第42話 カース・ネスト
四層の奥深く。
闇に沈む通路の先で、アルスたちはようやく一息ついていた。
だが、前方の広間ではなお黒紫の瘴気が脈打ち、そのたびにゾンビたちが低い呻き声を漏らしながら揺れている。
先ほど押し返したはずの群れは、まだ終わっていなかった。
ミリアが杖を掲げ、黒水晶に意識を向ける。
「あの……核……魔力を読み取ろうとしても、瘴気が強すぎて、正確には分からない……」
彼女の声は緊張を帯びていた。
アルスは剣を握り直す。
「無闇に近づくのは危険だ。まずは戦術を決めよう」
セレナが鋭い目で広間の奥を見据え、風の気配を指先に集める。
「私が風で道を開くわ。
アルスとフィアナは突破、ミリアは支援。
浄化は核の前まで温存よ」
ミリアは深く頷いた。
「はい……魔力を温存して、必要なときだけ使います」
フィアナが短剣を握り直し、尾を小刻みに振る。
「……私が湧き出しの方向と動きを見てみんなに知らせる!」
息を合わせ、四人は走り出した。セレナの指先から風の気配が立ち上り、真空の刃となって広間のゾンビたちを次々と切断していき道を作る。
その道の残ったゾンビをアルスとフィアナは、光の加護を宿した剣と短剣で斬り倒す。
ミリアは杖を掲げ、ホーリーシールドで味方を守りながら、三人と共に走る。
「アルス様、フィアナさん、もう少しです!」
フィアナが尾を振り、耳をぴくりと動かして報告する。
「右手に三体、左手にも湧き出してる! 注意して!」
ゾンビは無尽蔵に湧き出し、広間は消耗戦の様相を呈する。
しかし、連携攻撃と風魔法、聖なる光の加護により、確実に前進することができた。
やがて、四人は黒水晶の核の脇までたどり着く。
瘴気の濃度が増し、空気は重く、脈動する黒水晶が不気味な光を放っていた。
アルスが仲間を見渡す。
「ここからが勝負だ。ミリア、浄化の祈りが効くか一か八かだが、試すしかない」
ミリアは覚悟を決め、杖を高く掲げる。
「……わかりました、皆さん……私の事を守ってください!」
セレナは周囲のゾンビに風の刃を飛ばし続け、アルスとフィアナはミリアを死守するため近づくゾンビを切り倒していく。
フィアナは核の位置とゾンビの湧き出しを仲間に知らせ、アルスは剣を構え、狙いを定めた。
ミリアが深く息を吸い込み、杖を高く掲げる。
「――光満ちる琥珀の御座に坐します聖き御名よ。
この地に染みつきし穢れを拭い、闇を断ち切りたまえ。
死の鎖に囚われし者どもを解き放ち、安らぎへと導きたまえ。
我が声は微かにして脆くとも、願いはただ一つ――御身の清き光をここに顕現せよ
――聖光は降り注ぎ、穢れし骸を今こそ浄めん!」
その声が空間に響き渡ると、杖の先端から白銀の光がほのかに漏れ、徐々に周囲を包み込んでいく。
黒水晶は脈打つように揺れ、暗い瘴気を振りまきながら、周囲の空気をねじ曲げる。
瘴気が渦を巻き、うねるように動き、光の軌道を阻もうとする。
アルスは剣を握り直し、フィアナは尾を大きく振って仲間の安全を確保する。
セレナは指先に風の刃を集め、空間を切り裂く準備を整えた。
ミリアの詠唱が続くほどに、光は増し、杖から放たれる輝きが黒水晶を取り囲む。
瘴気は暴れ狂うように光に抵抗し、辺りに黒紫の霧が巻き上がる。
圧迫感で胸が締め付けられ、息を吐くのも一苦労だ。
「ミリア頑張れ……!」
アルスの声に応えようと、ミリアの祈りの詠唱に力が入る。
彼女自身も、瘴気の猛威に抗いながら魔力を集中させる必要がある。
脈動する黒水晶に光が触れた瞬間、核の表面に鋭い亀裂が走った。
黒紫の瘴気が悲鳴のように逆巻き、内部から白い光が噴き出す。
だが、それでも核はなお砕けず、執念のように脈打ち続けていた。
光と闇がぶつかり合い、空間全体が白と黒の渦巻く波動で揺れる。
ゾンビたちは混乱し、瘴気の中で動きが鈍る。
しかし湧き出す力はまだ衰えず、次々と這い出てくる。
アルスは剣を振り、フィアナも短剣で隙を突き、セレナは風の刃で道を切り開く。
ミリアの祈りの詠唱はさらに力を増す。
杖から放たれる光は鋭く、まるで黒水晶の中に光の刃を突き刺すかのように躍動する。
黒水晶のひびが更に大きくなり、脈打つ光が弾け、瘴気が舞い上がるたびに空間が震えた。
祈りの詠唱が終わったが、核を完全に破壊するまでには至らなかった。
「もう魔力が……」
ミリアが魔力切れで膝をつき倒れそうになるのをセレナが支える。
「――まだだ、終わらせない!」
アルスは踏み込み、霊核鍛造ブロードソードを両手で握り締めた。
ミリアの光が穿った亀裂めがけ、渾身の一撃を叩き込む。
刃が食い込んだ瞬間、黒水晶は甲高い悲鳴のような音を立て――次の瞬間、粉々に砕け散った。
瘴気は一気に霧散し、広間を埋めていた呪いの気配が嘘のように消えていく。
ゾンビの湧き出しも、そこでようやく止まった。
残ったゾンビたちは目に見えて動きが鈍くなり、アルスたちはそれを難なく掃討していった。
すべてのゾンビを倒し切ると、カース・ネストがいた場所には黒水晶の破片と、鍵が落ちていた。
「……なんだ、この鍵は?」
アルスが黒水晶の破片の中から、ひときわ異質な金属の鍵を拾い上げる。
フィアナが目を輝かせて身を乗り出した。
「宝箱……かも? でも、こんなところで落ちるなんて、普通じゃないよね」
セレナも鍵を見つめ、静かに眉を寄せる。
「少なくとも、ただの報酬じゃなさそうね」
――その時、広間は清らかな光に包まれ、かつての禍々しさは嘘のように消え去った。瘴気は霧散し、石壁には柔らかな輝きが広がっていく。
「無理しすぎよ、ミリア。今は休んで」
「……す、すみません……。でも……もう、嫌な気配がしません……。
ここだけ、まるで聖堂みたいに静かです……」
消え入りそうな声で告げると、ミリアはセレナの腕に支えられながら安堵の笑みを浮かべた。
アルスはその様子を見守りながら、剣を鞘に収めて小さく息を吐いた。
「……よくやった、ミリア」
その言葉に、ミリアの頬は赤く染まり、弱々しいながらも微笑みを浮かべる。
(――ちょ、ちょっと待って!? 今……アルス様、わたしに「よくやった」って……!?
しかも、あんな優しい声で……ひゃぁぁぁ……!
だ、だめ、尊死する……! 汗で前髪は張り付いてるし、絶対に顔もぐちゃぐちゃなのに……!
こんな顔で微笑んじゃったよぉぉ……!
ああもう、この瞬間、心のスクショしたい……! 誰か保存してぇぇぇ!!)
ミリアの内心は一瞬で爆発し、脳内で赤い警報が鳴り響いていた。
だが、外から見れば、ただ恥じらいに染まった少女がかすかに微笑んでいるだけだった。
アルスたちはようやく深く息をつき、互いに無事を確かめ合った。
セレナは矢を数え、残りの本数を確認しながら軽く肩を回す。
フィアナは水筒を口にし、疲れた尾を床に横たえた。
アルスも剣の刃を拭いながら、仲間の顔を順に見回す。
ミリアは背中の荷を下ろし、布の切れ端で額の汗を拭った。
荒い息を整えながらも、どこか安心したように微笑み、小さく水筒を回して喉を潤す。
その仕草には、緊張から解き放たれた安堵と、まだ心臓の鼓動が落ち着かない余韻が滲んでいた。
しばしの休息。張り詰めていた空気が少しずつ緩み、焚き火にも似た穏やかな安心感が広間に満ちた。
やがて、フィアナが耳を動かしながら広間の隅々を歩き回り、ふと立ち止まった。尾を小刻みに揺らしながら仲間を呼ぶ。
「ねえ……あそこ。鉄格子があるよ。扉になってる」
四人の視線が広間の奥へと集まる。そこには重々しい鉄格子の扉があり、しっかりと鍵がかかっていた。
「……次は、あれを開けることになるな」
アルスが低く呟く。
聖なる光に満ちた広間で、四人はようやく束の間の安堵を得た。
だが、鉄格子の向こうに待つものが、この四層最大の秘密であることを――この時の彼らは、まだ知らなかった。




