6話
学園長メルキオールから託された巻物は、古びた羊皮紙だった。そこに記されていたのは、魔法の理論ですらなく、筋肉の動きや呼吸のタイミング、そして魔力を「血」の一部として認識するための、極めて泥臭い身体操作の極意だった。
「魔力は熱ではない。それは、意志を運ぶための『流れ』だ。流れを止めれば淀み、加速させれば肉体を焼く。……常に、凪であれ」
深夜、寮の裏手にある誰もいない練武場で、カイルは巻物の言葉を反芻していた。
彼の「内燃循環」は、これまで出力のオンとオフしかなかった。それゆえに、一度使えば影狼王をも屠るが、同時に自分自身の肉体も崩壊の危機に晒す。
だが、この巻物が説いているのは「調和」だ。
(百の力を一瞬出すのではなく、一の力を、百倍の効率で回し続ける……)
カイルは目を閉じ、肺の隅々まで空気を取り込む。
体内の透明な魔力が、脈動に合わせてゆっくりと動き出す。
これまでは激流のようだった循環が、今は静かな小川のように、しかし確実に四肢の末端まで行き渡っていく。
「……ふう」
カイルが目を開け、傍らにあった木刀を振るった。
風を切る音すらしない。しかし、木刀が通り過ぎた後の空間には、微かな真空の歪みが残っていた。
「……誰だ」
カイルは背後の闇に声をかけた。
パチ、パチ、とゆっくりとした拍手が聞こえ、影の中から一人の男が姿を現した。
高等部三年、カイン・バートランド。先日倒したゼノスの兄であり、現「学園序列二位」の座にある男だ。
カインは、弟のような傲慢な笑みは浮かべていない。むしろ、その瞳には冷徹な観察者の色が宿っていた。
「見事な身のこなしだ。魔力の残滓を一切残さないその動き……なるほど、ゼノスが負けるわけだ。あいつは魔力の色に囚われ、本質を見失っていた」
「……弟の仇討ちか?」
カイルが木刀を構え直すと、カインは首を横に振った。
「あんな愚弟の不始末など、どうでもいい。だが、バートランド家の名誉は別だ。平民に土をつけられたままでは、父上への申し訳が立たない」
カインが腰の長剣に手をかける。その瞬間、カイルの肌を刺すようなプレッシャーが放たれた。ゼノスとは比較にならない、練り上げられた「蒼雷」の魔力。
「来週から始まる『序列決定戦』。貴様が予選を勝ち上がってくるのを楽しみにしている。……そこで、公式に貴様を『排除』してやろう」
「……期待に沿えるよう、努力するよ」
カインは翻って去っていった。その背中を見送りながら、カイルは冷や汗が背中を伝うのを感じた。
今の自分では、勝てない。
「最強」ではないが「強い」というレベルを、カインは遥かに凌駕している。彼は技術と魔力の両方において、この学園の頂点に近い存在だった。
翌日。学園の掲示板には、巨大な対戦表が貼り出された。
一学年から三学年まで、すべての生徒が実力のみで順位を競う「序列戦」。
その最下層に、カイルの名があった。
「カイル! 見たわよ、あなたの対戦相手!」
教室に入るなり、アイリスが駆け寄ってきた。彼女の手には、分析用のメモが握られている。
「予選の初戦は、二年生の魔闘士ね。接近戦を得意とするタイプだから、あなたの戦い方とは相性が悪いかもしれないわ。特訓に付き合ってあげましょうか?」
アイリスの気遣いは嬉しかったが、カイルは首を振った。
「ありがとう、アイリス。でも、今は自分の『型』を固めたいんだ。……それより、君の対戦相手は?」
「私? 私はシードだから、本戦からよ。……でも、油断はしていないわ。あなたに負けたままでいるつもりはないもの」
アイリスは誇らしげに胸を張る。その表情には、王女としての気高さと、一人の少女としての親愛が入り混じっていた。
カイルは、巻物の内容とカインの威圧感を思い出しながら、自分の掌を見つめた。
「無色の魔力」が、静かに、かつてないほど滑らかに巡っている。
最強への道ではない。
ただ、大切な場所を守るための、泥臭い勝利への道。
カイル・ヴァン・クロムウェルの、本当の意味での「戦い」が幕を開けようとしていた。




