第9話 初めての依頼
朝の光が石畳の街を照らし、王都カレドニアは今日も賑やかに目を覚ました。
窓の外では、荷車の車輪が石畳を転がる音、人々の声、焼き立てのパンの香りが入り混じっている。
宿の部屋で目を覚ましたアルスは、陽の光に照らされた天井を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「……今日から、本格的に始まるんだな」
心の奥で静かに言葉を呟く。
昨日まではただの旅人。だが、今日からは正式な“冒険者”として依頼を受ける。
その事実が胸の奥をくすぐり、自然と体が軽くなる。
顔を洗い、装備を整える。革鎧の留め具を確かめ、剣の柄に手を添えた瞬間、指先が少し震えた。
それは恐怖ではなく――期待。
村を出て初めて手に入れた、自由と責任の証。
宿の階段を降りると、カナル亭の主人が朝食を並べていた。
「おはよう、アルスくん。今日もいい天気だな」
「おはようございます。これからギルドに行って、初めての依頼を受けてみようと思います」
「ほう、それはめでたい。初仕事か。焦らずにやるんだぞ。冒険者の基本は『慌てない・油断しない・諦めない』だ」
主人の声にはどこか父親のような温かみがあり、アルスは自然と笑顔を返した。
パンとスープを平らげ、ギルドのある通りへ向かう。
朝の王都は、昼とはまた違った顔を見せていた。
通りの両脇では店主が看板を拭き、露店の人々が仕込みを始める。
パン職人が窯の火を起こす香り、花売りの少女が並べる色鮮やかな花々――
どれもが、王都の一日が動き出す音だった。
◇ ◇ ◇
ギルドに着くと、すでに冒険者たちで賑わっていた。
受付前には列ができ、依頼書の貼られた掲示板の前では活発な声が飛び交っている。
「こっちは討伐依頼だな。報酬は悪くない」
「いや、こっちの護衛任務のほうが安定してるぞ」
その熱気に気圧されながらも、アルスは胸の鼓動を感じていた。
受付カウンターの奥から、見慣れた笑顔が手を振った。
「おはよう、アルスくん!」
「おはようございます、リナさん」
「今日はいよいよ初依頼ね。緊張してる?」
「……ちょっとだけ。でも、楽しみのほうが大きいです」
リナは微笑み、資料の束から一枚を取り出した。
「それなら、これがいいと思うわ。街の北区にある家畜小屋の見回りと、荷物の運搬依頼よ。
危険はないけれど、冒険者としての基本――“依頼主とのやり取り・報告・誠実さ”を学ぶにはちょうどいい案件ね」
「なるほど……わかりました」
リナから依頼票と簡単な地図を受け取る。
「終わったら必ずギルドに報告してね。それで正式に“完了”になるから」
「はい!」
ギルドを出たアルスは、地図を片手に街の北区へ向かう。
道中、露店の準備をする人々や、行き交う馬車の列、川沿いの石橋――
その全てが新鮮で、王都という巨大な世界の一部に自分がいる実感を与えてくれた。
◇ ◇ ◇
依頼先の家畜小屋は、街の端にある緑の多い区画にあった。
牧柵の向こうでは牛や羊が草を食み、子どもたちが水汲みを手伝っている。
迎えてくれたのは、頬に笑い皺のある農夫だった。
「ギルドから来たってのは君かい? 若いのに立派だな。助かるよ」
「はい、アルスといいます。今日はこちらの依頼で来ました」
農夫は荷車の横で笑いながら頷いた。
「じゃあ、この荷を倉庫まで運んでくれ。重いけど、手押し車を使えば楽にいける」
「大丈夫です、これくらいなら担げます」
そう言って、ずしりとした荷袋を両腕で抱え上げる。
干し草の匂いと土の香りが混ざり合い、どこか懐かしい。
村での手伝いを思い出しながら、自然な動きで荷を運ぶ。
体の軸をぶらさず、重心を安定させたまま歩くその姿に、農夫は感心したように口を開けた。
「おお……見事なもんだな。力もあるし、動きが無駄ねぇ。あんた、ただの冒険者じゃないな?」
「村では、畑仕事や薪運びも手伝ってましたから」
「なるほどなぁ。そりゃ頼もしいわけだ。おかげで助かるよ」
農夫は満足そうに頷き、笑みを浮かべた。
その温かな言葉に、アルスの胸に小さな誇りが灯る。
作業の合間に、農夫の妻がパンと牛乳を差し出した。
「おやつ代わりにどうぞ。朝早くから大変だったでしょう」
「ありがとうございます!」
その温かさに、アルスの胸の奥が少し熱くなった。
見知らぬ街でも、人の優しさは変わらない。
日が傾く頃、すべての作業が終わった。
牧柵越しに羊たちが静かに草を食む中、アルスは深く息を吐いた。
「終わった……」
小屋の外では、子どもたちが「ありがとう!」と手を振っている。
その声を聞きながら、胸の中に小さな達成感が芽生えた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時、ギルドの扉を開くと、リナがすぐに気づいて手を振った。
「おかえりなさい、アルスくん! 初依頼、無事に終わった?」
「はい。荷物の運搬と家畜の見回りを無事に終えました」
「よく頑張ったわね」
リナは帳簿に記入しながら微笑む。
「報酬は5ゴルド。宿代と少しの食費になるくらいね」
アルスは小さな袋を受け取り、手の中の重みに思わず息を呑んだ。
自分の力で得た金。村を出た時には想像もつかなかった現実が、今ここにある。
「これが……俺の冒険者としての第一歩か」
リナはその言葉に静かに頷いた。
「そうよ。小さな一歩だけど、きっと大きな道に繋がっていくわ」
その言葉を胸に刻み、アルスはギルドの扉を押し開けた。
外はすでに夕暮れ。
赤く染まる空の下、王都の街並みが黄金色に輝いている。
商人たちの声、鐘楼の音、街を駆ける子どもたち――
そのすべてが新しい一日の終わりを告げていた。
アルスは小さく拳を握りしめた。
「ここからが本当の冒険だ」
夕陽の光に包まれたその背中に、確かな決意が宿っていた。
王都での冒険者としての日々は、こうして静かに幕を開けたのだった。




