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極光よ、真直なれ  作者: 風雷
9/12

第五話「ロール」(後)

 かつては姉が使っていた部屋。今はそれを思い出しているのは僕だけだが、そこにフィーナは横たわっている。

 この場にいるのは僕と堺、そして、あの後に現場に駆けつけた京太とクソ親父の四人だ。病院に搬送しようということになったが、堺に事情を聞いた二人は、僕の家に連れてくる以外の選択肢がないことを理解した。今は下で堺が詳しく話している。

 僕はまだ、生きている。


「アカ……リ……」

「フィーナ?」


 顔には一切の生気がなく、まるで死人のようだ。出血も止まらない。


「ゴメン……ゴメンね……アカリ……アタシには他に何もできなかった……」

「喋るな、傷口が開く」


 フィーナは、まるで僕の声など聞こえないかのように上の空で、話を続けた。


「……彼女……<舞台>から飛び降りたのよ」


 これは、フィーナの僕に対する弁明だった。


「キミと初めて会ったあの日に、飛び降りたの。何が原因かは知らないわ。アタシはその場に出くわした。放っておいてもロールの計画に加担するだけ。だったらせめてアタシが……」


 功刀星。フィーナは僕よりも前に、僕の姉を選んでいた。恐らくだが、彼女から得た <うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>は、最初のガモーネとの戦いで使い果たしたのではないか。


「……本当よ。アタシの顔を見て。キミの知っている人にそっくりでしょう? それは、アタシがこの世界に来て初めて得た<うつろわざる神>が、彼女だったから。ゴメンね……アカリ。アタシには、他に何もできなかった……」


 僕の頭の中に、堺が<舞台>に飛び降りた時の光景が甦った。恐らくあの時、堺とチカが<存在重複>したのだ。フィーナはより多くの力を得るために、恐らく何人も犠牲にした。


「アタシは……何が何でもやり遂げなきゃいけなかった。アタシの世界は……もう……ダメなのよ。……アタシの子……可愛いあの子は……そんな中を生きていく。……あの子や……あの子と同じ世代の子供たちは……いつかアタシたちより賢い方法を見つけ出すかもしれない。だから……次につなげなきゃいけない。……アタシたちの勝手で……子供たちの未来を潰してはいけない。……だから、アカリ……こんなことを言っても信じてもらえないだろうけど……アタシの代わりに……ロールを止めて。……アタシのためじゃなくていい。……せめて、アタシの子供たちのために……キミと同じ世代……キミの次の世代のために……戦って欲しい……」


 願いであり、祈りであり、慟哭どうこくでもあった。僕は、フィーナの手をとった。彼女から何を受け取れと言うのだろう。僕は、どうすれば良いのかわからない。フィーナのとった手段は明らかに間違っている。だが、彼女はそれを受け継げという。


「僕に戦えっていうのか? 君みたいに? 無理だ!」

「アタシにできたことが……アカリ……キミに出来ないことを証明できる人間はいない。そして……大いなる……ああ……キミの言うところの神も……アタシたちの言うところの<大門ダイモン>も……何も証明しない」

「やめろ…… フィーナ。黙るんだ……」

「お願いよぉ……アカリ……あの子の……」


 ふと、何かが僕の体の中を駆け抜けた。すると、フィーナの手から力が抜け、それはだらりと僕の手にもたれかかった。


「フィーナ?」

「大丈夫よ。まだ死んでないわ」


 いつの間にか、堺が背後に立っていた。京太と親父も一緒だ。


「フィーナは、助かるのか?」


 堺は首を振った。


「ロール様が華棟木様に致命傷を与えると同時に、あなたと華棟木様の縁も切れたの。今のあなたたちは、<存在重複>の関係にはないのよ」

「どうして?」

「<存在重複>は二つの存在が互いに高め合うもの。片方が死ねば、それは成立しない。死に瀕している彼女を救うほどの<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>は今のあなたにはないのよ……」


 死の宣告に等しかった。フィーナはこのまま死ぬ。僕には何もできない。


「俺の……そのなんちゃらは使えないのか?」


 京太だ。堺から事情を聞いた彼は、迷いもせずにそう言った。


「それをやれば、火乃君の存在は全部華棟木様に食い尽くされる。簡単に言うと死ぬわ。それでも華棟木様は助からないかもしれない……」

「かまわない。この人を救ってやってくれ」


 思い出した。京太がフィーナにこだわる理由。彼は以前もよく僕の家に遊びに来ていた。僕の部屋に上がると、必ず姉さんが茶と菓子を出してくれる。その時の彼女を見上げる京太の瞳は、いつも輝いていた。こいつは多分、姉さんのことが好きなのだ。だから、彼女の面影を残したフィーナを見たときに、<隠者の天秤(トランクィリッタース)>によって忘れ去られた姉さんのことを、かすかに感じ取ったのだ。

 今でもきっとそうだ。堺は姉さんのことまでは話していないだろう。それでも京太は自分の命を彼女に差し出すという。


「ダメだ!」


 僕はフィーナのことが嫌いではない。だが、彼女が僕に秘密で犯した過ちは、決して許すことができない。友人を犠牲にして彼女を助けるなど、絶対に許せることじゃない。


「何を言ってやがるッ! お前、彼女を見殺しにするつもりかよッ!」


 京太が僕の胸倉をつかむ。


「奪い取られたんだ。僕たちは、知らない間に奪い取られていたんだよ! 仲間だと偽って、彼女は自分の目的を遂げるために、裏でどんなことをした? 許せるのか? 京太は自分の姉貴を無駄死にさせた人間を助けるなんていえるのかよ?」


 吐き出した。心に溜まった全ての毒。それを、何の罪もない京太に。

 それでも、京太は引き下がらない。


「俺を使ってくれ! 死んでもいい! だから俺を使ってくれ!」


 堺に詰め寄る京太の肩をつかんだのは、親父だった。


「堺……だったか? その子は、あとどれくらい持つ?」

「……持ってあと一日です。それ以上は私にも無理です」

「……だそうだ。今はゆっくり考えな。明日になったら、決断だ」


 親父はそう言って、階下に戻った。京太はずっと僕を睨んでいたが、僕はそれから逃げるように親父の後を追った。

 その夜、僕は家から抜け出した。




 何をやっているのだろう。自分でもわからない。僕はさっきから何時間もずっと、武載むさい駅の二番線ホーム――通称<舞台>の前のベンチに座ったまま、数分感覚で通り過ぎる電車を眺めている。

 轟――と、快速電車が駆け抜ける度に、僕の前にひとつの光景が甦る。

 今の今まで忘れていた。堺に出会うよりもずっと前、その人は僕と一緒にここで並んでいた。

 初めて人の死体を見た。僕もその人も、それまではここが<舞台>と呼ばれる由縁を知らなかった。彼女は僕の前に立ち、手で僕の目を覆った。


ーー見ちゃダメよ、アカリ。見ちゃダメ……。


 彼女が僕より早く学園を卒業して、一緒にホームに並び立つことがなくなってからも、僕はここに立ち続けた。

 いつでも、彼女は僕の前にいた。いつでも僕の前に、僕は時々それが疎ましかったが、ずっと甘えていたのだ。

 「月曜日失踪事件」は、フィーナが言うには、死にやすい、自ら死のうとする人間から消えてゆく。だから、僕には何故彼女が、あれ以来一度も立っていない<舞台>に足を運んだのか、理解できない。

 重荷、だったのだろうか。クソ親父に圧迫される日々に、嫌気がさしたのだろうか。

 わからない。僕は、姉さんではない。何もわからない。

 ああ、気付いた。

 僕は、いつもあの人に守られていた。あの人が消えたその日、きっとあの人は僕を起こしに来たんだ。それも忘れて、安穏と暮らしていた。

 フィーナと一緒にいる時も、ずっと彼女に守られていた。助けられてばかりだ。姉さんにも、フィーナにも、堺にも――

 僕は姉さんにとっての(・・・・・・・・・・)壁だったんだ(・・・・・・)




 暑い。いつの間に眠ってしまったのだろうか。駅員は仕事に忙しいのか。何時間もベンチに座り続ける僕のことなどかまっていられないらしく、僕は日の高さをみて、もう夕方近いことを知った。

 ふと、何者かの影が日光を遮った。


「よぉ……」


 どこかで聞いた声。聞いただけで不愉快さの方が先に立つ。


「木田か? それに湯山も……何やってるんだ?」


 彼らは昨日の事件について、何かを知っているのだろうか。あるいは、月曜日が来る度に呪っていた学校が半壊する様を、ニュースででも見て、狂喜したのだろうか。僕には興味のないことだが。


「功刀ぃ……少し付き合えよ」


 相変わらず、木田は気持ち悪い笑い方をする。だが、彼の後ろから数人の男たちが現れるの見て、僕は背筋に悪寒が走るのを感じた。


「おい、テメェ、木田っち相手に調子こいたんだって?」


 目を血走らせて、いかにも職業不良といった男は言う。


「どこに連れてく?」


 木田が馴れ馴れしそうにその男に話しかける。彼の交友関係は穏やかには見えない。


「便所だな」


 湯山が僕の腕をつかんだ。何故だろうか。これから酷い目に遭うのが目に見えているのに、体に力が入らない。恐らく、僕は望んでいるのだ。これは決断を放棄した男にはお似合いな末路だと、そう思った。

 十分だか、一時間だかはわからない。ぎりぎりに気絶しない程度の痛みが、砂浜に打ち寄せる波のように、少々の感覚を置いて僕を襲った。


(チカに串刺しにされた時は、こんなもんじゃなかったな……)


 そうは言ってみるものの、殴られれば痛いし、蹴られれば悶絶する。


「調子に乗るなよ、功刀? お前みたいなクズは、便所の汚れでも舐め取ってるのがお似合いなんだよ」


 黄色く変色した便器に顔を押し付けられても、僕の指先はピクリとも動かない。

 無抵抗な人間をいびって喜ぶほどには彼らは悪趣味ではなかったらしく、いつの間にか僕は解放されていた。尻ポケットに入れていた財布からはきっちりと金が抜き取られた。

 僕は、再び<舞台>に立った。

 狭い。なんという狭いホームだ。足を一歩後ろにずらすだけで、足を一歩前にずらすだけで、楽になれそうだ。

 空気が重い。見えない壁がそこにあるようだ。右にも、左にも、それは強烈な力で僕を締め付ける。

 息が苦しい。辛い。いや、辛くはない。逆だ。僕の心は、羽が生えたように軽い。

 このままどこかに飛んでいけそうな、そんな気がして、僕は一歩を――


「待てよ」


 誰かが後ろから僕の襟首をつかんだ。

 眼前を物凄い速度で列車が通過した。目と鼻の先、そこに無限の世界が広がっていた。

 強い力で僕は後ろに引っ張られた。

 気付けば、尻餅をついた僕を、彼は見下ろしていた。


「何やってんだよ! お前……」

「京……太?」


 彼は、怒っているのだろうか。そうなのだろう。今の僕には、彼の強い視線がまぶしい。


「なあ、明。やむを得ず、誰にも打ち明けられないことってあるよな」

「……ある」

「何で打ち明けないんだろうな?」

「結局、誰も助けてくれない。自分でどうにかするしかないから」

「そうだろうな。でも、自分だけでどうにかできることなんてどれくらいあるんだろうな?」

「……ないさ。だからみんな、誰も見えないところで泣いてるんだ」

「バカみたいだな」

「……ああ、バカみたいだ」

「華棟木さん―― フィーナ……だったか? 彼女もバカだったんだろうな」


 僕は思わず京太の顔を見上げた。逆光で表情がよく見えない。


「ああ、バカだよ。大バカさ……」

「立てよ。立たなきゃ、引きずってでも連れ帰る」


 京太に言われるがまま、僕は立った。


「京太、すまな……」


 歪み。振り向いた僕の前にあったのは、京太ではなく、黒い立方体――<門扉キューブ>だった。

 いない。たった今までこの場にいた、京太の姿がない。

 警笛。快速電車が眼前を通る。その先にも、<門扉>。

 消えた。まるでそこがトンネルでもあるかのように、それは<門扉>に向かって突っ込んだ。

 <完全存在重複>による計画の最終段階。僕は、それを目にしていた。目の前で、京太はその犠牲になったのだ。


「うぅ……」


 死に憧れない人間などいない。フィーナが確かに言っていたことだ。だが、今の僕の奥底から湧き上がるこの感情は何なのだろう。これは恐怖以外の何物でもないではないか。


「京太ぁ……」


 僕はただ、その場に立ち尽くした。




 何故、僕は戻るのだろう。京太の仇をとりたいのだろうか。だが、僕に何ができるのだろう。もう一度フィーナに会って何かが変わるというのだろうか。

 家に帰りつくまでに、いくつもの<門扉キューブ>を見た。今でこそ門を閉じているが、これらが開け放たれた時、全てが飲み込まれる。今日は日曜日だ。明日になれば、以前とは比較にならない災害が起こる。


「う……あぁあぁ……」


 家の前にも<門扉>があるのを見た時、僕は愕然となった。

 走った。玄関の戸を蹴るように開けた。誰もいない。母さんも、堺も。


「……畜生……畜生ッ!」


 何かが胸の奥からこみ上げてくる。


(これは、後悔か? 僕は後悔してるのか?)


 僕には何もできない。ロールを止めることもできないし。フィーナの悪事を許すこともできない。何もしないという選択肢以外に、何があったというのだろう。

 リビングで呆然としていると、何者かがソファーに腰掛けているのが見えた。電気がついていないから、僕は最初それに気付かなかった。


「父さん……」

「随分遅かったな。友達はどうした?」

「……帰ったよ」

「そうか……」

「フィーナは?」


 親父は無言で階段の方を見やる。

 姉の部屋の扉を開けるまでの時間が、無限に感じられた。このまま永遠に来なければいいーー決断の時。

 ベッドに横たわるフィーナの前に立つ。


「フィーナ……」


 半日も迷いながら、かける言葉が見つからない。彼女は確かに僕たちの世界を救いに来た。だが、同時に僕たちから大切なものを奪い去ってもいた。彼女に何を思えばいいのだろう。彼女に何を言えばいいのだろう。そして僕はどうすればいいのだろう。

 力なく瞼を開いた彼女を見た時、永訣を覚悟せねばならなかった。


ーー決めたかい?


 フィーナの目はそう語りかけてきた。決めているはずだと。短い間ながらも戦士アルフェンティーナの相棒を務めた功刀明なら、腹を括るに十分すぎるほどの猶予があったとーー


(何をーー?)


 何を決めろと言うのだ。この人は、一体僕に何を望んでいるのだ。いや、最初からわかりきっている。

 戦えーーと。そう言っているのだ。この世を危機から救うため、戦士アルフェンティーナと共に戦え。それができぬなら、お前が自ら剣を取れ(・・・・・・・・・)ーーと。

 何ということを望むのだろう。何と太々しいのだろう。そう思った時、僕はフィーナの手を取っていた。

 声はなかった。恐らくそれをするだけの力も残っていなかったのだろう。救命を瞬時に諦めねばならぬほどの冷たさが、彼女の手から伝わってきた時、フィーナは微かに笑った。

 淡い光が、フィーナを包み込んだ。それから程なくして、彼女の体は石英が音もなく砕けるようにして、消え去った。




「お客人は?」


 階下に戻った僕を親父が呼び止める。


「死んだよ。雪みたいに綺麗さっぱり溶けて消えちまった。何も言わずにーー」


 まだ、とても人のものとは思えない温度が僕の手に残り続けている。

 見捨てた(・・・・)。いや、彼女を救う手段はもう何処にも無かった。だが、見捨てたとの思いが僕の中で徐々に膨れ上がった。何もしなかった。最善を尽くさなかった。足掻くことすらしなかった。


「明、俺はお前にとっての何だ?」


 唐突に、親父は僕に訊いた。何の脈絡もない。何を考えているのかもわからない。

 僕が沈黙していると、親父は吐き捨てるように笑った。


「わかっている。俺はクズさ。こんな男に父親なんて大層な肩書きは似合わねぇよ」


 この人は何を言っているのだろう。こんなことを今、話して何をするつもりなのか。


「お前は俺の息子だ。俺と同じところでつまずいている。そしてすぐにダメにしちまう」


 闇の中に小さな明りが灯った。親父が煙草に火をつけたのだ。


「世の中にはな、クズみたいな人間がわんさかいる。何でだと思う?」

「……知らない」

「そっちの方が面白いからさ。世の中ってのは面白くなるようにできてる」

「何が言いたいの?」

「生きてりゃあ、色んなことが起こる。いくら足掻いてもどうしようもないことだってある。そんなことに囲まれた時にどうするか。昔の人がこう言った。『人生から去れ』ってね。だがそれは賢明な人間のすることだ。クズはそうじゃない」


 親父は立ち上がると、僕の方に近づいてきた。


「クズや底辺には彼らなりにやることがある。クズはクズらしく、一発逆転だけ狙ってりゃあいいんだよ。それすらしねぇ奴は、死んでるって言うのさ」


 そう言って、親父は僕の前に何かを差し出した。淡く光っている。これは――


「<真直の頴(カトルトーセイス)>……」


 そう、これは確かにフィーナが愛用していた<直剣カトラス>だ。これを何故、親父が持っているのか。


「明はきっと迷うだろうから(・・・・・・・・・・)、間に合わないかもしれない。その時はお前に渡してくれと言われたんだ」


 不意にリビングの照明がつけられた。その先には、堺がいた。


「帰ってたのね……」

「堺……」

「さあ、行きましょう」

「どこに?」

「剣を取ったでしょう? ロール様を討つために……」

「僕が? ロールを? 堺はどうして、フィーナに味方するの? もう、彼女は死んだのに……」

「私はいつでもロール様の味方よ。でも……」


 堺は一度口ごもり、しかし迷いを捨てるように言い放った。


「堺密が言うの。あなたを助けて――って。今はもう、私はチカとしてよりも、堺密として生きている。だから、功刀君。あなたが剣を取れば、私はついてゆくわ。それに、そこら中に<門扉キューブ>があるのを見たでしょう? 月曜日になれば、あれが全部開いて、この街ごと飲み込んでしまう」


 手に持った<直剣>が淡く光った。


「堺…… フィーナのさ、子供って、何て名前なの?」

「えっ……えーっと、確か……ルーメン」

「どういう意味?」

「あなたと同じよ。夜の闇を淡く照らす光。外から来る明かり(ルーメン)……」


 僕は、初めて気付いた。何度となくこの剣には触れる機会があった。その時には気付かなかったもの。剣の根元に銘が刻まれている。


―― (ルーメン)


 確かにそう、刻まれていた。これが、フィーナの勇気の源だったのだ。何を犠牲にしても守りたかったもの。仮令人の道を外れても。この世全ての悪を背負おうとも。


「悪くはない……か……」

「功刀君?」

「行こう。ロールのところへ……」


 許す、許さないではない。フィーナが守ろうとしたものは、僕が失って慟哭したものと、何も違わない。それぞれ、そのために最善を尽くした。それだけのことだ。そして、彼女は僕にバトンを渡したのだ。他に誰もいない、孤独な戦い。


(いいさ、わかったよ。これで満足か?)


 僕が心中で独り語散ると、堺は僕の目の前にひざまずいて言った。


倭洸わこう珠鏡尊たまかがみのみこと=ロール=アンナエが侍女、すずり=チカ。第十七代華棟木流当主アルフェンティーナより、功刀明への奥義継承に確かに立会い仕りました。これよりあなた様は、第十八代華棟木流当主となります」


 堺がかしこまって言うと、親父は僕の肩に手を置いた。


「下で車を出してる。すぐに準備して来い」

「母さんは?」

「買い物だよ。上手いもん食えるように帰って来い」

「そう。そうだね……」


 クソ親父とは呼んでいるが、僕はこの人の癖をよく知っている。嘘をつくときに鼻をかくのは、親父の昔ながらの癖だ。

 消えたのだ。僕の母さんも、京太のように、親父の目の前で――

 拳が震えている。親父は、僕と同じように、腹の底から沸き起こる何かをぐっとこらえていた。

 ふと、気づいた。きっと僕はこうしたかったのだ。

 人の目を盗んで悪虐の限りを尽くす輩を相手に、剣をとって戦いたかったのだ。




 親父の運転する車で日野出学園に向かう道中、堺はロール達の計画についての予想を僕に披露した。


「<根幹世界>?」

「そう。<根幹世界>よ。並行世界よりも遥かに深い原始の次元。この世の全てがある場所、とでも言うのかしら」

「<門扉キューブ>は、そこにつながっているの?」

「そうね。ロール様は確かに仰った。<根幹世界>へ行こう――と」


 僕の世界とフィーナたちの世界は、互いに干渉しあっている。だが、それよりもっと深い部分、世界の下書きともいえるような次元がある。それが<根幹世界>。<根幹世界>は僕らの次元よりも遥かに簡素に作られていて、例えば石ころを一つ動かすだけで、低次元の並行世界全てに天変地異のような大異変を起こせるらしい。

 堺が言うには、ロールはこの<根幹世界>に侵入する方法を見つけたというのだ。だとすれば、彼女がその気になれば、<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>を盗む程度の話ではなくなってくる。


「平たい話が、神を気取れるわ」

「神?」

「そう、神。<うつろわざる神>をこの世界から盗みとって、そして<根幹世界>に返して再配分するというのが、当初のロール様の目的だったわ。でも<根幹世界>への扉を開いた今、そんなまどろっこしい方法ではなく、ロール様が必要と思う分だけの<うつろわざる神>を、別の世界に移動させることができるのよ」

「それがロールの狙いなのか?」

「ええ、恐らく」

「僕は何をすればいい?」

「ロール様を討ち、<根幹世界>と並行世界の間の<門扉>を閉じる。それさえすれば、最悪の事態は回避できるわ」

「門を閉じるか。それって、こっちからは閉じられないの?」

「時間も頭数も足りないの。それに……」

「それに?」


 座席が揺れた。親父の運転が荒い。


「向こうからしか閉じられない――かな?」


 堺は驚いたように親父の方を見た。


「知ってるんですか?」

「いや、まあ。俺の小説だと、そんな設定にする予定だったんだ。門は開けた方向からは閉じられない」


 親父の苦笑など何年ぶりに見ただろうか。この人は、言っては悪いがこういう時だけ生き生きとしている。


「それって、誰かが<根幹世界>に居残りになるってこと?」

「それなら気にしないで。私が閉じるから……」


 ミラー越しに、堺と目があうと、彼女はすぐにうつむいた。


「君が、居残るってこと? ダメだ。それなら僕が……」

「功刀君、あなたには無理よ。だって、あなたは受け取る方だもの。つながる先。踏み台じゃなくて、踏み越えていく方。華棟木様が架けた橋を渡るの。悔しいなんていったらダメよ。あなただっていつか踏み台になるんだから。人間って、そうしてつながってゆくの」


 堺が、一瞬だけ、フィーナに見えた。彼女がこの場にいても、同じことを言うだろう。


「ダメだ。君が堺でもあるなら、ダメだ」

「ふぅ……」


 堺は溜息をついて言った。


「どうして、瑞奈春過や堺密が、あなたに惚れたかわかったわ」

「何のことだよ?」

「あなた、ダメダメだもの。全くダメ。なのに変なことにこだわって、諦めない。女っていうのは、そういう男の子を見るとね、額にキスしたくなるのよ……」


 堺なのか、チカなのか、僕をからかうような口調で言った。


「着いたぞ」


 私立日野出学園があるはずの敷地。そこは、あたり一面の荒野になれ果てていて、僕は最初ここが何処なのかわからなかった。

 警察も異常に気付いたのだろう。バリケードが貼られていて、幾人もの警官が警備についている。<隠者の天秤(トランクィリッタース)>が機能している今、彼らは一体何を警備しているつもりなのだろうか。


「あぶっ! ちょっと、ブレーキを……」


――そこのワゴン、止まりなさい!


 パトカーのスピーカーから警告が発せられる。だが、親父はかえってアクセルペダルを踏み込み、僕らを乗せた中古ワゴンは見る見るスピードを上げた。


「時間が惜しい。奴ら、言っても聞いちゃくれねぇよ」


 バリケードに突っ込んだ。後部座席にいた僕は衝撃でシートの枕に頭をぶつけた。


「ふげっ!」


 涙目で鼻をこすっていると、堺が僕の手をつかんで言った。


「行きましょう」

「行けよ、明。これは、俺の書いた物語とは違う。だから、きちんと終わらせて来い」


 二人して僕を急かす。僕は、サイレンの音を背中で聞きながら、車を降りた。

 辺りは荒野だ。荒野は走れと言っている。




第五話「ロール」了

第六話「(ルーメン)」へ続く


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