に垂れ流す。
拭けども拭けども、止めどなし。もはや手ぬぐいは半透明になってしまった。熊野の道は、斯くも険しい。
那智大社の手水は大変に旨かった。むろん飲むべきものではないが、四の五のぬかさず飲みやがれ、と私の体が聞かなかったのだ。
これを見るに見かねた巫女が、私のそばに寄ってきて、何やら木陰を指差している。――何とそこには御丁寧にも、給水機があるではないか。これはさすがに南無三と、私は無駄口で茶を濁す。
「あはは。えと、その格好、お暑くないっすか」
すると彼女は「むっちゃ暑いですわァ。ほんま」と言って笑った。
熊野の神は寛大である。いの一番のご利益を、噛み締めながら下山した。
明日は本宮へ詣でるつもりだ。
これで熊野の三山を、一通り参拝したことになる。そのため今夜は本宮近くの、川湯温泉に宿を求める。
バスは新宮からしか出ない。今日の旅路を反芻する心地で、私は新宮駅へと戻った。ところが私の着く五分前、バスは川湯へ発ったばかりだ。時刻表を睨み付けるに、次の便は一時間半も後。目下、閉口せざるべからず。
駅の待合室で待ち呆けるなんど、いかにも馬鹿らしくていけない。どうにか時間を潰せぬものか。
その時ふっと思い出す。午前中、涙を飲んで行くのを諦めたあの場所があったではなかったかと。私はにわかに目を輝かせ、目当てのところへ歩き始めた。
大した名所というわけではない。池に浮かんだ単なる林と、言ってしまえばそれまでだ。しかし「浮島の森」と呼ばれるそこは、興味深い伝説を持っているのである。
『昔々あるところに百姓の男と、美しいその一人娘が居った。薪をとるため浮島にきた親子であったが、昼飯時、弁当を食う箸を家に忘れた娘が代わりの枝を探しに奥へ入っていった。ところがなかなか戻らないので、父は娘を探しに行った。彼がその奥で見たものは、蟒蛇が愛娘を呑んで寝ぐらへ戻る様子であった。』……と。
その寝ぐらは「蛇の穴」と呼ばれるようなのだが、見たところ、すでに泥と落ち葉で埋まっていた。
管理人の親父さんいわく、戦後の都市計画でまわりを埋め立てた影響だそうな。いかなる原理かよく知れないが、ともかくそういう話であった。
せっかく旅行に来てまで小説のねた集めをしてしまうのも、我ながらどうか。けれども好みの話題であるし、いずれも趣味の一環なれば、何にも悪いことはない。
管理人の親父さんが怪訝そうにしたからとて、どうということなどあるまい。そんなことを考えていると、今度こそバスの良い時間である。これを逃すわけにはいかない。別段焦る時間でもないが、私はいそいそバス停へ走る。これを逃せば、野宿になりうる。
さてさて、無事に川湯に至る。
これから温泉につかって、ゆっくり休むこととしたい。明日は早起きせねばならぬし、身の疲れもこたえ出すころだ。
明日の昼には昨日送った、伊勢の地酒が家に届くか。着払いだと伝えなくては、などと膝を打って思い出す。
今日はここにて筆をおく。