第15話 森の邂逅
王都郊外の森は昼間でも薄暗く、木々の間を吹き抜ける風がざわめいていた。
枝葉が互いにぶつかる音、小鳥の警戒するさえずり、遠くでかすかに聞こえる動物の足音――すべてが森の静寂に緊張を刻む。
アルスは軽い依頼――森の見回りの任務を受け、単独で現地に向かっていた。
「今日は大したことはないだろう」
そう思いつつも、胸の奥には小さな緊張が潜んでいた。単独行動は油断が命取りになる。剣の柄に指をかけ、警戒心を高めながら進む。
やがて遠くから、低く唸る獣の声と、木々が割れる鈍い音が聞こえてきた。
「……この声、狼じゃないな」
アルスは瞬時に剣を握り直し、音の方向へ足を進める。草や枝が足元でかさりと鳴り、心臓の鼓動が徐々に高まる。
視界が開けると、信じられない光景が広がっていた。
巨大な牙熊が森の小道を荒らし、木々を押し倒して暴れている。
そして、その前に立つのは見覚えのあるフードの人物だった――王都に来る途中の馬車の中でちらりと見かけ、街中でも何度か目にしたあの人物である。
白いフードの下からは、細身の体躯がしなやかに動き、弓と風属性の小規模魔法を駆使して牙熊に立ち向かっている。
しかし、斬撃や魔法はどうやら完全に急所を狙ってはいないようで、牙熊に大きなダメージは与えられていない。アルスには、彼女が苦戦しているように見えた。
木の根元に倒れかけた瞬間、アルスは思わず駆け出した。
「一人じゃ無理だ!」
剣を構え、牙熊の前足を受け止める。衝撃に体が押されるも、必死に踏ん張る。
フードの人物は背後で慎重に攻撃を続ける――矢や魔法はわざと小さな隙間や弱点を外すように放たれており、アルスの行動を試すかのような仕草に見える。
彼女の狙いは明らかではないが、アルスの勇気と判断力を確かめているかのようだった。
二人の連携は不完全ながらも噛み合い、アルスが渾身の一撃を放つと、ついに牙熊は地面に崩れ落ちた。
息を整えるアルスに、フードの人物は小さく、抑えた声で言った。
「……助かったわ」
クールな声のトーンは変わらない。アルスが思わず名前を尋ねようとしたが、彼女は答えず、静かに背を向ける。
月光に揺れる白いフードの隙間から、尖った耳がちらりと見えた。
(……エルフ……?)
アルスは心の中で呟く。長い耳が風にかすかに揺れる。
アルスは倒れた牙熊の牙と爪そして皮を慎重に切り取り、持ち帰ることを決めた。
森を後にする足取りは、戦いの疲労よりも、あの人物の存在による不思議な高揚感の方が大きかった。
手元の戦利品を整理しながら、アルスの心にはフードの人物のことがちらつく。森の中でも、あの視線に似た気配が背後にあったような――確実ではないが、違和感と好奇心が胸に芽生える。
◇
翌日、王都の冒険者ギルドで、アルスはリナに証拠を提示した。
バッグから取り出したのは、巨大な牙と鋭い爪そして脇に抱えていた分厚い皮。
リナは目を見開き、声を落として尋ねる。
「……これ、どうしたの? 依頼とは違うわよね?」
アルスは少し照れくさそうに答える。
「はい……森で牙熊と遭遇して、フードの方に助けてもらいながら討伐しました」
リナはアルスの言葉を聞き、ふと手を止めて視線を細めた。
「……フードの方?」
リナの心に、ある名前がちらりと浮かぶ。
(まさか……人間嫌いのあのエルフ……セレナ・リラエル・シルヴィーナ……?)
森で見かけたという情報とアルスから聞いた戦いぶり――すべてが重なり、自然と頭に思い浮かぶ。
「……まさかね」
リナは小さく息を吐き、心配そうにアルスを見つめる。
「アルスくん……無理をしてはいないかしら? 危険な相手と戦って……」
アルスは軽く笑みを浮かべ、少し照れたように答える。
「大丈夫です。助けてもらったので……」
リナは胸の奥で安堵しつつも、アルスを案じる気持ちを隠せず、柔らかく手をアルスの方へ伸ばすような仕草をする。
「……でも、気をつけてね。あなたが無事でいてくれることが何より大事だから」
アルスはその視線に少し胸を高鳴らせながらも、静かに頷いた。
リナは真剣な表情でアルスを見つめる。
「証拠としては充分ね。換金や素材利用も可能だし、ギルドとして正式に報告が受けられるわ」
アルスは軽く頷き、フードの人物のことを再び思い浮かべる。
彼女の助力がなければ、この牙や爪を持ち帰ることもできなかった。
リナは眉をひそめ、続けて言った。
「こんな牙熊が街道近くに現れるなんて、異常よ。詳しい調査依頼が出るかもしれないわ」
「わかりました。気をつけます」
そしてリナは机に手を置き、柔らかく視線を向ける。
「アルスくん……こういう危険な場面で、ちゃんと判断して行動できる子なのね。少し前までは頼りなさそうに見えたけれど、見ていて嬉しくなるわ」
アルスは顔を赤らめ、少し目を伏せる。
リナは微笑みを含み、さらに踏み込む。
「でもね……危なっかしいところもあるわ。だから、こうやって成長していく姿を見守りたくなるの。あなたが無事でいること、それが何より大事だから」
アルスは静かに頷き、心の奥で少し胸が熱くなるのを感じた。
午後の光がギルドの窓から差し込み、アルスの背中を柔らかく照らす。
冒険者としての日々は、こうして少しずつ確実に広がっていく――
その確かな手応えと、リナの視線が、アルスの心に小さな希望と勇気を残した。




