あぁ愛しの殿下
わたしがおこがましくも長らく想いを寄せる人は、大変可愛らしく、美しいお人であります。
美の女神がこの世の美しいものをすべて集めて完璧な形に仕上げた、そんな素晴らしい容姿をお持ちのその人は、静かに黙っていらっしゃれば女神の創造物!この世の奇跡!と讃えられますが、しかし、ご家族の王家の方々や周囲の人々からは、天の使いかに思われた麗しき幼少の頃より『神が遣わしたちいさな天変地異』、『破壊天使』などと恐れられていました。
なんせ、その美しさ愛くるしさからか人外の方々に深く深ーく愛されているため、外を歩けば暴風が吹き(王宮庭師達によって美しく整えられた木々もボキャボキャ折れまくっていたので彼らが涙を拭きながら後片付けされていたのを何度見たことか)水遊びをすれば周りの人たちが水底に引っ張られあわや溺死の危機(水の精霊さんは嫉妬深いのだそう。巻き込まれ皆底に引きずり込まれた方々を救出するのはわたしの役目でした)かつては精霊さん達による公然誘拐も日常茶飯事でございました。
それだけでなく生来の天真爛漫で好奇心旺盛な性格はもとより、とっても悪戯好きで向こう見ずで無鉄砲(同じ意味でしたでしょうか?)とにかくご活発であらせられる我が国の末の殿下は、生まれながらのトラブルメーカーなのでございます。
でも、そんなところもぜんぶ含めて、殿下はとても魅力的な方なんですけれども。
申し遅れました。わたくし、テオドラ国の『剣』、アグミュール家の当主サザの第三子にして長女、レビロと申します。
齢10の年に殿下のご友人兼お目付役兼教育係を任ぜられて早6年、当初はさっさと解放されたいものですと思っておりましたが、いつの間にやらその万人を虜にする殿下の魅力に、わたしもコロリとやられていたのでございます。
勉学を共に学び、お教えしたりする時間がイライラしつつも(能力は十分すぎるほどあるというのに、やる気が見られないのです!腹が立つ!)尊い時間となり、ご自分の起こした騒動の後始末を嫌がり逃走する殿下を追うのが怒りよりも仕方がないなぁと幸せや喜びが勝るようになり……わたしに向けてくださるいろんな笑顔に心臓がぎゅんぎゅんと軋む頃になってやっとわたしは、殿下に対する分不相応な想いを自覚したのでございます。
わたしは絶対に認めたくはありませんでした。かの人は大陸の小国といえど、歴史あるテオドラの第三王子殿下。人だけでなく人非ざるものにも愛される類稀なお方。
それにわたしは殿下より3つも年上ですよ、血迷ったのかレビロ!
もともとわたしは父上兄上たちのように、屈強で同等の価値観を共有できる、それなりに経済力や身分もある男性を夫にできればと考えていたはず。
いつまでも子供っぽい悪戯が成功してにこにこ笑っているような、ちゃらんぽらんな殿下はわたしの理想とも対極の位置に存在するはずなのです!
わたし自身が殿下にふさわしくないし、殿下もわたしの理想の夫には程遠い方です。それなのに、なぜ……
悩みに悩むわたしをよそに、殿下をお慕いする気持ちは勝手に暴走を始め、誤魔化し続けることが不可能になってきました。
わたしにとって、気持ちを押し隠すのはとても困難な事でした。表情や仕草は意識すれば抑えることができますが……わたしには、どうしても制御できないモノがあるのです。
わたしは教育係の座を返上し1人で旅に出ることを決心しました。
幼い頃から父に連れられテオドラのあちこちを見て回っていたので、外はどんな世界なのだろうという興味はありました。
しかしそれ以上に、1人きりでゆく孤独な旅は、肉体的にも精神的にもわたしを強くするはず、ずっと悩んできた身体の一部を制御する術を身に付けることができるのではないか、そう考えたのです。
未熟な自分を正し、アグミュールの名に恥じぬ一人前の『剣』となり、殿下をお守りするにふさわしい自分になりたかったのです。
家の者からは当初大反対されましたが、説得に説得を重ねて、渋々ではありましたがなんとか許可を貰いました。
大変だったのは殿下です。
まだ幼さの残る殿下は盛大に拗ねてしまわれました。ビィだけずるい、行くならおれも一緒に連れて行ってよと言われ、どれだけ嬉しかったことか。
泣き真似でわたしを引きとめようとされましたが、わたしの決心は変わりませんでした。えぇ、もちろんぐっらぐらに揺れましたけれども!
半年したら、戻って参ります、お土産もたんと持って帰りますよと言い続け、遂にわたしは殿下の許しを得て、テオドラを出たのでございます。
旅は想像以上に楽しく、自由でした。
国の外には様々な世界が広がっていて、いかに自分が矮小な存在であるかを思い知りました。本の中だけでは知り得ないことがたくさん、もちろん、綺麗で楽しい事ばかりでなく、戦争が終わったばかりの国では悲惨な状況が今尚続いていて。
なぜか南の国の王子と共にドラゴン退治をするハメになったり、わたしが珍しい毛色だからと売られそうになったり、砂漠の国で遭難しかけたり、北国のとある部族の族長の子に求愛されて監禁されたり、と、危機的状況にも何度か陥りました。
とても濃厚な3年間を送れたと思います。その中で得た知識や経験は確かにわたしを成長させてくれたと実感できますし、何よりたくさんの人々との縁は、旅の中で得られた最もかけがえのないものです。再会を約束した人もいます。何年かかっても、また会いたいものです。
とにかく、そうして一人前とはまだ言えないものの、成長を実感したわたしは長い間離れていた祖国へ帰ることにしました。
「ずっと待ってた‼」
まだ旅装も解かぬ汚い姿のまま、逸る気持ちを抑えきれず家族の住む屋敷に顔を出すより先に懐かしい王城の門を叩いたわたしの前に、殿下は報せを聞いてすぐさま飛んで来てくれたのか首にナプキンをかけ、手にナイフとフォークを持ったまま、わたしに飛びかかり抱きついて来ました。
「ナイフとフォークを持ったまま突進してくるなんて危ないし、お行儀が悪うございますよ、殿下。間の悪くご夕食の時間にお訪ねして失礼しました。しかし……どうやら3年足らずでは貴方の落ち着きの無さは改善なさらなかったようですね」
「ビィの初っ端からの嫌味攻撃も今は何だか心地いいよ!なんにも変わってないようで安心した!3年も、一体どこほっつき歩いてたんだよ!」
早く帰ってくるって言ったのに!ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる腕を名残惜しくも外しながら、かつて自分よりもかなり低い位置にあったはずの顔を見上げます。
あぁ、やはり3年という月日は長かったようです。記憶よりも大人びた顔つきに、しかし美しさはさらに磨きをかけた様子。
口許にひっついたパンくずや何かのソースにホッとして、笑ってそれを彼の首のナプキンで拭ってさしあげます。
嬉しそうに目を細める様子に、こちらも思わずうっとりしてしまいます。
「なんだかビィ、縮んだ?」
「貴方様が縦に伸びたのでございますよ」
「なーんだ、成長するために旅に出るって言ってたから全然成長してないじゃんって笑おうと思ってたのに」
「わたしが目指したのは内面的な成長でございますよ、殿下。的外れな事を申し上げる殿下はわたしが持ち帰ったお土産は要らないようですね……」
「わーわー嘘ですー!分かってるよ、帰ってくるのがあんまり遅かったから意地悪を言いたくなっただけ!」
くるくると変わる表情は、大人に近づいた今でも変わらないようで、たまらなく愛おしい。
「アレク?その方はだあれ?」
ドキ、と心の臓がひとつ大きく高鳴ったのが分かりました。
視線は殿下に釘付けだった為に反応が遅れてしまいました。
その可愛らしい少女は、殿下を追って来た様子でありました。
「カナ!」
その少女をみとめた瞬間、殿下はわたしから離れ、やって来た彼女の背中を優しくわたしの前へと押し出した。
「紹介するね」
やめて、聞きたくない、
パッとそんな想いが浮かびました
けれど
「カナっていうんだ。おれの…恋人だよ」
頬をほんのり染めて殿下はそっと少女の肩を抱き、少女の耳元で何かを囁きました。少女もまた、頬を染め、初々しい様子で恥じらっていたが、キラキラしたひとみでわたしを見上げます。
「はじめまして!ビィ様。アレクからいろいろ話を聞いていました。お会いできて、とても嬉しいです!」
「カナはずっとビィに会いたがってたんだよ」
「はい!もう、ビィ様ってばほんと理想の……」
カナという少女が何事かを呟いていたが、それを聞き取る余裕はなく。
先ほどまでの天にも昇る心地が一気にドン底まで急降下したのを自覚しながら、わたしは必死に通常の笑顔を貼り付けることしか出来なかったのです。