⑨出撃前夜 ~妻の戦場~
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「デル団………あ、いえデル騎士総長。各騎士の小隊長級への指示伝達が終わりました」
王国騎士団の仮本部として借り受けた空き家にバルデックが入ると、彼は言い間違えた事を誤魔化すように顔の前で手を左右に動かし、半ば笑い気味でデルに報告する。
「ああ、ご苦労様」
リビングの椅子に座ってコーヒーを飲んでいたデルは、彼を責める事なくコップを傾けながら眉を上げて笑って返した。
そこに老騎士のフェルラントも困った顔で入ってくる。
「ウチのは、どうだった?」
「いやぁ、総長の言った通りでしたな。私では勝てそうにありません」
長年の経験をもってしても勝てない相手だったと、老騎士は大げさに両手を上げて降参する。
「そうだろう、そうだろう」
デルは満足そうに何度も頷くと、二人を同じテーブルに座るように手のひらを上に向けて椅子に案内した。そして今度は、デル自身が立ち上がり、台所からコーヒーを淹れ始める。
「いえいえ、総長、自分がやりま―――」
「いいんだ」
バルデックが慌てて立ち上がろうとするが、デルは厳しい顔のまま台所から顔を出して彼に座るように睨みをきかせた。
「一番何もしていないのは俺なんだから、コーヒーくらい淹れさせろって」
先程のバルデックの言葉に乗るように、デルが台所から声を響かせる。
しばらくすると香ばしい豆の匂いと共に、湯気の立ったコップがリビングに運ばれた。
「フェルラント、気にする事はない。俺も勝てた試しがないからな」
「そうらしいですな」
デルが二人にコーヒーを差し出した。茶黒い表面から生まれる白い湯気からは、温かさと蒸した豆の匂いが顔を刺激する。
二人がコップを傾け、口元へと運ぶ。
「苦みはありますが、目が覚めるいい塩梅で。どこの豆でしょうか」
「さぁな。うちのエルザが俺に投げつけてきた袋に入っていた奴だ。あとは自分が全部やるとさ」
デルの妻であるエルザは、かつて王宮の会計士としてその名を馳せていた。金銭管理、在庫管理で右に出る者はいない。数字が合うまでは決して納得しない頑固さと、相手が誰であれ指摘と追及の手を止めない恐ろしさに、貴族ですら相手にする事とを避けたという伝説をもつ。
「俺が手伝おうかと声をかけた時には、ゴブリンとオークが数匹まとめて正座させられていたよ。在庫管理がなってないって………」
「………総長の奥さんって、そんなに怖かった方でしたっけ」
コップを両手で包んだまま、バルデックが視線をフェルラントに向ける。
「自分が声をかけた時には、奥様がゴブリンとオークを指さしと声だけで整理させていました」
「………言っておくが、怖いのは仕事の事だけだ」
フェルラントの言葉に、バルデックが口を開けていた。そこにデルは一応と割り込んで誤解を解くが、二人はそれ以上何も言わない事にした。
「とりあえず、今は好きにやらせてやってくれ。あいつにとってはあそこが戦場なんだ」
物資の集積場という久々の戦場、そして非効率な置き方とまとまっていない物資の資料に我慢出来なかったのだと、デルは『勘弁してやってくれ』と詫びるように、二人に声をかける。
「その代わり、物資関係は寸分の狂いもなく終わるから」
それまでは休んでおくようにと、デルは二杯目のコーヒーを二人に確認した。




