10話
心臓が、まるで内側から金槌で叩かれているような衝撃を刻む。
カイルの全身を包む白い蒸気は、肉体の限界を超えて循環する魔力が、汗を瞬時に蒸発させている証だった。
「カイル、だめよ! そんな力を使ったら、貴方の体が……!」
背後でアイリスが叫ぶ。だが、カイルは振り返らなかった。
上空、時計塔の真上に浮遊する巨大な魔導兵器——『虚無の門』。その中心部に収束するどす黒いエネルギーが、学園全体を消し飛ばすほどの出力を蓄えているのが分かった。
「……アイリス、信じてくれ。十秒で、終わらせる」
アッシュ・グレーンは剣を鞘に納め、壁に背を預けていた。その目は「やれるものならやってみろ」と、かつての教え子を試しているようだった。
(一秒……)
カイルが地面を蹴る。
爆音。足元の石畳が砕け、彼は重力を無視して時計塔の壁面を垂直に駆け上がった。
あまりの加速に、視界が歪む。風景が線となって後ろへ流れていく。
(二秒、三秒……)
塔の中層。教団の暗殺者たちが迎撃のために黒い槍を放つ。
カイルはそれを避けない。避ける時間すら惜しい。
彼は空中で体を捻り、最短距離の弾道を描く。掠めた槍が彼の肩の皮膚を裂くが、傷口からは血が流れる間もなく、高熱で焼けて塞がった。
(四秒、五秒……!)
塔の頂上、時計の文字盤の前に到達した。
魔導兵器の砲門から、漆黒の極大魔法が放たれようとしたその瞬間——。
「——させない!」
カイルは左手に残ったすべての魔力を集中させた。
学園長から授かった『魔流感知』。砲門の中心に渦巻くエネルギーの「結び目」を、彼は正確に見抜いていた。
(六秒、七秒……!)
カイルは鉄剣を逆手に持ち替え、自身の心臓の鼓動を剣へと「同調」させた。
透明な魔力が、剣身を純白の光へと変える。
「内燃循環——極点貫通!」
カイルの体が光の矢となり、砲門の渦中へと突っ込んだ。
漆黒のエネルギーと純白の閃光が衝突し、空が二色に割れる。凄まじい衝撃波が学園中を揺らし、窓ガラスがことごとく粉砕された。
(八秒……九秒……)
空中で、カイルは見た。
自分が破壊した『虚無の門』の奥。そこには、時計塔の地下から伸びる巨大な「魔力の鎖」がつながっていた。
教団の狙いは、学園を破壊することではない。
時計塔を触媒にして、地下に封印されていた「何か」を引きずり出すことだったのだ。
(十秒——)
光が収束し、魔導兵器は爆散した。
カイルの体から白光が消え、糸が切れた人形のように、彼は地上へと落下していく。
「カイルー!!」
落下するカイルを、空飛ぶ絨毯のような魔法を展開したアイリスが必死に受け止めた。
腕の中に落ちてきたカイルは、雪のように白く、意識を失っていた。呼吸は浅く、心臓の音は今にも止まりそうなほどに弱まり、不規則に乱れている。
「……よくやったと言いたいところだが。授業は落第(赤点)だな」
地上に降り立ったアイリスの前に、アッシュがゆっくりと歩み寄る。
彼は倒れたカイルを一瞥し、それから時計塔の地下へと続く地割れを見つめた。
「目当てのモノは、既に目覚めた。……お前たちの学園生活は、ここで終わりだ」
アッシュが指を鳴らすと、周囲の影の中から漆黒の門が現れ、彼を吸い込んでいく。
消え際、彼はアイリスにだけ聞こえる声で告げた。
「そいつを救いたければ、地下へ行け。……そこにお前たちが守るべき『嘘』と、そいつの命を繋ぐ『真実』がある」
教団の軍勢が霧のように消えていく。
後に残されたのは、半壊した学園と、傷ついた数百人の生徒たち。
そして、アイリスの腕の中で死の淵を彷徨う、一人の少年だった。
アイリスはカイルの冷たい頬を濡れた手で包み込み、地下へと続く暗い穴を睨みつけた。
「……まだ、終わらせない。私たちが、ここから全部やり直すのよ」
明日また続きを投稿します。




