第79話 接敵
「ひゃああああっ――べんじゃみんっ!」
独特な掛け声でもって排気ダクトのような細い道を落ちてきたナナシ。
出来る限り安全に着地しようと衝撃を前方方向へ逃した瞬間、勢いを残した前回りを繰り返し、やがて野球部も真っ青なヘッドスライディングで何かの山積みにストライクした。
「やっぱこういう誰も見てないとこでも道化やれるのがプロ意識ってものだよね」
ぷはっー! と体中を覆う何かから顔を出したナナシは、誰も聞いていないプロ意識に関して独り言ちる。
すると、ようやく自身が突っ込んだ山積みの正体に気付いた。
「これは......骨? 大きいのもあれば、小さいのもある」
ナナシが突っ込んだ山積みの何かの正体は大小様々な骨の山だった。
よく人体模型で見る腕や足辺りの骨もあれば、骨盤や頭蓋骨もある。
しかし、血生臭いニオイはあるものの、肉片のようなものは見当たらない。
まるで肉一つ残さず舐め落としたかのように。
「グルルルル」
暗い空間の中でうなり声が聞こえた。
明かりも僅かなランプの灯火しかないほどの視界不良の中だが、ナナシは魔力で視界を得ているので暗かろうが関係ない。
骨山から顔を出すナナシの前に血のニオイを滲ませた野生が現れる。
双頭のトラ――ツインヘッドタイガーだ。
危険度は赤ランクの冒険者がパーティを組んで戦うか、銀ランクの冒険者が一対一でギリ勝てるかの相手。
つまり、道化師とはいえ元勇者のナナシからすれば――
「なんだ、猫ちゃんか」
目の前で威圧するツインヘッドタイガーにおくびもせず、「よいしょ」と掛け声をかけながら立ち上がる。
「なるほど、ここは君の部屋だったわけか。
大方、死んだ人間を処理させてたんだろう。
で、その死体を食ってきた数がこの骨の山。
可哀そうに、もっと美味しい肉はたくさんあっただろうに」
「それにしても奇麗に食べるね。俺でもケン〇ッキーの骨付き肉をここまで奇麗に食えたことないよ」と腰まで浸かる骨の山に目を移していたナナシは目線をツインヘッドタイガーに向けた。
「で、今度は俺の番って感じか? 残念ながら固すぎて食えたもんじゃないぜ」
「ガァッ!」
ツインヘッドタイガーは勢いよく立ち上がり襲い掛かった。
立ち上がった時の身長は優に三メートルを超え、頭の一つがナナシの頭に噛みつき、もう一つの頭が肩に噛みつく。
―――バキッ
「ガッ!?」
瞬間、ツインヘッドタイガーはナナシから離れた。
なぜなら、強靭な顎でもって突きたてた牙も、ナナシを逃がすまいと立てた爪も見事に折れてしまったからだ。
対して、ナナシはツインヘッドタイガーの攻撃を受けてもノーダメージ。
この時、その魔物は思い知ったのだ。
自分は所詮図体のデカい猫であり、エサだと思って食らいついた敵はエサどころか生物かも怪しい存在であることを。
ツインヘッドタイガーもといデカい猫ちゃんは自らの巨体をゴロンと床に寝転がした。
自ら急所を曝け出す行為――即ち、服従のポーズだった。
つまり、デカい猫ちゃんは戦闘意思が無くなったということだ。
「よしよーし。いいこだ」
銀ランク冒険者が苦戦する魔物となれば、まず間違いなく魔物中でも強者の部類だ。
自身が最強だと奢り、自尊心を持ち、弱者を痛めつけ弄ぶ。
言うなれば、生まれながらにして強者であるため、負けることなど死に等しい。
そんな魔物がナナシの前ではプライドもかなぐり捨てて、死という選択肢を放棄させて服従のポーズ。
ナナシの強さを本能で理解したのだ。
「いい子だ。よし、少し待ってて。悪いね、こんな場所で。
でも、せめてここを浄化して神殿並みの清らかさにするから」
ナナシは床に穴を開け、即席のお墓を作ると山積みの骨を供養する。
それから、ツインヘッドタイガーの背中に乗ると、そのまま近くの出口から一緒に出ていく。
暗い暗い地下道は非常に寒く、さらには水気があるのか天井から水滴が滴っていた。
「よく生きてたな」とナナシが感心しながら、一緒に移動すること数分。
適当に突き進んだ道はやがて周囲の景色を変え、城の地下道からどこかの洞窟に変わった。
その洞窟を更に進むと出口が見えてきた。
小さな洞窟の入り口には入り口を半分ほど塞ぐ積雪と、天井から伸びる氷柱がある。
雪をかき分けながら外に出れば、少し遠くに城の外観が見えた。
「おぉ~、外に出るのか。位置的にゴエモンがいる正面とは真逆か......ん? アレは教会か?」
城のすぐそばに目をやれば、隣接するように教会があった。
その方向をじっと眺めたナナシは「よし」とその場所に向かうことにした。
「それじゃ、俺はこれから教会に行く。つまり、君とはお別れだ。
短い時間だが貴重な体験だったぜ。それともう人は食うなよ」
「ガゥ」
「さぁ、森にお帰り」
ナナシはツインヘッドタイガーの体が小さく見えるほど大きく手を振りながら眺め続けた後、ようやく足は教会へと移動を開始した。
雪道をサクサクと足跡を作りながら歩くこと数分。
辿り着いた教会に入ってみると中規模程度のその教会の奥には立派なパイプオルガンが設置されていた。
「ほぉ~、こんなにも立派なパイプオルガンがあるとは」
「興味を持ってくれて嬉しいよ。なにせ私の自慢の品の一つだからね」
ナナシの背後からコツッコツッと歩ていく一人のブロンドの男性。
ナナシはゆっくりと振り返った。
ダンディズムを匂わせ、雪が降っているにもかかわらずワイシャツにベストを着ただけの男――ハイバード=ロードスターだ。
「あなたのお宅にお邪魔させてもらっております。
笑顔を咲かせることが趣味の道化師ナナシです。
どうぞお見知りおきを、ハイバードさん」
「これはこれはご丁寧にどうも。
私のことを知ってるってことは、私の挨拶は不要のようだね。
それでこのような場所に一体どんなようかな? いや、用があるのは私に対しての方かな」
「いや、別に俺はあなたに興味はないよ。
俺が今興味あるのはパイプオルガンの方だから」
パイプオルガンの方に指を差して告げるナナシ。
その反応に対し、ハイバードは寒さで固まったように微笑みを絶やさない。
「......では、単刀直入に聞こうか。ここへ何しに来た?」
「そりゃ当然、素敵なお嬢さんのエスコートさ。俺は可愛い子には目がないからね」
「それは青髪の獣人のことかな?」
「あら、ご存じで。ま、アレだけのルックスなら忘れる方が難しいか。やるねぇ、ハルも」
相変わらずのらりくらりと真面目に返答する気のないナナシ。
しかし、そんな道化師の反応にもやはりハイバードは怒らない。
今度はナナシの方から質問する。
「聞いてもいい? あなたはなんで子供達なんか攫ったのか」
「簡単な話だ。金になるからだ。
私はお金が大好きでね、そのために一番効率のいい稼ぎを探した結果がアレになっただけだ。
少女嗜好の貴族はそれはそれは自身の欲望を満たすだけに高値でサービスを受けてくれる。
サービスってのがミソだ。簡単に売って手放してしまったら再び調達が面倒だしね」
「金っていうのはこれかい?」
ナナシは魔法袋からパンパンに膨らんだ小さな袋を取り出した。
その中から一枚の金貨を取り出すとそれを親指で弾いて正面に飛ばす。
―――シュッ
「っ!?」
直後、ナナシの金貨はハイバードの頬を掠め、彼の背後にある教会の扉に突き刺さる。
その攻撃に衝撃を受けた――というより、弾き飛ばされた金貨に驚いたハイバードはすぐに扉に突き刺さった金貨に目を向ける。
「アレは......白王金貨!?」
白王金貨......一枚で百万双頭のゴールド価値がある金貨だ。
加えて、その金貨は国の王によってのみ受け取ることの金貨であり、即ち王族と繋がりがあることの証明である。
「何者だ、君は? ただ者ではないとは思っていたが、まさか帝国王家の?
いや、それだとあのゴミの残した娘のような存在と組んでいるのはおかしい」
「安心しなよ、お前を倒すのは俺じゃない。
一切の戦いの邪魔もしない。あの子が来れば俺はただの傍観者だ」
ナナシは右手を袋に突っ込み、手いっぱいに白王金貨を掴む。
「だけど、その間は俺の話に付き合ってくれよ。
お前の大好きな金をバラまいてやるからさ。
笑えよ、ハイバード。お前の大好きな投げ銭時間の始まりだ!」




