第73話 狼の追憶#2
クロムが帰ってこなかった。
不安になったハルであったが、すごくたまに朝帰りの時もある。
その時は大抵飲んだくれているので、その後の世話が大変なものだ。
しかし、翌日、翌々日、そのまた次、果ては一週間とクロムは帰ってこなかった。
静寂が訪れた家にハルが一人ポツンといるだけ。
さすがのハルもクロムに何かあったんじゃないかと思い、彼を探しに始めた。
「クレア!」
最初にハルが声をかけたのは、ハルが住んでいた街の貴族の娘だったクレアだ。
彼女との出会いはハルが十歳の頃であり、きっかけはクロムが彼女の父親と懇意にしていたから。
ハルにとっては唯一出来た親友とも言うべき存在だ。
「師匠が帰ってこないんだけど、どこに行ったか知らない?」
クレアの屋敷を顔パスで通ったハルは、ドアから出てきた彼女にすぐに師匠について尋ねた。
彼女もしくは彼女の父親からならクロムの事情を知ってるかもしれないと思ったからだ。
クレアはすぐに父親に話を聞きに行った。
しかし、ハルの期待も虚しく父親から話を聞いて戻ってきた彼女は首を横に振った。
「どこに行ったかわからないって。ただ、一週間前に突然訪れて、些細な世間話をして最後に『ハルをよろしく頼む』って」
「っ!?」
まるで猫が死に際を見せないように家族のもとから姿を消すように。
クロムの言動はまさに死ぬことをハルに想起させた。
「クレア! すぐに師匠のことを知ってる人を集めて! 早く!」
それから、ハルはクレアの協力を得てすぐに情報をかき集めた。
裏社会には強かったハルはその情報筋からクロムに関する情報を得ると、彼がいるとされる場所に向かった。
ハルが訪れたのは路地にある小さなバーだった。
そのバーの二階に駆け上がると、ドアを開けるやすぐに叫ぶ。
「師匠!――っ!?」
そこには上半身を包帯でグルグル巻きにされた満身創痍のクロムの姿があった。
ハルはすぐに駆け寄るとクロムの体を揺さぶった。
「師匠! 何この傷......ねぇ、師匠! 起きてよ!」
「......ったく、いきなりうるせぇな。お前はそんなお転婆じゃなかったろ、ハル」
「師匠......!」
クロムはゆっくり目を開けるとハルを視認した。
そして、寝そべったまま彼女の頭をゆっくり撫でる。
「師匠、何があったの!? どうしてこんな姿に......」
ハルはクロムが無事で安堵すると、すぐに気になることを質問した。
その質問に彼はそっと顔を窓の方へ向けてしゃべり始めた。
「仕事にしくじっただけさ。大したことじゃない」
「大したことじゃないって......なら、どうして回復魔法で体を治さないの!?」
この世界は剣と魔法で大抵のことは何でもできる世界だ。
当然、奇跡のような力でもって人の傷を瞬く間に治す魔法も存在する。
その魔法を使える人は限られているが、それでもいないわけではない。
クロムはハルから質問された当然の疑問に答えることは無かった。
代わりに、彼は自分の半生を語り出した。
「俺はなぁ、ハル。ガキの頃はお前と一緒で路地裏暮らしだったんだ。
生きるか死ぬかの毎日だったが、運よく俺には拾ってくれる人がいた。
そいつは所謂殺し屋って奴でな。俺はただの後継者で、筋が良かっただけみたいなんだ」
しかし、クロムはそれで良かった。
なぜなら、それを学んでいるうちは生きることが出来たから。
やがて、彼は恩師の仕事を手伝うようになった。
恩師は名の知れた殺し屋で、その恩師に見いだされたクロムもたちまち有名になった。
そんなある時、恩師は組織の人間に扱いきれない獣として処理された。
組織の人間は例え仲間であっても、知り過ぎた人間は殺される。
それが伝説であろうとなんであろうとそのルールから逃れることは出来ない。
復讐を考えたクロムであったが、自分もまた首輪の繋がれた獣の一匹に過ぎない、と悟るにはそう時間はかからなかった。
やがて、仕事をこなし続けてきたクロムにも番が回ってきた。
しかし、その時にはクロムも考えが変わっていて、生き延びるために必死に抗った。
結果は多勢に無勢。
スーパーマンでもない限りクロムには死しか選択肢が与えられなかった。
そして、殺されるぐらいならとクロムが自死を選んだその瞬間、彼の死は無かったことにされ異世界にやってきていた。
全く違う常識に違う文化。戸惑うことは多かった。
この新たな生を機に違う生き方を模索してみようかとも考えた。
しかし、一度裏世界に足を踏み入れた人間が急に真人間になることなどできない。
気が付けば、クロムは異世界でも殺し屋として生計を立てていた。
チートと呼ばれる特別な魔法や能力値は無かったが、代わりにチート武器に匹敵する相棒を携えて。
さらに、彼が使えた<錬金術>の魔法は銃弾を生成するのにピッタリということもあり、結果的に彼は超人と呼ばれる部類で有名になった。
それがクロム=ロックウィルという男の半生。
「――だからまぁ、俺はこの世界から来たよくわからん人間つーことだ。
俺が過去を話したのはこれが初めてだったよな」
「そんなことはどうでもいい!」
ハルは強く言い切った。
クロムのから初めて聞く過去の話をバッサリと切り捨てたのだ。
なぜなら、彼女はもっと大事なことを知っているから。
彼女は涙ぐんだ目で言葉を続ける。
「師匠は師匠だ! 過去がどうとかアタシは知らないし、アタシをスラム街から拾って育ててくれたことが全てなの!
あんたはあたしの父親でしょ! だったら、家族を悲しませんなよ!」
「っ!」
ハルを見たクロムの目が大きく開く。
彼の顔が苦々しい表情を浮かべると、目をそっとハルから外した。
「俺の体は――もう治らない」
「......え?」
「回復魔法が効かなくなる呪いってやつだ。
少なくとも、俺や知り合いが試したものは全部効かなかった。
まぁ、この世界の便利さに慣れ過ぎただけで、本来これが当たり前だったんだ。
むしろ、こうしてお前と話せる時間があっただけでも儲けもんってもん――」
「勝手に諦めんな! まだ他に手はあるはず......そうだ、解呪とかは!?
教会ならどうにかなるんじゃないの!?」
クロムはゆっくり首を横に振った。
「俺は脛に傷を持つ人間だ。
俺はすでに殺し屋としては有名人。罪を重ね続けた結果だな」
「でも、それは仕事だったからで――」
「神様がよそ見している時に受けた仕事だぜ? そんなもん道理に沿わないに決まってる。
それが許される世界ってんなら、そんな世界はとっくの昔に破綻してるだろうさ」
「だから、この結果を受け入れると?」
ハルはギリッと歯を食いしばった。
目の前で死を受け入れようとしている人間の弱弱しい姿に憤りを感じたのだ。
そしてそれ以上に、そんな恩人を見ていられなかった。
ハルは立ち上がると歩き出し、ドアノブに手をかけた。
彼女の鬼気迫る表情にクロムはすぐさま尋ねる。
「おい、ハル......どに行く気だ?」
「思い出したんだよ。昔に師匠がお節介に色々読ませてきた本の中に呪いに関することが内容があったことを。
呪いの解呪法は“協会の神聖魔力によって浄化する”か“呪いをかけた術者をに解かせる”のどちらか」
「待て、ハル止まれ! 早まるな!」
「アタシの命は師匠が拾ってくれなければ今頃いなかった。
だから、この命は恩返しのために使う。
クロムは生きるべき良い人だから」
ハルはドアを引き、颯爽とその場から去った。
クロムは「ハルゥ!」と叫び、思いっきり手を伸ばすが、掴むのは虚空ばかり。
「くっ......!」
クロムは体を起こそうとするが、すぐさま肉体は床へ吸い寄せられる。
「俺はまた自分のガキを失うのか......」
そう呟きながら、クロムの手はギュッと掛布団を握った。
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