第178話 勇者が消えた世界#1
「お母さん、ヒナもう行くから」
「あらあら。もうそんなに時が経ったの?
にしても、二年も経つのにしっかり覚えてるなんて、さすが愛のなせるわざね」
「当たり前。そのための準備もずっとしてきたから」
ヒナリータがナナシと別れ、早くも二年の月日が経過した。
その間、ヒナリータはナナシ達との冒険の際に学んだ修行を続け、たくましく成長した。
それこそ、並みの大人なら余裕で御せるほどには。
そして、その二年で成長したヒナリータは今旅立とうとしている。
目的は、ハイエス聖王国にいるだろうナナシに会いに行くため。
そのためにずっと修行を続けていたのだから。
「準備よし。それじゃ、行ってきます」
「はいはい、気を付けてね~」
ヒナリータは母ミルフェールに声をかけると、駆け足で玄関のドアノブに手をかけ、外へ出て行った。
そんな娘の元気な姿を見て、ミルフェールは「行ってらっしゃい」と声をかけつつ、姿が消えた頃に呟いた。
「.......それで、あの子一体誰に会いに行くのかしら?」
――一週間後
ヒナリータの旅は困難を極めた。
というのも、ヒナリータの目的はナナシであるわけだが、そのナナシがいる場所を知らない。
故に、まずは街で聞き込みということになったのだ。
しかし、ナナシが勇者アイトであることはごく一部の人しか知らず、未だ公表では勇者は行方不明のまま。
そこで、今のナナシの特徴を伝えて聞き込みをしてみたが、冒険者ギルドも宿屋の主人も、誰も知らないという結果しか得られなかった。
また、手段変更とばかりに、今度はレイモンドとミュウリンの話題を出してみれば、二人は色んな場所をあっちこっち移動しているようであり、さらにその二人に同行する道化師らしき人物はいないということだった。
「ハァ、ナナ兄は一体どこにいるの......」
色んな乗合馬車を乗り継いでやってきたどこかもわからない街。
そんな街の大通りをヒナリータが一人疲れたように歩けば、視線の先には勇者像が見えてくる。
その勇者は剣を地面に突き刺し、柄頭に重ねた両手を乗せているポーズをしていた。
「......」
ヒナリータの知らないナナシのかつての姿だ。
数年前までは鎧に身に纏い、聖剣でもって魔族と戦っていたという。
しかし、ヒナリータはその像を見てもあまりピンと来なかった。
なぜなら、知っている姿といえば、いつも元気に空回りしているナナシだから。
「お、嬢ちゃんもこの勇者像を見てるのかい?」
ヒナリータに声をかけてきたのは、この街の住人だろう小太りのおっさんだった。
そのおっさんはヒナリータの横に並ぶと、顎をさすりながら一人でに語り始める。
「いや~、勇ましい姿だよね。見ているのは像なのに、今にも拝みたくなるぐらいだよ。
そういえば、知ってるかい? この街も大戦中に魔族に狙われたってこと」
「そうなの?」
「あぁ、どうにも魔族はここを戦略的中継地点にしようとしてたらしくてね。
その時の記憶は今での脳裏にこびりついてる。
逃げ惑う人々、その人々による阿鼻叫喚の声、魔物の獣臭さと魔物の血と人の血が混じったニオイ、どこもかしこも焼ける民家からの焦げたニオイ。
まさに地獄そのものだった。あんなのはもう二度と経験したくないね」
「だけど、今もう町として機能してるのは......」
「あぁ、その通り。勇者様が素早く駆けつけてくれたからさ。
あの時の勇者様の動きは凄かったね。
魔物や魔族をバッサバッサと斬り倒していく。
まさに神に遣わされた人って感じで、見てて勇気や安堵が湧いてきたからね。
そして、その勇者の名こそが――」
「アイト、でしょ?」
ヒナリータはドヤ顔でもっておっさんに言った。
なぜなら、ヒナリータからすれば好きな人の本名なのだから。忘れるはずがない。
すると、その言葉に、おっさんはキョトンとするも、すぐに笑った。
「残念、惜しかったね。正解はカミトだ」
「え......?」
ヒナリータのドヤ顔がすぐに崩れ、耳を疑うような表情になった。
(カミト......? 聞いたことない。誰? ヒナが間違えた? ありえない)
ヒナリータの頭の中にたくさんの困惑が広がっていく。
そして、眉を寄せ、おっさんが間違えているのではと疑いの目を向けた。
カミトなんて名前の人物をヒナリータは知らない。聞いたことも無い。
それに、ヒナリータがアイトを知ったのは、他ならぬナナシの相棒であるミュウリンからだ。
であれば、ミュウリンが間違えて名前を憶えていたのか。それこそありえない話だ。
「違うよ、アイトだよ! そっちの方が間違えてる!」
「おじさんは間違えないよ。それなら確かめてみるといい。そこの像のネームプレートを」
おっさんは勇者像に向かって指をさす。
その像の足元には大きさ一メートルほどの台座があり、その台座の正面にはネームプレートが取り付けられていた。
ヒナリータはおっさんに言われるがままに、そのプレートを確かめる。
しかし、この時はまだ信じていた。プレートには「勇者アイト」と書かれている、と。
だが、結果から言えば、ヒナリータの表情は驚愕で染まることになる。
「勇者......カミト......」
「ほら、言っただろ? おじさん、嘘つかないって」
「嘘だ!」
ヒナリータはすぐさまその場所を飛び出し、近くにいた住人を捕まえ、勇者の名を尋ねた。
すると、全員が「カミト」という名を答え、逆に「アイト」という名には誰一人聞き覚えが無かった。
その事実に、ヒナリータは気分が悪くなった。
というのも、ここまで答えが一致していると、むしろ自分の方が間違っているのではと思えてくるからだ。
しかし、ここでヒナリータが間違っているのを認めると、ナナシの過去を話してくれたミュウリンの言葉が間違っているということになる。
(ミュウ姉が間違ってるなんてことはない。
だって、ミュウ姉がヒナに話してくれたあの時、嘘なんかついてなかった!)
ヒナリータは諦めきれず、近くの本屋に訪れ、本を漁ってみることにした。
探すは当然勇者の逸話が記載された本である。
勇者の名は神の名に等しいほどの価値があり、神の名前を間違えるなんてミスは許されない。
そんなことをすれば、教会に凄い叱られるから。
「無い、無い、無い、無い無い無い無い......どこにもない!」
しかし、ヒナリータがどれだけ本を漁っても、全て書かれている名前は「カミト」のみ。
そのことに焦りと困惑と気持ち悪さがこみ上げ、ヒナリータはその場に崩れ落ちた。
そんな様子を店主に心配されながらも、それに反応も出来ないほどには精神に影響を来たしていた。
それから数日間、ヒナリータは泊まっていた部屋で動けなくなっていた。
ベッドから一歩も動くことなく、食事も取らず、起き上がる気力も無く。
困惑、不安、疑心、疑問、混乱と様々な負の感情が頭の中でシェイクされ、もはやどれから整理すればいいかもわからなかった。
まるで自分一人が世界に取り残されたかのように。
「ナナ兄......どこにいるの?」
ヒナリータは首元にぶらさげたペンダントを顔の前に持ち上げる。
それはナナシ達と別れる際、ナナシからプレゼントされたものだ。
そして、それには――
「確か、ナナ兄がこれに何かつけてるって言ってたような.....」
――おい、聞いたか。ハイエス聖王国にレイモンド様が帰ってきたらしいぞ。
「っ!?」
瞬間、ヒナリータの耳がピクッと反応する。
そして、これまで全く動かなかった体が嘘のように起き上がり、窓辺へと近づく。
すると、丁度通路のところで二人の男が話しており、その話題がレイモンドであった。
「レイ姉がハイエス聖王国に......」
ヒナリータはそう呟き、拳をギュッと握る。
レイモンドは紛れもない勇者パーティの一人であり、ナナシの本当の名前を知っている確実な人物。
どうやらこれまで色々な感情ですっかり頭から抜けていたようだ。
「すぐに行こう」
ヒナリータはすぐに荷物をまとめ、勢いよくハイエス聖王国に向かった。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)