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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

タロット絵師シリーズ

どこにでも雪は降る

作者: 九JACK

本作は「タロット絵師の物語帳」を知らない人でもお楽しみいただけるよう構成しておりますが、「タロット絵師の物語帳」を読んでいただくと、よりお楽しみいただける作品となっております。

 懐かしい夢を見ているような気がした。

 意識が明瞭になれば、それは確かに、懐かしい夢のようだった。雪がちらちらと降っている。凍てつく風が容赦なく肌を叩いていくこの感覚は[あの日]と[故郷]を思い出させる。

 そう、俺の名前はカヤナ=ベル。白人、という白い肌の一族に生まれ落ちた汚点。黒人と呼ばれる肌が黒い人種。肌が黒いというだけで、忌まれ、嫌われ、蔑まれた。

 それを別段、おかしいことだと思わなかった幼少期。黒人差別は俺の生まれた砂ばかりの土地では当たり前すぎたし、どんな旅人に聞いても、黒人は世界中で差別されているとのことだった。世界と個人なら、世界が正しい、と幼心に理解していたから、何も不思議はなかった。

 俺なんてまだましだ。黒人に生まれたやつは生まれ落ちたその瞬間に殺されることだってある。生まれ落ちて、間もないのに、母親が胎から血を垂らしながら、赤子の首に手をかけているのを見たことがある。その赤子の首は木の枝を折るよりも容易くぽきりと折れ、母親が望んだ通りに絶命した。黒人に生まれたということはそれだけで罪で、母親の名誉を毀損するものだった。

 だから、生かされているだけ、俺はましなのだ。おまけに俺は[カヤナ]なんて立派な名前を戴いている。意味はざっくり言うなら[草木]であった。生かされ、名付けられ、名前に意味まであるというのに、これ以上何を望むというのだろうか。

 そんな俺にも、一応は生かされた理由というのがあった。それは[長子だから]というものだ。一番最初に生まれた子どもは、後に生まれてくる弟妹たちの父や母の代わりを担うことが多い。大家族なら尚更だ。砂ばかりの街では、人間がたくさん生きるのは困難で、それでも血筋が少しでも残るように、と子だくさんな家庭はたくさんあった。

 ただ、人が生きるには金が必要だし、大勢の家族を育てなければならないとなれば、両親が共働きになるのも必然だった。そうしたら、赤子の面倒は誰が見るのか。それは年の離れた長子の役割だった。

 俺はやはり、黒人ということで毛嫌いされていたようだが、幼い頃から赤ん坊の世話をできるよう、母親や近所の人から指導されていた。幸いなことに俺はそこまで不器用ではなく、物覚えもよかったため、疎まれたのは肌が黒いことだけで、早い段階から、もう任せてもいいんじゃないか、という話になった。

 俺は自分の兄弟の他にも、近所の子どもの世話もした。黒人なのに住まわせてやっているんだから、それくらいしなさい、そうして感謝を表しなさい、と言われた。なるほど、家事の負担を減らすことはその家の者への感謝に繋がるのか、と俺は納得し、赤子を背負い、小さい子どもたちにかまいながら、洗濯や掃除などもした。

 料理には興味があったが、させてもらえなかった。曰く「黒人なんぞが作った怪しいものを我が子に食べさせられるわけがないだろう」とのことだった。家でも、食材には触らせてもらえなかった。小さいやつらの面倒を見た駄賃として、パンをもらえているから、食うには困らなかったけれど。

 料理をしたいと思っていたのは、小さいやつらを喜ばせたいからだった。母親の作るスープを食べた子どもは、美味しいと笑って、お母さん大好き、という。大好き、まで行かなくとも、美味しい、と笑ってほしかった。できることを増やして、人を笑顔にできたなら、俺にはもっと価値があるんだ、と思える気がするから。

 雲の一つだってありやしない乾いた砂の街の夜は昼とうって変わって、凍えるような寒さが体から温度を奪っていく。俺は与えられた服とそう変わらない厚さの毛布をまといながら、眠らずに、小さいやつらが風邪を引かないよう、布団をかけ直したりしていた。小さいやつらは元気だから、朝には布団を蹴飛ばしている。だが、それで朝、子どもの体が冷たくなっている、ということは少なくなかった。俺は小さいやつらを死なせたくなかった。小さいやつらはみんな肌が白くて、綺麗で、父親や母親のお気に入りだ。俺と違って生きることを普通に許されている愛し子たちだ。それなら、何不自由なく生きてほしい。俺はそう思っていた。

 どうしても、夜通し起きていると、昼に寝こけることがあり、それで叱られることもしばしばあったが、小さいやつらは、夜に起きていたわけでもないだろうに、俺の真似をして、俺に毛布をかけて寝かせようとするもんだから、可愛くて仕方がなかった。こいつらのためにも、俺はまだ生きていなくてはいけないと、そう思っていた。

 だが、そう思っていたのは俺だけだった。

 小さいやつらが成長して、手間がかからなくなってきた頃、俺は出ていけと言われた。さもなくば奴隷商に売る、と。

 ああ、そういえば、黒人でも、紫や緑といった珍しい色の目をしていれば、奴隷商に売られたり、娼館に送られたりするのだったな、ということを思い出した。黒人は白人より体が丈夫ということもあり、労働力として売られることがあった。奴隷商に売られた黒人は皆、淀んだ目をしていて、まあ、健全な生活は送れていないのであろうことは明らかだった。

 黒人というだけで、そんな選択肢のない生活を強いられるのだから、選択肢を与えられている俺はかなりの贅沢者なのだ、と納得した。

 それでも、懐いてくれた小さいやつらと離れるのは名残惜しかった。俺を黒人だと差別しないでくれた純朴で無垢な子どもたち。その成長を見守ってやりたい気持ちもあった。

 だが、俺は現実を知る。

「黒人に育てられたなんて恥ずかしい。お母さんたちは何をしてたの」

「黒人は神様の失敗作なんだろ。なんで失敗作なんかにいい顔しなきゃないの」

「みんな白いのにお兄ちゃんだけ黒いの、気持ち悪い」

「お兄ちゃんが黒人のせいでみんなから後ろ指を指される」

「なんでお兄ちゃんは黒人なの」

「黒人なら、お兄ちゃんなんていなきゃよかった」

 俺に向かって小さいやつらはそう言った。

 尤もな話だった。情緒が芽生えて、彼らは言葉を教わり、社会を教わり、常識を授けられる。黒人を蔑視することが当たり前、という常識を植えつけられれば、俺がどんなに懐かれていた過去があったとしても、こうなるのは明白だ。過去は過去でしかないのだから。

 ただ、やはり、少し寂しかった。きっと、俺がいなくなることで、あいつらは世間的に正しい世界で生きていくことができるだろう。それは相対的に俺の存在が間違っていると証明する。……俺は、小さいやつらにだけでも、間違っていない、と言ってほしかったらしい。

 出ていくのを決意するのは容易かった。奴隷商に売られたくないし、娼館に送られるほど見目も良くない。黒人は世界中で差別されているらしいから、俺に行くあてなんてない。

 だから、当て所なくふらふらと歩いた。気づいたら、砂の街から遠く離れて、俺は植物というものを初めて見た。空気が涼やかですっきりしている気がするのに、どこか温もりを感じる植物たち。砂の街より息がしやすくて、夜も寒くなくて、木の根に寄り添い、眠った。ああ、もういつ寝て、いつ起きても、誰にも文句を言われないんだな、と思ったら、気が楽になって、すとんと意識が落ちていった。

 それから旅をして、困っている人を手伝った。黒人の俺を煙たがる人は多かったけれど、砂の街で小さいやつらの世話をしていたことは役に立った。黒人ででかくて口数が少なくて、おっかない雰囲気なのに、泣き虫のこの子はお前さんには懐くね、なんて言われたときは、何故だか俺が泣いてしまって、母親を困らせた。その日はお礼だと、夕餉をご馳走になった。固いパンと味のないスープしか知らなかった俺が初めてシチューを食べたんだ。

 寒い日には具だくさんのシチューを食べて、家の中で家族全員で暖まるのだと教わった。一時的にでも、俺はちゃんと[家族]に数えられて、安心してしまった。

「大丈夫。あなたは見た目が怖いかもしれないけど、器用だし、心が温かいよ。肌が黒いのが何だい。元気出して、たくさん自由に生きなさい」

 旅に出て、人が温かいということを知った。黒人差別はあるけれど、地域によって差別の度合いが違うことを知った。東の果てと呼ばれる街では、むしろ黒人差別は昔話で、差別は悪いことだと子どもに教えている。

 俺は親からもらった名前を捨てずにいた。というか、捨てるという選択肢がなかったんだ。カヤナという名前をなくしたら、自分は名無しになってしまう。名前がなくなると、自分という存在が世界から消えてしまうような錯覚をするから、この世界で生きるために名前が必要だった。

 すると、移動図書館を営んでいる女性は、俺にこう諭した。

「それなら、新しい名前を自分でつけちまいな。カヤナ、お前は自由になったんだ。お前が呼吸をしていても誰も咎めないのとおんなじさ。お前は自由になって、自由に生きていいんだから、名前くらい自由に名乗っていいんだよ。出家……というとわからんか。家を追い出されたやつは元々の名前を捨てて、別な名前で商売を始めたりするもんさ。あたしの[キャペット]って名前もそうさね。だからお前も自由に名前を変えていい。なぁに、名前が変わったところで、お前さんが今まで歩いてきた道は変わりゃせんよ」

 そう言われて、俺は新しく[ベル]という名前を名乗ることにした。まあ、キャペットのように以前の名前は捨てなかったけれど。

 ──それで、よかったんだ、と思う。

 凍てつく風、ちらちらと降り注ぐ雪。それは苦い記憶を呼び覚ました。

 砂の街にいた頃の差別を受けていた頃さえ、苦いとは思わない俺が、苦いと思う記憶。

 あの日も雪がちらついて、砂の街の夜を思い出させるような寒さだった。そこは治安の悪い街だと言われて、寄らない方がいい、とキャペットや周辺住民に注意されていたけれど、俺みたいな訳ありの黒人が通りすがるにはちょうどいいだろう、なんて自虐めいた考えで、通りすぎようとしたんだ。

「もし……」

「……え?」

 雪風の中に掠れて消えてしまいそうな、鈴のような声が聞こえて、俺は振り向く。仰天した。俺は最初、声の主のことを雪の精か何かだと勘違いした。それくらい浮世離れした美しい女性が、血塗れで、俺にすがってきた。

「もし、もし……ああ、よかった、止まってくださった……ごめんなさい、私はもう、これ以上、歩けなくて」

「いい、喋るな。止血を」

 お節介な世話焼きが転じて旅の行商人なんか始めたため、持ち物の中に人を手当てする道具くらいはあった。出血が女性自身のものであることはすぐにわかった。女性が歩いてきたであろう道は、赤で彩られている。

 どれくらい前からどのくらい出血していたかわからないが、目の前の女性の命が風前の灯であることは明らかだった。医者に診せないと助からないだろう。

 それでも、白い肌を汚すような赤を少しでも拭って、綺麗にしてやりたかった。助からないものを助からないとして受け入れることはできる。ただ、せめて最期くらいは綺麗に、穏やかであってほしいと願う。

「いいのです、私はいい……」

「そんなわけいくか」

「違います……この子を……」

 道具を出す俺を止めようとする女性が、赤子を抱いていることに、俺はそこでようやく気づいた。

 雪より真白な肌をして、髪も白く、凍えそうな命が、そこにある。見目があまりにも女性と似ていた。

「この子は?」

「私の子です。どうか、どうか、助けて」

「わかった。君も行こう」

「駄目。私は追われて……」

「逃げよう」

 俺の言葉に迷いなんてない。逃げようと言われたことに、女性は驚いているようだった。俺はかまわず、荷車から荷物を投げ捨て、赤子を背負うための紐でぐるぐると俺に固定し、女性を担いだ。女性は最後まで自分を置いて行くように言っていたが、無視する。

 荷物を捨てた分、余裕ができた荷車に、女性を放り、風避けの襤褸を被せてやった。乗り心地はよくないだろうが、と声をかけると、鈴のような声が泣いたのか笑ったのか、わからないような声を出す。

 そうして俺は街を出た。夜通し歩いて、治安の悪い街から離れ、どこか遠い街を目指す。女性が間に合わないことなんて、わかっていた。

「ねえ、もし、親切な殿方」

「なんだ」

「近くに海はありますか?」

 げぼ、と湿った咳が聞こえ、胸が悪くなるが、俺は「ああ」と答えた。

「それなら……海の近くを通ってください……私、海を見たことがなくて、憧れていて……」

「お安いご用だ」

 海沿いの道まで出る頃に、彼女が生きていたかわからない。次に荷車を開けたときには死んでいたし、それが俺と彼女の最後の会話だった。

 ごめん、救えなくて。

 俺は真っ暗な中を見上げる。

 雪がちらちらと舞っている。寒風も吹いてきた。目を細める。

 名前も知らない彼女とは、ほんの一時、言葉を交わしただけだった。それでもちょっとしたきっかけで、俺は彼女をよく思い出した。海が見られるように、と誰も知らない海辺の片隅に墓を建てて、名前を知らなくて、墓に名前を刻めなかったことを詫びた。昨日のことのように思い出せる。

「ごめんな、サファリ。お前を置いていくことになって」

 俺の声は風に浚われていく。あの女性から預かった赤子を俺はサファリと名付け、育てた。性別は違うけれど、母親に似て、美しい子に育った。聡い子に育って、俺の商人としての看板を継ぎたいとまで言ってくれた。俺を裏切ることのなかった小さい愛し子。

 俺ほ死んで、きっとここは地獄だ。俺が救った命もあるだろうが、同等かそれ以上に見捨てた命もある。人は死んだ後、天国か地獄に行くと聞いた。けれど天国に行ける人間は稀であると学んだ。だからきっと、ここは地獄だろう。

 もっと暑苦しい阿鼻叫喚を予想していたが。

「地獄にも、雪が降るんだな」

 ここに君がいなくてよかったよ。

 こんな寒いところに、君はいなくていいんだ。

「それはあなたもでしょう?」

 そんな懐かしい声が俺の腕をそっと引いたような気がしたが、俺は振り向かず、前へ進んだ。

「寒さには慣れているんだ。生憎とな」

 それに、もし、地獄で許されても、俺は天国には行かないんだ。いつか、サファリが来るまで待つよ。

 サファリが来たら、家族三人で、なかったはずの時間を過ごそう。

 そういうと、鈴のような笑い声が聞こえて、「待ってる」と囁いた。

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