春眠暁を覚えず ―目的地―
授業中は居眠りばかりをしているケンジにくっついて、メタバースを初めて体験する留学生のティナ。
無重力のISS-2、0.3Gの月を経てついに、1Gの世界へ。そこは地球のどこかなのか?それとも・・・
ティナは「1G」と聞いて身構えていたが、ランディングした場所がどこにでもある公園のベンチでなんとも拍子抜けしてしまった。思わず、「なに?地上に戻ってきたの?」とケンジに聞くと、上を見るように示唆された。何気なく、上を見上げたティナはベンチからずり落ちてしまった。頭上に雲があり、雲の合間から街が見えるのだ。おもわず、「なにこれぇ!」と声が裏返ってしまった。ケンジは腰が抜けたようになっているティナを引っ張り上げると、行くぞと言ってすたすたと歩き始めた。ティナが慌てて後を追いかけながら、何も説明してくれないので、ちょっとむくれながらここはどこなのか聞くと。「ラグランジュポイント」と一言だけ答えが返ってきた。「はぁ?ラグジュアリーポイント?」と素っ頓狂な声を上げると、さすがのケンジも振り返って説明してくれた。ここは、月と地球の重力で釣り合いが取れる安定したポイントで、ティナたちはそこに建設された、オニール型という内径6キロで長さが30キロもある筒状のスペースコロニーの中だと言われた。改めて見上げるとその大きさが肌で感じられるのであった。
よく見ると、筒状の部分が6分割されており、3つは透明な材質で外が見えている。外側に見えるのは、太陽光パネル兼ミラーだとケンジが指をさしながら、教えてくれた。今、ティナがいる場所は、ベイエリアという区画でアメリカ西海岸を模した場所だという。右上が、ハーバーエリアでオーストラリアシドニー近郊、左上がシンガポールエリアと言うことまで説明してくれた。
説明が終わったケンジはまた歩き始めたので、慌てて後をついてきながら、この巨大な場所に人が殆どいないことにティナは気が付いた。遠目には、列車のような物が動いているのが見えているのだが、大通りともいえる場所なのに、ほとんど車は走っていない。歩道もきれいに整備されているのにまだ誰ともすれ違っておらず、ゴーストタウンのような寒気を感じた。
ケンジは何の躊躇もなく何か日本的ではない神社の鳥居の方に歩いていく。慌てて、ティナはケンジを小走りに追いかけたのであった。
ケンジは、鳥居の手前で急に立ち止まったので、勢い余ったティナがぶつかると。「おいおい、一人でどっか行くつもり?」と言いながら、分厚いスマホのような黒いデバイスをティナに手渡しながら、迷子になりたくなければ鳥居の下をくぐる前にこれを肌身離さないように持っているようにと伝えた。なぜかと聞くと、ワープゾーン(どうも鳥居の所らしい)をデスティネーションデバイスなしで通過すると、未知の場所へ飛ばされるという。ついてくるのであれば、絶対に落としたりしないように釘を刺された。
ティナはなんかこれがないと恐ろしいことが起きそうな気がしたので、手に握っていたデバイスをジッパーの付いたポケットに入れ、しっかりと閉めた。それでもなんか不安だったので、ケンジの腕にしがみつくと。「重い」と一言言われ、ティナは「バカ!」と言いながらも赤面しながら、腕をほどいた。
ケンジが先に鳥居をくぐると、鳥居の枠の内側がシャボン玉の表面のように七色のように淡く光り、ケンジの姿が吸い込まれていった。ティナは置いて行かれるのは怖いので、慌ててケンジの後を追って鳥居に駆け込んだ。
鳥居の下をくぐった瞬間、ちょっとした浮遊感があり、今度は何G?と身構えたが、月面の0.16Gほど軽くはないが、1Gよりは軽い感じがする場所に着地した。今回はうまく立ったまま着地できたのだが、なにやら薄暗く不気味な場所である。しかもケンジの姿がない。もしかして、迷子になったのかと思い、怖くなって、「ケンジ」と叫ぶと、後ろから「叫ばなくても聞こえるよ。」と声が後ろから返ってきた。鳥居に駆け込んだおかげで、ケンジの前に出てしまっただけであった。
ケンジは腕につけたデバイスを見ながら「ティナ、血圧が高いし、心拍数も早いぞ。全身に発汗作用も見られるし、大丈夫か?」と聞かれ、(案外優しいところあんじゃん)と思いながら、「大丈夫、ちょっとドキドキしただけ」と言った瞬間に、さすがにこのテレバイタルスキャナはよく出来てるなという独り言が聞こえ、何?私のことが心配というより、デバイスの性能実験なの?と何を期待したわけではないが、なんともがっかりした気分のティナであった。
そんなティナの気持ちは全く察している雰囲気の無いケンジは、ここからが問題なんだよなぁ。と独り言を言いながら、薄暗い建物の中を歩き始めた。
改めて、ティナがあたりを見回すと、壁は横縞模様で何かを積み重ねたように見える建材がむき出しになっており、配線もパイプ類もむき出し状態。床には何に使うのかよくわからない機材や資材が散らばっている状態であることに気が付いた。ケンジが向かった先の廊下も薄暗く、目の錯覚か廊下の奥が時折ブレて見える。ケンジは、廊下に出ることをやめ、部屋の中央に戻ってくると、資材の上に腰かけた。先ほどティナをスキャンしたデバイスを外すと床に置き、「アーキテクト」と何かの呪文のようにコマンドを発すると、空中に3次元の映像が出てきた。どうも、この建築物の全体像のようだ。ケンジが動作で拡大したり回したりしているが、どうも納得していない様子である。次に「ロケーション」とコマンドを発すると、ズームアウトして、端っこのドームに青い点が二つ点滅し始めた。
よく見ると、青い点の点滅している場所と他の場所はつながっていない。他の場所も所々が分断されていているのが判る。
「ねぇ、ケンジ。ここはどこなの?なんか、廃墟っていうより、工事中って感じなんだけど。」
「ティナ、ここは、建築中の火星基地。まだ、内装ができてないから、3Dプリンタで作った部分がそのまんまになってるでしょ。」と言って、ティナが先ほどみていた横縞の壁を指さしながら説明してくれた。
ティナは、「へっ⁉カ・セ・イ???ど、どういうこと?」と言ってぽかんとしている。完全に頭が思考停止状態になっている。すると、突然ティナが腰かけていた楕円形の物から足が生え、突然動き出した。全く人気のない工事中のドームでいきなり座っていたものがゴキブリのように動き出したのでティナは半狂乱状態でキャーキャー騒いでいる。
ケンジは、「お、やっと工事を再開する気になったか。」とつぶやくと、叫びながらメカゴキブリにしがみつくティナを引きずりおろして、ポケットから取り出した水を飲ませ落ち着かせた。ほっと一息ついたティナは、「ケンジ、ありがとう。」と言ったかと思うと、完全に逆切れ状態で、あれが動くとは言ってなかった、何なのあれは、私ゴキブリが一番苦手なの!とか怒鳴り散らしたのだが、一通り文句を言うと疲れたのか、ペタンと床に座り込み、「何なの、ここは?なんでケンジはこんなとこに連れてきたの。全然ロマンチックでも何でもないじゃん!」と勝手についてきたにも関わらず文句をブツブツと言いながら泣き始めてしまった。
ケンジは、困ったお嬢さんだなと思いつつ、工事ドローンが動き始め、ムカデみたいな資材運搬ランドドローンが入ってきたのが見えると、何か納得した様であった。