第101話 自覚
「クソ、クソ! なんでオレが間違ってるみたいに言うんだ!」
夜に近づく夕刻の中、リドウィンは一人森の中を走っていた。
夕刻といっても、鬱蒼とした葉っぱが生えた森の中では十分な暗がりが広がっている。
夜の森は大人でも近づかない。
死の森と呼ばれるこの森では、夜に行動する魔物の方が凶暴で残忍なのだ。
もし出会ってしまえば、骨すら残らないだろう。
そんな危険性は大人から耳にタコができるほど聞かされていた。
しかし、今の少年は怒りと動揺で冷静さをかき、その注意事項が頭からすっぽり抜け落ちていた。
少年は周囲を見渡しながら、毒草であるスバルダ草を探していく。
似たような葉っぱを見つけるが、よく見れば形が違う。
森に大人と一緒に出た時、散々教えられたからわかる。
「ない、ない、ない! どこにもない!!」
そもそも暗くてチラッと見ただけではスバルダ草とわからない。
多少の夜目は効くが、それでも気持ち明るくなった程度だ。
魔法を使えれば良かったが、この村で魔法をまともに使える人はいない。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
見つけたと思っても酷く似ている葉っぱばかり。
それがさらに少年のストレスを溜めていった。
少年は近くの木を蹴った。
やり場のない怒りをとにかくどこかへぶつけたかったのだ。
自分は必死に村の皆を守ろうとしているのに。
それなのにクラチには邪魔され、スバルダ草は見つからない。
なんで、なんで......オレは間違っていないはずなのに!
実の所、少年はスバルダ草の群生地の近くにはやって来ていた。
しかし、暗い森のせいで数メートルばかり道を外し、その結果見つかっていなかったのだ。
その些細な距離感の違いが、少年に不運を招くことになる。
―――グルルルル
「っ!」
低いうなり声が聞こえた。
少年は咄嗟に口を両手で押さえ、木の後ろに隠れる。
ドスッドスッと重たい足取りが近くを通った。
バクバクとうるさい鼓動を鳴らし始める心臓を感じながら、そっと覗いてみた。
木々の隙間から差し込む月光で少しずつ正体が現れていく。
真ん中に獅子の顔、右側にはヤギ、左側はトカゲの顔をつけ、獅子の胴体に尻尾の先は蛇。
この世界の魔物を象徴するような異形の存在。
キマイラ! と少年は息を呑んだ。
キマイラは死の森に縄張りを作る魔物だ。
キマイラの三つの頭それぞれが氷、炎、雷と別々の魔法を放ち、鉄を豆腐のように裂く爪、伸縮性のある尻尾の先にいる蛇は毒の牙を持つ。
短距離、中距離、遠距離のどれにも高いアドバンテージを持つその魔物は、死の森の生粋のハンター。
大型のイノシシを一人で仕留められるような人物が相手をするなら、軽く千倍は必要だ。
そんなような生き物が少年のすぐ近くを通過している。
普段はもっと森の奥にいるはずで、こんな場所にいる魔物じゃない。
何かがあってこっちへ来たか、もしくは強くなりすぎて縄張りを広げたか。
きっと今は巡回中だろう。ならば、このまま通過するまで息を殺して通過するのを待つのみ。
少年は体をもとの位置に戻そうとした。
瞬間、足が小さな枝を踏む。
―――パキッ
小さく軽い音が響いた。
日中なら聞き流してしまいそうな音でも、夜ならばとても響く。
そう、当然キマイラの聴覚はその音を聞き逃さなかった。
「グルルル」
うなり声をしながらゆっくりと近づいて来る音が近づく。
心臓が増々うるさく音を鳴らした。
鎮まれ! このままだとバレるだろ!
野生動物特有の獣臭が漂ってきた。音もすぐ近い。
少年はゆっくりと、木を背にしながら反時計回りに移動していく。
キマイラが通り過ぎた。
そのまま行けば、確実に目が合っていただろう。
後はこのまま通り過ぎてくれるだけ――
「シャアアア」
少年は妙な音にビクッと体を震わせた。
ガタガタと頭を小刻みに揺らしながら、慎重に目線を挙げる。
舌をチロッとさせる蛇の顔が目の前にあった。
アイト走りながら思った。
夜の暗がりはいつも心を不安にさせる、と。
目に見えなくても夜になるとすぐにわかる。
だって、“音が鳴りやまない"から。
どこからともなく叫び声が聞こえてくる。
それは助けを求める人間の声か、殺された人間の声か、殺された魔族の声か。
いずれにせよ、死ぬ間際の断末魔の叫びが耳にこびりついている。
俺はずっとその声を聞いては現場に向かった。
助けられた命もあるし、助けられなかった命もある。
もちろん、奪った命だって。
魔王を倒した今、俺はもう勇者じゃないのかもしれない。
だけど、未だ染みついた勇者の生き方だけは変えられない。
助けれくれと頼まれた。ならば、俺は助けに行く。
魔力を解放し、全周囲に飛ばした。
日常的に魔力を操作していたせいか、少しだけ操作が上達して、より早く現在地から森の全体像が見えるようになった。
前方百メートルに大きな魔力と小さな魔力を感じる。
精度を上げてみよう。一体はキマイラで、もう一人は水をくれようとした少年だ。
不幸中の幸いか。
キマイラは自分が強者であるこを自覚してる故に、あまりに相手のレベルが低いと狩りで遊び始める。
つまるところ、恐怖して逃げる相手を小馬鹿にするように追いかけまわすのだ。
その結果、あの少年はすぐに食い殺されずに今も生きている。
しかし、少年の体力が尽きたのか今いる場所から動こうとしない。
そうなると話は変わってくる。速度を上げろ!
「風纏い・韋駄天」
アイトは足に風を纏わせて走る。
この世界には魔力を使って魔法が存在する。
そして、勇者は取ってつけたように火、水、風、雷、土、風、光、闇の基本七種が使える。
この風魔法はその一つで、移動速度を上げる魔法としてトップクラスのものだ。
一歩で百メートルは余裕で駆け抜ける。
黒い視界の中で白い輪郭が高速でブレる。
直後、あっという間にキマイラと少年の近くにやって来た。
獅子の巨大な口が今にも少年をかみ砕こうとした。
「間に合った」
瞬間、地面に尻もちをつくリドウィンを抱えてアイトが通り抜ける。
その数秒後、キマイラの口がガチンと金属のような音を立てて閉じる。
アイトはキマイラの様子を把握しながら、リドウィンに声をかけた。
「大丈夫か?」
リドウィンは一瞬何が起こったかわからず放心状態だったが、思考が動き始めると慌てて驚いた。
「な、なんでお前がここに......!?」
「無事そうなら良かった。少し待っててくれ。すぐに終わらせる」
アイトはリドウィンを降ろすと、一人キマイラに向かって前に出る。
対するキマイラは、アイトの存在を脅威に感じたのかすぐさま臨戦態勢に入った。
キマイラにある全ての目が赤く光る。
「光刃」
アイトは右手から光の刃を作り出す。
暗闇で輝くその刃は正しく少年を守る希望の光。
その光は断罪の刃となって敵に向けられる。
―――ダンッ
アイトは踏み切る。
キマイラの眼前に素早く迫り、右腕を振るった。
一瞬だった。
アイトは右手の光を消し、リドウィンに振り返る。
直後、キマイラの体からヤギ、獅子、トカゲ、蛇の頭が分離した。
一つ二百キロ近くありそうな頭が音を立てて地面に落ち、体は崩れ落ちる。
「これで脅威は去った。もう大丈夫だ」
リドウィンはアイトの行動が理解できずに立ち止まっている様子だ。
しかし、彼の声を聞くとハッとして、採取用に持っていたナイフを両手に持ち向けた。
「近づくな! 近づいたら殺すぞ!」
リドウィンは叫んだ。
ナイフを持つ手が小刻みに震えている。
手だけではない、膝も同様だった。
少年にはアイトがキマイラ以上の脅威に映っているようだ。
その感情は声からも十二分にアイトに伝わった。
それでもアイトは近づく。
「来るなって言ってんだろ!」
リドウィンはさらに叫んだ。
しかし、アイトの歩みは止まらない。
そしてやがて、少年の目の前に立ち、そっとしゃがんだ。
「俺は君に何かしたのか?」
アイトの理解していない言葉に、リドウィンの怒りは爆発した。
恐怖を怒りが上回り、涙目を鬼の形相で睨み、言った。
「お前ら人間は俺の家族を殺したじゃねぇか!ただ普通に暮らしてただけなのに!
たくさんたくさん奪って! にもかかわらず、今ののうのうと生きてる!
返せよ!! 俺の父ちゃん、母ちゃんを!! 友達を!! 村の皆を!!」
カタカタ震えるナイフが月光でキランと光る。
恐怖と怒りでぐちゃぐちゃになった顔でありながら、決して殺意だけは揺るがないリドウィン。
アイトはじっと少年に無い目を合わせると、右手をそっと差し出した。
右手は少年が両手で掴むナイフの柄に向かった。
ナイフの柄を掴めば、そのまま引き寄せるようにナイフの角度を変える。
ナイフの刃先があと数センチで喉を切るほどまでに迫った。
その行動にリドウィンは困惑を見せる。
「な、何して――」
「君には俺を殺す権利がある」
リドウィンの言葉をかき消すようにして、求める質問の答えをアイトは言った。
震える少年の手に対して、勇者の握る手は酷く落ち着いていた。
「君の言う通り、俺は戦いの中で沢山の魔族を殺してきた。
相手は好戦的で、俺は襲われてる村を助けるために殺した。
しかし、それはこっちの理由であり、殺した事実は変わらない。
きっと同じ人間だから、その怒りは俺に向いている」
「そ、そうだ! 俺はお前が殺したかどうかなんてわからない!
だけど、お前と同じ人間が殺したってのは知ってるんだ!
だから、お前がその罪を償え! 死んで父ちゃんや母ちゃん、皆に詫びろ!」
「......そうだな」
アイトはゆっくり刃の刃先を向ける。
それに対し、アイトが引きつける力に対し、リドウィンもまた自分に引きつけるように力をかけていた。
まるでアイトが死ぬのは望まないように。
しかし、少年の力では到底及ばない
少しずつアイトの喉に刃先が近づき、やがて肌に到達。
僅かに切れた肌の毛細血管からスーッと血が流れ始める。
瞬間、リドウィンは目を見開いた。
「やめろよ!」
リドウィンは顔をそらし、力いっぱいナイフを投げ捨てた。
ナイフは月光を刃で反射しながら空中を舞った。
数秒後、グサッと地面に刺さる。
少年の行動に呆然とするアイト。
対して、少年はぐちゃぐちゃになった目を両手で押さえた。
そのままその場に座り込んだ。
そして、ずっと考えないようにしていた本音を語り出す。
「わかってる.......グスッ、わかってるんだよ.......。
こんなことしたって父ちゃんと母ちゃん、皆が戻ってこないってことぐらい......。
けど、だけど、オレは認めたくないんだよ......」
「......」
「......なぁ、オレの行動は間違ってたのか?」
リドウィンは敵に自分の行動に対して尋ねた。
敵は少年の姿を捉えながら答える。
「いや、正当な感情の向け方だと思う。だが、君は優しいから、これから殺す敵に対し、同情的になり、罪悪感を感じてしまって――」
この時、アイトは自分がポロッと零した言葉から自分の答えを見つけた。
この村に来て以来、敵意を向けられつつも、それと同じぐらい優しさに包まれていた。
それがずっと心を苦しめていた。
親切にされることは嬉しいはずなのに、まるで真綿で首を絞められてるように辛かった。
呼吸は出来ても違和感を感じる息苦しさがある。
理解できない感情が胸の内にあった。
しかし、その正体が罪悪感だとすれば納得できる。
ずっと魔族に敵対し、大願の魔王を倒すという目的を果たした。
だが、当然それだけでは物語は終わらない。
むしろ、そんな夢物語から夢が覚めた時こそ、本当の物語は始まる。
今までずっと目をそむけていた現実を直視することになる。
やってきたことは決して、自分が英雄になるための物語ではない。
戦争だったんだと強く理解させられる。
―――逃げちゃダメだよ
ふいにミュウリンの言葉を思い出した。
きっとミュウリンが言おうとしていたのはこの気持ち正体だったんだろう。
そして、この正体から逃げることは、即ち“死ぬ”こと。
死ねば楽になれるだろう。しかし、目の前の子供はどうなるのか。
相手がただ復讐の悪意に飲まれた子供だったらまだ良かっただろう。
しかし、この子は人を殺せない優しい子だった。
その子に自分を殺させて、自分は楽に逃げるのか?
本当にそれが正解だと思っているのなら、とんだ大馬鹿野郎だ。
「.......君、名前は?」
アイトは泣きじゃくる少年に名前を尋ねる。
「リドウィン......」
「リドウィンか、良い名前だ。
リドウィンが村の皆のために勇気を出してくれたように、俺も勇気ある者として務めを果たそう」
アイトは「立てるか?」と手を差し出した。
その手をリドウィンはそっと手にする。
二人は手を繋いで村へと戻った。
読んでくださりありがとうございます(*‘∀‘)