2話
王立エリュシオン魔法騎士学園の入学式。それは、王国の未来を担う若き才能たちが、初めて公の場でその序列を誇示する儀式でもある。
大講堂は、重厚な石造りの壁と、色とりどりの魔力を放つステンドグラスに囲まれ、厳かな空気に包まれていた。列席する新入生の九割は、代々騎士や魔導師を輩出してきた貴族の家系だ。彼らの制服の胸元には、家紋をあしらった豪奢なブローチが輝いている。
その中で、カイル・ヴァン・クロムウェルは、浮いていた。
彼が支給された制服は、一見すれば他の生徒と同じ濃紺のブレザーだが、胸元には何の紋章もない。ただ一点、特待生を示す銀色の細い刺繍が施されているだけだ。そして何より、彼が放つ「気配」には、魔術師特有の華やかさが一切なかった。
「……静粛に」
壇上に立った学園長が声を響かせる。その一言だけで、会場のざわめきがぴたりと止んだ。
学園長は、王国屈指の賢者としても知られる老人だが、その眼光は鋭く、カイルの座る席を一瞬だけ射抜くように見た。
「今年の新入生は、例年になく豊作だ。特に、建国以来の天才と称されるアイリス殿下を筆頭に、既に実戦経験を持つ者も少なくない。だが、忘れるな。ここでは出自も過去の栄光も関係ない。あるのは、君たちが持つ力……その一転のみである」
建前だ、とカイルは思った。
学園長が言葉を終えると同時に、隣に座っていた大柄な少年が、カイルにしか聞こえないほどの低い声で毒を吐いた。
「『出自は関係ない』、か。笑わせるな。魔力も家柄もないドブネズミが、よくもまあ同じ席に座れたものだ」
カイルは視線を向けない。少年の名はゼノス・バートランド。名門バートランド伯爵家の次男であり、炎の魔術において高い適性を持つ。入学試験では次席だったが、カイルがアイリスを下したという「噂」を耳にし、激しい敵対心を燃やしていた。
「……何か言ったらどうだ、無色の。お前がアイリス様に勝ったという話、誰も信じていないぞ。試験官を買収したか、あるいは卑怯な手品でも使ったのだろう」
「……静かにしてくれないか。式典の最中だ」
カイルが淡々と答えると、ゼノスの顔に朱が差した。
「貴様、この俺に命令するのか……!」
ゼノスの指先に、小さな、しかし高熱を孕んだ火球が灯る。明らかに挑発だった。学園内での私闘は禁じられているが、魔力の制御が未熟な新入生同士の「事故」として処理される範囲なら、貴族の彼には痛手はない。
火球が放たれようとしたその時――。
「そこまでにしなさい」
冷徹なまでに響き渡る声。
講堂の最前列、王族専用の席に座っていたアイリスが、いつの間にかカイルたちのすぐそばまで歩み寄っていた。彼女の周囲には、触れれば火傷しそうなほどの圧力を伴った「紅蓮の魔力」が立ち昇っている。
「ア、アイリス様……!」
ゼノスは慌てて指先の火を消し、椅子から立ち上がって頭を下げた。
「ゼノス・バートランド。私の友人――いえ、私が認めたライバルに無礼を働くことは、私自身への侮辱と受け取っても構わないのかしら?」
「滅相もございません! ただ、この平民が不相応な態度を取ったもので……」
「不相応なのは、あなたの魔力制御よ。式典中に暴発寸前の魔力を練るなど、騎士の風上にも置けないわ。……行きなさい。これ以上見苦しい真似をするなら、私が直接、再教育を施してあげる」
アイリスの瞳には、一切の慈悲がなかった。ゼノスは顔を青白くさせ、捨て台詞一つ吐けずにその場を離れていった。
嵐が去った後、アイリスはカイルに向き直った。その表情は、先ほどまでの氷のような冷たさが嘘のように、どこか柔らかい。
「助かった。……いや、余計な世話だったかしら。あなたなら、あんな火遊び、瞬き一つで対処できたでしょうし」
「……感謝します。目立ちたくなかったので、助かりました」
「もう遅いわよ。あなたが私の喉元に剣を突きつけたあの瞬間から、あなたは学園で最も有名な『無能』にして、最も危険な『特待生』になったんだから」
アイリスはいたずらっぽく微笑むと、カイルの隣の空いた席に、当然のように腰を下ろした。王族が平民の隣に座るなど、前代未聞のことだ。講堂内の全生徒の視線が、針のようにカイルに突き刺さる。
「……アイリス様。そこは、その……」
「アイリスでいいと言ったはずよ、カイル。それに、今日から私たちは同じ『Sクラス』。席なんてどこでもいいでしょう?」
カイルは小さく溜息をついた。
彼が望んでいたのは、静かに実力を磨き、あの日自分を助けてくれた「騎士」の手がかりを探すことだった。しかし、目の前の奔放な王女は、それを許してくれそうにない。
「……分かったよ、アイリス。でも、手加減は期待しないでくれ。次の演習では、君も標的だ」
「望むところよ。今度は私の炎が、あなたの『影』を焼き尽くしてあげるわ」
二人の間で交わされた視線。それは甘いものではなく、互いの魂を削り合うような、純粋な武人としての共鳴だった。
式典が終わる頃、カイルは確信していた。
この学園生活は、決して平穏なものにはならない。
ゼノスのような貴族たちの嫉妬、アイリスへの過剰な期待、そしてカイル自身の「無色」に隠された秘密を狙う影。
カイルは制服の下、鍛え上げられた自身の腕を軽くさすった。
体内の魔力循環は、既に戦闘準備を整えるかのように、静かに、しかし熱く加速を始めていた。




