カフェ " リポーゾ " での話
ハルネにあってから運気でも上昇したんだろうか。俺はハルネと出会った三日後に、駅前でオカリナを吹いている所を今の会社に拾われた。とはいえ、大した会社ではない。 " 霧原エンタテイメント " とかいう新しい会社だ。新興の会社だから、有望そうな新人を数うちゃ当たるの精神でまずは囲っておこうという魂胆らしい。スカウトの田辺とかいう、小柄な男がそう漏らしていた。まぁそんなことはどうでもいい。正直田辺だったかどうかすら怪しいのだ。渡辺かもしれないし、あるいは渡部かもしれない。この際タガメの可能性もある。音韻しか覚えていないくらいだからどうでもいいのだろう。
これもかなりどうでもいい話ではあるのだけど、社長の霧原宗助はゴシップに事欠かない男で、かなり偏向した性的嗜好の持ち主であるという話だ。今年で十九の自分の娘を八歳の頃から犯していただの、妻の目の前で秘書と抱き合っただのと様々な逸話がある。こんな会社に十二、三年も囲われているのだから、俺もある意味大したやつだ。
オカリニスト(と、俺は自称している)としての生活は案外悪くない。オカリナという楽器は使用頻度が高いわけでもないが、オカリナを吹ける人自体がいないので、オカリナを使う曲の収録にはよく呼ばれるのだ。ソロでのものはほとんどないが、CDも何枚か出した。中には、ピアニストの四月一日みどりやヴァイオリニストの天玄坂渉とのコラボもあった。この二人の名前はよく覚えている。気が合うこともあり、よく仕事をするからだ。今のところは副業なしで食っていくことができる程度には収入もある。
以前、天玄坂、四月一日、俺の三人がプライベートで集まったことがあった。その日は確か家族の話になった。二人にはそれぞれ同性の兄弟がいるらしかった。ちなみに俺は一人っ子だ。
「妹がね?」
四月一日はそう切り出した。
水荻にあるスタジオの近く、カフェ " リポーゾ " には休日の午後ですらあまり人が来ない。経営状況が心配なところだが、余計なお世話というやつだろう。そのリポーゾの、他人に話を聞かれる虞のほとんどない、奥まった席に俺たちは陣取った。
俺と天玄坂は特に相槌も打たず四月一日の方へ向き直っただけだったが、四月一日は続けた。
「妹がかわいいのよ、すっごく。見ればわかるけど、すごいの。かわいいの」
「なあお前何言ってんの?」
俺は我慢しきれずに話をさえぎった。あまりにも話があほっぽかったからだ。天玄坂はウェイターからまだ湯気の立っているブラックコーヒーを受け取っていた。
「だから、妹がかわいいって話。わかんなかった?」
「いや、ある意味すごくわかった。だからもうかわいいっていう情報はいらん」
「だってかわいいんだよ?」
「もういいっての。で、なにさ?」
「あ、うん、あのね」
四月一日は女子大生然とした話し方で続ける。確か当時は二十四だったはずだ。大学にも行っていなかったはずだからいろいろとおかしいのだが、それでもどことなく女子大生らしい雰囲気で話を続ける。ライトブラウンのショートボブからシャンプーの匂いが漂う。
「妹が、まぁ不器用なとこはあるんだけどさ、親がずぅっとひどいことしてたの。虐待ってやつ。八つ下の妹でね、かわいくて仕方ない相手だから、一回はっきり訊いてやったのよ。『なんでそんなことするんだ』って」
そこまで言って、四月一日はミニオムレツを一切れ口に含んだ。もぐもぐと動く口が異様に速く、どこかリスのような印象を与える食べ方だ。ミニオムレツを飲み込んでからレモンティーを飲む。
「忙しい食べ方だな」
天玄坂が言う。急にしゃべり始められると非常に驚くから割と本気で勘弁してほしい。ラグビー部のような頑強な体から出てくるバリトンボイスは人を落ち着かせる効果もあるが、体格のせいで威圧感も与えるのだ。
「そうかな」
「うん、野鼠みたいだ」
そしてこいつはデリカシーがない。デリカシーがないのかたとえが下手なのかはわからないがなんにせよ女の子に対して野鼠は失礼すぎる。顔は整っているが、この性格や、左半分だけを持ち上げるという謎の髪型のせいでモテはしないだろう。
「ははは、野鼠かー」
四月一日は気丈だ。でも顔はしっかり引きつっている。そりゃそうだ。
「四月一日、パフェおごるよ」
男からのせめてもの謝罪だ。あとで天玄坂は殴っておきたいところだが喧嘩になったら確実に負けるので迂闊なことはできない。
「お!マジで!」
……なんて単純な女だ。まぁ幸せそうだからいいか。
「で?」
俺は訊いた。
「で?って?」
四月一日はきょとんとした。フォークをくわえたまま小首をかしげる。俺はもうなんかめんどくさくなってきたので天玄坂に任せたくなったが、天玄坂は、理由は知らないがブラックコーヒーを念入りに混ぜるという奇行に走っている。俺が見ていた限りでは何も入れている様子はなかったから、ブラックコーヒーをブラックコーヒーにするという謎の行為だ。俺は仕方なく自分で訊くことにした。
「……訊いた後どうなったんだ」
「あ!すっかり忘れてた!」
四月一日は顔の前で手を打ちながら驚いた。
「パフェの話で流れちゃったよ」
「俺のせいにするな」
少しずつイライラしてくるのはジェネレーションギャップとかいうものだろうか?大体十違えば話もずれるとかいうアレ。俺はこの時三十五だったからまぁしかたないところだろう。
「『そんなひどいことするなら、なんで生んだんだ』って、言ってやったの。カッコよくない?」
四月一日は胸を張って自慢げに言った。俺も天玄坂も相槌は打たない。俺は単純に面倒だったから。天玄坂側の理由は知らないが、こいつはまだブラックコーヒーを混ぜ続けている。
「……でね」
四月一日は賛同を得られなかったせいで不満そうに続ける。
「親はこう言ったのよ。『みどりだけでよかったのに、さくらは勝手に生まれた失敗作なんだ』って。アタシ、カチンと来ちゃってさぁ。だってさ、勝手じゃん?勝手すぎるじゃん!?向こうが勝手にセ――、その、アレ、したわけじゃん?『だったら、しなきゃよかったじゃん』って言ってやりたかったよ」
四月一日は興奮を抑えるために(と、後で自分で言っていた)左手の人差し指にくるくると髪を巻きつけていた。
俺はオレンジジュースを一口飲んだ。コーヒーなんか苦い水だというのが俺の持論だ。というかカフェインに弱いせいでカフェインを摂取すると気持ち悪くなる。天玄坂はなおもかき混ぜていたが、少し口をつけるとものすごく熱そうな顔をしてすぐにテーブルに置いた。あぁ、冷まそうとしてたのか。何にせよもっとやりようはあったろうと思う。
「アイスにすればよかったんじゃないか?」
俺は素朴な疑問をぶつけた。四月一日も気づいたようで、
「ワタルンは猫舌さんなの?」
と、猫のまねをしながら言った。ブスだったら天玄坂のコーヒーを顔面にぶっかけるところだったが、最近雑誌で紹介されていた " 美人すぎるピアニスト " よりは美人なレベルなので四月一日は本人のあずかり知らぬところで命拾いしたのだった。……それにしても " 美人すぎる○○ " で紹介されて本当に美人な人ってあまりいないのはなぜなんだろう?ハードルを上げすぎているからだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。
そんなことを考えていると、天玄坂が耳を貸せとジェスチャーしてきた。何だろうと思って耳を貸してみると
「僕、知覚過敏なんすよ」
と恥ずかしそうに耳打ちしてきた。俺はなるほどなぁという風に深くうなずくと、振り返って指を鳴らし、
「ウェイターさん!こいつにアイスコーヒーを!」
勝手にアイスコーヒーを注文した。
「なっ!?貴様!」
天玄坂も喜んでくれているようで何よりだ。 " 貴様 " なんて本来の使い方なら最上級な敬語じゃないか。でもなぜだかウェイターさんに取り消しを頼んでいるように見える。なんでだろう。知覚過敏を恥ずかしがる神経と一緒にわからない。
「ワタルンとケーさんは仲良しさんだねぇ」
そう言いながら四月一日はまたもや猫のポーズをした。……スルーしよう。それがいい。というかそれしかあるまい。反応は天玄坂に任せようと思ったらこいつもまたかき混ぜ始めている。……マイブームなんだろうか。楽しいのかなあれ。スルーしよう。それがいい。というかそれしかあるまい。まさか三十秒に二回もこんなセリフを使うことになるとは思わなかった。俺はどちらにも何も言わずに、レタスとスクランブルエッグ、それからベーコンをサンドしたものを食べた。
「むぅー、だぁれもつっこまない……そんなんじゃモテないぞ二人ともー」
「結構だ」
「同棲してるし」
天玄坂はそう言った。俺も四月一日も驚きを隠しようがなかった。
「えっ!?同棲してるの!?」
四月一日は身を乗り出す。
「してるけど?」
さも当然のように言う天玄坂。
「女心が微塵もわからないお前が同棲だと……!?」
「ケーさん?さすがに聞き捨てならないんですが」
「まぁ、ワタルン顔いいからねぇ」
そう座りながら言う。
「あー、騙されたのか」
「二人とも失礼すぎませんかね!?」
「でもケーさんもきれいな顔だよね、中性的な」
ほめたつもりなんだろうが、俺は露骨に顔をしかめる。
「やめてくれ、そう言われるのが一番嫌いなんだ」
「だから坊主なんすか?」
「そうだよ、さすがにこの髪型なら痴漢も寄ってこねぇ」
俺がそういうと、
「痴漢されたんすか!?」
「痴漢されたんだ!?」
予想外に食いついてきた後二人ともすぐに引いた。
「何引いてんだ!その俺が悪い感じにするのをやめろ!」
「そんなこと言ってないしー被害妄想だよ被害妄想」
四月一日はテーブルに上半身を預けた。
「触られた感じはどうでした?」
「きもちわりい以外にあるわけねぇだろアホか」
「アタシは痴漢されたことないなぁ」
四月一日はカップを持ち上げてカップの底を見ながらそう言った。
「だろうな」
「だろうなぁ」
「おいオマエら!どういうことだ!」
四月一日はそう言って立ち上がった。
「顔はいいけど体が貧相すぎる」
「セクシーさが足りないっすよね」
「そうそう、なんかドラム缶みたいな体型してるじゃん?」
俺がそう言うと天玄坂は意外とツボにはまったらしく顔をそむけて肩を震わせた。
「おい!泣くぞ!気にしてるの!泣いちゃうぞ!こんなにかわいい子が!」
自分のことをかわいいという人間はかわいくない。
「その精神性がダメだ。痴漢されない精神性」
「何それ!?ていうか精神性なんてわかんないじゃんか!」
「にじみ出てる」
「出てないよ!」
「僕はされたことないっすね」
俺は露骨に心配そうな顔を浮かべて
「あたりまえだろ?脳に蛆でも湧いてんのか?」
と訊いた。
「ちょっと辛辣すぎません!?」
「屈強な男ならあるいは」
何を言っているんだこの女は。
「何言ってんだこの女」
つい口に出た。
「てゆーかそんなことより!」
四月一日はテーブルを叩くように身を乗り出し、
「同棲してる相手ってどんな人!?」
と言った。
「あ、そうだったな」
「くそ、うやむやにならなかったかぁ」
「ならないって」
「優しい人だよ」
コーヒーを口にしてから天玄坂は言った。まだ熱そうな顔をしている。猫舌すぎやしないだろうか。
「情報が足りないな」
「足りないよね」
「足りなくないっすよ」
「どんな顔?」
四月一日が訊いて
「ビフィズス菌みたいな顔だよ」
俺が勝手に答えた。
「ビフィズス菌みたいな顔!?れっきとした人間ですよ!」
「で、ト音記号みたいな性格?」
四月一日もおちょくり始めた。
「どんな性格を指すの!?」
「さっさと言わないから」
俺がそういうと四月一日はうなずいて
「アタシたちが想像する羽目に」
「あなたたちの頭どうなってるんすか!母性あふれる美人です!」
天玄坂は言った後はっと恥ずかしそうに顔をそむけ、四月一日はにやにやと天玄坂を見つめる。性格悪いなぁ、こいつ……。
「ほぉー、おあついねぇ」
「まぁなんにせよ仲よさそうで何よりだぁな」
「ほんと勘弁してください……」
そう言って天玄坂は静かに頭を下げた。
その後は大した話はなかった。と思う。俺は天玄坂の尻拭いで千二百円するパフェをおごらされ、腹を立てたくらいのことが一番大きかった気がする。その後バスに乗って、俺は無事に百苅の自宅へと帰ったのだった。