第19話 朝の訪問
朝の王都は、夜の静寂を抜け出し、少しずつ賑わいを取り戻しつつあった。
石畳には朝露が光を受けて小さな宝石のように輝き、露店では店主たちが木箱を運びながら威勢の良い声を上げている。
パン屋の窓からは焼きたての香りが漂い、通りを行き交う人々の足取りを軽やかにしていた。
道端で遊ぶ子供たちの笑い声、街角の猫のしなやかな動き、馬車の車輪が弾む音――細やかな音や匂いが朝の街に溶け込み、王都の日常を鮮やかに彩っていた。
そんな王都の片隅にある宿屋で、アルスはまだまどろみの中にいた。
昨夜は赤い月亭での食事とセレナとの会話で胸が高鳴り、なかなか寝つけなかったのだ。
――トントン。
控えめなノックの音で、アルスは目を覚ました。
「……誰だろう?」と寝ぼけ眼で扉を開けると、そこに立っていたのは白いフードをかぶったセレナだった。
銀髪が朝の光を柔らかく反射し、澄んだ瞳はわずかにためらいを含みながらも真っ直ぐに彼を見つめている。
「セ、セレナさん……? どうしてここに?」
アルスの声は驚きで少し裏返った。
セレナは軽く息を整え、いつもの淡々とした口調で答える。
「……一緒に朝食をと思って。昨日の続きも、まだ話していなかったから」
その言葉にアルスは瞬きを繰り返した。
宿屋の主人が階段の下から顔を出し、にやりと笑う。
「おやおや、朝から随分と仲睦まじいね。若いもんはいいことだ」
「ち、違っ……!」
慌てるアルスを横目に、セレナは涼しい顔で一歩前に出る。
「……誤解されても気にしないわ。事実、私があなたに会いに来たのだから」
その真っ直ぐな言葉に、アルスの胸は一瞬止まるような高鳴りを覚えた。
彼女の言葉は飾り気がなく、それだけに強く心に響く。
二人は宿屋を出ると、街路に伸びる朝の光が二人の影を長く伸ばし、石畳の上に寄り添うように映し出した。
「セレナさんが、わざわざ迎えに来てくれるなんて……正直、意外でした」
アルスが歩きながら言うと、セレナはわずかに肩を揺らす。
「……別に、大したことじゃないわ。あなたが寝坊して、集合に遅れると困るから」
「寝坊……って、いや、そんなに寝坊助じゃないですよ!」
抗議するアルスに、セレナは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「……そうかしら?」
道中、二人の周囲には朝の生活の音と匂いが溢れていた。
露店の店主が魚を並べ、野菜を呼び込み、パンの香りが漂う。
子供たちが石畳で走り回り、馬車が通るたびに小さな衝撃が足元に伝わる。
アルスは思わず足を止め、ふと笑みを漏らした。
「王都って……朝からこんなに活気があるんですね」
セレナは目を細め、足元を確かめながら微笑む。
「……ええ。こういう日常の匂いや音を聞くと、少し安心する」
アルスは胸の奥に小さな温かさが広がるのを感じた。
その微笑みは、昨日までの彼女には見られなかった柔らかさを含んでいた。
アルスは胸の奥がむず痒くなるのを感じ、思わず目を逸らす。
やがて、赤い月亭の前に着くと、窓からはもう湯気と香ばしい匂いが漂っていた。
扉を開けると、女将マルタが元気な声で迎える。
「まあまあ、朝から二人一緒とは……。すっかりお似合いじゃないの。まさか昨晩は――なんてこと、ないわよね?」
からかうように片眉を上げるマルタに、アルスの顔が真っ赤になる。
「な、なに言ってるんですか! そんなわけ――っ!」
「はははっ、冗談だよ冗談。あんたの顔、茹でたタコみたいじゃないか」
マルタは楽しそうに笑い、セレナの方へ目を向ける。
「で? 彼のどこが気に入ったんだい?」
「……そうね。真っ直ぐで、危なっかしいところかしら」
その何気ない言葉に、アルスは一瞬息を止める。
マルタは「お熱いこと」と笑いながらアルスを見る。
アルスが顔を赤らめる一方、セレナは動じず席に座る。
「……朝食をお願い。二人分」
マルタはにっこり笑い、「はいはい」と奥に引っ込んでいった。
二人は食事が来る間、言葉を交わす事無く無言でお互いを意識するものの気まずい雰囲気を漂わせていた。
そこへマルタが食事を持ってくる。
「二人とも朝から何気まずそうにしてるの」
マルタは食事をテーブルに並べながら二人を見て
「まさか、あんた達……本当に昨夜は――」
「違いますっ!」
アルスが真っ赤な顔をして即座に反応する。
「なら、これを食べながら会話をして明るくしな」
テーブルに並んだパンとスープを前に、アルスは少し落ち着かずに姿勢を正す。
セレナはスープを口に運びながら、ふと視線を彼に向ける。
「……こうして一緒に朝の食事をするのは、悪くないわね」
「え……?」
「朝食を人と一緒にするのは、随分と久しぶりだから」
アルスは息を呑む。
彼女の声は静かだが、その奥には孤独の影と、ほんの小さな温もりが混じっていた。
「それなら、これからは……一緒に食べませんか?冒険の仲間なんですから」
そう言うと、セレナはほんのわずかに笑みを深め、目を細めた。
「……そうね。あなたとなら、それも悪くないわ」
少し沈黙が流れ、湯気が二人の間をゆらりと揺らす。
アルスはパンをちぎりながら、少し真面目な声で言った。
「このあと、どうしますか? 次の探索予定とか……」
セレナはスープを一口飲み、穏やかに答える。
「まずはギルドに寄って、正式に登録しておきたいわ。あなたとのパーティとして」
「パーティ……」
その言葉の響きに、アルスの胸が高鳴る。
セレナは軽く息を整え、続けた。
「それと、王都の依頼をいくつか受けてみましょう。
魔獣の討伐や護衛任務なら、あなたの動きを試すのにちょうどいいわ」
「……なるほど。最初は慣らしですね」
「ええ。焦らず確実に。小さな依頼でも、経験は積み重なるものよ」
アルスは少し笑みを浮かべた。
「じゃあ、今日は一緒にギルドへ行きましょう。セレナさんとパーティを組むって、なんだか実感が湧いてきました」
セレナも柔らかく微笑み返す。
「ふふ……そう言ってもらえると嬉しいわ。頼りにしているから、しっかりね」
アルスは姿勢を正し、真っ直ぐに彼女を見た。
「はい。……今度は、ちゃんと守り抜きます」
セレナは少しだけ目を細め、穏やかに頷いた。
「……ええ。期待しているわ、アルス」
窓から差し込む朝の光が、二人の間を柔らかく照らしていた。
寄り添うように並んだ影は、これからの日々を静かに示すかのように揺れている。
そして――。
新たに始まる日常と冒険の予感に、アルスの胸は小さく震えていた。
昨日まで一人で歩んでいた道が、今は二人の足音で刻まれていく。
それは、この王都で始まる新たな冒険の幕開けを告げるかのように、鮮やかで清々しい朝だった。




