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ヒマワリと少女 二

少女は窓の桟に座ってヒマワリを見上げていた。俺は冷蔵庫から麦茶を持ってきて少女の近くに置いたが、少女は見向きもしなかった。

「後ろに麦茶があるから気をつけて」俺がそう言うと

「はーい」少女は興味がなさそうに答えた。


何か話しかけても大した返事をしなさそうだと思ったので、俺は適当に音楽でも流そうかと思ってCDデッキに手をかけた。しかし、このタイミングで合いそうな曲はなんだろう?と考え込んだ結果よくわからなくなったのでやめておいた。ショパンは少し情緒的すぎる気がしたし、ベートーヴェンは厳格すぎる気がした。ラヴェルなら良かったかもしれない。しかしラヴェルは今四月一日わたぬきに貸している。何故あいつはピアニストのくせにラヴェルを持っていないのか疑問だ。恐らくは演奏者の違いを聴きたかったのだろうけど。


俺が結局何もせずにテーブルの前に腰を下ろしても、少女はヒマワリをじっと見つめていた。時折吹きこんでくる風に少女の髪の匂いが乗って来る。古臭いイグサのにおいが押しのけられる。風に髪がよけられると、少女の繊細な顔立ちが露わになる。緩いカーブを描いた柔らかそうな輪郭が。線の細い、高すぎない鼻梁が。適切な休符の様に、あるべき場所にバランスよく収まった目が。汗が夕日を綺羅々々しく照り返す。無意識に開けている唇はみずみずしく潤って、赤く自己主張をする。


「ヒマワリ、好きなんだな」俺は沈黙に耐え切れずに言った。何かしていないと気が済まない性質なので、何もせずピアノの鍵盤を見せたり隠したりではもたないのだ。

「うん!だってさだってさ、明るいし、おっきいし、キレーじゃん!」少女は振り返る音が聞こえそうな勢いでこちらに振り返りながら言った。麦茶がこぼれなかったのは奇跡と言っていいだろう、全く気にしてなかったし。

「その理由だと、花火も好きそうだな?」

「うん、好きだよ、花火。どっぱーんってなるやつが特に。市販のちゃっちいのも好きだけど」

「好きなものをちゃっちい呼ばわりですか」

「だって1分も持たないじゃんアレ。ちゃっちいよ」少女は苦笑しながらそう言うと、ヒマワリに向き直った。

「ふぅん。そう言えば急に敬語じゃなくなったね?何で?」俺は素朴な疑問をぶつけてみる。

「私ですねー、敬語は『仲良くなりたくない相手』にしか使わないのです。なのでー、鈍川にびがわさんはー、いいかなーって」少女はこちらを見もせずにそう言った。何となく嬉しい気はしたがちゃんと言っておくべきだろう。

「敬語って『相手と距離を置くためのもの』じゃなくて『敬意を払うためのもの』なんだけど」

「知ってるけどさ。その考え方がよくわかんないのさー。年上だから敬え、とかそーゆーの。無くしたほうが世界平和に近づくよきっと」

「すごい話だな、敬語が世界の平和を乱してる、か」俺は少しあきれたような声を出したが少女は気にせずにつづけた。

「乱してるね、チョー乱してる。ちょっと早く生まれたくらいで敬わなきゃいけないとか、偉くなるとか。てか、偉い偉くないがあるからダメなんだよ」

「でも、年上の経験談もなかなか捨てたものではないんだよ?」俺は自分を擁護する。『もう大学生』とか言っていたから、年の差は恐らく二十くらいはあるだろうから。

「いいよ、時代に合ってないって。ネットあるから今活躍してる人の経験談とかチョー読めるじゃん。本もあるし。だからその辺の年上は無理しなくて結構。年上だから、じゃなくて、能力があるから、ならすっごく納得。そいつらには敬語使うよ」少女は遠慮せずにズバッと言った。意外とちゃんと考えているようで感心する。聞く限りは敬語を使う気のなさそうな言い方ではあるが。

「あぁ、成程なぁ。頭悪そうに見えたけど意外といろいろ考えてるんだなぁ」

「ん?なんか今悪口が聞こえたな」少女は耳元に手を当てて言う。

「気のせいだよ気のせい」

「気のせいかなぁ」首をかしげる。

「いわくつきだからこの物件」

「へぇ、どんないわく?」

「隣の部屋の声がうるさいっていう」

「それいわくじゃないから。知ってるよ、ケッカンジュウタクって言うんだ」この子は口が悪い。それもひどく。

「それだけで欠陥住宅扱いってのもひどいな」

「そうかな」

「そうだよきっと。花火とヒマワリだったらどっち選ぶ?」そう俺が訊くと、

「ヒマワリ」即答した。

「即答か」

「うん。ヒマワリ見てると、こんな風に生きたいなーって思うよ」少女は再びこちらへ振り返る。意地悪い笑みを浮かべながら。

「さて、どんな生き方でしょう?」俺は心底どうでもいいという本心を押し隠して、思案してる風な顔を装った。特に思いつかない。そんなことよりラーメンが食べたい。でも何かしら答えておくのがいいだろう。興味はないが。

「明るく、元気に、堂々と。とか?」俺は適当にぱっと思いついたものをいう。

「フツーだなー、つまんない。もっとひねった回答はないの?」少女は不満そうだったが思いつかなかったから仕方がない。

「ない」俺は即座に返す。

「即答かー」

「それ以外に思いつかないからな」少女は不満そうに頬を膨らせて、

「むー。まぁいいや、『堂々と』はいい感じだし。私のあこがれる生き方リストに載せておこう」と言って笑う。感情がころころ変わる子だな。一緒にいると楽しそうだけど疲れそうだ。

「そんなころころ変えていいんか?憧れてるものを」俺はまた素朴な疑問を投げかける。

「いーの。憧れる要素が増えるだけで対象は変わってないから」少女はまたよくわからない理屈を持ち出す。

「そんなもんか。…で、答えは?」一応礼儀として訊く。社交辞令、というやつだ。

「気になる?」少女は意地悪そうな笑みで訊く。俺は大きくうなずくと、

「全く気にならない」と言った。

「なんでさー!?」少女はそう怒鳴ったが気にならないものは気にならないのだからどうにも仕様がない。

「まだオーストラリアの農園で虫が何匹死んだかの方が興味深い」要は全く気にしていない。でもそう言ったら殴られそうな剣幕だったので歯に衣着せた言い方で言っておいた。

「それって、すっっごく興味ある、ってことだね?」

「ポジティブだな」呆れを越して感心した。恐らくはそれが狙いなのだろう。

「常に明るい方、いい方を見るのが私の目標だからね!」少女は力強く親指を立てた。あぁ、それが言ってほしかった答えか。よし。突然話題を変えてみよう。

「コチニール色素って知ってるか?お菓子とかに使われてる赤色の着色料なんだけど、虫の体液から生成されてるらしい」

「なにそれ、マジで?もうグミ食べれないじゃん。やめてよそういう人を不幸にする雑学。じゃなくて!」ノリツッコミだ。関西人かこいつ。少女は何故か不機嫌そうだ。

「答え言ったじゃん!流さないでよ!」

「流してないよ?」俺は俺のできる最高のきょとん顔でしらばっくれる。

「流したよ!」少女が右手で何かを払いのける動作をすると、近くにあった麦茶のコップが飛んで行った。紙コップでよかった。ガラスや陶器なら大惨事だ。今は使っていないコンポ(捨てるのが面倒だったので放置している)に麦茶がかかった。ショートも何もしないはずだ。何せここ二年半は使っていない。が、そんなことを知らない少女は青ざめている。

「ご、ごめんなさい!わざとじゃなくて!その、あの、麦茶が、じゃなくて、えっと、ここにあるの忘れてて、その、ごめんなさい!弁償、いくら?ちゃんとしますから!」だいぶ焦っているようで、何を言っているのだかよくわからない。言葉も意味が分からないのに何度も頭を下げながら喋るから聞き取るのも難しい。

「まぁ落ち着いて。まず、あれ使ってないから弁償とか平気」

「ごめんなさ…へ?使ってない?」少女はうるんだ瞳で俺の顔を覗き込む。一瞬鼓動が早くなる。何せ、下手な赤穂浪士のパクリみたいな人数のアイドルグループのメンバーよりははるかにかわいいのだ。うるんだ瞳は女性のリーサルウェポンだ(と勝手に思っている)からなおさらクルものがある。

「うん、捨てるのめんどくさかったから置いてただけなんだ、あれ。もう二年以上触れてもいない」

「いや捨てましょうよそんなの」

「さっきまで泣いてたのにもうツッコめるように復活したのか」

「謝ったのがばかばかしくなったよ…あと!」安心したように笑いながら、一度涙をぬぐうと顔を上げ、

「泣いてないから」怒ったような表情で言った。

「でもうるうるしてたよ」俺は言う。これは事実だ。泣き顔フェチ(これを言うとほぼ一〇〇%引かれるので公言しないようにしているが)の俺が言うんだから絶対だ。

「泣いてない」

「泣いた」

「泣いてない」押し問答だ。攻め方を変えよう。

「目が充血してる」

「…してない」

「してるんだよ」

「うっさい、シネ」少女は俺から顔をそむけてすねたような声で言った。

「すねるなよ」

「シネ、しんじゃえ」押し問答だ。それにしても暑いな、アイスでも食べるか。そう思って少女に

「…アイス食べる?」と尋ねると、

「食べる!」満面の笑みで答えた。…多分飴で誘拐されるタイプだ、この子は…。


アイスを食べ終わってもヒマワリを見続けようとしていた少女に時間は平気なのかと尋ねると、どうやらすっかり忘れていたようで、急いで帰りの支度を始めた。

「今日はありがとうございました」少女は深々とお辞儀をする。

「また、見に来てもいいですか?」少女が照れたように言うのでこちらも照れくさくなったが、

「あぁ、いつでもおいで」俺はそう言った。

「はーい、そう言えば、今日はオカリナ吹かなかったね?」少女は言った。少女のセリフに違和感を感じた。『今日はオカリナ吹かなかった』?オカリニストであることを知っている口ぶりだ。だとしたら、何故?テレビか、CDか?

「俺、オカリナ吹くなんて言ったっけ?」

「言ってなかったっけ、てか、その様子だと覚えてないか」少女は残念そうに笑った。

「覚えてない?何を?」

「いーよ。ゆっくり思い出して。そっちのが楽しいよきっと」

「楽しいかな」閑散とした夜に、バイクの音が響く。そう言えば、暴走族が近くを通るのがこんな時間だったっけ。うるさいのは、苦手なんだけど。

「うん。じゃーね、鈍川さん」そういって少女はまたお辞儀をした。そして振り返って歩いていく。足音が甲高く響いている。鈍く唸るマフラーと不協和音を奏でる。

「あぁ、じゃあな、オジョーチャン」俺がそういうと、少女は振り返って

「オジョーチャン、じゃないよ、――だよ」と、言った。


可憐な、よく通る高い声は、暴走族の轟音にかき消された。

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