第18話 セレナ
夜の王都は、昼間の喧騒とは打って変わり、静かで柔らかな灯りに包まれていた。
石畳に揺れる街灯の光、遠くからかすかに聞こえる人々の笑い声、夜風に揺れる看板の音――小さな音ひとつひとつが、街全体の静寂を豊かに染めていた。
通り沿いの家々の窓からも、柔らかな光が漏れ、夜の街に小さな星がひとつずつ灯るようだった。
赤い月亭の窓からは、さらに温かな光がこぼれ、街の暗がりの中でひときわ目立っている。
アルスは少し緊張した面持ちで扉を押し開けた。白いフードの彼女に「話がある」とだけ告げられ、夜の街を共に歩いてここにたどり着いたのだった。
店内に入ると、木の床がきしむ音と、暖かな灯り、香ばしい料理の匂いが迎える。
アルスは奥の席に腰を下ろし、気を落ち着けるように深く息を吐いた。
彼女は向かいの席に静かに座ると、メニューをちらりと見ながらも、何度もアルスの顔を確認するように視線を送っていた。
白いフードの下から覗く銀髪が月明かりに揺れ、澄んだ瞳がアルスを捉える。
その視線には冷静さと同時に、わずかな興味と好奇心が混じっていた。
アルスはふと、フードの下から僅かに見える彼女の輪郭に気づく。
すらりとした首筋から肩へ、細いながらもしなやかで美しい曲線を描いていた。
外套の下でも均整のとれた体つきがわかり、アルスは思わず視線を逸らす。心の奥が熱くなるのを抑えつつ、呼吸を整えた。
その時、店内に元気な声が響いた。
「アルス!今日も元気に冒険してきたのね!」
振り返ると、女将マルタが笑顔で立っていた。
アルスは少し照れながらも「ええ、少し疲れましたが」と返事をする。
彼女はマルタを一瞥し、静かに身を引くように動いた。その動作には警戒心と慎重さが混じり、腰を下ろす所作ひとつにも無駄がなく、戦士としての緊張感と気品が漂っている。
アルスが最近の依頼の話を簡単に報告すると、彼女は淡々と口を開いた。
「……あなたの動き、無駄がなく、判断力も悪くないわ」
アルスは少し照れながらも、内心では誇らしい気持ちが湧く。
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「だから……なぜ新人冒険者があんなに動けるのか気になってね」
セレナが率直にアルスに問いかける。
「たぶん、村で剣や動きを教わったからかな……」
アルスは少し思い出すように答えた。
「良い人に教わったのね」
彼女は小さく頷き、視線をメニューに戻すが、時折アルスに向ける目は柔らかく、わずかに好意を含んでいるように見える。
やがて、彼女はゆっくりと白いフードを取り、顔を現した。長い銀髪と精緻なエルフの顔立ちが浮かび上がり、アルスは息を呑む。均整のとれた輪郭、大きな瞳、そしてわずかに紅を帯びた唇――その美しさは「綺麗」という言葉では収まりきらなかった。
「私はセレナ……セレナ・リラエル・シルヴィーナよ……よろしく」
その声は落ち着いて冷静だが、わずかに優しさを帯びている。
「……え、あ、はい。よろしくお願いします」
アルスはぎこちなく返事をする。
セレナは、自然な仕草でアルスの隣に座った。すると、さりげなくアルスの飲み物が少なくなっているのに気づき、指先でグラスを軽く押し、手助けするように促す。そのしなやかな指先の動きに、アルスは思わず視線を奪われた。
「これも頼んでおくわね」
と、アルスの代わりに簡単な料理を注文する。驚きつつも、居心地の良さを感じるアルス。
ここでアルスが当然の質問をするために声を出す。
「今日は、どうして急に話があると言ったんですか?」
アルスが尋ねると、セレナは少し視線を逸らし、淡々と答える。
「……あなたに、少し付き合ってもらいたかっただけよ」
「付き合うって……えっと、冒険にですか?」
アルスが首を傾げると、セレナは口元にわずかに笑みを浮かべる。
「そう。今後、行動を共にすることになるかもしれないし、最初から顔を合わせておいたほうがいいと思ったの」
アルスは少し赤面しながらも、心の中で納得する。
「……私は長い間、孤独に旅をしてきたの。人間と関わるのは、正直慣れていなくて……戸惑うことも多いのよ」
セレナが視線を落としながら、少しだけ胸の内を打ち明ける。
「そうだったんですね。でも、森での戦いの時、あなたが助けてくれたこと……忘れられません」
アルスは正直な気持ちを告げる。
「……あの時は、放っておけなかっただけよ」
セレナは淡々と頷く。
アルスは思わず笑みを浮かべる。
「でも、ありがとう。心強かったです」
セレナも軽く笑い返し、アルスの皿に少し手を伸ばして取り分ける。その仕草でわずかに揺れる胸元に、アルスは気づかぬふりをして目を逸らした。
「……少しだけ、気を使ってあげるわ」
その仕草に、アルスの胸の奥が温かくなる。
マルタは二人のやり取りを温かく見守りつつ、軽く突っ込みを入れる。
「まあまあ、二人とも、食事ぐらいゆっくり楽しみなさいよ」
食事を終え、二人が赤い月亭を出る。夜風が石畳をひんやりと冷やし、街灯に揺れる二人の影は寄り添うように映る。
赤い月亭の灯りが後ろに小さく揺れ、街路樹の影が足元を柔らかく包む。
遠くに見える王都の灯りは小さく瞬き、星空と街灯が混ざり合った幻想的な夜景を作っていた。
街角の小さな屋台の明かりや川沿いのランプのきらめきも、二人の後ろ姿を柔らかく照らしている。
アルスが少し照れながらも、正直な気持ちを口にする。
「セレナさんと一緒に戦ったとき……本当に助けられました。あの時、僕がどれだけ安心したか、言葉では言い表せません」
セレナは目を細め、しばしアルスを見つめたあと、静かに口を開く。
「……あなたがあんなに必死に戦う姿を見て、私も……守らずにはいられないと感じたのよ」
アルスは驚き、胸の奥が温かくなるのを感じる。
「……そう言ってもらえると、僕も勇気が出ます」
セレナは軽く息を吐き、口元にわずかに笑みを浮かべる。
「だから……一緒にいても、悪くないかもしれないと思ったの」
セレナは自然にアルスの少し前を歩き、時折ちらりとアルスを確認する。その姿は戦士のような引き締まった体つきと、女性らしいしなやかさが同居していた。歩きながら、ふと静かに口を開く。
「……これからは、私もあなたと一緒に行動することにするわ」
アルスは驚きつつも、その言葉の温かさに心が落ち着く。
「え……はい。お願いします」
アルスは心の中でつぶやく。
(この人となら、一緒にやっていけそうだ……)
セレナは柔らかく微笑み、アルスの肩に軽く触れる。
アルスは一瞬固まるが、照れつつも不思議と心が温かくなる。
赤い月亭の灯りが遠ざかるにつれ、街灯に照らされた二人の影は寄り添うようにひとつに重なり、王都の夜景に静かに溶け込んでいった。
マルタは店の前から二人を見送り、微笑みながら呟く。
「ふぅ……これは強敵が現れたね。あの子……リナはどうするんだろうね」




