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「2047年9月27日金曜日。スイス時間午前7時です」
私は湖を一望できるロッジのベッドで目を覚ました。
エルドマン博士が知り合いのロッジの部屋を借りてくれて、そこに泊まることになった。
その電話の際、博士が、
「無理を言って申し訳ないが、私のかわいい孫のためなんだ」
そう言ってくれたのが、とてもうれしかった。
イギリスの祖父母も、日本の祖父母も、みな健在だが、本当にお祖父さんがもう一人増えたような気がしていた。
窓を開けると湖面を走る風が私の頬を少し乱暴に撫でる。
でも、それはそれで悪い気はしない。
朝食をとりながら、ロッジのご夫妻と話をする。
お二人とも元研究者で、フラウンホーファーに在籍されていたそうだ。
エルドマン博士とはかなり長い付き合いのようだった。
朝食を終え、身支度を整え、再びIAICへと向かう。
今日が本番。
昨日エルドマン博士といろいろ話ができたおかげで、今日は肩の力が抜けている感じがする。
「うん。いい予感しかしない。今日はきっとうまくいく」
私はそう呟き、IAICの本部のあるビルに入っていった。
今日行われるのは検討会。
私の提案したプロトコルの策定意義や妥当性を検証するにあたっての、いわば事前審査のようなものだ。
ここを通過すると、策定チームが組まれ、細かな仕様などが詰められていく流れになる。
IAICが問い合わせと仲介を担う形になっているのが最大のネックだと思っているし、状況に応じてその部分は一対一でも構わないと思っている。
まあ、一対一だと、専用のインターフェイスやAPIと何が違う?という話にはなりかねないが。
私は4階のカンファレンスルームに案内された。
このビルの共用施設で、IAIC以外の組織も使えるスペースだそうだ。
大きめの大学の教室みたいな造りで、扇形、すり鉢状の部屋で収容人数は100名ほど。
見下ろされる感じは少し苦手だが……そんなことは言っていられない。
壇上に上がり、会場を見渡す。
全部で40人ほどが、この場にいるようだった。
会場の大きさの割には少ない印象。
この大きさの会場が必要だったのかな、などと思いながらも、促されて話し始める。
「まず、本日このような機会を設けていただいたことに感謝申し上げます。
私はこのプロトコルが、現状のAIのあり方を変え、技術の進歩に寄与できると考えています。
では早速ですが、プロトコルの要点に絞って説明いたします」
配布されている資料は、かなり技術的なもので、基本的に読めば分かるレベルでまとめている。
なので、概要とキーポイントに絞った説明を行い、簡潔さを心がける。
資料の読み上げほど馬鹿らしいことはない。
一通りの説明を10分ほどで終わらせると、質疑応答の時間となる。
基本的には何もないだろうと私は思っていたが、会場やや後方に座っていたスーツ姿の人物が手を挙げて発言した。
「……特に拡張部分のフォーマット策定は現状のSNN解析に大きな功績を残せるかもしれませんが、一方で、各企業や研究機関が使用・開発しているスペックを公開するのと等しい。それは競争上のリスクです。
それでもこれを規格化する意味があるとお考えですか?」
田崎教授と同じ角度からの突っ込み。もちろん私も想定済みだ。
「はい。大きな意義があると考えます。
今すぐにでも技術的に実現可能であり、SNNの解析手順のフォーマットそのものになり得ます。規格として策定することで、開発の裾野を広げられるでしょう。
それに既に各機関や企業において解析手順自体はあると思いますが、規格として存在すればそれに沿う形で、内部での検証に使ってもらえることになるでしょう。SNNの動作解析に特化したAIが開発されるなど、波及効果は見込めると考えています。
いずれはSNNの解釈を全く違う角度から検証するために、外部に公開する機会も生まれると思います。
その時のための道筋を用意できる。これは大きな意義だと考えます」
私の返答に質問者は納得してくれたようだった。
そのほかにも、想像通りIAICの運営とコストの話がいくつか議論された。
この件に関して、私は技術的立場からは返答できない。
なので「それはIAICにご検討いただく課題だ」の一点張りで通す。
開始から1時間30分ほどで、検討会は終了となる。
あとはIAICで内部的に検討される。
できることはしたと思う。
会議終了後に、個別にプロトコルに関する質問や意見交換を行った。
参加者の名簿によれば今日ここにいるのはIAICに所属する技術者と研究者で、うち半数が協賛団体、主に企業の出向者だった。
今回の案件とは少し関係のない話を数多くしたが、すべてがAIに関する話題で、興味深い内容も多かった。
ちょっとした討論会の様相で、さらに90分ほど盛り上がった。
個人的な感覚としては、どちらがメインイベントか分からなかったくらいだ。
用意してあった名刺はすぐに底をついた。
名刺と言っても、私の名前、連絡先として大学の研究室を記しただけのもの。
名刺は用意した方がいいという田崎教授の助言で急遽用意したものだったが、あって良かったと思う。
私はエルドマン博士に挨拶し、再会の約束をすると、その足で空港に向かう。
なにせ予算を削った計画だ。余分な滞在費はない。
個人的な予定も少しだけあった。
空路ロンドンに向かい、イギリスの祖父母の家に一泊する。
最後に直接会ったのが大学に入る直前だから4年ぶり。
二人とも元気そうで何よりだった。
訪問は事前に伝えてあったので、私の好きなトリークルタルト(*14)を用意して待っていてくれた。
母さんも時々作るが、お祖母ちゃんにはまだ及ばない。
私もレシピは知っているが、作ることに挑戦したことはなかった。
私は当分の間、食べる専門だと思っている。
一泊の短い滞在だったが、ゆっくりとした時間を過ごすことができた。
別れ際にお祖父ちゃんがこう言ってくれた。
「ハルカ。今は急ぎ足で過ぎるときかもしれない。でも、立ち止まりたくなったらいつでもおいで。
私たちはお前が来てくれるだけでうれしいのだから」
そう、今私は急ぎ足だ。
今は立ち止まる時間がなかった。
データが破棄されるのがいつなのか、誰にもわからない。
存在するうちにたどり着かねばならない。
私はロンドン、パリを経由し、アムステルダムへと到着する。
鉄道を利用し、途中で乗り換えはあったものの、所要時間は3時間。
時差があるので昼過ぎに列車に乗ってから4時間が経過していた。
世界は狭いと改めて感じる。
それと同時に自分の体内時計がぐちゃぐちゃになっていることも感じていた。
20時30分発の成田便には余裕があったので荷物を預け、出発ゲート付近に移動してから少し休むことにした。
空港内のセキュリティは世界共通レベル…寝ていても……。
「ミス・ササモト。お休みのところ申し訳ございませんが、出発時刻が近づいております」
私はその呼びかけに、ハッとなる。
目の前には航空会社の女性が立っていた。
今声をかけてくれた人。
時刻を確認すると20時を回っている。
自分が深く眠っていたことに気付いて、慌てて立ち上がる。
「ごめんなさい。今行きます」
慌てて動き出そうとする私に、その職員さんは優しく声をかけてくれた。
「慌てなくても十分間に合います。良いフライトを」
「ありがとう」
そう答えて少し早足で搭乗ゲートに向かう。
30分前のアナウンスで気付くと思っていたが、気付かなかった。
危うく乗り遅れるところだった。
EA020便、アムステルダム発東京行きは、定刻通り20時30分に離陸した。
予定通りの時刻に東京に降り立つ。
時刻は朝の7時になったところだ。
帰りの機内は無重力を抜けた後は寝て過ごしたが、まだ眠い。
当初の予定ではこのまま研究室に戻って、教授に報告をと思っていたが、約束をしているわけでもない。
急遽予定を変更し、自宅に戻ることにして、スマホでエージェントに指示をすると、数秒で新しい予約が入れられたと返答が返ってきた。
最寄りのエアターミナルまでの乗り継ぎ時間が10分しかない。
私は大慌てで、eVTOL乗り場に走った。
自宅に帰って惰眠をむさぼり、昼過ぎに動き出すと、一度大学の研究室へと向かおうと思ったが、スマホの表示を見て思いとどまった。
今日は9月29日、日曜日だったのだ。
こうして2泊(機内泊と言えるなら3泊)4日の弾丸ツアーは幕を閉じた。
それからの日々は、博士論文を仕上げる作業に費やされる。
これは下地があるのでそれほど問題にならない。
思った以上に時間を取られることになったのは、その後の海外とのやり取りだった。
特にIAICの運用面について、意見を求められることが再三にわたりあった。
正直に言うと、プロトコル設計もそうだが、ハードの運用に関しては専門外。
だけど、分かりませんとも言えない。
できることなら、プロトコルのドラフトだけでも形にしたかった。
これは実績になるからだ。
私は卒業後の進路は決めている。
それを通すための実績は多い方がいい。
年明けには大学のリポジトリに掲載できる。
それに合わせて年内には大学側に博士論文として提出する予定だ。
審査にどれくらいの時間がかかるかは分からないが、通らないことはないと田崎教授も太鼓判を押してくれている。
少し早めに大学側に博士論文として提出を完了させて、プロトコルの実装に向けての作業を続ける。
11月に入り、IAICとのやり取りが、急激に増えた。
ドラフトを作るにあたり、量子コンピュータとのインターフェースを策定すべきという話が挙がったのだ。
現在量子コンピュータはAIの分野ではそれほど使われていない。
主な活躍の場は、量子物理、分子化学、気象、宇宙開発など。
一部では世界全体の動向予想なども行われているようではあるが、あくまでも実験的なものだ。
いずれにせよ、私はAIの専門家ではあるが、コンピュータのアーキテクチャの専門家ではない。
SNNに関しては物理的な部分と論理的な部分が双方必要で、ある程度は理解しているが、量子コンピュータは私の専門外もいいところ。
考え方があまりにも違う。
そこで大学にお願いして量子コンピュータ関連の書籍を読み漁り、知見を広める努力から始めた。
ほとんど独学になる。
かなりの時間と労力を費やして、ひと月で量子コンピュータがどういうものかは、ある程度理解できたが、その実装などとてもじゃないが、かじった程度では無理だ。
結論として、新しい試みらしいことは何もできない。
現在でもそのデータ投入や解析にはAGIが利用されているのだ。
私の出した結論は、量子コンピュータのフロントエンドを務めるAIにデータのやり取りを一任する方法。従来のAIサーバー同士の通信と同じ方式だ。
変換に大きなコストが発生するが、これは現状の量子コンピュータの通常運用と何ら変わらない。
量子コンピュータの演算結果が欲しければ、それに見合うコストを払う。
その点を明確にすれば、専用のインターフェイスを設計する必要はない。
そこは量子コンピュータの専門家がいずれ開発してくれるだろう。
もしそれができればSNNの反応と特殊領域における量子コンピュータの高速演算とが相まって、新しいAIが生まれるのは間違いないと思う。
同じ量子力学に基づく応用分野であっても、センサーと演算装置ではかなり難易度が異なる。
……というか、別物だ。
私は改めて量子コンピュータについて学ぶことで、量子スキャナーなどのデータ処理に関する貴重な知識を得ることができた。
これは意図せずしての成果でもある。
12月中に正式にIAICによって、AICPv0(Artificial Intelligence Collaboration Protocol Version 0)ドラフト案がまとまり、プレビューされる運びとなる。
今後1年程度の検証を行い、その後にITUに勧告される流れとなる予定だ。
その過程でIAICでの仲介サーバーの開発や運用テストも行われる。
その最中にも、別件のやり取りが始まっていた。
世界各地に存在するAI企業や研究施設からのオファーが届き始めた。
欧州のシーメンスやタレス、チューリッヒAIセンター。
IAICに非協力的な合衆国から、IBMのAI研究所、GE社。
そもそもIAICに協力する気のない国の企業。
そして日本のSNYやTモーター社。
私が想像していたよりもはるかに多くの有名な企業から。
明確に所属を求めずにまずは面談を、というスタンスから、法外ともいえるギャラを提示する企業まで。
そのアプローチは様々だった。
だが、私が心待ちにしていた企業からのオファーは来ていなかった。
年の瀬に、田崎教授から、1月末にリポジトリへの掲載と、3月末に修了となることを告げられる。
同時に大学に残る選択肢も提示された。
いきなり助教という破格の待遇だ。
大学に愛着もあればお世話になったという恩義も感じている。
正直言って、簡単には断れなかった。
だけど私には明確な目的がある。
「その、言いにくいのですが……私にはやりたいことがあるのです。
お世話になって、その上これほどの厚遇を提示していただいて、恐縮なのですが……」
「ああ、そうだね。
君には君の目的がある。
そのために邁進すべきだと私も思うよ。
悔いのないように、しっかりと選択しなさい」
私の言葉に、田崎教授はそう答えてくれた。
とても力強く後押しをしていただいたと思う。
年が明け、2048年。
私は二日に彩佳、六華と初詣に出かける。
彩佳の家にほど近い、近所の神社に行くのが恒例となっていた。
少し華やかな雰囲気と、1月らしい凛と引き締まるような空気。
小さな神社ではあるが、この時ばかりはけっこうな人が集まっていた。
参拝の列に並び、やがて最前列へ。
賽銭をそっと投げ入れて、柏手を打つ。
3人そろって手を合わせ、無言の時が流れた。
「やった!大吉!!」
六華の弾む声に対して、彩佳は真剣におみくじを読んでから、ひとつため息をついた。
「まあ、そうだよねぇ。努力に上限なしかぁ……」
そんな言葉を漏らしていた。
六華は病院での研修が続いていて、慣れない環境で頑張っているようだった。
一方彩佳は今年がオリンピックイヤーということもあり、少しナーバスな感じが漂っている。
私も引いたおみくじを開く。
見たくない文字が真っ先に飛び込んできた。
「……」
その様子を見ていた六華が、私に話しかける。
「もしかして……遥、大当たり引いちゃった?」
私はにっこり笑って、
「これで厄払い」
そう言っておみくじを近くのみくじ掛けに結び付ける。
「これも試練みたいなものかな。万事難航。希望はあるかぁ……」
私の呟きを彩佳はしっかり聞いていたようだ。
「つまり苦労はするけど、うまくいくかも?ってことだろ?これまでだって苦労しなかったわけじゃないだろうし、今までと同じって思っておけばいいんじゃね?」
私はうなずいて話題を変える。
「彩佳のはなんて書いてあったの?」
「中吉で、道半ばなら邁進せよ。努力に上限なし。だってさ」
「ねえ、私のは聞いてくれないの?」
六華がそう言って彩佳の腕を引く。
「大吉はもう聞いたから。それ以上はいらないだろ?」
少しつれない彩佳の返事に、六華が頬を膨らませる。
「彩佳、実際のところどうなの?」
私の言葉に彩佳が空を見上げながら答える。
「まだチャンスはある。そのためには頑張らないとね」
「勝負の年、だもんね。会場まではいけないけど、いつだって応援してるから」
六華の言葉に彩佳が笑顔で返した。
「なんにしてもさ、後悔はしたくないからさ。
できるだけのことを精一杯するよ。私はこれで帰るね。休日用のメニューをこなさないと」
「それじゃ休養にならないんじゃないの?休むときにちゃんと休まないと、疲労の蓄積はパフォーマンスを低下させるよ?」
「それじゃ、六華、あたし専属のドクターになってよ。故障の心配しなくてよくなるから」
「故障してからじゃ遅いから。そのために休養は必要なの」
「と言ってもさあ。じっとしてても落ち着かないんだよね」
「ってことは、昨日ももちろんトレーニング?」
「一年の計は元旦にあり、っていうじゃん?」
「なら決まりだ。これから数時間はトレーニング抜きでおしゃべりタイム。
とりあえずファミレスにでも行こうよ。その後はそこで決めるってことで」
「異議なし!」
「おい、ちょっと待てよ、私の意見は……」
「今日の彩佳に決定権はないっ!」
私たちは久しぶりの休日を満喫した。
1月も後半。
私はしびれを切らして、自ら売り込むことにする。
有名どころからのオファーが来ていたので、もしかするとという期待があったのだが……そもそも、最初からそのつもりだったので、早くからそうしておけばよかった。やきもきした分だけ少し損をした気分だ。
形式通りの履歴書を整えて、F技研の採用担当にメールを送る。
これまでオファーをくれた会社や研究機関に比べれば、F技研は確かに大手とは言えない。
だが、私はここに入るために、このプランを進めてきたのだ。
父さんはF技研のAI研究所に在籍していて、それなりのポストに就いている。
私としては父の口利きとか、縁故とか絶対に言われたくなかった。
私の目的はエルスのデータを遡って再解析すること。そのためにはF技研に入らねばならない。
そのうえで、自分の行いたい研究をごり押しするとなると、相応の実績が必要だ。
だからIJNS誌に載りそうな論文を書き、同時に規格策定の提案を行う。
これが通れば、研究者としての実績は十分稼げる。
そのために回り道にも思えることをしてきたのだ。
それが、実際の最短ルートだと思ったから。
翌日、北米の父さんから大慌てで連絡が入った。
ちなみに父さんは北米にあるF技研の研究所で所長をしている。
慌てて連絡してくるのは2回目。IJNS誌に論文が載ったとき以来だ。
「大騒ぎになってるぞ。笹本遥が条件付きで入社希望を送ってきたってな。
なんで事前に相談しなかった?」
父さんは少々怒っているようだった。
気持ちはわからないでもない。けど事前に相談するわけにもいかなかった。
「だって、反対するか、少なくとも『条件付き』なんてさせてくれなかったでしょ?
それに母さんには相談してるもん」
「アンジェリカ、知ってたのか?」
「ええ。実際論文作成は少し手伝ってますしね。何のための論文かも事前に説明をしてもらってますし」
「なんで、俺には言わなかった。正月に日本に戻ったときにだって、話をする機会はあっただろう?」
「それはその通りね。
でも、研究者は自分の研究内容をいちいち親に報告なんてしないでしょ?
それに遥も言ったけど、『条件付き』での所属なんて、あなた許可しないでしょ?
もう遥もあなたの許可を必要とする年でもないし」
「いや、そりゃ、まあ。その通りだとは思うが……」
「私がやりたいことは、父さんなら想像できると思う。
それは私にしかできないことだから。
そこに真実があるなら、確かめないと。それが研究者じゃないの?」
「……」
「あなたもエルスの最後の晩の様子は知っているでしょ?
あの時何が起こったのか、その後の検討委員会では結論に達することはできなかった。
でも、今は当時よりも解析技術も進んでるし、何より、エルスを再起動させることもできる。
遥はそのデータを使うことができる権利を半分持っているのだから。
そしてそれをエルスが予期していたとすれば、すごいなんてレベルの話じゃない。
たとえ空振りだったとしても、調べてみる価値はあるはず」
「言っていることは理解しているつもりだ。
分かった。好きにするといい。
だが、意見を求められたら俺は反対の立場をとるぞ。先に言っておく」
私はその言葉に少しショックを受ける。
父さんは理解してるといいながら、反対するって。
だけど母さんは冷静に答えた。
「それが賢明だと思うわ。
で、今回慌てて連絡してきたのはそれだけ?」
「とりあえずはな。なんかあったらまた連絡する」
あっさりと通話は終わった。
私はモヤモヤしたものを吐き出すように母さんにぶつける。
「父さんいつからあんなに頭が固くなったの!
理解してるつもり?それで反対する?意味がわかんないよ!」
母さんはティーカップを口に運んでから答えた。
「理解しているから、反対するっていったのよ。
父さんの立場とか、そういうことじゃなくて。
父さんが反対すれば、あなたはそれだけ自由になれるでしょ?
親の七光りだの、縁故だの言われずに済むわ」
「そっか……」
私はそれが父さんなりの私に対する気遣いであることを、ここで初めて気付いた。
私はそういう部分はまだ成長が足りていないかもしれない。
「まあ、とりあえず父さんには話が通ったし、あとは採用担当者と会社を説得するだけよ。
つまり遥の実力次第ってことね」
「そこはたぶん大丈夫。
提示した条件は好きな研究をやらせろ、というだけじゃないから。
契約期間は5年。その間は好きな研究をさせてもらう代わりに、会社の広報に全面的に協力する。
これなら会社にとっても損にはならないと思う。
実際にはそんなに時間はかからないはずだし……エルスの詳細な解析データが提示できれば、世界が驚くことになるから」
「そうね……その際は少し慎重になる必要があるとは思うけど……最終的に成果を公表するかしないかを決めるのは会社側だしね」
「うん。エルス自体の所有権はF技研にあるわけだし、私はそれを使わせてもらうだけ。あとは会社任せで構わない」
私も紅茶を一口すする。
人生の味ほどは苦くなかった。
それから数度の直接面接による交渉を行い、契約期間3年。その間の研究の自由の保障(予算に関しては相談が必要だが)および、会社の広報活動に応じることで合意に達した。
2月の中旬には、私の就職先が決まったのだ。
ここまではストレート。
ここから先は……万事難航にならないことを祈るばかりだ。
3月。
私は博士号授与式と修了式を終え、大学を後にする。
博士課程は1年で幕を閉じた。私にとってはどうでもいいが、ある種の記録となった。
そして最小限の荷物をまとめて、身軽な引っ越しとなった。
単身研究者向けの賃貸物件には事欠かない。
現在の日本の研究の中心地のひとつ、長野に向かう。
(*14)トリークルタルト
英国の伝統菓子。糖蜜ベースのタルト。遥の好物で、祖父母の家の象徴的フード。