ススムと一行、王都への旅路・前
全改稿(2014/11/24)
五人を乗せた馬車は、昼を目前にネハレム国の王都である“ネレンティア”の入り口へと差し掛かっていた。
「へぇ、ここが王都かぁ……」
俺は、通りに並ぶ家々をゆっくりと走る馬車から眺めつつ、そう呟いた。
このまま進んでいけば、やがてネハレム国を守護するという聖神の居る場所まで辿り着くのだろう。
会えば、きっと元の世界に戻る方法など様々な情報が手に入るに違いない。
最初に“神様”なんて眉唾物の話を聞いたのは竜族の集落でのことだが……まだあれからそんなに経っていないのに随分と旅をしたように錯覚するのは感慨の為せる業だろうか。
そんな風に浸っている俺に、掛けられる声がある。
「どうだ? レムナリアとはまた雰囲気が違うだろう?」
俺は、視線を車窓から正面に座る声の持ち主へと移した。
風に透明度の高い金色の長い髪をなびかせるのは、絵に似合うような美少女ではなく、残念ながら凄腕双剣士の男カインだ。
彼に答える。
「あぁ。綺麗な街だな……」
交易都市であるレムナリアが古いアパートやマンションのような高さのある集合住宅と仮定すれば、今通りから見えているネレンティアの家屋は一戸建ての新しいものがほとんどだ。
そして、昼は常に喧騒に包まれ、多くの人々が行き交う交易都市とは異なり、王都は生活感こそ感じるものの活気のようなものは感じられない。
街も人々も物静かな街――といった印象だ。
ただし、それは長閑という意味ではなく、どちらと言うと高級住宅地のそれに近い。
とはいえ、こうして街が綺麗に保たれているのは、住人の努力の結果なのだろう。
それ故の正直な感想だ。
ちなみに、ムードメーカーであるバン子はいうと、残念でも何でもなく、ぐっすりとお昼寝中だ。
兄であるカインの膝を枕に使いながら、時折むにゃむにゃと何かを呟いている。
今も、
「うへへ……もう食えねぇよぉ……ススムぅ、そんなに俺に気を遣わなくても……いいんだぜぇ……」
――と、こんな調子だ。
夢の世界とはいえ、まぁ、幸せそうで何よりか。
現実でも何か美味しいものでも奢ってやってもいいかもしれない。
同じく同行している山賊コンビことベイルとマーガスは、何故か椅子には座らず床に腰を落ち着けている。
馬車は結構揺れるので、尻の下には厚手の布を敷いてはいるのだが、「椅子に座ったらどうだ?」と声を掛けてても、「自分らはここで充分っす」とそんな調子だ。
カインも特にそれを気に掛けた様子もなく、謎めいた関係である。
そうして、しばらく整然とした街並みを眺めつつも、一向に見えてくる気配のない“目的地”について、痺れを切らしてきた俺はカインに尋ねてみた。
「なぁ。肝心の城? らしいものが全然見当たらないんだが……そんなに遠いのか?」
聞いている話では、聖神の居る神殿というのは城内にあるらしい。
なので目的地もネハレム王城になる訳だが、王都を行けども行けどもそれらしいシルエットはさっぱり見えて来なかった。
苦笑を浮かべたカインが俺の質問に答える。
「もう少し……距離があるな」
「つっても、街に入ってから結構走ってるよな?」
それなりに大きい馬車の為、移動速度はジョガーのランニング速度まであるかないかといったところだが、既に街の入り口は後方に遠ざかっている。
「どう説明をすればいいか……そうだな。ここは今尚成長を続けている街でな。正確には、王都や中央区と呼ばれている区域――街の外周にある外壁をまだ越えてないんだ」
「外壁? そういや、まだそんなのは見てないな……」
俺の同意に、カインが進行方向を向いて遠くを指差す。
「この先。まだ距離はあるが、外壁が見えるだろう?」
俺はカイン側に移動し、座席に寝転んでいるバン子の上を失礼しながらカインの指が示す方向をじーっと見つめた。
家屋が軒を連ねて建ち並ぶ街道の遥か先、そこに焦点を合わせることで確認したのは、街を隔てるように長く連なっている白い外壁。
それが、左右視界の見える範囲の先にまで続いていた。
「……おぉ? あー、見えた見えた。あれが外壁かぁ」
壁は周囲の建物に溶け込む程度の高さなので、この距離ではかなり意識しないと気が付かない。
確証のない視認距離では、およそ一〇キロ前後といったところか。
おそらく、この馬車のペースでもあと二時間と掛からないはずだ。
「あそこを過ぎれば、少し高くなった丘の上に王城が見えてくる」
「ほー……ってことは、城まではまだまだ距離があるなぁ……」
彼の言い方では、外壁を越えた先もまだそれなりに距離があるのだろう。
そうでないのであれば、「外壁を越えればすぐ」という言い方をするはずだ。
まぁ、暗に距離があると告げられたことで、妙な期待を持たなくて済んだと思えばいいか。
「脈絡ないこと聞くけど。もしかして、カインってネレンティアの出身なのか?」
「うん? どうしてそう思ったんだ?」
「レムナリアに着いた時も感想聞かれたけどさ。ネレンティアの方が嬉しそうだったなって……それだけだが」
「ふむ……なるほど。いや、大した観察眼だな……正解だよ」
「やったー! 賞品は、カイン宅ご招待宿泊お食事付き?」
「はは……そうしたいのは山々だが……ま。こっちにも色々と込み入った事情があってな。ようこそ――と、そう気軽にはいかないんだ」
カインの笑いが憂いを帯びる。
招待をしたいのも、そういう訳にはいかないのも、どちらも彼の本音なのだろう。
申し訳なさそうに言う彼に、言葉を返す。
「事情があるなら仕方ないって。王都の宿だって楽しみだしな。でも、カインは気にしないで顔出してきていいんだぞ?」
「すまない。とはいえ、ススムに気を遣われるとは……俺もまだまだ修行が足りないな」
「酷い言い草だな……そりゃカインより子どもだけどよ……」
「悪い悪い」
言うカインの顔にも明るさが戻っていた。
せっかく彼も故郷に帰ってきたというのに、それを喜べないようでは台無しだからな。
「んじゃ、この街のことはカインに聞いとけば平気そうだな」
「あぁ、それは任せてくれ」
何とも頼もしい台詞か。
俺は、早速気になったことを彼に尋ねてみた。
「気になることは色々あるけど……例えば、ネハレムの聖神って美人なのかなーとか」
「おいおい……神罰が下るような質問は勘弁してくれよ。――と言うより、俺もさすがに聖神までお目通り叶った経験なんてないしな……」
「へー。カインでも会ったことないのか」
「ススムが聖神に対してどんな想像を持っているのか知らないが、そんな気安く会えるような存在を“神”なんて呼ばないだろう?」
「まぁ、気軽にホイホイ顔出してたらご利益も薄まりそうだよな……」
「なんか……ススムの世界は、思っていた以上に信心に疎そうだな……」
それは否定しない。
というか、世界ではなく、育った国に限定した話だろう。
自由思想の多神国だしな。
「まぁ、やおよろず……八〇〇万の神が居る――って考えられてる国だしな」
「それはまた……規模が凄いな」
カインの笑顔が若干引きつるのも仕方が無いが、それはそれで失礼ではないかと思わなくもない。
まぁ、国同士で考えれば唯一神を信仰するネハレムとは相容れないのかもしれないが……。
「まぁ、話が脱線したので戻す。なんで、わざわざ街の中に外壁なんて作ったんだ?」
進行方向の先にあるという外壁の存在は、俺には意図して街を区切ったように思えてならない。
これから会うという聖神の意向だとしたら、どうにも良い印象を持てないのだ。
「そんなに複雑な話ではないよ。単純に当初想定していたよりも街が大きくなってしまい、防衛の為に作られた外壁を越えて成長してしまった――とそういうことさ」
「はぁ。なんだ……そんな簡単な話かよ。俺は、てっきり…………や、何でもない」
「ススムの言いたいことは分かる。“格差”があるんじゃないか――ってところだろう?」
カインの指摘の通り、俺が感じたのはそういうことだ。
壁は存在するだけで要らない軋轢を生んでしまう――向こうの世界では、歴史の授業でも似たようなことを習っていた。
「残念ながら……それもゼロではないな。街が外壁を越えて成長したということは、外壁の内側にある街は古くから存在する――いわゆる由緒正しいお家が多い」
そう告げるカインの言葉と、後ろめたい表情から悟ったのは、彼の家というのはきっと“内側”にあるのだろう。
彼が言った“込み入った事情”と“由緒正しいお家”とは、おそらくはそういった柵があるのだと推察した。
「そういう“悪しき風潮”から、外壁の内側だけを“王都”と呼ぶ人間も多いんだ。公には国も認めてはいないが……何せ、国に仕えるお偉方も内側の人間だからな」
元からネレンティアに住んでいる人々の自尊心がそうさせてしまっているのだろう。
分からなくもない話だ。
「でも、カインはそれには否定的なんだな」
「もちろん。街の発展は国の発展だ。喜ぶべきことだよ」
「へー。カインみたいなのが、国のお偉方になればいいんだけどなー」
「はは、棒読み口調はやめてくれ。俺には、剣を振る以外の能はないよ」
元々知るカインの一面を、より深く理解した気分になった。
やはり、こいつはいい男らしい。顔も中身もだ。
あまり当て推量は良くないが…………逆にカインの実家は古典派で、彼とは馬が合わなかったのでなかろうか。
そうして、その結果が現在。
色々と考えれば、この世界に来て最初に知り合ったのがカインで…………よし、脳裏から髭ふたりの記憶は消したぞ。
様々な星の巡り合せから、最初に親しくなったのがカインで良かったと――俺は、心からそう感じた。
聖神の巡り合せなら、その聖神にも感謝しよう。
「……うーん……こらぁススムぅ……変なとこ触るなよぉ…………むにゃむにゃ」
…………せっかくのいい気分が誰かのせいで途端に台無しになったが。
膝を貸しているカインも気まずそうだ。
あぁ、これ、お前の妹だからな。
俺の妹とは大違い…………うん、大違いだよ……。
思い出したら、涎を垂らしながらもダガーを大事そうに抱えるバン子がむしろ可愛く見えてきたじゃないか……。
「俺の……負けか……カイン」
「い、いつの間に……というか何の勝負をしてたんだ……?」
そうして、俺が日向ながらも不思議な影を作りつつ項垂れて居ても、馬車は気にすることなく長閑に歩みを進める。
ふと、俺は右手で陽射しを遮り、前方を遠目で眺め見た。
見えるのは、先よりもだいぶ近付いてきた白い外壁だ。
そろそろバン子を起こした方がいいのかと考えるが、無理に起こさなくても到着すれば彼女も起きざるを得ないか。
そんな思いが通じた訳ではないだろうが、見る見る間に彼女の動きが能動的になり、次第に目蓋が開いていく。
「ん……ふあー……」
「おはよう」
「んー……? ススムか。おはよーさん……」
挨拶をすると、素直に挨拶を返してきた。
まだ少し寝ぼけているのだろうが、こういった点は年齢相応の可愛げがある。
「着いた?」
「あぁ。もうすぐ外壁だぞ」
「そっか……そりゃちょうど頃合いだった――なっと!」
言って、ぴょんと跳ね起きたバン子がカインの隣に居住まいを正す――と言うほど行儀は宜しくないが。
もし、履いているのがショートパンツではなくスカートならば大変なことになっているだろう。
別に、バン子に邪まな感情を抱いたことなどないが。
ダガーを懐に差しなおした彼女が、口を開く。
「街に着いたら俺が案内してやろっか?」
「お前の案内って……どこ連れてかれるか分からないから返って不安だな……」
「なにおう!」
寝起きながらもムキーと怒れるバン子は、血色も良く、寝覚めも良いタイプなのだろう。
低血圧であまり朝に強くない俺からすると羨ましい限りだ。
そんな彼女を片手で宥めつつ、
「そういや、バン子もネレンティアの出身なのか?」
「ん? …………あー。兄貴が話したのか。まー、一応はそうだよ」
「一応?」
「そうだ。一応なー。……だから、案内は任せとって!」
そう言うバン子の表情は、先よりも晴れない。
どうやら、あまり触れて欲しくはない話題だったのだろう。
「そうだなぁ……。さすがに王都だけあってレムナリアより大きいし……そこまで言うなら頼もうか」
「おうよ! 任せとけってんだ!」
バン子の顔に笑顔が戻る。
何だかんだで、彼女もカインに似て面倒見が良いというか世話好きなのだろう。
彼女との出会いも、自分にとっては大きなプラスだ。
そんなやり取りをする俺たちを、カインも細い目で見ていた。
●
俺の提案によって、一行は大通りにある食事処にて馬車と身体を休めている。
座っているだけとはいえ、同じ姿勢が続くのはそれなりに負担も掛かるというものだ。
ぐいっと肩入れをしてやると、骨と筋が鳴る音が耳に届く。
「お。それ気持ち良さそうだな」
「バン子もやるか?」
「おう! ……こうか?」
バン子が中腰姿勢で内側に肩を捻り込む。
「あ~……これ気持ちいーなー……」
「だろう? ……って…………」
俺が言い淀んだのは、視線の先に見えたもの。
彼女のチュニックの胸元から覗く、白い肌とやや丸みを帯びたそれ。
そして――
「……の、のーぶら!?」
「のー……ぶら? なんじゃそりゃ?」
俺は、慌てて「何でもない!」と言って両手でジェスチャーを取るのであった。
カ、カインたちに気付かれてないだろうな……。
誤魔化しついでに、軍隊式エクササイズに勤しむと、周囲の人からは冷ややかな視線を浴びてしまった。
――うむ、これでいい。
そうして、ちょっぴり懺悔した気分になりつつ、落ち着きを取り戻した俺は皆が座るテーブル席へと戻り、届いていた食事を摂ることにした。
「――で、街を北に抜けるとアーリアナ聖国、西に抜けるとフラクティア聖国の国境まで抜けるって感じよ。遠いけどな」
「へぇ……」
食べながら聞いているのは、大まかな地図の概要だ。
バン子の言うアーリアナ国とフラクティア国というのは、ここメル大陸にある“聖神四大国”の内の二つ。
あとは今居るネハレム国と、最も大きいというアルテア国を入れて完成だ。
アルテア国はネハレム国とは直接隣接していないらしく、残るどちらかの国を越えないと辿り着けないらしい。
「南はレムナリアとリベア内海で、東は……」
「ルファーナ魔法国だな」
そちらは、聖神国とはまた違った発展をした国々の西端で、ルファーナを越えればさらに多くの国があるという。
リベア内海を南下すれば竜族領と精霊領、そこから東に進めば亜人領――エルフやドワーフといった種族が生活する領域が、北のルファーナと隣接していると。
「なるほどねぇ……。ちなみに、魔法ってはこう……何もないところから火とか水とか出たりするヤツ?」
俺は、両手を胸の前でムニムニ動かして炎や水のモーションを体現してみる。
「うーん……魔法てのは、聖神国には無ぇ技術だからなぁ……。誰かに説いたり、武具に生かしてるヤツは“魔導師”なんて呼ばれちゃいっけど……。厳密にその“魔法”とやらを行使できんのは、ルファーナの神徒だけって噂もある」
「……神徒だって? ルファーナにも聖神がいるのか?」
俺の質問に、バン子が頭を振る。
「まさか。聖神は四大国にしかいねーって。ルファーナの信仰神は、“ラダ・マーリス”て名前の暗黒神だよ」
「あ、暗黒神だって……? また物騒な名前だな……」
「俺も初めはそう思ってたんだけど……別にただ“暗黒”を司ってるってだけで、邪神とか魔神とかそういう類の神じゃないらしいぜ?」
「あぁ、そうなのか。まぁ、光に影は付き物だしな……」
そんな感じで、気が付けば随分と大きな話になっていたが……発端は、ネレンティアの街の構造から始まっていた。
「……それは置いといて、ちょっと話を戻すぞ?」
今から向かっている外壁は、南大門で、今上がった国々は、それぞれの方角に位置する大門を越えた先にあるものだ。
もちろん、国境を越えるまでにも街や村が点在するようだが、レムナリアほどの大きさがある街はないのだと。
さすがは、ネハレムが誇る交易都市――といったところで、そこから東西に伸びる街道もまた国境まで続いているらしい。
内海があるのだから外海もあるのかと尋ねてみたが、ネハレム国は北東にわずかに隣接するのみで、しかも、そこは森深い未開の地……つまり、海洋資源はほぼ内海が頼りだという。
「……結局ネレンティアの外壁に設けられてる門は、全部で八箇所でいいんだよな?」
「そうそう。東西南北の大通りの突き当たりと、さらにその間にある通りの突き当たり」
「内周……もあるんだよな?」
「細かい通りを除けば、本当に大きいのは少ないけどな。真ん中から、城壁と城下壁、そんで外壁。これらの中心をぐるりと回ってるのがそうだ」
「どんだけ壁作ってるんだよ……」
つまるところ、王都はネハレム王城を中心に十字路と×字路を通した円状都市で、各壁の間にドーナツ状の内周路もあるとそういう構造だ。
これは、外壁の外側――“郊外”と呼ばれる場所も、ある程度それに準じた構造はしているとの話なのだが……大陸ギルドの本部があるという西側だけはそうでもないらしい。
雰囲気で言えば、王都よりもレムナリアに近いと。
ゴロツキ街――なんて悪名が通るのも、そこに出入りしている人間の素性を現しているのだろう。
「ま、城壁と外壁はともかく、“城下壁”なんて大層な名前で呼んじゃあいるけど、貴族が趣味で作ったような鉄柵だぜ。地形がちょっと高くなってるから必要以上に立派に見えるけどな」
「ふーん……」
バン子の口調は、貴族そのものについて否定的とも取れるが、カインとはまた違ったニュアンスを感じる。
強いて言うなら、嫌っている――とそんな空気だろうか。
「一応、どの門にも兵士は常駐してるし、ススムは気ぃ付けとけよー?」
「…………なんでだよ?」
「だって、不審者じゃん」
「………………」
俺が反論できないでいるのは、この世界では馴染みのない“学生服”というポピュラーな衣服を今も纏っているせいだ。
もうこうなったら貫き通してやろうじゃないか。