円徳寺 ラナ 10
「ねえ、ラナお姉ちゃん。解熱剤、持ってる? 持ってたら、ルリにちょうだい」
私の顔を見るなり、ルリが言った。
「解熱剤? え、ルリ! もしかして熱があるの!?」
長年、面倒をみてきた習性で、話しながらも体は勝手に動く。
すばやく救急箱から体温計をとりだした。
「はい、これで測って。熱があれば、お母様にすぐに連絡を……」
と言いかけたところを、ルリが軽い調子で遮った。
「あ、お母様には言わないで」
「熱がでたら、お母様にすぐに知らせないと。後で知ったら大騒ぎになるわよ」
「本当に、大丈夫だから。久々に熱がでそうな感じがしただけで、今は熱はないし。でも、明日、遊びに行くから熱がでたら困るんだよね。だから、解熱剤をもらいにきたの。お母様に言うと、遊びに行ったらダメってうるさく言われるから、絶対に言わないで」
まあ、確かに私の救急箱には解熱剤も入っている。
でも……。
「熱がでそうなら、明日は遊びに行かないほうがいいよ」
と、ルリに言ってみた。
すると、ルリがにんまりと笑った。
「ラナお姉ちゃんにだけ言うけど、明日、私、デートなんだ。かっこいい先輩なんだよ! 彼女がいて、なかなか、ルリにおちなかったけど、やっと別れたの! だから、絶対に行く」
「え……? それって、もしかして、ルリは彼女がいる人をとったってこと……?」
「とっただなんて、ひっどーい! 彼女よりルリのほうが魅力的だっただけだし! ルリ、全然、悪くないから」
「でも、彼女がいる人に言い寄るなんて……」
「あーもう、ラナお姉ちゃんって、ほんと、馬鹿みたいに真面目だよね? そんなことより、早く、解熱剤、ちょうだい! 明日、もし熱が出たら、すぐに飲みたいから」
ルリの言葉に、留学でわくわくしていた私の心は、ずっしりと暗い気持ちにぬりかえられた。
ルリがデートする相手とリュウが重なり、見知らぬ彼女さんと自分が重なってしまう……。
促されるまま、救急箱から解熱剤を一回分だけとりだすと、ルリが私の手から奪い取った。
「ありがとう、ラナお姉ちゃん! じゃあ、明日、遅くなるかもしれないから、お母様に聞かれたら適当にごまかしといて!」
ルリは上機嫌でそれだけ言うと、部屋から出て行った。
◇ ◇ ◇
翌日、私は大学へ向かった。
昨日のルリとの会話を思い出すと気持ちが沈む。
でも、留学への気持ちは揺るがない。
やっぱり、少しの間だけでも、ルリから離れたいし……。
きっと、お母様もルリも反対すると思うけど。
でも、どれだけ反対されようが何を言われようが、両親とルリを説得して、1年間だけ私の好きに生きさせてもらおう。
留学で学んだことを、今後、リュウと会社を継ぐ時にいかせるよう、必死でがんばることも伝えよう。
認めてもらうためには、なんでもしようと覚悟を決めた。
午後の授業で森野君に会い、私は自分の気持ちを伝えた。
森野君はとても喜んでくれたあと、真剣な眼差しで私に言った。
「円徳寺の覚悟に水を差すつもりはないが、あの妹と母親は話がわかる相手じゃない。俺は、円徳寺が、これ以上、理不尽な言動で傷つくのを見たくない。だから、説得しようなどと無理をするな。俺は俺で動くから、留学は邪魔させない。それと、留学している一年だけ自分の好きに生きるんじゃなくて、これから、一生、円徳寺は自由だ。あいつらのために生きるんじゃなくて、自分のために生きるんだ。子どもの頃から、あのクソ母親にすりこまれてるから、すぐには切り替えられないかもしれないが、自分のために生きてくれ!」
森野君のまっすぐな瞳は、いつだって私に力を与えてくれる。
留学すると決めたら、なんとしてでも、試験に通らないといけない。
森野君は、私の成績なら絶対大丈夫だと言ったけれど、試験に全力を注ぐことにした。
図書館によって、参考になりそうな本を借りて、外にでると着信があった。
お母様からだ。
お母様が私に電話をかけてくるのは、ルリのことしかない。
昨晩の浮かれた様子のルリが思い起こされて、無性に嫌な予感がした。




