円徳寺 ラナ 36
私は一瞬感じた不安を打ち消すように、出迎えた遠野さんに向かって、精一杯、明るく声をかけた。
「遠野さん、よく来たね。体のほうは大丈夫?」
「うん、ありがとう。ちょっと興奮して眠れなかっただけで元気だよ。今日は、急にごめんね」
遠野さんが申し訳なさそうに言った。
駅から家まで、歩いて15分ほど。
遠野さんは、にこにこしながら、当たり障りのない会話をずーっとしゃべり続けている。
ふと、出会った頃の遠野さんを思い出した。
私を見ては、ひたすら明るく、一方的に当たり障りのない話をしては去って行っていた頃の遠野さん。
その時も今も、遠野さんは何かを隠すために、こんな風に話しているんだなって思うと、妙に腑に落ちた。
同時に、少しでも、遠野さんが楽になればいいな……、そう願いながら、遠野さんと並んで、家へ続く道を歩いた。
「おじゃまします」
そう言って、家に入った遠野さんの目がやけに動いている。
何かを探しているよう……。
「あの、妹さんは?」
「妹には、今、お茶の準備をしてもらってるの。先に3人でお茶をしてから、私の部屋に移動して、ゆっくり話そうと思ってるんだけど、どう?」
「うん、楽しみ」
と、微笑んだ遠野さん。
ただ、その笑顔が緊張しているように思えて、少し気になった。
でも、初めてくる家だし、そういうものかも……。
ルリがセッティングしたテーブルのある部屋へ遠野さんを案内した私。
「きれい……」
遠野さんがつぶやいた。
「全部、妹が用意したの」
私が言ったとたん、遠野さんが驚いたような顔をした。
ちょうど、そこへ、ルリが現れた。
「ようこそ、いらっしゃいました。妹のルリと申します」
遠野さんに向かって挨拶をしたルリ。
今のルリの美しい立ち居振る舞いには慣れてきた私ですら、思わず目を奪われるほど、優雅なお辞儀。
一瞬、シンプルなワンピースを着ているルリが、ドレスを着たお姫様のように見えた。
遠野さんの顔から笑みが消えた。
呆然と、ルリを見ている。
「遠野さん……?」
「あ、ごめん……。円徳寺さんの妹さんが、想像していたより、ずっときれいで驚いちゃって……。あの……私、遠野ゆりこです」
とってつけたような笑顔で、ルリに挨拶をした。
遠野さんに座ってもらい、私はお茶を淹れにキッチンへ向かおうとすると、ルリが言った。
「今日は私が淹れるから、ラナお姉さんは遠野さんとお話をしていて」
「ええと、大丈夫? 茶葉をどれだけ入れるとかわかるの?」
と、思わず小声で聞いてしまった。
「ええ。そこは覚えてるから。安心して」
そう言うと、ルリは部屋をでていった。
覚えてるって言ったけれど、ルリは記憶をなくす前も、お茶を自分で淹れたことはない。
お手伝いさんかお母様か私が淹れていたし、ひとりの時は、ペットボトルの飲み物を飲んでいたから。
そんな心配もよそに、ルリは優雅な所作でお茶を淹れてくれた。
味も、驚くほど美味しかった。
が、それよりも気になったのは遠野さんの様子だ。
何故か飲んだ瞬間、泣きそうな顔をしたのよね……。
でも、すぐに、無理をしたような笑顔になると、ルリに話しかけた。
「ルリさんは、普段どんなことをするのが好き?」
「本を読むことですね」
即答したルリに、遠野さんがいぶかしげな顔をした。
「読書? お買い物とかじゃないの?」
「ええ、行きませんけど」
「でも、ブランドものが好きそうよね……?」
と、聞く遠野さん。
なんで、そんなことを聞くのかしら?
今のルリは、地味な色のシンプルなワンピースを着ているだけ。
ブランドものが好きそうには見えないのに。
その時、
「ブランドものって何……?」
ルリが私を見た。
あ、そうか……。
意味がわからないのね。
今のルリには全く興味がないことだろうし、私も興味はないから、会話にでないしね。
「ええと、高級なお店の商品みたいな感じかな……」
すると、ルリは遠野さんに向かって真っすぐに答えた。
「特に興味はないです。が、品質の良い物は使いたいと思うかもしれません。あの、質問の意図がよくわからなくて、変な答えだったら、すみません……。私、以前の記憶がないから」
「記憶がない……?」
驚いたような声をあげた遠野さん。
私が、ぼやかして説明する。
「1年くらい前に、ちょっと事故で……。記憶をなくしてるの」
「え、1年前……? そう……」
遠野さんは、何か考え込むようにつぶやいた。
「でも、ルリは勉強が好きで、毎日、沢山本を読んで、覚えていってるから、私より知ってることも多いの」
「それはすごいね。勉強が好きで、きれいで、センスもよくて、お茶も上手に淹れられて……なんか、うらやましいな」
そう言うと、遠野さんはカップを手に持ち、一口お茶を飲んだ。
そして、やけに真剣な顔でルリを見据えて、言った。
「ルリさんって、もてそうだけれど……、彼氏はいるの?」




