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第一日:神宮に立つ

今日は二見浦と伊勢神宮と徐福の宮へ行ってきました。

 旅行へ発つほんの少し前、近所の女子中学生にこの旅のことを話す機会があった。

 迫る鹿島立ちが待ちどおしくて仕方のなかった(わたくし)は、ヤアイどうだ良いだろうとて、鼻高らかな語りようである。何せ誰にもとらわれず、行きたいところへ気ままに行くのだ。煩わしさとは縁遠き、実に自由な旅なのである。

 ところがこの中学生は、案にたがってこう言った。


「ええっ。そんなぁ、ウッソでしょ。交吉くんてさ、友達居ないの?」

 誤解であるし、心外である。極めて遺憾なことではないか。私はすかさず、そうじゃない、敢えて一人で行くから有意義なんだと語って聞かせた。

 しかるにこの小娘のいわく、


「うああ、まじで、ほんと無理。寂しすぎだよ交吉パイセン。まあ次回こそは、友達とか彼女とでも行きなね」云々。

 詮ずるところ、馬の耳に念仏なのだ。

 中学三年生の感受と馴染むには崇高に過ぎるといったところらしい。私はきっぱり諦めて、今に大きくなったらわかると言った。少女は鼻で笑ったけれども、土産(みやげ)をねだる図々しさだけは、いかにも一丁前であった。癪ではあるが、何か買わねば。


 八月三日、午前七時。

 JR伊勢市駅前にバスが着き、軽く腹ごしらえをした。そして間も無く参宮線に飛び乗る。第一目的地を目指すためだ。

挿絵(By みてみん)

 古来、お伊勢詣りには踏むべき順序があるやに聞く。なんでも、初めは二見浦(ふたみのうら)にて心身を清め、またそこの海に浮かぶ夫婦岩(めのといわ)を拝むのだそうな。外宮だ内宮だというべきは、何はともあれその後だという。

 一体どんなところであろうか。


 二見浦駅から少し歩けば、二見興玉神社ふたみおきたまじんじゃにたどり着く。海岸沿いの参道を行き、海鳥たちの声を聞く。境内いたるところには神使の蛙の像がおかれて、えもいわれぬ愛嬌を振りまいていた。

 先には夫婦岩が見えてきた。海にそびえる二つの岩が、ふとい注連縄(しめなわ)で結ばれている。常世の神を大洋の彼方から迎える場所というのが、そのいわれである。

挿絵(By みてみん)

 なろうことなら、何時間とてここに居られる。それほどまでの佳景であったし、自らが旅に出てきたことを実感するには程良い滑り出しであった。


 まばゆい海をあとにして、伊勢市の方へと引き返す。この計画に捻りはないので、次なる行先は内宮である。

 神宮といえば、一昨年の秋ごろに式年遷宮をおえたばかりだ。(やしろ)もさぞかし綺麗であろうと思ってただひたすら歩く。やがて私の嗅覚を、ふわりと(ひのき)の香りが撫ぜた。きづけば外宮の正宮へ、この両脚は到達していた。

 まだ道程は始めの始め。けれども私の清々しさは、達成感より来るものだった。


 旅路のつつがなきを祈り、今度は内宮へと歩く。

 日輪の大御神がちょっと元気すぎるせいか、高く昇った陽の照りつけは、衣服を汗でぐっしょりせしめ、ひいては白く塩をふかせた。これからそちらに詣でるのだから、少々ご容赦願えませぬかと、黙唱したとて無駄である。

 二リッターのペットボトルは、もはやその半分も麦茶を湛えていない。ぼちぼち水分補充とともに、昼飯にもありつきたい時分だ。

 そんなこんなを考える中、私は「おかげ横丁」なるところへ迷い混んでいた。


 どうやらここは紛れもなく、お伊勢さんの門前町であるらしかった。宝永のころよりその趣を残すかという小店が軒を連ね、通りは参宮客でごった返す。こいつは良い所に来たものだと、内心小躍りするようだった。

 しかしあんまり暑いので、なにかさっぱりしたものが食いたい。飯とするにも熱いのは好かんと思って、「横丁そば」なる店へと入る。


 私が冷たいやつで、と言うと店員はかしこまりと答えたきり厨房に引っ込んだ。

 しばらくの後に「はい、冷しそばお待ち」と聞こえ、大きな丼が差し出された。何だこりゃあと瞠目するに、店の暖簾のすみの小文字が、初めて私の眼にとまった。

 そこには「和風ラーメン」とある。すなわち私が注文したのは、冷やし中華の一種だったのだ。


 何だかがっかりしたものだったが、食うより仕方もないわけだから、渋々として割り箸をぱきり。ところが(つゆ)を一口すすると、中々どうしてこれが旨い。

 冷やし中華であるくせに、汁のベースは魚介である。あっさりしつつも出汁は確かで、汗がスッと引いてゆく。脇に出ていたニンニクチップと柚子胡椒を入れてみたところ、味にがっしりした骨が付く。

 まぜると氷がガシャガシャいうのは、漁師料理の冷や汁を思わせる。


 塞翁が馬というべきか。日本そばを食えなかったのは残念であるが、新たな発見は確かにあった。私はたいそう気分よく、お伊勢の内宮へと歩を進めた。

 再び汗をかくこと五分。

 ついに到達したそこの雰囲気は、想像を軽く凌駕していた。

挿絵(By みてみん)

 まず、そこは篦棒(べらぼう)なる巨木の森であった。

 樹木が一々、でかいのである。だいだらぼっちの腿も斯くやというべき物がそこかしこにある。途方もない生き物の威容だ。生命力とかエネルギッシュとか、そんな陳腐に評してやるのは無礼な気さえする。

 何ゆえこれほど巨木が育つか、(わけ)など考えようもない。天照らすその陽光と、いたるところに小川を流すその水源の育む森か。

 いざ参拝した感想は、もはやくどくど語るまい。

 日本人の心のふるさとだとか、パワースポットの白眉であるとかは、そう一生懸命に唱道するものでないのやも知れない。具体や厳密を伴う事物では、説明されないものを覚えた。まして私の浅知恵からは、おおよそ釈すべくもない。


 その後はJR紀勢線にゆられ、今夜の宿たる新宮を目指す。

 二両編成の鈍行ゆえ、都合かなりの長旅となる。波田須駅にて途中下車して、徐福ゆかりの社を拝み、熊野古道の入り口をかすめる。小一時間のハイキングの後、再び鈍行ゆらゆらり。車内があまりに暇なので、同じく旅行中の女子大生を夕飯に誘うも失敗に終わった。


 やっとの思いで新宮につき、今こうして水割りを飲みつつモツ煮を()んでいる。よくよく歩いて、よくよく巡った。

 以て旅の初日と為すには、申し分無き一日であったろう。

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