後記:過日をば思う
軽い後書きです。これまでご高覧いただき本当にありがとうございました。
世慣れぬ己の性根を憾み、隣の芝に青を見て、旅と耳にすればこれを憧憬した。
命短し旅せよ男子、若きのうちを逸すべからず。井蛙これ大海を知るべくんば、いざや我もと意気込んだのであった。季は満ちて蝉時雨の降るころ、いよいよ自由を一身に受く。志を堆くして、夢見心地に西へと赴く。
そして私の降り立ったるは、神仏たちの威徳に満ちる山紫水明の地であった。
日照り射す、お伊勢参りにいざ望み、黒く焼けにし腕を見て笑む。
熊野の山に遊べば楽し、通りゃんせとて古道は続く。山あり谷あり幾重も越えて、弘法大師の聖地を拝す。
そこを下れば大阪に至り、夕焼けに染まる太閤の城。ここに覚える望郷の念。
あをによし、奈良のまほろばさ迷えば、倭の姫巫女ぞ我に優しき。三輪の神蛇に別れを告げて、毘盧舎那仏の膝元へ。鹿と戯れ心はずませ、聖徳太子のゆかりを辿る。飛鳥の里を駆け巡っては、古代のかぐわしきに耽る。
もののあわれを心に求めて歩き歩くがこの旅路、食うものの美味はことごとくして、行く先に会う人はみな良き人であった。
街ゆく人の道案内に幾度助けられたことか、日ごとの宿で待つ人々の何と親切なることか。己は因果と縁の中、生かされていると身に沁みて知る。
旅はまさしく人生の縮図にして、人生はとこしえの旅なのである。
本日私は二十一を迎えて、旅の写真をつらつらと見て、過日を振り返っていた。友人たちからのささやかなる祝言を読みつつ、私は一生懸命なまけた。
遊び疲れも働き疲れも、いま癒さんとぐうたらしている。狭い自室に籠ること、千年眠る蟠竜に似る。長旅に出てこそ実家の安らぎを深甚にするものである。
はや、誕生日といってはしゃぐ歳ではなくなっていた。
けれどもここまで息災にこられたという幸は、今一度大いに有り難がらねばならぬ。七泊八日の旅のみならず、私は生まれて今に至るまで生かされ続けてきたものなのだ。
享受せんとや、人生を。部屋に引っくり返ることは宿であり、日々学び勤労をすることはまた先の旅路である。享受せんとや、この暇を。そうと決まれば今はただ、積極的に怠けるのみぞ。
此旅はここにて、筆を置く。