聖女をやめたかったのに「お前のため」と幼馴染に捨てられたので、縁談を受けることにしました~急いで戻ってきましたがもう遅いです~
私はセラフィア・アンウィン。
どうやら私はこの世界の聖女、らしい。
「らしい」というのは、自分でそう認識していないからではなく……
前世の記憶がある私としては聖女というより、契約社員という感覚の方が近いのだ。
聖女の仕事内容は主に三つ。
癒しの儀式、月に三回の大祭での祈祷、必要に応じた出張治癒。
待遇は神殿内の個室の宿舎付き。
三食の美味しい食事と必要な衣服の支給。ここはまあまあ悪くない。
外出については要申請で、審査期間が長くて二週間かかる。
ちなみに残業代はなし。
……やっぱり契約社員に近い。
まあ前世よりかは生活が保障されているし、自分の部屋とご飯がある。
仕事内容は拘束時間が長くてハードだけど…まあ比べたらましかも。
そんな、毎日代り映えのない聖女の生活。
だけど、今朝はいつもと違うことがあった。
「セラフィア」
中庭で声をかけられた。
聞き慣れた声。
でも久しぶりすぎて、名前と顔が結びつくまで少し時間がかかった。
振り向くと、レイナルトがいた。
レイナルト・ドーア。騎士団の副長で、私の幼馴染だ。
騎士団になる前は七年間、毎月ここへ来ていた。
来るたびに何か言いたそうな顔をして、何も言わずに帰っていた。
レイナルトは騎士団の制服を着ていた。
気のせいか、前より少し背が伸びた気がする。
顔が、心なし疲れていた。騎士団の任務は激務だろう、無理もない…。
「……久しぶりですね」
「ああ、今日は話がある」
「話?どうぞ」
「…今日が、最後の訪問になる」
最後。その言葉を、頭の中でゆっくり繰り返した。
最後…
彼は七年間の間、ほぼ毎月ここへ来ていた。
来るたびに中庭のベンチに並んで座って、何でもない話をした。
好きなもの、嫌いなもの、騎士団の愚痴、神殿の不満……。
彼は私が聖女でも、敬ったり変に距離を取ったりしなくて、居心地がよかった。
好きとか、そういう感情じゃなかったと思うけど、この息苦しい生活の中で、唯一楽しい時間を共有できる人間だった。
七年も一緒だったのだから、少しは寂しさを感じる…かも。
「……理由を聞かせてもらえますか」
「お前が聖女になったとき、俺がここに来ると邪魔になると思っていた。それでも来ていたのは……まあ…なんとなくだ」
「なんとなく、で七年間来ていたんですか?」
「……察しがいいな」
「そういうことを言っているのではなくて…」
私は息を一つついた。
「邪魔になるから来ない、というのは」
「お前のためを思って、だ」
「…私のためを思うなら…私に、どうしたいか。聞いてくれましたか?」
「……聞かなかった」
「そうですね」
遠くで鐘が鳴っている。
傍に見える中庭の石畳に、昼間の暖かな日差しが差していた。
「……言いたいこと、それで全部ですか」
「ああ。」
レイナルトも私も黙ってしまった。
彼は気まずそうに私を見ながら、何かを考えている。
「……怒らないのか」
「怒っていますよ」
「そうは見えない」
「見えないようにしているだけです。昔から、感情が顔に出にくいといわれていまして」
レイナルトは、「…さようなら」とそれだけ言って、礼拝堂の方へ歩いていった。
私は振り返らなかった。
その夜、一人になってから、少し泣いた。
怒っているとかではなくって、悲しいわけでもない。
ただ…聞いてほしかっただけ。
私がどうしたいか、という問いかけは、この七年間でレイナルト以外から誰にも聞かれなかった。
神殿の上層部は「務め」を求め、礼拝者は「癒し」を求める。
それが仕事だとわかっている。
でも彼は違った。
「今日、疲れてないか」「神殿の飯、まずくないか」「外に出たくなったら言えよ。申請書の書き方、俺が教えるから」
そういう些細な言葉が、七年間のあいだに積み重なっていた。
でも彼は、最後に一度も聞いてくれなかった。
(これから私はずっとひとりなのかな…)
それから二ヶ月が経った。
神殿の仕事は変わらなかった。朝は早くから儀式、昼間は来訪者の対応、夕方には祈り。
来訪者の中に騎士の姿が混じるたびに少しだけ身構えて、それが彼でないと確かめて、また今まで通りに戻る。
そんな日々に、外交の季節がやってきた。
「聖女様、お手紙が届いております」
私にお付きの侍女のマリアが封書を持ってきた。
差出人の名前を読んで、首を傾げた。
「……ヴァルター・グライム辺境伯子息?」
「北方の辺境伯家の方だそうです。先日の外交式典でお目にかかったとか」
「…式典では立っていただけなのですが」
「きっと、聖女様がお綺麗だったからですよ」
マリアが微笑みながら答える。
私はしぶしぶ手紙を開いた。
中身は丁寧な文体で、余計な飾り言葉はなく、用件だけが書かれていた。
〈セラフィア様 縁談を申し込みたい。神殿との交渉は私が行います。あなたの気持ちを聞かせてください。良いお返事をお待ちしています。ヴァルター・グライム〉
「……社会人みたいな方だ」
「…? 何かおっしゃいましたか」
「いいえ。ありがとう、マリア」
一人になってから、手紙を読み返した。
あなたの気持ちを聞かせてください。
「私が、どうしたいのか……」
声に出したとき、気づいた。
こんな言葉を誰かに聞かれたのは、レイナルトに言われたぶりだ、と。
それから、返事を書こうとして、何か違うと書き直して…
そんなことを繰り返していると、三日も経っていた。
四日目の朝、マリアがもう一度私のもとに来た。
まあ、手紙のことだろう…。
「あの、聖女様。以前のヴァルター様のお返事なのですが……」
「申し訳ないけれど、まだ返事で悩んでいるの」
「ずいぶん考えておられるのですね」
「私がどうしたいか、を考えていて」
「聖女様が、ご自分のどうしたいか、を?」
「聖女ではなく、私個人が、です」
マリアは少し黙ってから言った。
「セラフィア様は、外に出たいですか?」
「もちろん、出れるものならすぐにでも出たいです」
即答だった。
自分でも少し驚いた。
「では……縁談を受ければ、神殿から出られるかもしれませんね」
「……でも」
「でも?」
「それだと、神殿を出たい理由が、ずれている気がして」
「…どういうことですか?」
「最近まで、私に会いに来ていた方がいて」
「騎士団の副長様ですか」
「……知っていたんですか」
「七年間ですよ、セラフィア様。知らない侍女がいると思いますか」
「……そうですね」
「彼がいなくなったからここから出たいのか、それとも本当にただここから出たいのか。自分でわからなくて」
「難しいですね」
「聖女でも、わからないことはあります」
「でも…わからなくなるくらい、その方に影響を受けているのではないでしょうか。」
私はしばらく、その言葉を頭の中に置いた。
「……そうかもしれないですね」
「ならば返事は少しだけ待ってもらうのも、相手への誠実さかもしれませんよ。
セラフィア様は正直すぎるほど正直なので。ずれたまま進むのは、きっと向いていません」
「マリア。あなたは侍女というより相談役になってはいませんか?」
「まあ、聖女様の担当になってから、もう何年も経ちますから」
マリアは恥ずかしそうに頬をかきながら笑った。
私もつられて少し笑った。
翌日、私はヴァルター様に返事を書いた。
〈もう少しだけ時間をいただけますか。理由が整理できましたらご連絡します。〉
その返事をしてから三日後、すぐ返事が来た。
〈了解した。いつまでも待ちます。ヴァルター〉
(……本当に社会人みたいな方だな…)
マリアにヴァルターの手紙や写真を見せると、「すてきなお方ですね」と言われた。
「そうかもしれませんね。でも」
「でも?」
「そうかもしれない、としか思えないんです」
「好きな方がいると、他の方はそうなりますよ」
私は返事をしなかった。なんだか否定する気になれなかった。
その後、神殿長から呼び出しがあった。
「セラフィア、縁談の話は本当か」
「はい。ご存知でしたか?」
「当然だ。聖女が勝手に縁談を進めるのは規則違反だからな」
「勝手に、とはどういう意味ですか…?」
「そ、それは神殿の許可なくという意味だ」
「ヴァルター様の手紙には、神殿との交渉は自分が行うと書かれていました。
私は意志を問われたので、まだ検討している、とお答えしただけです。これが規則のどこに違反するのでしょうか」
神殿長は痛いところを突かれたような顔をして、しばらく黙った。
「……お前は昔から、妙なところで口が立つ。生意気な聖女様だ」
「答えられる質問には、正確にお答えしているだけです」
「聖女は神殿の宝だ。簡単に外へ出れるものではないと覚えておくんだな」
「宝というのは、閉じ込めておくものではなくて、大切にするものではないですか」
「はあ…また屁理屈を」
「屁理屈ではなく、意見です」
結局、縁談の是非は「上層部で検討する」ということになった。
廊下に出ると、マリアが待っていた。
「……聞こえていましたか」
「おそらく皆に聞こえたと思います、セラフィア様」
「…まずかったですか」
「いいえ」マリアが笑った。
「七年間、ずっと言いたかったことを言ったのでしょう。まずいはずがないです」
「……そうかもしれないですね」
縁談の話は、なぜかすぐに世間に広まっていた。
噂では「聖女が縁談を断った」とも聞こえてきたし、「縁談を受けるらしい」とも聞こえてきた。
何も決めていないのに噂だけが走るのは、前世も今も変わらない。
そんなある日。
休日を満喫している私に、来訪申請が一件届いた。
そこに書かれた名前を見て、手が止まった。
レイナルト・ドーア。
「……今更なにを」
でも、会うことにした。
中庭のベンチに座っていると、彼が来た。
彼は少し早足だった。
「聞いたぞ、縁談の話を」
「どこからですか」
「副官からだ、巷ではかなり広まっているそうだ」
「それはそれは。噂というものは広がるのが早いですね」
「……断れ」
「なぜですか?」
私は顔を上げた。
「俺が……」
彼は言いかけて、止まった。
「…俺が、間違っていた」
静かな声だった。
「俺は最初から、お前に何も聞かなかった。
聖女になったとき、どう感じているか。俺が来ることで邪魔なのか。そして最後も…お前の意志を確かめなかった」
「……知っています」
「その上で、怒らなかったのか」
「もちろん、怒っていましたよ」
「そ、そうは見えなかった」
「見えないようにしているんです、いつも。この話は以前もしましたよ」
「……そうか」
「ただ、怒り方がわからなかっただけです。あなたのことが嫌いなわけではないので」
「俺が、間違っていた」
「そうです」
レイナルトは少し黙ってから、口を開いた。
「今、その答えを聞かせてくれるか」
「何の答えでしょうか」
「お前は、どうしたいんだ」
「その言葉…言うのが遅いです。私は…神殿を出たいです」
「…そうか」
「でもそれは、ヴァルター様の縁談を受けるということではないです」
「ど、どういうことだ」
「私が神殿を出たい理由が、あなたが理由だとしたら、縁談を受ける先が違う気がして」
「……俺が、理由?」
「あなたがいなくなってから、ここにいたくなくなりました。あなたのせいです」
レイナルトは何かを言いかけて、やめた。
一度、深く息を吐いた。
「…ごめん」
「…」
「七年間、俺なりに考えていたつもりだった。でもそれは全部、俺の判断だけだった。お前に、どうしたいか、どう思っているか。何も確かめなかった。それが一番…良くなかった」
「…そうです、その通りです」
「あと、今更だが…俺はお前が好きだった」
「……過去形ですか」
「もちろん今も、だ」
「…では、ヴァルター様のお話はお断りします」
「ほ、本当にいいのか!」
今まで暗かったレイナルトの表情がぱっと明るくなる。
この人は単純な人だな…
「…理由が違いますから」
「まだ、怒っているか」
「まだ少し」
私は少し考えてから言った。
「でも…私の気持ちが整理できるまで…待たせます」
「……待つ」
「知っています」
「どうしてわかる」
「七年間来ていた人が、待てないわけがないので」
「そうだな」
中庭に風が来た。
今度は、去ることをしなかった。
ヴァルター様への返事を書いた。
〈理由が整理できました。縁談についてですが、申し訳ありませんがお断りさせて頂きます。あなたのおかげで、どうしたいかがわかりました。感謝します。〉
帰ってきた返事は一言だけだった。
〈了解。お幸せに。ヴァルター〉
マリアに話すと、「潔くていいお方ですね」と笑われた。
「そうですね。縁談はお断りしましたが、人間としては尊敬します。
前世が……いいえ、なんでもないです」
「セラフィア様?」
「なんでも。明日、申請書を書きたいのですが、手伝ってもらえますか」
「外出の申請ですか?」
「いいえ。退職…いいえ、神殿を出るための申請です」
マリアは驚いていたけれど、すぐに少し寂しそうな、でも嬉しそうな表情になった。
そんな表情で私を見つめながら話し始める。
「……ようやく、ですね」
「七年間分、ということで」
「もちろん、お引き止めなんてしませんよ。でも…少しだけ寂しいです、セラフィア様」
「私もです、マリア。でも…」
「でも?」
「あなたが教えてくれたとおり、自分のどうしたいかを選ぶことにします」
「……七年間、セラフィア様のそばにいられてよかったと思っています」
マリアの目が少し潤んでいるのがわかる。
「ありがとう。そんな優しい貴方が侍女でよかったです」
「お幸せに」
「……はい」
それから一ヶ月後、私は神殿の門を出た。
レイナルトと騎士団長が交渉を進めてくれた。
マリアから伝え聞いた話によると、神殿長との交渉は三回にも及んだそうだ。
「最初は門前払いだったそうですよ」とマリアが教えてくれた。
「でも騎士団長様が『聖女制度の見直し案』を持ち込んで、そこから話が変わったと」
「見直し案、というのは」
「聖女が望む場合は婚姻によって神殿を離れられる、という条項を新設する、というものだそうです。
今後の聖女の方のためにも、ということで」
「……レイナルトが考えたのですか」
「どうでしょう。もしかすると、騎士団長様のご発案かもしれません。でも、推薦した人間はおそらく一人しかいませんよ」
「そうですか」
「セラフィア様のために動いてくれる方が、ちゃんといたのですね」
私ははっとした。
私が気づかなかっただけで、いたのだ。
七年間、ずっとそこにいた。
ただ、正しい方法を知らなかっただけで。
出発の前日、神殿の礼拝堂で最後の儀式を終えた。
「お疲れ様でした、聖女様」
礼拝者の一人が声をかけてくれた。
老いた女性だった。儀式でよく顔を見かけていた方だ。
「ありがとうございます」
「旅立たれると聞きました。寂しいですね」
「そうですね。でも……」
「でも?」
「私も、一度くらいは自分で決めたところへ行ってみたかったので」
女性は少し笑った。
「そうですか。どうかお幸せに」
「ありがとうございます。どうか、お体に気をつけて」
神殿の廊下を歩くと、若い神官の一人が頭を下げた。
「セラフィア様、七年間……本当に、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「俺たち…最初はよそよそしくしていましたよね。聖女なんてよくわからないって」
「そうでしたね」
「でも、いつも同じように接してくれたじゃないですか…特別扱いも、された側も、どちらもせずに」
「前世が……いいえ。ただ、人と接するのにあまり区別をつけない性格なので」
「聖女様のそういうところが好きでした、お幸せに!」
「……ありがとうございます」
そしてマリアが、荷物のそばで待っていた。
「セラフィア様」
「マリア」
「最後に、一つだけ」
「何ですか」
「七年間の愚痴を聞いてもらっても良いですか。これが最後なので」
「どうぞ」
「あの副長様は、本っっ当に不器用です」
「ふふ、そうですね」
「七年間、来るたびに本当に言いたそうな顔をしていて、それで何も言わずに帰って」
「そうでしたね」
「全部気づいていたのに何もできなかった神殿の人間も、どうかしていますが」
「それは私も含まれますか」
「少し」
「でも…セラフィア様が選んだのでよかったです」
マリアが笑った。
「ええ、聞いてくれてありがとう」
「一つだけ私も、聞いていいですか」
「どうぞ」
「幸せに、なりますか」
「……なります」
「絶対ですよ、私との約束です!」
「ええ、絶対。約束です。」
マリアが少し泣いた。私も少し泣きながら、マリアとハグして別れた。
前世では「お疲れ様でした」と言って会社を後にする瞬間が怖くて怖くて仕方なかった。
でも今は、怖くなかった。
行き先があったから、だと思う。
「なぜそこまで」と聞いたら、
「当然のことをしたまでだ」と言われた。
当然のこと。
前世の職場では、残業を当然のようにして倒れた。
当然のことを当然のようにしてくれる人間に、こんな形で出会うとは思っていなかった。
門の外で、レイナルトが待っていた。
「寒くないか」
「もう三月ですよ、寒くありません」
「北風が強い、もう少し着込んだらどうだ」
「あなたが心配性なんです」
「お前が心配だから仕方ないだろう」
荷物を持ってくれた手が、少し温かかった。
「……まだ怒っているか」
「まあ、少し」
「そうか」
「でも、減っています」
「何が減らした」
「内緒、です。自分で考えてみてください」
レイナルトは何も言わなかった。
寒さのせいか、ほかに原因があるのか、耳が少し赤かった。
「さむいですね」
「ああ」
「春になったら、外でお茶を飲みたいですね」
「付き合う」
「……それだけですか」
「もう少し、言えることはないか」
「自分から言うものですよ、先に」
「……好きだ。今も」
「知ってます」
「それだけか」
「私もです。もちろん、七年間分」
「……それは重いな」
「受け取ってください」
「わかった」
「絶対ですよ」
「ああ」
私たちは並んで歩き出した。
「一つだけ聞いていいですか」
「何だ」
「あなたは…今、私にどうしたいか…聞きましたか」
レイナルトが少し考えた。
「……さっき、行くか、と聞いた」
「聞きましたね」
「聞いた」
「正解です。これからも聞いてください」
「わかった」
「絶対ですよ」
「二回言わなくていい」
「なんだかあなたが心配なので、何回も言います」
「……そうか」
並んで、歩いた。
神殿の鐘が、背中で大きく鳴った。
これは終わりの音ではなく、始まりの音だ。
【完】




