第84話 裁きの一撃
怪物となったハイバードの巨大な拳の一撃は強力で半径三メートルほどは凹んでしまっている。
避けるにしても難しい範囲の広い攻撃だったが、ハルはナナシのおかげで無傷だった。
ナナシはハイバードから距離を取ると、抱えていたハルを降ろす。
数歩前に出て道化師は怪物を眺めた。
「ふむ、なんか変な注射器を打ったらこんな姿になるのか。
人型ではあるが、内包する魔力が桁違いに跳ね上がってるし、筋肉は今にもはちきれそうだ。
加えて、貫通した額や破壊した左腕が治ってるとこを見るとかなりの回復能力、いやもはや再生能力と言った方がいいかもしれないな」
独り呟く道化師を見ていたハルは先の行動について問いかけた。
「助けてくれたことには感謝するけど......どうして助けたの?
アタシが殺されても見届けるんじゃなかったの?」
「見届けてたさ、しっかりとね。だけど、よく考えてみ。
君が殺したかったのはこんな人間であることを止めたような怪物だったかい?」
「そりゃ違うけど......だけど、ハイバードであることには変わりないわけで」
背後を振り返ったナナシは人差し指を小さく振る。
道化師の後ろではハイバードが右腕を大きく振り下ろしていた。
ハルはすぐさま「危ない!」と叫ぶ。
しかし、結論から言えば杞憂だった。
ハイバードの巨大な拳はナナシの左腕一本で易々と止められている。
風圧だけで吹き飛びそうなほどなのに、道化師は足から地面に根を張ったように動かない。
「ハルが倒すべき相手は人間のハイバードだよ。
それが達成された今、勝者は優雅に高みの見物をすればいいさ。
憐れな怪物の相手は部下である俺に任せればいい」
ナナシはハイバードに向き直し、大きく両手を広げた。
「さぁ、どこからでもかかってきなさい! 瞬光月下団のエースの前だからカッコつけさせてもらうよ!」
大見栄切って叫ぶナナシにハイバードは左手を伸ばした。
調子乗っている道化師を掴めば、思いっきり教会の外に投げ飛ばした。
「あら? あらららら~~~~~~」
ギュンッと吹き飛んでいくナナシ。
雪が降り続けるほどには寒い空気の中を高速で飛行する。
道化師の進行方向の先では、怪物の姿となった影ハイバードが両手を握ってスタンバイ。
どうやら太陽で隠れている雪の環境を影として利用したようだ。
ドンッと拳のハンマーで叩きつけられたナナシは、積雪のクッションなど無意味なほどの勢いで地面に叩きつけられ、バウンドして空中に浮かぶ。
影ハイバードがナナシを殴り飛ばせば、影の移動速度を利用して先回り。
さらに蹴って吹き飛ばし、それが残像が出来るほどに繰り返した挙句、最後は本体が空中から舞い降りた。
ハイバードは拳に風を纏わせ、ナナシを地面に叩きつける。
バウンドで跳ね返った道化師を左手で殴って地面に押し付ければ、次は右手、その次は左手、その次は――と絶え間ない殴打を繰り返した。
ナナシがいる場所はたちまち雪が吹き飛び、さらに陥没した地面は穴が出来上がるほど。
やがて道化師の姿が見えなくなれば、ダメ押しとばかりに空中に飛びあがり巨大な火球を穴の中へぶち込んだ。
「グハハハハ、ドウダ! コレガ神トナッタ私ノ力ダ!」
「へぇ、それが神ねぇ。面白いワード聞いちゃった」
腕を組んでわざわざハイバードの頭の上で両足揃えて立つナナシ。
ナチュラルにとあるシーンを再現しているの道化師の構図だ。
「っ!?」
確実に仕留めたと思った敵がいつ間にか上にいることにハイバードは目を白黒させた。
すぐにナナシを頭から離そうと両腕を伸ばせば、伸ばした両腕の感覚が突然無くなる。
怪物の腕は肩から斬り下ろされて落下していたのだ。
「さぁ、もっとユーモラスに行こうか。氷の手で胴体を掴んだなら?」
ナナシが人差し指を上げれば、周囲の雪が押し固められて形成された巨大な氷の手がハイバードの体を掴む。
「そう、答えは一つだよね――ジャーマンスープレックス!」
「グハッ!」
氷の手に振り回されるままに、ハイバードは地面に頭から叩き落とされた。
後頭部から地面に直撃し、怪物の体は曲がった首を起点に逆立ちのような体勢になる。
大の字で寝そべったハイバードが上を見上げると巨大な影が降って来る。否、四メートルもの巨体を押しつぶすほどの氷塊だ。
ハイバードはサッと両腕を再生させると同時に、落ちて来る氷塊を躱すように距離を取った。
その数秒後、三角錐の形をした氷塊が頂点を地面に突き刺して止まる。
三角錐の底面には足を組み、さらに頬杖をつくナナシがいる。
「.......っ!?」
ハイバードは直感的に理解した。
いや、理解はとっくの前からしていた。
しかし、それを認めたくなかった。
目の前のふざけた格好の男が強いことは初戦で分かったのに、それでも勝ち筋があると踏んでいたのは神になる薬があったからだ。
だが、今やそれを使っても攻撃は通用せず、まるで赤子の手を捻るように一方的に弄ばれている。神になったはずなのに。
自分は理不尽を体現する存在となったはずだ。
にもかかわらず、目の前の理不尽に抗え術もない。
それはまるで何の力も持たない人間が襲い来る巨大津波にただ茫然としながら死を受け入れるようなもの。
勝てる勝てないの話ではない。生きるためには逃げねば。
神となったからこそわかる。全身が騒ぎ立つ死の気配がすぐそこまで来ていることに。
「ア、アァ、アアアァァァァアアアァァアアアアア!!!」
ガタガタと口を震わせ、今度は腕、それから足、やがては全身へと伝わる。
瞬間、ハイバードは巨体が持つエネルギーを全力で走ることに費やした。
敵を理不尽に握りつぶすための肉体が、少しでも理不尽から逃げるために使われているというのは皮肉な話だ。
「お、逃げてくか」
ナナシは足元の氷塊を雪のように細かく細断するとそのまま地面に降りて来る。
その場所に傷の痛みを我慢しながらハルが近づいてきた。
「ナナシ、逃げてくけどいいの?」
「いや、仕留めるよ。アレはこの世界に居てはいけない存在。なんとなくそう思うから。
後はまぁ、ハルが近づいて来てるのに気づいてたから、せっかくだしハルの力を借りようかなって」
「アタシの?」
「ハル、銃を構えて」
ハルは突然の提案に首を傾げながらも、一応右手にデザートイーグルを持った。
「何させる気? 言っておくけど、絶対に届かないよ」
「弾の射程距離なんていくらでも稼げるさ。なんたって、剣と魔法の世界だからね! 今から使うのは銃だけど」
ハルは「ささ、構えて構えて」とナナシに促されるままに、右腕を伸ばして銃口をハイバードに向ける。
標的がデカいので狙いがズレることはないだろう......当たればだが。
「少し失礼」
「っ!?」
銃を構えるハルに覆い被さるように、ナナシがトリガーに指をかける。
当然ながら、ハルが握る手の上から重ねているような状態だ。
突然の急接近に乙女の顔も赤くなる。
「な、なに!?」
「前言撤回しようかと思ってね。やっぱどうせなら君が決着をつけるべきだ。
今回の戦いは君が主役だし、それが筋ってもんだろうしね」
「そ、そう......わかった」
「さ、君は最大火力を唱えて。俺はそのためのサポートをする」
瞬間、ハルの体にナナシから膨大な魔力が送り込まれ、体が発火したように熱を帯びる。
しかし、それは嫌な熱さではなく、心の内側から広がっていく心地よいものだった。
思わず目を瞑って浸ってしまうほどに。
「練金変換――威力向上」
魔法を構築しながらハルは、いつかの昔に父親であるクロムから勇者について話を聞いたことを思い出した。
ある日クロムが街中を歩いていると、たまたま街を訪れた勇者を見かけたそうで、遠くからしか姿を見ていないらしいが、それでも見た瞬間に思ったことがあったと。
――俺個人の見解だが、善意が百パーセントの人間には人は救えない。
――他人を信用しすぎて一緒に堕ちていくか、騙されて終わるかのどちらかだ。
――だから、善意が七割で悪意......負の側面が三割ぐらいの方が丁度いい。
――そういう意味では、あの男は理想通りだ。間違いなく厄介な勇者だ。良くも悪くも周りをかき乱すだろうな。
「弾丸準備――完璧」
ハルの脳裏に過った過去の思い出。
どうして今になってそれを思い出すのかはわからない。
しかし、それでもわかることは確かにある。
拠点にしていた街に飾られていた勇者像。
その姿は紛れもなく――
「行けそうかい?」
「えぇ、いつでも」
どうしてそんな姿をしているかハルには分からない。
それでもそうなる経緯があったとしたなら、それはきっと勇者らしい行動なのだろう。
ならば、自分はありのままを受け入れるだけ。
「行くか」
ナナシの声にハルは正面を見る。
銃口の前にはいくつもの魔法陣が展開されていた。
十中八九、ナナシのものであろう。
「えぇ、しっかり見てて。これがアタシの最大火力――天使の追撃」
ドンッとまるで大砲が放たれたかのような衝撃音とともに小さな弾丸は放たれる。
いくつもの魔法陣を通過した弾丸の速度はグンッと上がり、衝撃波を伴いながら地面を平行移動する。
弾丸の尾から発生する衝撃波は光の円をいくつも発生させていて、それは時間経過とともに直径を拡大。
その見た目が天使の輪のように見えることからつけられたのがこの技の名前だ。
弾丸は必死に距離を離したハイバードの背後をあっという間に捉える。
そして、怪物の必死の逃走も虚しく凶弾が背中を貫いた。
―――ドゴオオオオォォォォン!
瞬間、ハイバードの肉体は巨大な光の柱に包まれる。
それは天まで伸びていくと雪を降らす曇天に風穴を開けた。
やがて小さくなって消えた光の代わりに、今度は太陽光が差し込んだ。
「奇麗......」
ぽっかりと開いた穴から降り注がれ出来上がった光のベール。
それは薄明光線と呼ばれる現象であり、別名「天使の梯子」と呼ばれる。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)




