ワルキューレ
携帯電話からワルキューレが馬に乗ってやってきた。あぁ、電話か。誰だよ、まだ眠いのに。ジークフリートなら楽しい。話すことないけど。しかしそんなことはなかった。当然だ。電話の相手は四月一日だった。
「……もしもし」
「あーっ、やっと出た!ケーさん、今どこ!?」いつもでかいけど、いつもよりも声がでかいな。焦ってるのか?何を?
「家だけど?」
「家だけど?じゃないよ!時計見て!時計!」四月一日は叫ぶ。俺は小首をかしげる。
「時計?時計ってあの時計?」
「私ほかの時計知らない!違う、そんなのどうでもいいの!いいから時計見て!」
「はいはい、でもなんでそんなに焦って……」俺は時計を見る。十一時。因みに今日は十時から四月一日とレコーディングだ。
「ナンデソンナニアセッテルンデスカネ」俺は沈着冷静を装って言う。
「理由がわかったみたいでよかったよ、急いできてね!?」くそ、なぜばれた。腹いせに無意味におちょくってみる。
「その前にカフェで一杯したいというか」
「のんびりしないでよ!私今日2時までしか無理なんだって!」そう言えばなんか言ってた気がする。取材だったかな、たしか。
「今日どこだっけ?」知ってるけど。というか、いざとなったら行きながら確認できるし。
「ケーさんサイテー。フケツ」四月一日は心底めんどくさそうな声を出す。
「不潔は違うんじゃないかな」
「いいから来るの!来なきゃ怒るから!」電話が切れた。俺は仕方なく急いで家を出た。
寝坊したのは高校以来だ。平日に三時まで寝てしまっていて、まぁ仕方ないかと思って結局一日サボり切った覚えがある。あの時はどうして寝坊したんだっけ。あぁ、何か考え事をしてたんだっけな、確か、大して気になってない子から呼び出されたんだっけ。確実に告白だと思ってイエスかノーかとても悩んだのだ。そうして約束の日にその子のところに行ってみたら、クラスでもイケメンで評判の野球部員だけがいた。わけがわからず二人で混乱しているとその子が現れ、「さぁ二人でまぐわって!」とわけのわからないことを言われたのだ。二人してせーので逃げた。次の日から何故か女子からの風当たりが強くなった代わりに、その野球部員と仲良くなった。同窓会に行ってないから名前は忘れた。たしか、鳴沢、とか言ったかな。プロになってたはずだ。風の噂だから不確かだけれど。
今日も考え事をしていたせいだ。あの少女は誰だったのだろう?それをずっと考えていたのだ。いや、何となく"ハルネ"じゃないかという予測は立っているのだけど。だって、ねぇ。十二、三年前だし。前回会った場所、宇治向島とか言う小さい島だったし。俺自身なんで行ったのかわからないような場所だったのだ。新しい場所へ行けば新しいインスピレーションが湧くんじゃないか、とか考えて行っただけだったはずだ。たぶん。自信はない。そんな場所で会った少女と、東北寄りの関東圏で会えるはずもない。そのうえ、ここ早枝咲地方の排他性ははっきり言って異常だ。引っ越してきた人が5日で引越ししなおす、とか言われているくらいだ。だから、同一人物だとすればかなりの確率でもともとここに住んでいたということになる。あの小さな島へ家族旅行?俺には理由が思いつかない。帰省ぐらいか。
そんなことを考えているうちに水荻に着いた。急いでスタジオへと向かう。時間は十一時三十分くらい。割と早く着いた方だ。バス停からは十五分くらい?合計すると大体一時間以内に着く計算である。
「遅い」四月一日は言う。
「あの電話からすっげー急いだんすよ、マジっすよ」俺は田舎のヤンキーじみた口調で言ってみる。決しておちょくってはいない。決して。たぶん。
「誠意が見えないね、誠意が」四月一日は吐き捨てるように言う。
「誠意って、何かね?」
「それ、私のセリフだから」菅原文太のセリフじゃなかったのか、知らなかった。
「時間ないんだっけ?」とりあえず話を進めようとする。
「うん、そう。そうなんだけど!」四月一日は話をさえぎった。
「?」俺が首をかしげると、ひきつった笑顔で
「一言ないの?」と言う。そういうことか。
「あぁ、今日も太った?」俺は一言言った。
「太ってないし今日もって何!?"も"って!!ずっと太り続けてるみたいに言うな!」何故か怒った。一言言えというから一言言っただけだ。余計な一言を。
「違ったなら思いつかねぇや」俺が気さくなアメリカ人がやるように両掌を上向けると
「もういいよ!もう!どうして謝らないのさ!」なおさら怒った。
「いやー、謝るってさぁ、俺がいけないことしたみたいじゃん?」
「あなたがいけないことしたんですけどね」じとっとした目で睨んでくる。
「だから俺は謝らない。何故なら誤っていないのだから。以上Q.E.D」
「人としての理性ってある?ケーさん」俺の親父ギャグはスルーされた。
「ありまくるね。無いのは後ろ暗いことだけだ」無いものなんて数えきれないほどしかない。
「わーすごーい。もーいーや、れこーでぃんぐしよー。けーさん」壮絶な棒読みだ。
「心なしかやる気が失せてるな」
「そんなことはなくなくなくなくなくなくなくないかな」
「そうか」数を数えるなど野暮なことはしない。めんどくさいだけだが。
「うん」四月一日は諦めたようにピアノの前に座る。
そしてようやくレコーディングは始まった。時計は十二時を指していた。
レコーディング終了。
「ケーさんは借りを返すために私を歓待しなきゃいけないと思うの」四月一日は唐突にそう言った。
「そうか。お前はそろそろラヴェルを返すべきだと思うな。」なんだかんだで貸してから八ヶ月経つ。
「私はいいの。気にしないで。……お好み焼きかな。お好み焼きだね。うん、いい感じ」
「一人で何言ってんのお前」怖いなーこの子。気でも触れたのかな。
「いいから聞いて?私はお好み焼きが食べたい」
「ん?うん、だから何?」まぁ理解できる。勝手に食べればいい。
「ケーさんは私にお好み焼きを食べさせたい」
「そんなことないですけど」どうしよう。二言目から意味が分からん。
「win-winの構図になります」
「わかった。お前バカなんだな。知ってたけど」忘れてはいけない。こいつはバカなのだ。
「win-winなら仕方ないかー仕方ないなー」四月一日は一人でうんうんと頷く。スタジオのスタッフとかに見られてるけどそういうの気にしないのかな。
「おいバカ聞けバカ聞いてんのかバカ聞こえてんだろバカ」
「バカバカうっさいな!お好み焼きをご馳走しないとワタルンに襲わせるよ!?」地味に恐ろしいことを言う。想定されるどちらの意味であろうが想像したくない。痛そうだ。とても。
「そんな権限がお前にあるのか」俺はとあるグラサンノースリーブの真似をして言った。四月一日はほくそ笑んで
「ない」そう言った。
「ないのかよ!」
「なんだかんだで一匹狼だからねぇワタルンは」
「否定しづらいな。……でもこの前行ったとき女物の靴があったぞ」
「まだ続いてるんだねー。……てか待って。ワタルン家に行ったの?」
「うん」否定する理由はない。
「なんで私は行ってないの?」
「呼んでないからなぁ」天玄坂も呼ぼうとはしていなかった。
「呼ぼうよ!仲良し三人組じゃんか!」
「そんな名前で呼ばれる筋合いはないなぁ。プライベートではほぼ会わないのに」三人では、という意味だが。
「じゃあ今日ケーさん家でオコパーだね、オコパー。既成事実を作ろう」おい、女が"キセイジジツ"とか言うんじゃない。怖いから。勘弁してください。
「オコパー?」割と本気で意味が分からない。
「タコパ的な!」四月一日は指をさしながら言う。
「絶対いわねぇよそれ」俺は言ったが、
「オコパー!アハハ!オコパー!」四月一日は聞いていなかった。ツボに入ったらしく笑い転げている。俺は軽く頭を小突いて
「一人でツボに入ってんな。てか、天玄坂の予定が狂うだろうよ」といった。
「どーせひまだよひま。私が夕方で暇になるんだからワタルンはひまだよ」四月一日は頭をさすりながら言う。
「何の根拠もないのにすごい自信だな」
「じゃあ今電話で訊くねー」そういうとすごい速さで指を動かして四月一日は電話をかけ始めた。
「あ、ワタルン?やほやほ。今日ひま?ひまだね。ひまだなぁ、すっごくひま。だからオコパー、プフッ、をね?っははっ、ちょ、ちょっと待って、アハッ、アハハハハハ!オコパ、アハハハハ!」……何やってんだ、こいつ……。暗示みたいなことをし始めたかと思ったら突然一人で笑い始めた。天玄坂もさぞや迷惑だろう。助け舟を出す気はないが。
「ケーさん、あとは、アハハハハ!よろしくアハハ!」目の前で船は勝手に笑いの渦にのまれた。何故俺が相手をしなくちゃいけないんだ。仕方なく電話の姿勢を取って
「……おかけになった電話は、現在使われておりません」と言った。
「いや、かけてきたのはそっちですよね」天玄坂は冷静に返してくる。
「俺じゃねーよ四月一日だ」
「一緒にかけてきたんじゃないんですか」
「勝手にかけたんだ」ここまでは純然たる事実だ。
「で、何の用ですか?」
「オコパーだよオコパー」
「オコパー!アハハハハ!オコパハハハ!」後ろがうるさい。どうにかならないかな、あれ。
「勝手にツボに入ってるんだけどあれどうすればいいのかな」
「いや僕に訊かれてもですね、ていうかオコパーってなんですか」
「しらんの?お好み焼きパーティーの略だ」俺もついさっき知った。
「そんな日本語ありませんよ」
「知ってるけどあいつが言い出したんだよ」
「で、それをいつどこでやると」
「今夜俺んちでとあいつが言っている」
「ケーさんの家?大丈夫なんすか?」その言い方に
「大丈夫とはなんだ?」俺はカチンときた。なんかバカにされている風に聞こえたのだ。いや、バカにしている、コケにしている、そうに違いない。こいつはそういうやつだ。たぶんきっとおそらく。
「いや、単純に邪魔なんじゃないかと」
「お前俺の家が狭い汚いエロ本多いのSKE48だとでも言うつもりか?」
「話聞いてくださいよ!四十八はどっから来たんすか!?」
「俺の家は案外きれいで貧乏くさいのAKB48なんだよ!大丈夫だから来い!」
「だから四十八はどっから来てんすか!そして貧乏くさいは平気なんですか!?」
「詳しくはあとで四月一日からメールが行くだろうから!じゃあな!首を洗って待ってろよ!」俺は電話を切った。「首を洗うのはそっち」という断末魔が聞こえたが俺は気にせずに切った。助け舟など出してやるものか。俺はタイタニックに乗ってたピアニストみたいに沈没する船でオカリナを吹き続けるんだ。……あんま関係ないかもしれない。でもまぁそういう気概で切ったのだ。
今まで"奴ら"を家に呼んだことはなかったから、五時四十五分のバスに乗ってくるという"奴ら"を待ち受けることになった。あぁ、どうしてこんなことに。天玄坂の口車に乗せられたのだ。あいつめ。なんて男だ。汚い奴め。俺は材料とついでに食器を買いあさっていた。皿は最悪あと一枚……いや、二枚買っておこう。必要な気がする。気がするのは大事だ。生まれてこの方そんな気がしている。
時間になった。バス停に"奴ら"が現れる。俺は仕方なく"奴ら"を家まで案内する。古臭いねーとか言ってるバカ女は気にしない。階段が軋む。音がおかしい。いつもより響かない。三人も来ればもう少し苦しそうな音がしてもおかしくないんだが……。猿轡をはめられた声のような、くぐもった音になっている。そう思って自室の前を覗き込む。そこには少女がいる。
「……え?」いつでも来いとは言った。言ったけど普通次の日まで見に来るか?たかがひまわりを?いつからいたのだろう?こんな暑い中で立ったまま待たせてしまったのか?なぜほかのひまわりを探しにいかない?いや、そんなことより――。
「どーしたんすか、ケーさん」二人が少女を見る。あれ、これってまずいんじゃないかな。これって確実に――。
「……デリヘル?」
「……フケツ」そうなる、よなぁ……。二人の視線が痛い。少女の笑顔が俺を見つける。
……ヴァルハラへは、どう行けばいいのでしょう?