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聖女をやめたかったのに「お前のため」と幼馴染に捨てられたので、縁談を受けることにしました~急いで戻ってきましたがもう遅いです~

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/03/25

私はセラフィア・アンウィン。


どうやら私はこの世界の聖女、らしい。



「らしい」というのは、自分でそう認識していないからではなく……


前世の記憶がある私としては聖女というより、契約社員という感覚の方が近いのだ。



聖女の仕事内容は主に三つ。

癒しの儀式、月に三回の大祭での祈祷、必要に応じた出張治癒。


待遇は神殿内の個室の宿舎付き。

三食の美味しい食事と必要な衣服の支給。ここはまあまあ悪くない。


外出については要申請で、審査期間が長くて二週間かかる。


ちなみに残業代はなし。




……やっぱり契約社員に近い。


まあ前世よりかは生活が保障されているし、自分の部屋とご飯がある。

仕事内容は拘束時間が長くてハードだけど…まあ比べたらましかも。



そんな、毎日代り映えのない聖女の生活。


だけど、今朝はいつもと違うことがあった。


「セラフィア」


中庭で声をかけられた。


聞き慣れた声。

でも久しぶりすぎて、名前と顔が結びつくまで少し時間がかかった。


振り向くと、レイナルトがいた。


レイナルト・ドーア。騎士団の副長で、私の幼馴染だ。


騎士団になる前は七年間、毎月ここへ来ていた。


来るたびに何か言いたそうな顔をして、何も言わずに帰っていた。


レイナルトは騎士団の制服を着ていた。

気のせいか、前より少し背が伸びた気がする。


顔が、心なし疲れていた。騎士団の任務は激務だろう、無理もない…。


「……久しぶりですね」


「ああ、今日は話がある」


「話?どうぞ」


「…今日が、最後の訪問になる」


最後。その言葉を、頭の中でゆっくり繰り返した。


最後…


彼は七年間の間、ほぼ毎月ここへ来ていた。


来るたびに中庭のベンチに並んで座って、何でもない話をした。

好きなもの、嫌いなもの、騎士団の愚痴、神殿の不満……。


彼は私が聖女でも、敬ったり変に距離を取ったりしなくて、居心地がよかった。


好きとか、そういう感情じゃなかったと思うけど、この息苦しい生活の中で、唯一楽しい時間を共有できる人間だった。


七年も一緒だったのだから、少しは寂しさを感じる…かも。



「……理由を聞かせてもらえますか」


「お前が聖女になったとき、俺がここに来ると邪魔になると思っていた。それでも来ていたのは……まあ…なんとなくだ」


「なんとなく、で七年間来ていたんですか?」


「……察しがいいな」


「そういうことを言っているのではなくて…」

私は息を一つついた。


「邪魔になるから来ない、というのは」


「お前のためを思って、だ」



「…私のためを思うなら…私に、どうしたいか。聞いてくれましたか?」


「……聞かなかった」


「そうですね」


遠くで鐘が鳴っている。

傍に見える中庭の石畳に、昼間の暖かな日差しが差していた。


「……言いたいこと、それで全部ですか」


「ああ。」


レイナルトも私も黙ってしまった。

彼は気まずそうに私を見ながら、何かを考えている。



「……怒らないのか」


「怒っていますよ」


「そうは見えない」


「見えないようにしているだけです。昔から、感情が顔に出にくいといわれていまして」


レイナルトは、「…さようなら」とそれだけ言って、礼拝堂の方へ歩いていった。


私は振り返らなかった。





その夜、一人になってから、少し泣いた。


怒っているとかではなくって、悲しいわけでもない。


ただ…聞いてほしかっただけ。


私がどうしたいか、という問いかけは、この七年間でレイナルト以外から誰にも聞かれなかった。


神殿の上層部は「務め」を求め、礼拝者は「癒し」を求める。

それが仕事だとわかっている。


でも彼は違った。


「今日、疲れてないか」「神殿の飯、まずくないか」「外に出たくなったら言えよ。申請書の書き方、俺が教えるから」


そういう些細な言葉が、七年間のあいだに積み重なっていた。


でも彼は、最後に一度も聞いてくれなかった。


(これから私はずっとひとりなのかな…)



それから二ヶ月が経った。


神殿の仕事は変わらなかった。朝は早くから儀式、昼間は来訪者の対応、夕方には祈り。


来訪者の中に騎士の姿が混じるたびに少しだけ身構えて、それが彼でないと確かめて、また今まで通りに戻る。




そんな日々に、外交の季節がやってきた。


「聖女様、お手紙が届いております」


私にお付きの侍女のマリアが封書を持ってきた。


差出人の名前を読んで、首を傾げた。


「……ヴァルター・グライム辺境伯子息?」


「北方の辺境伯家の方だそうです。先日の外交式典でお目にかかったとか」


「…式典では立っていただけなのですが」


「きっと、聖女様がお綺麗だったからですよ」


マリアが微笑みながら答える。


私はしぶしぶ手紙を開いた。

中身は丁寧な文体で、余計な飾り言葉はなく、用件だけが書かれていた。



〈セラフィア様 縁談を申し込みたい。神殿との交渉は私が行います。あなたの気持ちを聞かせてください。良いお返事をお待ちしています。ヴァルター・グライム〉


「……社会人みたいな方だ」


「…? 何かおっしゃいましたか」


「いいえ。ありがとう、マリア」


一人になってから、手紙を読み返した。


あなたの気持ちを聞かせてください。


「私が、どうしたいのか……」



声に出したとき、気づいた。

こんな言葉を誰かに聞かれたのは、レイナルトに言われたぶりだ、と。




それから、返事を書こうとして、何か違うと書き直して…

そんなことを繰り返していると、三日も経っていた。



四日目の朝、マリアがもう一度私のもとに来た。

まあ、手紙のことだろう…。


「あの、聖女様。以前のヴァルター様のお返事なのですが……」


「申し訳ないけれど、まだ返事で悩んでいるの」


「ずいぶん考えておられるのですね」


「私がどうしたいか、を考えていて」


「聖女様が、ご自分のどうしたいか、を?」


「聖女ではなく、私個人が、です」




マリアは少し黙ってから言った。


「セラフィア様は、外に出たいですか?」


「もちろん、出れるものならすぐにでも出たいです」


即答だった。

自分でも少し驚いた。


「では……縁談を受ければ、神殿から出られるかもしれませんね」


「……でも」


「でも?」


「それだと、神殿を出たい理由が、ずれている気がして」


「…どういうことですか?」


「最近まで、私に会いに来ていた方がいて」


「騎士団の副長様ですか」


「……知っていたんですか」


「七年間ですよ、セラフィア様。知らない侍女がいると思いますか」


「……そうですね」


「彼がいなくなったからここから出たいのか、それとも本当にただここから出たいのか。自分でわからなくて」


「難しいですね」


「聖女でも、わからないことはあります」


「でも…わからなくなるくらい、その方に影響を受けているのではないでしょうか。」


私はしばらく、その言葉を頭の中に置いた。


「……そうかもしれないですね」


「ならば返事は少しだけ待ってもらうのも、相手への誠実さかもしれませんよ。

セラフィア様は正直すぎるほど正直なので。ずれたまま進むのは、きっと向いていません」


「マリア。あなたは侍女というより相談役になってはいませんか?」


「まあ、聖女様の担当になってから、もう何年も経ちますから」

マリアは恥ずかしそうに頬をかきながら笑った。


私もつられて少し笑った。





翌日、私はヴァルター様に返事を書いた。


〈もう少しだけ時間をいただけますか。理由が整理できましたらご連絡します。〉


その返事をしてから三日後、すぐ返事が来た。


〈了解した。いつまでも待ちます。ヴァルター〉


(……本当に社会人みたいな方だな…)



マリアにヴァルターの手紙や写真を見せると、「すてきなお方ですね」と言われた。


「そうかもしれませんね。でも」


「でも?」


「そうかもしれない、としか思えないんです」


「好きな方がいると、他の方はそうなりますよ」


私は返事をしなかった。なんだか否定する気になれなかった。




その後、神殿長から呼び出しがあった。


「セラフィア、縁談の話は本当か」


「はい。ご存知でしたか?」


「当然だ。聖女が勝手に縁談を進めるのは規則違反だからな」


「勝手に、とはどういう意味ですか…?」


「そ、それは神殿の許可なくという意味だ」


「ヴァルター様の手紙には、神殿との交渉は自分が行うと書かれていました。

私は意志を問われたので、まだ検討している、とお答えしただけです。これが規則のどこに違反するのでしょうか」



神殿長は痛いところを突かれたような顔をして、しばらく黙った。


「……お前は昔から、妙なところで口が立つ。生意気な聖女様だ」


「答えられる質問には、正確にお答えしているだけです」


「聖女は神殿の宝だ。簡単に外へ出れるものではないと覚えておくんだな」


「宝というのは、閉じ込めておくものではなくて、大切にするものではないですか」


「はあ…また屁理屈を」


「屁理屈ではなく、意見です」



結局、縁談の是非は「上層部で検討する」ということになった。




廊下に出ると、マリアが待っていた。


「……聞こえていましたか」


「おそらく皆に聞こえたと思います、セラフィア様」


「…まずかったですか」


「いいえ」マリアが笑った。


「七年間、ずっと言いたかったことを言ったのでしょう。まずいはずがないです」


「……そうかもしれないですね」



縁談の話は、なぜかすぐに世間に広まっていた。


噂では「聖女が縁談を断った」とも聞こえてきたし、「縁談を受けるらしい」とも聞こえてきた。


何も決めていないのに噂だけが走るのは、前世も今も変わらない。




そんなある日。

休日を満喫している私に、来訪申請が一件届いた。


そこに書かれた名前を見て、手が止まった。


レイナルト・ドーア。


「……今更なにを」


でも、会うことにした。




中庭のベンチに座っていると、彼が来た。


彼は少し早足だった。


「聞いたぞ、縁談の話を」


「どこからですか」


「副官からだ、巷ではかなり広まっているそうだ」


「それはそれは。噂というものは広がるのが早いですね」


「……断れ」



「なぜですか?」

私は顔を上げた。


「俺が……」

彼は言いかけて、止まった。



「…俺が、間違っていた」


静かな声だった。


「俺は最初から、お前に何も聞かなかった。

聖女になったとき、どう感じているか。俺が来ることで邪魔なのか。そして最後も…お前の意志を確かめなかった」


「……知っています」


「その上で、怒らなかったのか」


「もちろん、怒っていましたよ」


「そ、そうは見えなかった」


「見えないようにしているんです、いつも。この話は以前もしましたよ」


「……そうか」


「ただ、怒り方がわからなかっただけです。あなたのことが嫌いなわけではないので」


「俺が、間違っていた」


「そうです」


レイナルトは少し黙ってから、口を開いた。


「今、その答えを聞かせてくれるか」


「何の答えでしょうか」


「お前は、どうしたいんだ」


「その言葉…言うのが遅いです。私は…神殿を出たいです」


「…そうか」


「でもそれは、ヴァルター様の縁談を受けるということではないです」


「ど、どういうことだ」


「私が神殿を出たい理由が、あなたが理由だとしたら、縁談を受ける先が違う気がして」



「……俺が、理由?」


「あなたがいなくなってから、ここにいたくなくなりました。あなたのせいです」


レイナルトは何かを言いかけて、やめた。

一度、深く息を吐いた。


「…ごめん」


「…」


「七年間、俺なりに考えていたつもりだった。でもそれは全部、俺の判断だけだった。お前に、どうしたいか、どう思っているか。何も確かめなかった。それが一番…良くなかった」


「…そうです、その通りです」


「あと、今更だが…俺はお前が好きだった」


「……過去形ですか」


「もちろん今も、だ」


「…では、ヴァルター様のお話はお断りします」


「ほ、本当にいいのか!」


今まで暗かったレイナルトの表情がぱっと明るくなる。

この人は単純な人だな…



「…理由が違いますから」


「まだ、怒っているか」


「まだ少し」

私は少し考えてから言った。


「でも…私の気持ちが整理できるまで…待たせます」


「……待つ」


「知っています」


「どうしてわかる」


「七年間来ていた人が、待てないわけがないので」


「そうだな」


中庭に風が来た。

今度は、去ることをしなかった。



ヴァルター様への返事を書いた。


〈理由が整理できました。縁談についてですが、申し訳ありませんがお断りさせて頂きます。あなたのおかげで、どうしたいかがわかりました。感謝します。〉


帰ってきた返事は一言だけだった。


〈了解。お幸せに。ヴァルター〉


マリアに話すと、「潔くていいお方ですね」と笑われた。


「そうですね。縁談はお断りしましたが、人間としては尊敬します。

前世が……いいえ、なんでもないです」


「セラフィア様?」


「なんでも。明日、申請書を書きたいのですが、手伝ってもらえますか」


「外出の申請ですか?」


「いいえ。退職…いいえ、神殿を出るための申請です」


マリアは驚いていたけれど、すぐに少し寂しそうな、でも嬉しそうな表情になった。

そんな表情で私を見つめながら話し始める。


「……ようやく、ですね」


「七年間分、ということで」


「もちろん、お引き止めなんてしませんよ。でも…少しだけ寂しいです、セラフィア様」


「私もです、マリア。でも…」


「でも?」


「あなたが教えてくれたとおり、自分のどうしたいかを選ぶことにします」


「……七年間、セラフィア様のそばにいられてよかったと思っています」


マリアの目が少し潤んでいるのがわかる。


「ありがとう。そんな優しい貴方が侍女でよかったです」


「お幸せに」


「……はい」



それから一ヶ月後、私は神殿の門を出た。


レイナルトと騎士団長が交渉を進めてくれた。

マリアから伝え聞いた話によると、神殿長との交渉は三回にも及んだそうだ。


「最初は門前払いだったそうですよ」とマリアが教えてくれた。


「でも騎士団長様が『聖女制度の見直し案』を持ち込んで、そこから話が変わったと」


「見直し案、というのは」


「聖女が望む場合は婚姻によって神殿を離れられる、という条項を新設する、というものだそうです。

今後の聖女の方のためにも、ということで」


「……レイナルトが考えたのですか」


「どうでしょう。もしかすると、騎士団長様のご発案かもしれません。でも、推薦した人間はおそらく一人しかいませんよ」


「そうですか」


「セラフィア様のために動いてくれる方が、ちゃんといたのですね」


私ははっとした。



私が気づかなかっただけで、いたのだ。


七年間、ずっとそこにいた。



ただ、正しい方法を知らなかっただけで。




出発の前日、神殿の礼拝堂で最後の儀式を終えた。


「お疲れ様でした、聖女様」


礼拝者の一人が声をかけてくれた。

老いた女性だった。儀式でよく顔を見かけていた方だ。


「ありがとうございます」


「旅立たれると聞きました。寂しいですね」


「そうですね。でも……」


「でも?」


「私も、一度くらいは自分で決めたところへ行ってみたかったので」


女性は少し笑った。


「そうですか。どうかお幸せに」


「ありがとうございます。どうか、お体に気をつけて」


神殿の廊下を歩くと、若い神官の一人が頭を下げた。



「セラフィア様、七年間……本当に、ありがとうございました」


「こちらこそ」


「俺たち…最初はよそよそしくしていましたよね。聖女なんてよくわからないって」


「そうでしたね」


「でも、いつも同じように接してくれたじゃないですか…特別扱いも、された側も、どちらもせずに」


「前世が……いいえ。ただ、人と接するのにあまり区別をつけない性格なので」


「聖女様のそういうところが好きでした、お幸せに!」


「……ありがとうございます」






そしてマリアが、荷物のそばで待っていた。


「セラフィア様」


「マリア」


「最後に、一つだけ」


「何ですか」


「七年間の愚痴を聞いてもらっても良いですか。これが最後なので」


「どうぞ」


「あの副長様は、本っっ当に不器用です」


「ふふ、そうですね」


「七年間、来るたびに本当に言いたそうな顔をしていて、それで何も言わずに帰って」


「そうでしたね」


「全部気づいていたのに何もできなかった神殿の人間も、どうかしていますが」


「それは私も含まれますか」


「少し」


「でも…セラフィア様が選んだのでよかったです」

マリアが笑った。


「ええ、聞いてくれてありがとう」


「一つだけ私も、聞いていいですか」


「どうぞ」


「幸せに、なりますか」


「……なります」


「絶対ですよ、私との約束です!」


「ええ、絶対。約束です。」


マリアが少し泣いた。私も少し泣きながら、マリアとハグして別れた。


前世では「お疲れ様でした」と言って会社を後にする瞬間が怖くて怖くて仕方なかった。


でも今は、怖くなかった。


行き先があったから、だと思う。



「なぜそこまで」と聞いたら、


「当然のことをしたまでだ」と言われた。


当然のこと。


前世の職場では、残業を当然のようにして倒れた。

当然のことを当然のようにしてくれる人間に、こんな形で出会うとは思っていなかった。


門の外で、レイナルトが待っていた。


「寒くないか」


「もう三月ですよ、寒くありません」


「北風が強い、もう少し着込んだらどうだ」


「あなたが心配性なんです」


「お前が心配だから仕方ないだろう」


荷物を持ってくれた手が、少し温かかった。


「……まだ怒っているか」


「まあ、少し」


「そうか」


「でも、減っています」


「何が減らした」


「内緒、です。自分で考えてみてください」


レイナルトは何も言わなかった。

寒さのせいか、ほかに原因があるのか、耳が少し赤かった。


「さむいですね」


「ああ」


「春になったら、外でお茶を飲みたいですね」


「付き合う」


「……それだけですか」


「もう少し、言えることはないか」


「自分から言うものですよ、先に」


「……好きだ。今も」


「知ってます」


「それだけか」


「私もです。もちろん、七年間分」


「……それは重いな」


「受け取ってください」


「わかった」


「絶対ですよ」


「ああ」


私たちは並んで歩き出した。


「一つだけ聞いていいですか」


「何だ」


「あなたは…今、私にどうしたいか…聞きましたか」


レイナルトが少し考えた。


「……さっき、行くか、と聞いた」


「聞きましたね」


「聞いた」


「正解です。これからも聞いてください」


「わかった」


「絶対ですよ」


「二回言わなくていい」


「なんだかあなたが心配なので、何回も言います」


「……そうか」


並んで、歩いた。




神殿の鐘が、背中で大きく鳴った。



これは終わりの音ではなく、始まりの音だ。


【完】

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