消えそうな明かり
十二回目の発信音を鳴らした後、僕はあいつと電話で話すことを諦めた。
そして、携帯電話をポケットにしまい、あいつの家を見上げた。田舎の金持ちの家にふさわしい大きな古い家。小さな頃から何度も通ったあいつの家。そういえば中学生になった頃からこの家に行く事がいつの間にかなくなっていた。あいつとだって最近じゃ廊下ですれ違う時くらいにしか話をしていない。
…なのにどうして? 僕はここにいるんだろう。あいつに、鈴音に会いに来ているんだろう。
「あら、裕ちゃん…久しぶりね」
か細いその声は庭で花に水を上げていた鈴音の母親のものだった。
「こんにちは。…鈴音、いますよね?」
僕がそう言うとおばさんは少し顔色を変えて、つくり笑いを浮かべた。
「ええ、あの子の部屋にいるわ。どうぞ、あがって」
僕がお辞儀をして玄関をあがろうとした時、おばさんはいきなり言った。
「あの、担任の先生に話は聞いたんだけど」
僕は胸の中の何かがストン、と落ちる音を聞いた。先生は鈴音の母親に何と言ったのだろう。いや、言うのは当然だ。先生が悪いのではない。だけど、“あなたの娘はクラスメイトをいじめました。悪い子なんです”と? そう言ったのだろうか。僕はきちんとおばさんの目を見て言った。
「鈴音に会いたいと思いました。ただ、それだけです」
何の答えにもなっていないと言うのに、悲しそうなおばさんのための嘘でもないのに、正直に自信を込めて僕はそう言った。そして、僕は向き直り失礼しますと声を上げて、二年ぶりにおとずれた鈴音の家に入った。
「鈴音…裕也だけど」
僕がそう言っても鈴音からの返事は無かった。だけど、僕は鈴音はこのドアをあけるだろうという妙な確信があった。だから、もう一度声を上げていった。
「ここにいるからさ、開けるまで待ってるから」
もちろんドアの向こうからの返事は何もなかった。しかし、僕はドアの前に腰を下ろした。
僕と鈴音の関係は言わば幼なじみだ。だけど、僕は小さい頃、体が弱かったこともありずっと鈴音の子分みたいな存在だった。前を歩く鈴音の後ろに僕は引っ付いていた。声を上げて笑う鈴音の少し後で僕は小さく微笑んだ。時々僕は鈴音に乱暴な男のいじめっ子から守ってもらうこともあった。だけどそれ以上に、僕が彼女にいじめられた。いつのまにか僕達は成長し、僕の弱かった体は人並みになり、ちびと呼び続けてきた鈴音の背よりも高くなっていった。中学生になる頃には、僕達の関係は変化していた。昔からの友達。そう鈴音は新しい友達に僕を紹介したのだった。僕は何も思わなかった。ただ2人に距離が生れたのはその頃からだったと思う。
僕は鈴音の前で山ほど恥をかいた。だから鈴音もきっと僕の前でならズタズタに、そして汚い人間であってもいいと思っている気がした。
カチャリ
そう音がして僕は彼女の部屋に足を踏み入れた。カーテンが閉められた薄暗い部屋だった。
「ゆう…どうしたの?」
鈴音はそう言った。その声は鈴音の母親のあの声よりずっと消えそうに心細げな声だった。
無表情な顔。少し…いや、かなりやせた気がした。
「別に、何となく」
僕はどうして鈴音の前できちんと思いが伝えられないんだろう。僕は少し悲しくなった。
鈴音は一週間で五キロやせたと言った。でも、それは僕が尋ねたからであって彼女が自分から口を開いたわけではない。最初のどうしたの? という言葉以来鈴音は口を開かなかった。でも、僕はそこに座り続け学校の勉強の話をした。
「鈴音は、まあ僕が説明しなくても分かると思うけど」
と僕が笑うと、鈴音は少し笑った。
「どう考えてもゆうには勝てないよ」
と言った。そして、僕は微笑んだ。
何を次に話していいのか分からなかった。長い沈黙の後、鈴音は言った。
「はるかは学校に行ってる? 」
胸がどきんと音を立てた。
「山本さんは、元気だよ。毎日来てる」
僕はできるだけ冷静にそう言った。
「そう」
と鈴音は言った。僕は立ち上がって電気をつけた。すると鈴音は言った。
「ごめん、電気、気付かなかった」
鈴音が傷ついている。僕はなぜだか冷静にそう思った。
山本はるかは鈴音が学校を休み始めた次の日に学校にきた。目の下は赤く腫れていた。だけど、今までのように明るく僕らに笑う、そんな姿は変わっていなかった。要するに、鈴音が山本はるかをいじめた。そういう事だ。一クラスしかない僕たちの学年、そしてそんな小さな中学校にとって、それは大きな意味を持っている。と、僕はそう思う。
「鈴音」
僕は核心に触れることを決意した。鈴音が僕の顔を見上げた時、このきつく釣りあがった意志の強そうな目も、大きな口も、僕にとって大切な何かだと思った。汚くて意地の悪い心でさえ僕には大切だと思った。
「鈴音のした事は、いじめじゃないよ」
僕は声を絞り出した。
鈴音はふっと笑った。僕が今まで見た中で最も優しそうな笑顔だと思った。
「いいんだよ。ゆうは優しいから。私のことかばってくれようとしているんでしょ?」
僕は言った。
「違うよ。そうじゃないんだ。いじめって…そんなんじゃない。ただの一対一の喧嘩だろう?憎らしいから頬ひっぱたいただけだろう?」
鈴音は黙った。そして言った。
「憎らしいから、傷つけたいから。そんなの最低だよ」
僕は上手く言葉にできない自分が憎たらしくなった。
理不尽だと思う。僕の言っている事は山本はるかに失礼だと思う。天使みたいに笑うあの子の笑顔を奪ったやつの味方をするなんて…。だけど、やっぱり上手くいえないけど鈴音は悪者じゃないんだ。ただ感情的に突っ走った。それだけなんだ。僕はそう思った。それなのに大人は鈴音から何も聞かないで一方的に悪者にした。山本はるかは最後まで泣き続けた。鈴音は最後まで泣かなかった。学校では皆が言っていた。鈴音にはもう近寄らないと。だから、僕はむきになった。ただ鈴音は真っ直ぐすぎたんだって。そう言いたかった。
その時かすかに涙をすする音が聞こえた。それはまぎれもなく鈴音の弱い涙だった。
「ゆうの言いたいこと分かるよ。ずっと私が皆に言いたかったことだもん。でもねえ、間違っていると思ったんだ。三日くらい前…はるかが来たの。それで、私の前でたくさんたくさん泣いて言った」
鈴音の涙は止まらなかった。一週間分の涙。と僕は思った。
「ごめんねって。そうやって、あの子言ったの。泣いてごめんって。鈴ちゃんだけ悪者にしたって。私、本当にどどうしてこんなに優しいのって、そう思った。自分がはるかを傷つけたんだって、やっと気付いた。だから、私が悪いの」
傷つけたことに傷ついた鈴音の涙。僕はそれをそっと拭った。鈴音はそんな僕に微笑んでいった。
「ありがとう」
そのありがとうに込められた思いの意味を僕は上手く汲み取る事ができだろうか、不安になった。それくらい重い重い言葉だった。
鈴音はそれから信じられないくらいに大きな声を上げて泣いた。僕はその間ずっと鈴音の手を握っていた。
山ほど泣いた後に鈴音は元の気が荒くてわがままな子どもみたいな姿に戻っていた。
そして帰り際に鈴音は笑って言った。
「あんたさ、はるかのことすきなんでしょう?」
僕はその言葉にあっけを取られていった。
「そういえば、そんな頃もあったような」
その後僕は笑った。後ろで鈴音はどんな顔をしているだろうと思いながら。
家までの帰り道に古い神社がある。その神社は山の入り口にあって小さい頃よく二人で遊んだことを思い出した。
月の大きな夜だった。早く家に帰らなくてはいけないと言うのに、ススキが茂る原っぱを僕達は笑いながら走った。僕は、その自分の背よりもおおきなススキの中で、足がもつれて転んでしまった。二人の笑い声は急に止まり当たりは静寂に包まれた。僕を寝転んだまま大きな黄色の月に見とれてしまっていた。僕よりずっと前を走っていた鈴音は急に消えた僕の姿を見つけられずにいた。何分、いや何秒、とにかく時間が流れた。鈴音は僕を見つけ出し叫んだ。「血!!」僕の膝小僧から赤い血が流れていた。そんな僕に鈴音は心配するどころか大声で怒鳴った。
「言わないと。ちゃんと言葉にしないと伝わんないよ。ばか!!」
あの時僕は気付かなかったけど、僕の手を引いてゆくっり抜けたススキの野原を彼女は涙をためて歩いたのかも知れない…そんなことを僕は思った。
鈴音の言葉は真っ直ぐで、僕はそれを誇りに思う。
だけど、真っ直ぐすぎて傷つけて、そしてばかみたいに傷ついた鈴音を僕は守りたいと思った。
矛盾しているな、と思った。
でも、僕は空を見上げて、黄色い丸い月見ながら思った。
鈴音の言葉は優しくなる。心がそのまま、きっと温かくなると思ったからだ。
読んでいただいてありがとうございます。
理不尽かもしれませんが人は、人を傷つけたことに傷つきます。そして、時に優しさを学ぶこともあると思います。そんな姿を描きたいと思いました。
又、そういった汚い心に寄り添おうとする、理解しようとする暖かさも大切にしたいと思い男の子からの目線にしました。
テーマがきちんと伝えられるか自信がないです。
もし良かったら評価お願いします。