第39.5話 砂晶の夜に憧れる(フィアナ外伝)
夕暮れの街外れは、日中の喧騒が嘘のように静まり返り、冷たい風が頬を撫でた。
フィアナは背中に小さな荷物を背負い、薄汚れたマントを羽織って、街道の脇に腰を下ろした。
「……今日も、宿代には届かなかったか」
小さな依頼を何件もこなしたが、まともに報酬を得られたのはほんの少し。
宿に泊まるお金など、とうの昔に尽きていた。
昼間、街の冒険者ギルド前を通りかかると、仲間と中級依頼に挑む冒険者たちが忙しなく行き交っていた。
その姿に、胸がぎゅっとなる。
「私も……あんなふうに仲間と戦えるようになりたい……」
その夜、街外れで野宿していたフィアナの頬を、少し冷たい夜風が撫でた。
マントをきつく抱きしめ、膝を抱える。
遠くに見える街の灯りがわずかに揺れ、地面に落ちる影が淡く反射していた。
静寂が広がる。足音も、風のざわめきも、時折夜鳥が鳴く以外は何も聞こえない。
誰もいない、この広い世界の片隅で、ひとり座る自分の小ささを改めて思い知らされる。
暖かい寝床も、仲間の笑い声も、今日は何もない。
ただ、冷たい夜と自分の呼吸だけが確かにある。
そのとき、遠くの街道沿いに、見覚えのある影が見えた。
アルスたち――あの三人組だ。
鋼の光を宿した剣を携えたアルス、その横で優雅に弓を操るセレナ、そして後ろでにこやかに微笑みながら杖を持つミリア。
フィアナの目は自然と追った。
彼らの歩く姿は、ただ戦うだけではなく、互いを信頼し、補い合う空気に満ちていた。
「……すごいな……」
言葉にならない憧れが、胸の奥で熱を帯びる。
自分はまだ、ひとりで小さな依頼をこなすだけ。
でも――あの三人のように、人のために戦える冒険者になりたい。
……そして、彼らを初めて見た夜のことを、今もはっきり覚えている。
ギルドの夜。
酒の匂いと、木の床に響く笑い声。
けれど、わたしの席だけは静かだった。
依頼を終えて報告を済ませ、水の入ったカップを両手で包んでいると――その声が聞こえた。
「ええ。今日から正式にパーティを組もうと思いまして」
男の人の声だった。
柔らかいけど、芯のある響き。
顔を上げると、受付の前に立つ二人がいた。
一人は人間の青年。
その隣に立つのは銀の髪を持つエルフ、セレナだった。
ざわ……と、周囲の空気が変わった。
奥のテーブルの冒険者たちが一斉にこちらを見て、誰かが低く呟く。
「セレナ……“孤高の琥珀”が……?」
その名を聞いた瞬間、わたしの耳がぴくりと動いた。
知っている。いや、知らない冒険者なんていない。
“孤高の琥珀”――一人で中級の依頼をこなし、人と組むことを拒むと噂されるエルフの弓使い。
目の前の光景が信じられなかった。
どうして? どうしてあの人が――?
青年の方が、少し照れたように頭をかく。
「まだ未熟ですけど、彼女とならきっと……」
その言葉を聞いた時、胸の奥がきゅっとなった。
彼はただ“仲間を得た”というより、“信頼している”ように見えた。
ある日の午後。
ギルドの掲示板の前で、わたしは依頼書の束を見つめていた。
素材集めならできる。でも報酬は少ない。
討伐や護衛の依頼は報酬が良いけれど――わたし一人では危険すぎる。
そんなとき、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「じゃあ、三人で分けようか」
アルスの声だった。
思わず振り向くと、ギルドの酒場の奥――木のテーブルに腰かけたアルスたちの姿が見えた。
彼は冒険者報酬の袋を開き、手のひらの上で硬貨を三つに分けている。
その隣にはセレナ……そしてもう一人、金髪の女性――ミリアが並んでいた。
陽の光を受けて輝く金髪、胸元を包む修道服――まるで聖堂から抜け出してきたような、美しい修道女だった。
その光景を見て、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
……一人、増えてる。
セレナも彼女の隣に座って微笑んでいて――三人が並ぶ姿は、もう『理想のパーティ』そのものだった。
あの輪の中には、もうわたしの入り込む余地なんてない――そう思ったのに、目を逸らすことができなかった。
わたしは掲示板の陰から、しばらく動けなかった。
あの人たちの世界は、わたしが届かない場所にある。
そう思えば思うほど、心の奥で何かがざわめいた。
――それでも、いつか追いつきたい。
そして、また別の日。
夕刻のギルドの扉が勢いよく開いた。
振り向いた瞬間、息をのむ。
アルスたち三人が、満身創痍の姿で戻ってきたのだ。
鎧は傷だらけで、セレナの腕には包帯。
ミリアの頬には煤がついている。
「……ダンジョンの三層で、例の魔物にやられたらしい……」
誰かの声が聞こえた。
どうやら、強力な魔物に遭遇して撤退したらしい。
アルスは傷だらけだった。
それでも仲間を先に気遣っていた。
その姿を見た瞬間、胸の奥が熱く痛んだ。
ただ格好いいだけじゃない。
こんなふうに誰かを守ろうとする人のそばに、わたしも立ちたかった。
わたしはカウンターの陰から、その姿を見つめる。
――力になりたい。
ただ見ているだけじゃなく、あの人の役に立ちたい。
でも、どうすれば……?
自分にできることを探そうとしても、何も浮かばない。
胸の中で焦りと悔しさが混ざり合い、手が震えた。
ギルドの灯りが落ち始める頃、わたしは拳を握った。
「強くならなきゃ」
その小さな声は、誰にも聞こえなかったけれど――
あの夜、フィアナの中で初めて“冒険者としての炎”が静かに灯った。
別の日の夜、赤い月亭――。
店の扉越しに漏れる灯りと笑い声に、胸が少し高鳴る。
香草と肉の香りが漂い、店内にいる全員の心が温まるのを、遠くからでも感じられた。
わたしはそっと影に隠れ、三人を探す。
「あ……いた」
アルスが笑顔で言い、セレナが隣に座る。さらにもう一人、金髪の女性――ミリアが並んでいた。
ふんわりとした修道服に包まれたその姿は清楚で、思わず息をのむ。
ミリアは大皿のケーキを前に目を輝かせ、セレナも赤ワインを口に含んで微笑んでいる。
アルスは二人の様子を見つめ、柔らかな笑みを浮かべていた。
「これからも……一緒に、だな」
アルスの小さなつぶやきに、セレナとミリアは同時にうなずく。
わたしは物陰からその光景を見つめていた。
三人はわたしの存在に気づかず、笑い、食事を楽しんでいる。
その姿に、胸がぎゅっと締めつけられる。
――いつか、あの隣に立ちたい。
遠くからでも、ただ見ているだけで心が満たされるのと同時に、焦りと悔しさも湧いてくる。
赤い月亭の暖かな灯りの下、三人の笑顔は戦いの疲れを溶かし、次なる冒険への力へと変わっていく。
わたしはその光景を胸に刻み、また静かに誓った。
――もう、ただ見ているだけじゃダメだ。
あの人たちの隣に立ちたいなら、動かなくちゃ。
手が自然と握り拳になった。
(……よし、直接言おう。わたしをパーティに入れてください――)
そう決めたはずなのに、その夜はなかなか眠れなかった。
もし断られたらどうしよう。
迷惑だと言われたら?
笑われたら?
胸の奥で、弱い自分が何度もささやく。
それでも、目を閉じると浮かぶのは――
あの三人の背中だった。
互いを信じて戦う姿。
傷だらけでも笑うアルス。
その隣で弓を構えるセレナ。
そして後ろで優しく微笑むミリア。
「……行こう」
小さく呟き、フィアナはマントを握りしめた。
夜がゆっくり明けていく。
そして――
翌朝。




