ススム、異世界に立つ
加筆修正(2014/10/23)
俺は、葉飼進、平均より背は少し低く、顔にも幼さが残っているのは自覚しているが、何処にでもいるような高校一年生。
勉強は苦手で身体を動かすのが得意、有り体に言うと体育会系だろうか。
そんな自分だが、ひょんな出来事からいきなり訳の分からない“世界”にすっ飛ばされ、現在非常に困っている。
――そう、例えばの話だ。
ゲームとか漫画に出てくる主人公が、今の俺と同じ境遇に立たされたとする。
普通は別の世界なんかに飛ばされたら、すぐ近くに街くらいあるのではなかろうか。
そこに行けば、何やら訳知り顔で色々と現状や行く先を説明してくれるやけに親切なガイドばりのおっさんが居たり。
もしくは、何気なく迷い込んだフィールドで、ひょんな大物を倒したらいきなり大金が転がり込んできたり。
それを元手に武具屋や道具屋で色々と装備を揃え、いつの間にか冒険者然とした格好になっていたり。
そもそも買わなくても、いきなり最強クラスの武器が何処かに刺さってるとか、行きずりの戦士が形見代わりに置いていくとか……。
或いは、実は俺には魔法使いの適正があって、手をかざして呪文を唱えると、周囲が目を見開くようなとんでも魔法が使えたりなどなど。
そういった類とは、いまだ縁がないのである。
まぁ、元々武器なんて使ったこともないし、それは魔法にしたって無論のこと同様だ。
無くても大して困りはしない。
別にそれはいいんだが……。
せめて、このただっ広い原野のような場所にひとりきり――というシュールな状況が続くのだけは勘弁願いたい。
この世界にやってきて、何日が経過しただろうか……。
初日は――まぁ、街や民家が見つかったらいいなぁくらいには考えていた。
結局見つからなかったので、適当に野宿した。
夜でも、極端に冷え込んだりしないのが幸いだった。
サバイバル経験がある訳ではないが、食い物に関しては、あちこちで食べられそうな木の実や果物が成ってたし、河では豊富に魚も取れた。
釣竿なんかなくても、ここではガッチン漁法で魚を捕っても誰にも咎められることはない。
むしろ、誰か現れて咎めて欲しいくらいだ。
喜んで補導されようじゃないか。
――それはさておき、河があれば飲み水には困らないし、水浴びや簡単な洗濯だってできる。
そうして河沿いに下っていけば生活に困ることはないし、街がある可能性も高い。
そんなお粗末な知恵により実行したところ、突き当たったのは、対岸どころか左右地平線しか見えないまるで海のような規模の湖だった。
もしかしたら、海水なんて概念がないだけで、この世界ではこれが海なのかとも考えたのだが、そんなところに結論付けをしたところで俺の現状は変わらない。
そうして、さらに岸伝いに歩いて三日が経過した。
俺の見通しが甘かった――というのは認めよう。
巷じゃ、むしろ民家が見当たらない地域のが少ないくらいだし、さすがに一昼夜歩き進めて家どころか人っ子一人見当たらないとか、よっぽどの山奥だ。
ただ、それも、考えてみれば島国ならではの話であって、例えば海外の……アフリカやユーラシアといった大陸ならばそうでもないのかもしれない。
もし、ここがそういった大陸の僻地だったら、俺はもうお手上げだ。
降参するので、誰かさっさと迎えに来て欲しい。
――などと、現実逃避したくなるのは、近頃では日課となっている。
しかし、岸伝いに行けども行けども民家など見当たる気配もなく、それは視界の果てまで同じことだった。
ならば、やはり内地側を進んだ方がいいのだろうか――と、わずかに進路を変更し、またも果物生活に戻る。
いい加減、蛋白質が欲しくなってきたのだが、この世界に来てからというもの、動物の類にすら一切遭遇していないのが現状だ。
まさか、死の世界じゃないだろうな――なんて考えも頭を過ぎったのだが、よくよく思い返すと、ふよふよ漂う謎の生命体には幾度が遭遇している。
半透明の発光体で、陸を漂う深海クラゲ――なんて例えると分かり易いだろうか。
たまに、人型っぽいのも混ざってはいたが。
まぁ、そんなこんなで日々を過ごしつつ、いつしか身体はサバイバル生活に順応し始め、ふと向こうの世界はどうなってんだろうなー、なんて遠い出来事のように考えている今日この頃。
ようやくここいらで俺の“回想”が現実に追い付いてきたって訳だ。
てなことで、回想は終了だ、終了。
そして、放浪一週間ほど経つだろうか。
俺は、この世界に来て初めて“生き物”らしい”生き物”に遭遇した。
ずっと孤独だった俺の、この喜びが伝わるだろうか?
分からないだろうなぁ。
例えるなら、あれか?
初めて妹が出来た日! ――なんて言ったら妹に張り倒されるだろうな、うん。
下手すりゃ俺より強いし……。
まぁ、それは言い過ぎとしても、今の俺の喜びはゲージを振り切ってレッドゾーンだ。
その生物が、今、俺の眼前におわすこちらです。
ワントゥースリー。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「………………」
遥か見上げる巨体、全身を覆う大きな鱗、鋭い牙に鉤爪、背中に生えるのは大きな翼。
全体的には爬虫類を彷彿する生き物。
しかし、存在感は圧倒的に異なる。
呼吸の端々からは、何か光るものが漏れ出していた。
「…………なぁ。これって、どう見てもドラゴンってヤツじゃね?」
俺は、自分に問い掛けた。
異世界きて最初の出会い――謎のクラゲはノーカウントで、向き合っても逃げないやつ。
それが、ドラゴンってどうなんだ?
運がいいのか? 悪いのか?
というか、やっぱり強いのか、これ?
「えーと、どうも。初めまして、葉飼です」
とりあえず、律儀に挨拶と簡単な自己紹介をしてみた。
ドラゴンって結構頭いい、って話が多かった気がするし、通じたら儲けものだろう。
心が通えば僕らは友達さ。
『グルォ……』
そして、願いが通じてくれたのか、ドラゴンがこちらに向かって大きく口を開いた。
何気なく遠目で覗き込むと、口の奥の方がぼんやりと光ってるように見える。
そして、ドラゴンが長い首をこちらへと伸ばした瞬間。
激しい音とともに、視認可能なとんでもない熱量の吐息が飛んできた。
「おあっ!? ……とととっ!」
叫びつつ、慌てて真横に飛んで回避する。
つい先ほどまで立っていた場所が直線に抉れ、地面が融解した。
「うっへぇ……地面が溶けるって……どんな温度だよ……」
吐いた方の喉が焼けないのが不思議なほどである。
これが、ゲームでお馴染みのドラゴンブレスだろうか。
そして、ドラゴンはというと、黙考に耽け入る俺に対し、情け容赦なくブレスを放出してきた。
これがあちら流の挨拶でなければ、どれだけ寛容に受け止めても話し合ってくれる気配はなさそうだ。
さてどうしたものか――と俺は考えながらしばらく、回避に専念することにした。
「直線に絞られてるようだし、見てから避けるのに問題はなさそうだが……」
単調であるが、油断はできない――だが、よほどのイレギュラーがない限り当たる気もしないのも事実か。
まぁ、少なくとも当たったら無事では済みそうにないのは、通過した熱気で察することができる。
それなりに酷い火傷を負うだろうし、何より服の替えがない。
葉っぱ生活だけは勘弁だ。
「まぁ……こっちからも攻撃してみるか」
変わらない現状に、俺はそういう結論を出した。
続くブレスをさらに三度かわし、相手が息切れしたところで突進する。
身長差は三倍ほどあるが、特に問題はない。
身体をしならせて飛び上がり、縦回転を伴った遠心力で相手の顎を狙う。
「とある女に――散々っ蹴られた恨みだっ!」
とばっちりと言えばそうだが、先に仕掛けてきたのはこのドラゴンの方だ。
腹いせに、俺は遠慮せずに思い切りサマーソルトを叩き込んだ。
顎に大きな衝撃を受け、後方によろめくドラゴンの巨体。
そして、蓄えられていたブレスが、その口内で暴発した!
「はっ? ――げ、あっぶねっ!」
衝撃派で後方に飛ばされる。
危うく爆発そのものにに巻き込まれるところだった。
こういう結果を狙ったわけではないが、口から攻撃系の敵にはありがちな光景に思える。
ただ、実際にやってみると、想像以上に危険ではあったが……。
直線に放出されるブレスと違い、その場で爆発を起こすわけで、近すぎればこちらにも被害が及びそうだ。
某特戦隊相手みたいに、真上から踏ん付けた方が良かったのだろうか。
「どうだ……効いたか?」
対峙するドラゴンの様子を見ると、蹴りのダメージこそそれなりに入っているようだが、ブレス誘爆のダメージはさほどでもなさそうだ。
思うに、ブレス自体がドラゴンの口内から出てるので、それを受けたところで大したことはないのだろう。
追撃をするかどうか迷っていると、どこからか重く低い声が響いてきた。
『……貴様一体、ナニモノダ?』
「は?」
『ココハ、我ラ竜ノ領地ダ。人間ハ去レ』
周囲を確認するも、目の前のドラゴン以外に生き物は存在しない。
最初に話しかけた自分が言うべきではないが、このドラゴンがしゃべっているのだろうか。
「えーと、ドラゴン? お前、会話できるのか?」
『……我ラ竜族ハ、人語モ理解シテイル』
驚きである。
ならば、最初から話して欲しかったものだが。
こちらもミラクルフレンドリーに挨拶してるんだし。
「何者……って聞かれても返答に困るなぁ。人間だ。名前は……名乗ったよな? とりあえず、道に迷って困ってる」
嘘は言ってない。
しかし、ドラゴンの方はあまり納得してないようだった。
『道ニ、迷ウ?』
「あぁ。説明して伝わるか分からないけど……」
『ココガ人間ノ領地カラドレホド離レテイルト思ッテイル。……考エ無シデ辿リ着ケル場所デハナイ』
やっぱりそうなのか……。
通りで行けども行けども人の姿が見当たらないはずだ。
なんで、こんな場所に飛ばしたのか、アイリカさん、せめて釈明を求む。
少しでも気に掛けててくれればいいのだが、あの感じから察するにそんな殊勝な人じゃないよな……。
「本当に、諸事情で迷子なんだ。こっちに攻撃の意思はないよ」
『………………』
勘ぐられているようだが、戦闘を行った直後だし、無理もないか。
「先に手――いや、ブレスか。出してきたのはそっちなんだし、おあいこって訳にはいかないか?」
まぁ、一方的にダメージを与えたのはこっちなんだけど……。
「知り合いとかいなくて、俺も寂しくてさ。お前がそういう関係になってくれると、俺もかなり嬉しいんだけど……」
なんかもう、人じゃない相手に凄いことを言ってるのは、本人である俺が痛感している。
「……ダメか?」
『イイダロウ』
ドラゴンの返答があった。
何とか、こちらに敵意がないのは伝わってくれたようだ。
「えーと……とりあえず、どっちに向かえば人里とか街に出られるか……教えてくれると助かるかな」
『人間ノ領地ナラバ、貴様ガ来タ方向カラ地続キニ進メバ、イズレ辿リ着ク』
「来た方向って……」
おいおい……ここまで来て、まさかの逆方向かよ。
つまり、さらに五日掛けてやっとスタート地点だぞ?
セーブポイントとかないのか……せめてリスタートさせて欲しい。
「他に道はないのか?」
『無イ事ハ無イ。真ッ直グ、オ前カラ見テ右ノ方角ニ行ケバ、別ノ人間ノ領ニ辿リ着ク』
別の人間の領?
つまり、後方にあるというのとは、また別の国ということだろうか。
「そっちの方が遠いのか?」
『距離ハ、コチラノ方ガ近イ。ダガ、内海ヲ越エル必要ガアル。陸伝イニ向カウナラバ、ソノ前ニ先ノ領ニ辿リ着ク』
なるほど。
内海の大きさはよく分からないが、聞いている限りでは、いくつもの国に跨っているのだろう。
自国にあった湖というより、ヨーロッパとアジアを挟む黒海のような規模か。
そこまでいくと、あまり歩く気にもなれない大きさだが……
「それなら、このまま進んでもいずれ辿り着くんじゃないのか? 来た道を戻るのは、あんまり気が進まないというか……」
我侭かもしれないが、誰しもがそう思うだろう?
仮に、可能な限り全力で走っても二日は掛かりそうだ。
『無論、辿リ着ケル。ダガ、コノ奥ハ、我ラノ領地ダ。オイソレト人間ヲ通ス事ハ出来ナイ』
「ふむ……」
おいそれと――と言うからには、少なくとも絶対に通れないわけではないらしい。
それならば、何か交渉の手段があるのではないか。
「あー……取引しようにも、向こうの世界からほぼ手ぶらで来ちまったんだ……」
手元にあるのは、スマホと財布だ。
ドラゴンに人間サイズのスマホが使えるとは考えにくいし、充電が切れたらただのゴミだろう。
向こうの通貨がこちらで使えるとも思えないし、そもそも、こっちの通貨だってドラゴンにとって有用かどうか怪しいくらいだ。
しかし、そんなことを考える自分とは裏腹に、ドラゴンは違う言葉に気を留めたようだった。
『向コウノ……世界ダト?』
「うん? あぁ、たぶんだが……」
『貴様ハ……異界ノ人間ナノカ?』
「異界――っていうか異世界かな。異界ってあんまり良い響きじゃないし……もしかして、知ってるのか?」
『無論ダ』
まさかと思って尋ねたのだが、即答された。
これは……言わば、大海で浮木に出会ったようなものじゃないのか?
こんな素っ頓狂な話のできる初の相手が、人ではなくドラゴンだとは夢にも思わなかったが。
「そりゃ助かる。できれば、知ってることを教えてくれないか? こっちは右も左も分からない状態なんだ」
付け加えると、まさかドラゴンに教えを請うことになろうとも、思いも寄らなかったが……。
『ナラバ、我ラノ集落ニ来イ。我ハ未熟故、人語ヲ介スルノハ……アマリ得意デハナイ』
「未熟……? いや、でも、人間を連れてっても平気なのか?」
『然リ。異界ノ人間デアレバ……オソラク問題ハ無イ』
おそらくかよ……本当に大丈夫か?
とりあえず、そうして招かれるまま、俺はドラゴンの背中――より上方の、首元に跨った。
どうも、ここより尻尾側に下がると、背中の翼に干渉するようだ。
この巨体を浮かす揚力を発生させる翼だ、あまり触れたいものではない。
人間でいう耳辺りだろうか、左右の角をしっかりと握って身体を固定すると、ドラゴンはやや不快そうだった。
『寧ロ、貴様ノ様ナ力ヲ持ツ者ヲ、邪ナ人ノ手ニ委ネル訳ニハユカヌ』
「?」
言うと、俺を乗せたドラゴンは大空を舞い上がった。
ヘリや飛行機にように、常に推進力を放出してる乗り物とは違い、羽ばたいた時のみ揚力が発生するドラゴンの飛翔は、乗り物に強い自分でも酔いそうなくらい上下の運動が激しかった。
それでも十分に高度を得ると、前進によって生じる向かい風と滑空飛行を利用し、これまでの振動が嘘のように滑らかな飛行を始めた。
「うっわー! すっげー!!」
初めて見る空からの異世界の眺めは、形容し難い爽快感が駆け抜けた。
それは、身体を芯からぶるりと振るわせるようなこの上ない感動だ。
果てしなく広がる大地、そこには見たこともない樹木が生い茂る森林や、そこから頭を突き出してるやけに大きい生物の姿も見える。
平原には群れを成して移動する動物の姿もあり、遠くに見える山河は今向かっている方向だ。
右手彼方に見えるのが、ドラゴンが言ってた内海だろう。
内海というか、完全に海としか思えない大きさだ。
「すげぇ…………まじですげぇ」
安直な単語だが、自分程度では、今の想いを適切に表現できる言葉が出ない。
眼下に広がる広大な世界は、地平線まで人はおろか建造物らしい影も一切見当たらない。
「…………いや、待てよ?」
ふと気になって果てまで周囲を見渡すが、本当に天然の造形物しか見当たらない。
もちろん、いくら視力に自信があるとはいえ一〇〇キロ先の小さな建造物まで発見できるわけでもないが、それを差し引いても本当に何もない。
おいおい……なんてところに放り出したんだよ……。
本当にこの世界に人が住んでいるのかさえ訝しんでしまう光景を目の当たりにさせられたわけだが……。
今こうしてこのドラゴンと遭遇しなかった時の行く末を――改めて考えただけでもゾっとする。
まぁ、ドラゴンの口ぶりからすると規模はともかく人間も住んでいるみたいだし、何とかなるだろう。たぶん。
そうして、俺は、ドラゴンと共に竜族の領地へと飛んでいった。