ムルダー王太子 35
ダグラスは表情をがらっと変え、にこやかにルリを見た。
「予定より早く準備が整いましたので、ルリ嬢には婚約者のふりを終えていただくことになりました」
「え? そうなの?」
ルリが驚いたように声をあげる。
「婚約者のふり……?」
混乱した様子でつぶやいたバリル。
「ルリ嬢にはムルダー様の婚約者のふりをしてもらっていただけです。……が、てっきり、察しておられるのかと。でなければ、王太子の婚約者と王宮中で噂になるほどの仲にはなりませんしね、普通は。なるほど、想像どおり、思慮の浅い方だ」
笑みを浮かべたまま、さらりと毒を吐いたダグラス。
が、それよりも、ルリのことをあっさりばらしたことに驚いた。
「おい、ダグラス! それを言ったら、ダメなんじゃないのか!?」
「いえ、根回しも終わりましたので、お好きにしゃべっていただいて結構です。すでに、ロバート様が王太子になることもひろめています。ああ、魔力の書類のしばりも解いてありますから。それと、ルリ嬢のことは、先ほど、国王陛下にも自由にしていいと許可をいただいてきました」
ダグラスはそう言うと、ルリに向かって、薄い本のようなものを差し出した。
「私がルリ嬢にご紹介するとお約束していた方の絵姿です。お好みに合えば良いのですが……。どうぞ、開いて見てください」
ダグラスに促され、絵姿を見たルリの顔が輝いた。
「うわ、かっこいい……! この方は、どんな方なんですか!?」
どうやら、一目で気に入ったようだ。
「隣国の伯爵で、年は28歳。国でも指折りの資産家で、仕事は人に任せておられ、普段は、人目のない静かなところで過ごされています」
「静かなところ?」
絵姿からやっと目を外したルリが、ダグラスに尋ねた。
「ええ、今は山中に建てたお城で住まわれています。とはいえ、贅を尽くした城で、この王宮よりも広いです」
「すごい!」
ルリが嬉しそうな声をあげた。
「ちょっと待ってください! さっきから、いったい何を話しておられるのですか!?」
バリルが叫んだ。
すると、これまた、あっさりとダグラスは今までのことを説明した。
そして、婚約者のふりを無事終えれば、ルリには条件の良い相手を紹介すると約束したことも。
「なんだ……それは……? 本当ですか、ルリ様!?」
バリルが悲壮な顔でルリに問う。
「うん。だって、私、ムルダー様とは結婚したくないし、平民にもなりたくないから」
と、答えたルリ。
ルリでも、さすがに気まずいのか、バリルから目をそらしている。
「それなら、ルリ様、俺と結婚してください! もう、なんの障害もないじゃないですか!? それに、一度は、俺の婚姻の申し込みを受け入れてくれましたよね? ルリ様に、絶対に苦労はさせません!」
必死で叫ぶ、バリル。
その様子をダグラスは楽しそうに見ながら、言った。
「ルリ嬢。好きに選んでください。ラジャ伯爵家のご子息と婚姻するか、私が紹介した方と会うか、または、それ以外でも……。ちなみに、私の紹介する方は、ルリ嬢をすぐに受け入れたいそうです。ドレスなども最高の物を用意するので、身ひとつで来ていただければよいとのことでした」
怪しすぎるだろう……。
会ったこともない人間にそこまでするか?
が、ルリの考えは違うようだ。
「最高のものを私のために?」
と、嬉しそうにつぶやいている。
「ええ、もちろんです。伯爵はルリ嬢を迎えられることを、とても楽しみにされていますから。ただ、私が隣国まで送っていくことになりますが、今後の予定がつまっていましてね。もし、ルリ嬢が了承してくださったのなら、今日、これから、隣国へお送り致します。もし迷うようであれば、この話はなかったことに……」
「いえ、私、その方に嫁ぎます!」
「は? ルリ様……?」
茫然とするバリル。
「ごめんなさい、バリル様。バリル様は優しくて、頼もしくて、異世界でのお兄さんみたいに思ってたの。つい、甘えちゃったけど、結婚する好きとは違って、家族みたいな感じだから……」
「兄……?」
顔色がみるみる悪くなり、固まってしまったバリル。
「じゃあ、ダグラスさん、今から行くのよね? 少し持っていきたいものがあるから、一度、私の部屋に帰ってきてもいい?」
「もちろんですよ、ルリ嬢。後でお迎えにあがります」
ルリは上機嫌で、ぼくに言った。
「じゃあ、ムルダー様。ちょっとだけお世話になりました! 私、幸せになりますね! ムルダー様もがんばって!」
は? なんだ、その挨拶は?
ルリは固まったままのバリルにも、おざなりな挨拶をして、バタバタとぼくの執務室から出て行った。
残ったダグラスが、冷たい視線をバリルに向けた。
「大事なものをとりあげられた気持ちはいかがですか? 君が以前、したことですけどね」
「は? 何を言って……」
うつろな目で、ダグラスを見るバリル。
「君は忘れているかもしれませんが、私は執念深くてね。しっかり覚えているんですよ……。私の弟のライアンは国王陛下に頼まれて、ムルダー様の側近候補として、王宮へ通いはじめた。だが、ライアンは、日に日に暗い顔をするようになった。ライアンに聞いても何も言わない。そんなある日、泣きはらした顔で帰ってきたんです。すぐに、公爵家の影に調べさせると、ライアンはいじめられていた。泣いたのは、君が、ライアンの大事な本を奪い、破ったからだ」
「そんなささいなこと……。それに、それくらいで泣くなんて弱いだけ……」
と、バリルが言いかけたのを、ダグラスの怒声が遮った。
「ささいなこと!? なんの落ち度もないライアンを一方的にいじめたことが、ささいなことなのかっ!?」
ダグラスの声に、思わず、震え上がった。
バリルも、おびえた目でダグラスを見ている。
「あの時のライアンは本が大好きで、本を宝物のように大事にする、物静かで優しい子どもだった。そんなライアンが一番悲しむことを、君はしたんだ。ささいなことであるわけがないだろう? 激怒した私は、すぐに仕返しに行こうとしたが、ライアンに止められた。ぼくが弱いから悪いんだ。だから、ぼくは強くなるって言ってね。それで、翌日から騎士を目指し、ライアンは自分を厳しく鍛えはじめた。でも、 弱いから悪いだなんて、そんな理由が通るわけがない。虐めた奴が100パーセント悪い。だろう? まあ、でも、これで、君も少しは大事なものが奪われる気持ちがわかったかな? じゃあ、ルリ嬢を送っていくので、私はこれで」
そう言って、ダグラスは去って行った。
嫌な汗がでた。
ダグラスはライアンがいじめられたことを根にもっていて、今頃になって、バリルに復讐したのか……?
でも、ぼくは、直接、ライアンをいじめてはいない。
実際にいじめたのは、バリルとロスだ。大丈夫、ぼくは関係ない……。
翌日、バリルから、側近を辞職するという書類が届いた。
持参した伯爵家の使いが言うには、バリルは部屋にこもっているそうだ。
ルリもバリルもいなくなった。
用がある時以外、ぼくに話しかける者は、もう誰もいなくなった……。




