第168話 城の地下に潜む者#2
ナナシが向かった先にあった扉。
その扉を抜けると、見えてきたのは巨大な地底湖にある浮島であった。
浮島の中には祭壇と思わしきオブジェクトがあり、そこまでは橋が伸びている。
「この橋、なんだか故郷を思い出させるねぇ。
もしかして、この国にもどこぞの異世界人が関わったのかな?」
浮島までの一本の橋は木製でできており、両端の柵は赤く塗られている。
まるでどこかにありそうな日本橋という感じであり、その光景にナナシは少しだけ懐かしい気持ちになった。
ナナシが箸を渡り始めると、柵の上に青い火の玉がポツリポツリと点火する。
炎は風もないのにゆらゆらと揺れ、まるでナナシを出迎えるようであった。
その橋を進み、やがて浮島に辿り着くと、坂道を登って祭壇に向かう。
「君かい? こんな地下にいたのは」
ナナシが声をかけたのは、青い髪色の魔族であった。
後ろ手を組んだその魔族は振り返ると、優しい目つきをしており、見た目の印象からはとてもこの騒動の首謀者とは思えない。
しかし、ナナシは確信している。この魔族こそが一番ヤバイ、と。
隠すことすらしない濃密な魔力。それが地下空間全てを見たしている。
それこそ、生半可な冒険者なら魔力の濃さに酔って立つこともままならないだろう。
魔族の青年は振り返り、ナナシの姿を見る。
そして、一つため息を吐くと、眉尻を下げてしゃべり始めた。
「ハァ.......相変わらずしつこい男だ。我がいる世界にどこまでも付きまとう。
このことを俗世では”ストーカー”と言ったか? まぁ、なんでもいいか。
いい加減、存在ごと消えてはもらえないだろうか――勇者アイト」
「っ!」
青年の言葉に、ナナシは眉を上げた。
アイト......その名は勇者時代に使っていた名前であり、魔族にも知られている。
だから、その名前で呼ばれること自体不思議ではない。
問題なのは、今のナナシの姿を見て、ナナシが元勇者であることを見抜いた点だ。
人族の間でも勇者は消えたことになっており、今のナナシを勇者と気づく者はごく僅か。
ましてや、魔族がナナシをアイトであると見抜けることはない。
気付く可能性があるとすれば、ナナシが今のナナシとなる魔族の村にいた住人のみ。
しかし、ナナシが村の住人全員の顔を思い出しても、今の青年の顔に該当する人物はいなかった。
「.....誰だい?」
ナナシがそう聞けば、青年は目を剝いた。
そして、クククと笑い始める。
「異なことを......と思ったが、そうか、まだ完全に記憶が蘇ってなかったか」
「記憶......?」
青年の言葉に、ナナシは方眉を上げた。
青年の言っている意味はわからない。しかし、全くわからないというわけでもない。
なぜなら、ナナシにはまるで記憶を呼び起こすような頭痛を感じたことがあったからだ。
「しかし、この青年のことを覚えてないとは、実に可哀そうな話だな」
青年は鼻で笑うと、ゆっくりと歩き始める。
向かった先は祭壇の中央の台座に置かれた石の棺。
その棺に背を向けると、背もたれにして寄りかかる。
「起きた出来事は貴様のオリジナルの方の記憶だぞ?」
「言っている意味がわからないな。
それよりも、俺としては君が体を乗っ取ってる方が問題なんだけど」
「この器は少し借りているだけだ。もっとも、神の力に耐えられず、やがては崩壊するだろうがな」
「神......?」
青年を乗っ取っている人物は自らを神と名乗った。
しかし、ナナシがこれまで出会った人物で神と称されたのは、強いて言うなら偽神薬で魔神となったのみ。
ましてや、人間の姿のままの魔神となった者はいない。
つまり、意図的に魔神にされた存在ではない何者かということであり、考えられるのは本物の魔神かもしくはそれよりも上位の存在か。
「まだ気づかぬか。それはなんというかまぁ、少々寂しくもあるな。
あれだけしつこく追いかけてきながら。
まぁいい、神でないものが”世界渡り”など、代償がつきものだからな」
「世界......渡り?」
瞬間、ナナシの記憶にかけられた錠に鍵が刺さる。
そして、それはガチャリと音を立てて開錠し、封印されていたあらゆる記憶を引き出した。
「あ......あが......」
ナナシは激しい情報量に伴う頭痛に頭を抱え、膝から崩れ落ちる。
その情報量はさながら世界誕生から現在までの歴史を遡っているかの如く。
いつまでも情報が完結せず、だからこそ動けず、痛みを伴う。
神と名乗る人物は、ナナシを一瞥すると背を向けた。
そして、両手で石の棺の蓋を持つと、少しだけ持ち上げ、蓋をズラしていく。
「記憶の蓋が開いたか。だとすれば、今貴様を狙うのが前項の機会だが、あいにくこの体では激しく動くことは出来ない。
実に残念なことだ。いや、貴様からすれば、命拾いしたと言うべきか」
その人物は祭壇から一つの赤い球体を取り出した。
それは神獣の宝玉とされるもので、それを手のひらでドロドロに溶かし始める。
「なんにせよ、貴様にこれ以上追いかけ回されるのは腹が立つ上、非常に厄介だ。
故に、この世界線でもって貴様との終わりなき鼬ごっこに終止符をつける」
その人物は手のひらにある赤い液体を口の中に放り込んだ。
ゴクゴクと喉を鳴らし、液体を体内に、否、精神体へと流し込む。
口の端から流れ落ちる液体を気にすることなく、全てを飲むと、手の甲で口を拭った。
「......最後に一つ、この器から読み取った面白い記憶を聞かせてやろう」
その人物は振り返ると、ナナシにゆっくり近づいた。
そして、しゃがみ込み、ナナシの耳元に顔を近づけると、耳打ちする。
「貴様が魔王城に突入する前の日。森で多くの魔族と争ったはずだ。
そこで貴様は強力な一撃でもって数多の魔族を屠った。そして、その中には――がいた」
「っ!?」
その人物は立ち上がり、腕を組みながらナナシを見下ろした。
「記憶を思い出して良かったな。おかげで、我が言ったことが嘘でないとわかるだろ?
今のお前の姿は過去の自分に悔いているようだからな......ククク、我が貴様を殺すまで、せいぜい味わって苦しんでおけ」
その人物は言いたいことを言い終えると、青年の肉体から黒い靄となって抜け出した。
すると、その肉体からは本来の青年の意識が蘇る。
「.......っ、え、あれ? なんで僕は何して.......というか、ここは?」
青年は意識を覚醒させると、周囲を見渡した。
しかし、やはり状況が掴めないのか、首を傾げるばかり。
その中で足元にナナシを見つけると、しゃがんで声をかけようとする。
「あの、大丈――うぷっ、ごぱぁ」
瞬間、青年の体調に変化が訪れた。
青年は突然苦しむように、両手で口を押えると、吐血した。
その血の量はまるでバケツに溜まった赤い液体をひっくり返したよう。
指の隙間から鮮血が漏れ出て、地面にびちゃびちゃと落ちていき、地面に弾かれた一部がナナシの顔にかかる。
「うご......あが......」
青年は地面に血だまりを作ると、喉を押さえたまま、膝から崩れ落ちる。
そして、金魚が水面に口をつけて空気を吸うように、顔を上げて口をパクパクと動かした青年は、やがて後ろに倒れこんで絶命した。
赤い血がナナシの顔の下まで広がり、水鏡となってナナシの顔を映す。
しかし、そこに映ったのは目元に黒い布を覆った今のナナシではなく、勇者として猛威を振るったアイトとしての姿。
「......やることをやらないと。俺が消してきた命のためにも」
ナナシはそう呟き、地面をひっかくようにして拳を作った。
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