無調のオコパー
「……で、ケーさん?結局この子は誰なの?」
四月一日は少女を指さして言った。
「……」俺は答えない。だって名前知らないし。部屋のうちは電子機器を使っているときに発生するあの電子音とお好み焼きの蒸し焼きにされる音に支配される。あと時々気泡のはじける音。……気まずい。もう素直に言ってしまおうか。かといって「知らない」なんて言おうものならきっと俺は犯罪者になってしまう。親戚とでも言っておこうか。いや、無理があるなぁ。天涯孤独だとか堂々と言っちゃったしなぁ。そんなことを思っていると、
「ねぇねぇ、焼けたよー?時間的に焼けたでしょもう」少女がのんきな声を上げる。……すごいなこの子。自分のせいで変な空気になっているのを気にしないのか。この底抜けの明るさはニ長調だ、と思う。
「あなたねぇ」四月一日は怒った口調で言う。力強い口調は変ロ長調に近しい。
「少しは空気読みなさいよ、あんたの正体がわからなきゃこっちは気持ちよくオコパーもできやしない」オコパーは四月一日のツボからようやく外れたようだ。怒りで忘れているだけなのか。
「あ、じゃあ、自己紹介しますね。サンフラワー・奈津美です」少女のあからさまな偽名に、四月一日はテーブルを両手でたたいた。俺と天玄坂は二人して沈黙を破らない。怖いから。
「ふざけてるなら帰りなさいよ、ていうかよくこのタイミングでふざけられるわね!」四月一日はヒステリックに声を荒げる。
「ふざけてないですよ、れっきとしたペンネームです!作品ないけど!」少女は身を乗り出して言う。それをな?日本語ではふざけているというんだ、サンフラワー。
「じゃあそれただの偽名じゃん!」四月一日は至極まっとうな突っ込みをする。誰だって思うところだ。しかしサンフラワーは四月一日よりもお好み焼きが気になるらしく、
「そんなことより焦げちゃいますよ!」そう話を逸らした。俺と天玄坂は身構える。そこへ四月一日の怒号が――。
「うわ、焦げそう!ひっくり返さなきゃ」――飛ばなかった。どうやらこいつオコパーはオコパーで楽しむ気らしい。すごいなこいつら。まったく思考が読めない。
「私がやります、意外とうまいんですよこういうの!」サンフラワーは天玄坂にふたを開けるよう促し、自分は両手にへらを持っている。天玄坂に全部やらせるつもりだったので無骨な鉄製のへらだ。申し訳程度についた黒いプラスチックが熱から僕らを守ってくれる。がんばれプラスチック。ちなみにサンフラワーがひっくり返そうとしているのは俺の分のお好み焼きだ。そういう気遣いはできるんだなぁ……。
「うっそだー、絶対失敗……まぁ、ケーさんのだし……おぉ!すごぉーい!」四月一日は半信半疑でサンフラワーの挙動を見守っていたがサンフラワーの鮮やかな返しに感動していた。……ていうか待て。今何か聞き捨てならないセリフが聞こえた。
「えへへー」サンフラワーは照れるように頭の後ろに手を持ってくる。へらを持ったまま。危ないからやめろ。あほか。
「やるじゃーん、私の分もやってよー」四月一日は肘でサンフラワーの脇腹をつつく。サンフラワーは気合を入れなおすように
「任せてください!」と言ってノースリーブの袖をめくった。要は素肌を方のほうへ撫で上げたのだ。やけどするからやめろ。いやマジで。……そんなことより。
「……なぁ、天玄坂?」俺は右隣の天玄坂に耳打ちする。どうでもいいことだが、席順は俺の前にサンフラワーが、その隣に四月一日が陣取っている。テレビは俺の左側だ。出口は右。上下関係にやたら細かい天玄坂は上座・下座を異様に気にしていたからこんな席順になった。……招かれざる客が一番上座にいるけど。
「……なんすか」天玄坂は重い口を開く。俺は積年の疑問をぶつける。
「どのタイミングから仲良くなったのあいつら」そう俺が言うと
「……どこでしょうね……」天玄坂は首をかしげた。よかった。わかってない仲間がいた。そんな俺たちをよそに
「イェーイ!カンペキー!」
「イェー!」一人足りないかしまし娘たちはどんどん仲良くなっていった。ニ長調と変ロ長調を無理やり摺り寄せていくように。
「へぇー、なるほどねぇー、ケーさんのファンなんだ」四月一日は3本目の缶チューハイを開けながら言った。
「そうなんですよー、大ファンです」サンフラワーは答える。俺のファンねぇ、今まで一人もいなかったけどな、そんなやつ。
「じゃあケーさんが勝手にファンに手を出しただけかぁ」四月一日はラップを敷いた皿に広げられたスルメに手を伸ばしながら言う。皿の上にラップを敷くことで、皿洗いの手間が省けるという画期的かつ斬新な手法だ。そんなことはどうでもいい。四月一日に言わなければならないことがある。
「出してねぇよ」俺は焼酎を呑りながら簡にして要を得た突っ込みをした。天玄坂はちびちびと持参したウィスキーを飲んでいる。
「もっと厳密にいうとあそこのヒマワリの大ファンです」サンフラワーはベランダを指さす。
「見ろ、俺には何の興味もないからねそいつ」そもそも昨日来た理由もヒマワリのためだし今日だって本来はヒマワリのためだったはずだ。
「でも男の人の下着姿ってお父さんの以外は初めて見ましたけどね……」サンフラワーは酔ってもいないのに顔を赤らめる。天玄坂は思わずむせる。
「なにしてんすかケーさん!」突っ込みと称する暴力が俺に降りかかった。天玄坂君、割と本気で痛いんだよ君のは。鍛えすぎなんだよいつ使うんだその筋肉。せっかくつけたものを落とすのはもったいないって物を捨てられない主婦かお前は。そのどうでもいい執着心が後々君の身を滅ぼすんだよ?なんか急にエセ占い師みたいになったけどまぁとにかくお前は手加減しろアホ。
「あー、違う違う、なんか突然来たから下着姿で対応しそうになっただけで」俺は言う。素直に申し開きをする。
「情状酌量の余地はある、と」四月一日裁判官は何かのキャラクターの形をしたメモ帳に何か書き込むふりをする。ちなみに右手に持っているのはスルメだ。
「ホントにあった?四月一日?」天玄坂弁護士は裁判官の正気を疑っている。
「ショッキングピンクのブーメランパンツ……」
「はいてなかっただろうが!」俺被告はサンフラワー原告の唐突な嘘に動揺を隠せずついつい大きな声を出した。
「これは現行犯で」裁判官は即断し
「異議なし」弁護士は同調する。おい弁護しろよ弁護士負けるながんばれ。
「まずブーメランパンツなんか持ってねぇ!確認するか!?」俺被告は証拠品を見せろと要求する。
「うわぁ……そうやって私にまで下着を見せる気なんだ……!」事態が悪化した。
「そういう種類の変態に分類されかけてる!」はいてない状態のを見せて何が楽しいんだ。いや、はいてる状態のも楽しいとは思えんが。
「僕にも見せる気なんすね……」弁護人さえ妄言を吐く。
「お前には問題ないだろうが!」もうだめだこの裁判は。閉廷。
「なるほど、けーてん、かぁ。てんけーじゃなく」四月一日は恐ろしく不気味な響きのする呪文を発した。なんだろう、あれだ、無調のバガテルみたいな、奇妙な美しささえ感じる気味の悪さ、といえば通じるだろうか?
「何言ってるかわかんないけど何か怖いことを言ってる気がする」高校の記憶が呼び起こされたのは気のせいだと信じたい。
「僕もです」得体のしれない気味の悪さを、大の男二人が急に感じることがそうそうあるだろうか?(反語)
「そろそろ次の焼きましょー?」気味の悪さはサンフラワーのかわいらしい声の響きによって払拭された。
「あー、焼いといてよ、えっとー」四月一日は言う。何故一番仲良くなっておいて覚えていないのか俺には理解できない。
「サンフラワーです」そして気になることがもう一つあったので
「ひまわりじゃだめなの?」と、俺は疑問をぶつけた。
「だめです。ひまわりに失礼です」サンフラワーは少しく怒りをあらわにした視線で俺を見た。……なんだ?俺が悪いのか?
「お前の中のひまわりってなんなの?人生?」俺は素朴な疑問をぶつける。サンフラワーは右手の人差し指を顎(左側)に添え、首ごと左上を向きながら考える。
「人生じゃないですけどー、んー、しいて言うならー、……人生?」サンフラワーは「してやったり」みたいな顔でこちらを見ている。何を「してやった」のか俺には分からない。
「おんなじこと言っちゃったよ!頭悪いよこの子!」俺が突っ込むとサンフラワーはほほを膨らせて
「失礼な!これでもちゃんと大学生してるんですよ?」といった。
「その『大学生する』っていう言葉が頭悪いよね」思ったことをそのまま口にしてみる。
「大学って、御珠環?」突如会話に参入する天玄坂。
「あ、はい、そうです」サンフラワーは少し驚きつつ答えた。びっくりするよなー、あの声が突然入ってくると。
「へぇー、頭いいね」天玄坂は言う。そんなに頭いいのか。高校中退してる人間にはわからん世界だ。
「頭いい女は嫌いだな」俺は悪態をつく。そこへ今まで黙々とスルメを食い続けていた四月一日が
「ケーさん馬鹿だもんねー」と、割って入った。
「聞き捨てならないぞそこのバカ」少なくともお前よりはバカじゃない自負がある。
「だって事実じゃん?」四月一日は4本目の缶を開けた。ほろ酔いも大量に飲めば本当に酔ってしまうのを知らんのか。ていうか何本買ったんだこいつ。
「よし、じゃあ勝負だ、サンフラワー、何か問題出して!」俺は気合を入れるつもりでグラスに残っていた焼酎を飲み干した。
「え?えーっとぉ……、パンはパンでも承久の乱を起こした上皇はパン?」サンフラワーは戸惑いながら問題を出した。歴史の問題か。
「何その斬新な問題の出し方!?」天玄坂が何か喚いているが気にしない。歴史苦手なんだよなぁ……。そんなことを考えているうちに四月一日が手を挙げる。仕方ない、先攻は譲ってやろう。どうせあいつ間違えるしな。
「……フライパン?」四月一日はわざわざ指パッチンをしながら答えた。くそ、何だそのかっこいい答え方は。
「最初のやつに引っ張られちゃってる!」またも天玄坂が何事か言っている。俺も答えるか、いい答え方が思いつかなかったから仕方がない。普通にけなしながら答えよう。
「西郷隆盛に決まってるだろ、馬鹿だな四月一日は」四月一日は何かに気付いたような顔をした。
「あ、だめだこの二人、多分承久の乱を知らないや」天玄坂はまた何か言っている。小うるさい野郎だ。お好み焼きになってしまえ。
「正解は『パンではない』です」そしてサンフラワーが言った衝撃の答え。
「確かに質問はパンかどうかだったけども!」天玄坂の独り言をよそに俺と四月一日は肩を落とす。
「ひっかけかぁ……!」
「くそっやられた……!」
「あのー、悔しがるのはもう少しましな答えを出してからにしてくれませんかね、かすってもいないんですよ」うるせぇ、だまれ。
「じゃあ、もう一問、ナポレオンを題材にしたクラシックの有名曲といえば?」何か気分が乗ってきたようで頼んでもいないのにサンフラワーはさらに問題を出した。
「ベートーヴェンの交響曲第五番」
「チャイコフスキーの1812年」俺と四月一日はほぼ同時に答え、ほぼ同時ににらみ合った。
「いや、ベートーヴェンでしょ、ケーさん何言ってんの」
「いやいやチャイコフスキーだって」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」その不穏な空気をものともせず、
「正解は『子犬のワルツ』です」サンフラワーは気楽な声で答えを言った。
「サンフラワーちゃん答えが出ないからって適当なのに逃げないで。しかもその答えは確実にいろいろ言われる……」
「ひっかけかぁ……」
「やられたなぁ……」
「ありなの!?子犬のワルツ!?」俺と四月一日は一瞬のアイコンタクトにより天玄坂を困らせることに成功した。全力で反応する奴はからかうと楽しい。とても。
「いやー、はしゃいだね」四月一日は言う。そんなこと言ってる暇があったら片付けろ。女子力ないのかお前は。
「夜のひまわりもいいもんだねー」お前もだよサンフラワー。何をしてるんだ。だれかここに女子力のある女子を送り込んでください。ブスは断る。
「もう時間だし片付けないんならとっとと帰れお前ら」俺がそう言うと今この場にいる女子力たったの5のゴミどもは顔を見合わせて首をかしげる。
「お泊りでしょ?」
「そのつもりだよ」俺と女子力53万のマッチョは顔を見合わせて首をかしげる。
「じゃ、ふとんどこ?」ニ長調と変ロ長調はとうとう調和してしまった。対立しあった二つが調和する様子はあまりにも簡潔で陽気だった。俺たち二つの短調は全てをあきらめて布団を提供した。