第34話 新たな力
ギルドの重い扉を押し開けると、夜気を連れ込んだように冷たい空気が流れ込んだ。
アルス、セレナ、ミリアの三人は、疲れた体を引きずるように中へと入る。
先の戦闘の緊張が、まだ胸に残っていた。
「……戻ったのですね」
受付のカウンターから、柔らかな声が響いた。
リナ――王都本部の受付嬢は、三人の姿を見てほっと息をついた。
「本当に……無事でよかったです」
言葉に安堵をにじませながらも、その表情にはすぐ不安の色が差す。
アルスの肩は重く沈み、セレナの足取りはふらつき、ミリアの顔色は青ざめていた。
――ひどく疲れている……。
胸に手を当てて祈るように一瞬視線を落としたリナは、すぐに受付嬢としての落ち着いた顔に戻る。
「……状況をお聞かせください」
三人の簡潔な報告を受け、リナは静かに頷いた。
アルスが疲れ切った表情で「カーミラ・ウィスプ……」と呟く。
危険な魔獣の名が口にされた瞬間、彼女の瞳がわずかに揺れる。
(やはり……軽い判断で挑む相手ではありませんね)
「……分かりました。では、情報屋を紹介します。
その魔物は三層の強力な魔物ですので、
カーミラ・ウィスプという魔物について確認してください」
リナは少し間を置いてから、事務的な口調へ切り替えた。
「ご案内いたします。こちらへ」
小部屋には古びた羊皮紙と魔法陣の資料が広げられ、
蝋燭の炎がちらちらと書面を照らしていた。
老練な情報屋は、皺だらけの指で紙を押さえ、低い声で語り始める。
「カーミラ・ウィスプ――
黒い霧状の体に赤い瞳を持つ魔。
浮遊し、接近戦も可能……
幻惑の力で侵入者を惑わし、恐怖で足を竦ませる。
霧を斬ろうが意味はない。
狙うはただ一つ……魔力核。
怯ませるには、目を狙うと良い」
アルスは剣の柄を無意識に強く握った。
セレナは奥歯を噛みしめながら、老情報屋の言葉を聞く。
ミリアは小さく息を呑み、杖を抱きしめる手に力を込めた。
「……なるほど。弱点は目と核か……」
アルスが呟く。
「狙いを外せば、逆に呑まれる。
だが、そこを突ければ必ず崩れる」
老情報屋の言葉は重く響き、三人の胸に戦略の輪郭を描いた。
焦燥と不安で乱れていた心が、少しずつ整理されていく。
部屋を出るとき、リナがまたカウンターから声をかけた。
「……どうか、気をつけてくださいね」
控えめな笑顔と一言だけ。
アルスは「ありがとう」と短く返し、次の一歩を急ぐ。
その背中を、リナは黙って見送った。
――届かない。
分かっている。
それでも、無事でいてほしいと願わずにはいられなかった。
ギルドを後にした三人は、夜の街を歩きながら教会へと向かった。
鐘楼が見えてくると、不思議と胸のざわめきが鎮まっていく。
聖堂の扉を押し開けると、
ひんやりとした静寂と祈りの気配が迎えてくれた。
ステンドグラスを通った月光が床を照らし、長椅子には誰もいない。
三人は自然に祭壇の前へ進み、静かに膝をついた。
ミリアは杖を胸に抱きしめ、唇を震わせて祈る。
「どうか、私たちに力を……
アルス様、セレナさんを守れる力を……」
セレナは両手を組み、瞼を閉じた。
「恐怖に負けず……
アルスを守る力を。私に、ください」
アルスは剣を膝に置き、深く息を吐いた。
戦場の光景が、唐突に蘇る。
黒い霧。
赤い瞳。
――仲間が、壊れていく音。
アルスの喉が鳴った。
息を吸おうとして、うまく吸えない。
ここは教会だ。
安全だ。分かっている。
それでも、霧はまだ胸の奥に残っていた。
「……次こそ、仲間を守り抜く――」
その瞬間だった。
風が、微かに揺れた。
だが次の瞬間、セレナの肩がびくりと跳ねる。
――また、来る。
霧が、幻が、恐怖が。
それでも彼女は目を閉じなかった。
「……私は、逃げない」
セレナの周囲に淡い風が舞い、彼女の髪を揺らす。
視界の揺らぎが薄れ、胸の奥に潜む恐怖がふっと和らいでいく。
「これは……」
セレナの中で、新たな力が息づいていた。
――《ウィンドガーディアン》。
風精霊の加護が、仲間に幻惑耐性を与える力。
同時に、ミリアの両手から光が滲んだ。
けれどそれは、最初震えていた。
祈りの言葉が喉で詰まり、息が細くなる。
(もし、また……)
それでもミリアは祈り続けた。
震えた光が、やがて形を成す。
光が広がると、冷えていた指先がじんと熱を取り戻した。
蝋燭の甘い匂いの奥で、
鈴のような余韻がひとつ鳴った気がした。
「……これが……私の祈りの答え……」
――《ルミナ・フォルティス》。
仲間の攻撃と防御を支える、小さな祝福の魔法。
アルスは静かに、その様子を見守っていた。
胸の奥に澄んだ冷静さが宿り、
剣の重みが自然と手に馴染む。
覚醒はなくとも、心は確かに整えられていた。
聖堂の空気が柔らかく震え、三人を包み込む。
不安と恐怖に押し潰されかけていた心は、
今、決意に変わろうとしていた。
「私は必ず、アルスを支える」
「アルス様を守る力、絶対に届ける」
「……必ず倒す。次こそ」
三人の心が一つになり、
静かな聖堂に誓いの言葉が響いた。
*****
祈りを終え、三人は教会を後にした。
夜の街は静まり返り、
石畳を踏みしめる足音だけが響く。
「宿に戻ろうか」
アルスの声に、二人も頷いた。
その宿は王都でも清潔さで評判の場所だった。
カウンターで部屋を手配した後、
ミリアが少し頬を染めて告げる。
「わ、私も……今日は同じ宿に泊まりますね」
「もちろん。一緒のほうが安心だ」
アルスの何気ない返事に、彼女の表情が緩む。
三人は並んで階段を上がり、二階の廊下へと足を進めた。
それぞれの扉が並ぶ中、
アルスとセレナが迷いなく一つの部屋に入っていく。
「おやすみなさい」
ミリアも笑顔で手を振り、自分の部屋に向かおうとした。
――が、ふと足が止まる。
(えっ……今、アルス様とセレナさん……
同じ部屋に入った!?)
脳内で鐘が鳴り響く。
(ちょ、ちょっと待って!?
あれってまさか……
“同室イベント”発生じゃない!?)
(え、ちょ、心の準備が……
私まだ読者モードなんですけど!?)
頬が一気に熱くなり、
頭の中で勝手に物語が膨らんでいく。
(くぅぅっ……羨ましい!
セレナさんずるいですぅ!
アルス様と一つ屋根の下、同じベッドで――
いやいやいやいやっ、落ち着け私!
だ、だってそういう場面って!
物語なら絶対スキップされるやつでしょう!?
え、えぇ!?
まさか、この世界ってスキップされないの!?
ひゃああああ!)
小さく悲鳴を飲み込み、両手で顔を覆う。
そのまま慌てて自室の扉を開け、
真っ赤になったまま飛び込んでいくのだった。
――けれど鼓動が、
あの赤い霧の音と重なりそうで、
ミリアは息を止めた。




