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極光よ、真直なれ  作者: 風雷
2/12

第ニ話「堺密の秘密」(前)

 次の日、何事もなく学校に登校した僕を待っていたのは、工事現場の崩壊に巻き込まれて無傷で生還という、ヒーローにも似た扱いだった。出所は、堺から話を聞いた京太が全校ネットで配信したといったところだろう。堺には一度、あの男の口の軽さをレクチャーする必要がある。


「大変だったでしょう? 当分は宝くじが買えないわね」


 日常と違ったのは、珍しく瑞奈から話しかけられたことだ。彼女の苦笑を見ることができて、僕としても満足だ。


「大地震が起こった時には、みんな功刀君の近くにいるように」


 ナ先生ですら僕をからかう。とはいえ、いつもと違うのはここまで。それ以外は全く変わらず、僕は拍子抜けするほどに普通の学園生活を満喫した。

 いつものように、不愉快な出来事も起こる。

 橘章太郎たちばなしょうたろうという教師がいる。倫理の教師なのだが、果たしてこの人に倫理を教えられてまともな人間が育つのか不思議に思うような男だ。


「――後期ストアの巨匠であるセネカは、生命の短さについて考えた。人の人生は短い。それは時間的な制約からではなく、人が余りある時間を浪費するからだと、セネカは説いた。お前達も帰りに寄り道などしていないで、今しかできないことに目を向けろ。無駄なことばかりしていると、寄り道した挙句あげくに、倒壊したビルの下敷きになりかけるなんてことも起こりうるわけだ」


 教師には冗談の技術も必要とされる。それが無い人はふざけなければいい。生真面目な教師という烙印らくいんは押されても、生徒に深い傷をつけることはないだろう。だが、それを履き違えた馬鹿教師は、こういった軽口で、容易に生徒の心に傷をつくる。彼らの根底には、生徒に対するびがある。


「何か言いたげだな、功刀?」

「いいえ、特に」


 相手にするだけ無駄だ。無視は、子供が発明したものに違いない。大人は、子供に無視されなければ気付かないのだ。子供が話すことは、どれも大人の耳に届かないのだから。


「ふん、まあいい」


 背の高さのわりに威圧感に欠ける男で、男子生徒の多くは彼をなめきっている。本人もそれが気に食わないのか、口答えした生徒に鉄拳の制裁を加えるということも珍しくない。

 教師橘は、さっきの冗談が滑ったことに気付いてすらいないのか、話を続けた。


「今のお前たちには、理性が全く欠けている。本能が先立ち、幼児くらいの力しか持たない理性が敗北を重ねるのだ。理性が本能をねじ伏せた時、お前達はようやく大人を名乗れるようになる。他人に自分の時間をくれてやるな。自分だけの目標を持ち、それに向かって突き進め。時間は、そのためだけに使うべきだ。セネカが我々に与えてくれる知恵は、絶対の個の確立だ。それを持たない者は、容易に衝動に打ち負かされ、人生を蕩尽とうじんするか、あるいは犯罪に走る。お前達の中の誰かは、こういったクズの道を歩むかも知れないが、一人がそうなるからといって、全員が流されることがあってはならない。聞いてるか? 火乃!」


 京太は、成績が悪いこともあるが、教師橘が大いに気に喰わないらしく、授業態度は最悪だ。自然、目のかたきにされている。


「聞いてます。橘先生。先生のようになる生徒が何人かいるかも知れないという話でしょう?」


 白い物体が教室内を飛んだ。激昂げっこうした教師橘がチョークを投げつけたのだ。


「火乃、お前は後で生活指導室に来い」


 嫌な笑い方をする男だ。あの黒コートを思い出して気分が悪くなる。




 いつの間にやら放課後。堺にはまだ本を渡していない。昨日書斎にあったようなものを渡せるはずがないから、帰りにでも書店で買おうと思っている。

 堺には、結局何も聞けていない。月曜日失踪事件と彼女の関係を調べるのが馬鹿らしくなるくらいにぶっ飛んだ体験をしてしまったからだ。

 京太はまだ堺と話し足りないらしく、彼女がクラス委員長の瑞奈の手伝いをするとかで断った時の顔は見ものだった。


「やれやれ、お前の親父さんに紹介してやればいいのに。彼女、きっとお前に惚れちゃうぜ」


 何を勘違いしているのか、京太は言った。

 相変わらずの集団下校だが、京太は生活指導で居残りなので、僕は一人で下校した。

 「工事現場の傍は通るなよ!」というのが京太の捨て台詞だった。

 書店で『アウローラは笑って死ぬ』を買った後、僕はふと、昨日の出来事を思い出した。

 いや、思い出した――ではない。今日一日、ずっと気にかかっていたことだ。

 あの、アルなんとかいう着物鎧の女がどうなったのか。彼女達は一体何者なのか、知らずにはいられない。

 気付けば、僕はビルの倒壊現場にいた。ビル倒壊といっても小規模だから、すぐそこの路地ではいつも通りに車が往来している。進入禁止になっているのは、この一区画だけだ。

 僕をかばい立った彼女は、今頃どうしているのだろうか。


「そこで、何をしてるんだ?」


 僕が猫のように身を震わせたのは、その声が黒コートのものに似ていたからだ。だがすぐに、慣れ親しんだ声であることを知った。


「父さん?」


 何故、我が家のクソ親父がこんなところにいるのだろう。


「……ちょっと近くを通ったんだ」

「そうか。昨日の今日でよく来れるな」

「父さんは取材?」

「まあ、そんなところだ。お前も寄り道はほどほどにして帰んな。餓鬼なんだからな」


 相変わらず、我が子を挑発しないではすまない口調だ。


「そうするよ」


 まさか一緒に帰ろうなどとはつゆほどにも思わない。言い出したところで、邪険に扱われて終わりだ。


「なぁ、明……」


 親父に名前を呼ばれるのも久しぶりだから、少し驚いた。


「何?」

「最近、家に誰かいなかったか?」

「何のこと?」

「いや、わからないなら、いい」


 アイツは意味不明な質問をすると、すぐに帰ってしまった。僕もこの場にはもう用はないのだが、車で送られるのも嫌なので、こうして瓦礫の前で暇を潰している。

 静かだ。瓦礫の撤去は始まっていて、重機が轟音とともに鉄骨を持ち上げている。だというのに、昨日のあの事件に比べれば、今のこの静けさは何だろう。穏やかといえばより近いのかも知れない。

 あれは一時のことだ。上手く逃げおおせた僕は、もう二度と関わることのない世界なのだ。そう思い始めた時、僕はまた、クソ親父の著作の一文を思い出すことになった。

 一度変わったものは、もう戻らない。一度僕に訪れた変化は、まだ、僕から離れていなかったのだ。

 パワーショベルがすくう瓦礫の中に、微かに光るモノを見つけた時、落雷に似た何かが、僕を打った。

 <直剣(カトラス)>――確か、そう呼ばれていた。あの着物鎧の持っていた剣が、瓦礫に埋もれるようにトラックの荷台に詰まれた。


「こら! 危ない!」


 ヘルメットをかぶった工事関係者の人が叫んだのは、僕がトラックの荷台に飛び乗ったからだ。

 僕は、瓦礫の中から<直剣>を拾い上げた。あれだけの崩壊の中にあって、傷ひとつついていない。鏡のように光沢ある剣身が、夕日を反射して眩しい。しかし<直剣カトラス>とは妙な呼び名である。その名を冠する剣は本来、湾曲した片刃の刀である。僕が手にしているこれは両刃の直剣であり、呼ぶなら舶刀カットラスではなく、両刃剣グラディウスが近いだろう。


(少なくとも、夢じゃない)


 あれは、現実にあったことなのだ。僕がそれを直感した時、何かの声が頭に響いた。


――拾ったね。あのまま逃げたと思ったんだけど……。


 急に、<直剣>が輝いた。僕は、思わずそれを落としてしまったのだと思った。だが、しっかり握っていたはずのそれは、僕の手からも、足元からも消えうせていた。


「おい、クソ餓鬼! 降りろ!」


 その後は工事現場の人に怒られて、しかし昨日の事情を話して忘れ物をしていたことにしてどうにか切り抜けた。


(あの剣、どこに消えたんだろう?)


 現場の人があの剣幕では、その場に留まることもできず、結局のところ、何の収穫もないまま、僕は帰路につくしかなかった。

 いつも通りに武載駅の一番線ホーム――通称<裏舞台>に立ち、電車を待つ。自殺の名所で知られる二番線ホームの逆路線であるだけで、不名誉な名をつけられている可哀想なホームだ。

 時々見る、中年のサラリーマンが僕の隣に並んだ。これだけ人の死を見送っていると、次にそうなりそうな人というのが直感でわかるようになってくる。この人の顔を僕が覚えているのは、密かに、<舞台>から飛び降りるリストに彼が入っているからだ。

 猫背で、そのわりにいつも険しい顔をしている。どこか無理をしているのが子供の目からも明らかな彼は、いつか線路を赤く染めそうで、気味が悪い。

 悪い予感というものは、良い予感よりも断じて的中率に優れているらしい。快速電車が通過する間際、彼は突然、線路に飛び込んだのだ。

 まただ。また、世界がゆっくりになる(・・・・・・・・・・)

 僕は、中年男の眼前に突然現れたそれを見て、戦慄せんりつした。

 門。

 錆びた鉄の臭いがしそうな、古びれた、しかし頑丈な門。それが、中年男の飛び込む先に静かにあった。

 門は、きしんだ音を立てて開いた。

 その中には、ただ闇だけがあった。人を一人呑み込むだけの小さな闇。だが、それは無限に暗く、無限に深くて、僕は恐怖した。世界が、ゆっくりになっていることを呪った。

 男は消えた。門の中に呑まれたようには見えない。ただ、消えたのだ。そして、全ては元通りになった。

 快速電車が通過した後には、何も残らなかった。昨日と同じ現象が、僕を襲ったのだ。

 全身からどっと汗が噴き出した。


(僕は、見てはいけないものを見たんじゃないか……)


 それが全身に満ちた、僕の恐怖の声だった。月曜日失踪事件の真相。僕はきっと、それに触れたのだ。


「ゴメンね……」


 どこかで聞いた明るめの声が、僕の隣から聞こえた。

 彼女の方を振り向いた時、僕は――鼓動が高まるのを感じた。

 加速したのは僕の鼓動だけかもしれないが、少なくとも、昨日から始まった異常事態が、忘れ去られるのではなく、これから加速してゆくのだと、僕は感じた。


「もう一度、キミに訊く。逃げる? それともアタシに協力する? さあ、どうする?」


 着物鎧の女がそこにいた。肩のあたりの盾は見えない。


「アル……さん?」

「知らない間に変なあだ名をつけられたね。ところで、キミの名前はなんての?」

「功刀明です……」

「そう。じゃあ、アカリ。早く決めてくれない?」

「早くって……」


 僕がふと周囲を気にしたのに彼女は気付いたようだ。


「アタシの姿なら、大丈夫よ。他の人には見えないから」

「見えない?」

「もうそれだけの<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>がアタシには残ってない。本当はもう消えていてもおかしくないんだけど、キミが<直剣(カトラス)>に触れた時に少しだけ<うつろわざる神>を借りたのよ。話がしたいから、少しだけ」

「<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>? 消えるってどういうこと?」

「文字通りいなくな――」


 急に、テレビの電源を消すように、着物鎧の女は消えた。


「ちょっと……おいっ!」


 と思ったのもつかの間、頭の中で何者かの声が鳴り響いた。


ーーこんな感じ。悪いけどもう<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>が残ってないのよ。キミが早く決めてくれると助かるわ。


 確かにあの女の声だ。


「僕が協力したら、元に戻るの?」


――勿論。でも彼らとの戦いにキミも協力することになる。はっきり言って、これはオススメしない。


「じゃあ、逃げたら?」


――アタシが死ぬだけよ。それ以外はそのまま……とはいかないか。


「それって助けろってこと?」


――ま、そゆこと。キミが巻き込まれたのは本当に偶然だけど、今のアタシには他に頼るあてがないのよ。


「……少し保留でいい? もっと詳しい話を聞いてから決めたい。それまでは<うつろわざる神>とかを使ってもいいから」


――あー、何というか。そのぉ……話をすると、多分キミは協力しちゃうと思うんだよね。お年頃的にね。だから、アタシの中では協力確定ということにしとくね。


 随分勝手な言い草だが、まあ、話が聞けるというなら有り難い。

 こういった経緯から。僕は着物鎧を家に連れ帰ることになった。


――疲れたから少し眠るわ。着いたら起こしてね、アカリ。




 帰宅して自室にこもった僕は、わけのわからないまま自分の中に居ついてしまったらしい女を起こした。


「着いたよ」


――ふわぁ……じゃあ、<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>を少し借りるよ。


 まただ。あの世界がゆっくりになる感覚の後で、彼女は現れた。まるで以前からその場にいたように。


「他に誰かいる?」

「母さんと父さんが。今は出かけてるけど」

「そう、じゃあ今はうるさくしても大丈夫だね。キミにはきちんと話しておくよ」


 確かに彼女の中では、僕は既に協力者としてみなされているらしい。その協力するというのにピンと来ないのだが。


「じゃ、話すよ。長いけどよく聞いてね」


 女がベッドの上に腰を下ろしたので、僕は机の椅子に腰掛けた。


「アタシはキミ達のいうところの、異世界から来たのよ」

「異世界? ファンタジーとかの?」

「ファンタジーかどうかは知らないけど、正確には並行世界ね。こことよく似た、どこか別の場所」

「そんなところから何故?」

「それがまたややこしいんだ。先に概要だけ話すと、世界が存在するのは<うつろわざる神>があるからで、アタシの世界の何人かが、この世界から<うつろわざる神>を盗もうとしている。アタシはそれを止めに来た」

「<うつろわざる神>って何?」

「意思の力よ。意識とは違う。人間だけが持つものじゃない。草木や石、水、空気に至るまで、この世に存在するものが自らを自ら足らしめている活力。存在しようと望む力」

「昨日のガモーネとかいうのが、その盗もうとしている人?」

「当たり」

「じゃあ、ガモーネを捕まえればいいのか」

「そうでもない。黒幕は別にいるの。古太刀司こだちのつかさの仕事は黒幕の計画を阻止することにある」

「コダチノツカサ?」


 また、憶え辛そうな言葉が出てきた。


「皇帝直々の親衛隊の一職よ」

「皇帝? そっちの国の?」

「まあまあ、順を追って説明するわ。ゆっくり聴いてね、アカリ」


 長い話になる予感はあった。でも僕は、心のどこかでそれを楽しんでいた。




 正直に言うが、これから話すことは、僕でも半分も理解できているかあやしい。

 並行世界とは、言葉そのものの意味でとらえていいらしい。世界の横に別の世界がある。

 無限に続く並行世界にはいくつかの「芯」があり、あの女の世界はそれにあたる。彼女の話すところ、僕達の世界は芯から、彼女らの単位で一つずれている。

 地球は太陽の周囲を回るが、太陽系は銀河系の中心に向けて一周する。その運動からは莫大なエネルギーが生まれ、次元の並行化(と彼女は呼称している)が発生する。

 銀河は一定の法則を保つために、可能性を持った並行世界を保持するという。銀河はその可能性を模索しつつ<大門ダイモン>(宇宙が自己保存のために持つ巨大意思)によって一定の運動を行っている。いくつかある世界の芯は、銀河公転の最も濃い(つまり最も安定した)筋であり、並行世界はその残像である。残像であるが故に、芯世界に強大な変化が起こると、残像の世界にも影響が出る。

 問題は、彼女の世界で二十年ほど前から、このバランスが崩れ始めたことにあるそうだ。<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>が急速にしぼみ、文明は退行の一途を辿った。


ーーこのままでは、我々は<大門>に見捨てられて、滅ぶ!


 時の皇帝は事態の急を案じ、国中の学者達から知恵を募ったが、はかばかしい答えは返ってこない。

 そこで、一人の学者が恐ろしいことを言った。


ーー我々の世界には<うつろわざる神>が足りない。ならば、他の世界から持ってくればいい。


 勿論、大論争になった。そんなことをすれば<うつろわざる神>を奪われた並行世界が危機に瀕するからだ。結果、その学者は学会から追放された。


「でも、近年になって風向きが変わったのよ」


 ようやく核心に触れようとしているからか、女は声を強めた。黄金色の髪の下で、蒼い瞳が強いをともした。


「第一皇位継承者ロールが、その学者の理論を継承し、学会に発表した。しかも、彼女はとんでもない学説を打ち立てたの」

「とんでもないこと?」

「アタシ達の世界から<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>が急激に減少した原因が、並行世界にあることをつきとめたのよ」

「僕らのせいってこと?」

「ぶっちゃけるとそうね。原因は何かはわかんないけど、半世紀くらい前から、こっちの世界で急激に<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>が生み出されるようになった」

「生み出される? 消費されるとかじゃなくて?」

「消費するだけならいいの。<うつろわざる神>は循環するだけだから。でも、過剰に生まれるのが問題なの。生まれた<うつろわざる神>は、それ自体が存在するための力が必要になる。それは、芯世界が負担するのよ」

「ゴメン……わからない」

「簡単に言うと、並行世界っていうのは、一人の男が紐でくくったタイヤを引きずって走っているようなもので。タイヤである並行世界が重くなれば、男――つまりは芯世界の負担が増えるのよ」

「わかったような……わからないような……でもそれって起こり得ることなの?」

「微妙かなー。あっても一時的なものに過ぎないと主張する研究者もいるけどね」

「もしかして、君の敵って、ロールって人?」

「ご名答! 頭悪そうなわりに、理解が早くて助かるわぁ」


 この人、今笑顔で酷いことを言った気がするのだが。




 帝国の第一皇女でありながら第一皇位継承者でもあったロールは、先の理論を学会で主張し、彼女が敬愛する先駆者と同じように、追放された。

 ロールは、父である皇帝に直訴したが、あまりの強諫きょうかんに怒った皇帝によって廃嫡はいちゃくされた。

 だが、ロールはそれでも諦めず、数人の部下とともにテロ行為に及んだ。


「存在を他の世界から自分の世界に移すって、人間にそんなことができるの?」

「できないわ。だから、ロールは盗んだ<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>を、<大門ダイモン>に送り込むのよ。<大門>を通った<うつろわざる神>は、<根幹世界>――全ての並行世界の根本となる場所に送られて、<うつろわざる神>が衰えた世界に再配分されるというのが、彼女の理論よ」


 頭が痛くなってきた。彼女の話についてゆけない。


「さて、アタシはここまで話した。キミに、愛称じゃなくて、本当の名前を教える。アタシは華棟木かむなぎ古太刀司こだちのつかさひびき=アルフェンティーナ。フィーナって呼んで良いよ。さあ、クヌギ=アカリ。キミの答えと、キミの本当の名前を教えて」

「……無理だ。僕にできることじゃない。警察に……国に言えばいい。これは彼らの仕事じゃないか!」

「残念だけど、この国に助けを求めることはできない。アタシにはそこまでの権限はないし、何よりアタシにこの世界で存在するための力を分けてくれる人間は、今のところキミしかいない。もう一度訊くけど、それがキミの答えでいいの?」

「君一人だけなの? 他に仲間は?」

「他の世界を渡るというのは、とても大変な事なのよ。神器と呼ばれるーーアタシの場合は<直剣>ね。次元を超えるには、神器の特別な力が必要なの。でもそれは敵も同じ。少なくともガモーネと、あとはロールさえ倒せばそれだけで終わる」


 僕はしばらくの間、考え込んだ。だが答えは、彼女の言うとおり、ひとつしかないのだ。


「……わかった。降参だ。協力するよ。僕は功刀明。君みたいに長い名前はないよ」


 この女、ずる賢いと思った。なぜなら彼女は、僕の動揺と、恐怖心と、そして芽生えたばかりの使命感に気付いていたとでもいうように、なまめかしく微笑んだからだ。


「よろしくね。アカリ、キミにはスリリングな毎日を提供できそうよ」

「大冒険の予感がするね。胸が躍るよ」


 勿論、本心ではない。本心ではないのだが、あるいは僕は正直なことを言ったのかもしれない。




 明朝の僕の驚きを、どう表現していいのかわからない。

 やけに気だるい朝だと思った。<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>をフィーナに分け与えたからだろうか。彼女はというと、昨夜、話が終わった後に、眠ると言って消えてしまった。


「おはよー」


 眠気眼をこすりながら、僕は台所で朝食を作る母さんに声をかけた。


「あら、アカちゃん。今日は随分とおねむさんね」

「うん、昨日はちょっと疲れたんだ」

「そりゃあ、疲れるよなぁ……」


 何故かアイツの声がした。ああ、気付かなかった。リビングにクソ親父がいることに。

 特に答えることもなく、僕は風呂場に向かった。顔を洗って「おねむさん」とやらをどうにかしたい。


「ちょっとアカちゃん」


 母さんに呼ばれた気もするが、顔を洗ってからでもいいだろう。

 冷たい水を両手ですくって、顔に叩きつける。歯ブラシをくわえながら、僕は昨日の出来事を思い出していた。


「ひょうほふごごふごご、ひっはいふごふごごごぁ? (協力するにしても。一体何をすればいいんだ?)」


 突然、風呂場の扉が開いた。


「それは、追々話すよ。今は普段通りに学校に行ってな」

「えっ……?」


 同じく黄金に例えられる稲穂が自ら苗を抜いて逃げ去るほどに輝かしい金髪から水を滴らせながら、その人はいた。しかも一糸まとわぬ姿で。

 気付けば、僕は口の中の歯磨き粉を盛大に噴いていた。


「ちょっと何すんのよ! 汚い!」

「わっ! ゴメンゴメン……じゃなかった。何で今の聴き取れたの――というか何でお前が風呂に入ってる?」

「お前って……アカリ! 年上のレディに向かってお前はないだろ!」

「そういう問題じゃ……というか隠せ!」


 思ったよりも細い肩、和服の上からは想像もできないような豊満な――


「アカちゃん……」


 背後に人の気配。声を聞いただけでわかる。母さんだ。


「ちょっとリビングにいらっしゃい」

「……はい」


 終わった。家庭崩壊だ。夜中に勝手に女を連れ込むような息子として、僕はこれから生きてゆくことになるのだろう。




 どうやらフィーナは、朝になってまずは母さんに会いにいったらしく、わざわざ正装して――というか最初からそうなのだが――膝を突き、地に額をつけて、昨晩は僕に助けられたことを説明したらしい。その説明というのが「行き倒れていたところを助けてもらった」だから、説得する気があるのか疑いたくなる。

 以前の着物鎧からは想像も出来ないが、フィーナはカジュアルな服装を好むようで水色のチューブトップを着ている。脇の下から腰上辺りを覆う、腹巻きのようなアレだ。


(……というか母さんの服にこんなのあったっけ?)


 さて、母さんはどうにか説得できたようだが、問題のアイツは、意外にもオーケーを出したらしい。案外、フィーナの美貌に騙されたのかも知れない。


「はぁ……」


 大きな溜息をつきながら、僕は<舞台>に立っている。

 フィーナは、<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>を浪費しないためにと、昨日のように姿を消している。


――違う。君の中にいる。<存在重複そんざいちょうふく>っていうのよ。


(何なんだ、その存在重複っていうのは?)


 まさか公共の場で独り言を連発するわけにもいかない。ただ、心の中でフィーナに話しかけるつもりで思えば、どうやら彼女は聞き取れるらしい。便利なものだ。


――文字通り、存在を重ねることよ。アタシは元々、この世界のモノじゃないから、<大門(ダイモン)>に存在を許されていない。だから、既にあるものに存在を重ねて、<大門>から許可をもらうのよ。


(心まで読まれたりしないかな?)


――それはないね。キミがアタシに話しかけた時だけ、アタシは答える。キミがアタシに見て欲しくないと思っているものは、アタシには見えない。トイレもお風呂も大丈夫だよ。


 <舞台>に立つと、昨日電車に飛び込んだ男を思い出して、嫌な気分になった。

 ものの一分で電車が来た。何といっても今日は水曜だ。昨日のは例外として、月曜日以外はいたって平和なのが武載駅の良いところだ。

 他の乗客もそれを知ってか、月曜日以外は舞台に並ぶ人も多い。自然、もみくちゃになった。


(ん?)


 何だろう。何か、とても大事なことを忘れているような気がする。何か違和感がある。何か、まだフィーナに訊くべきことがあるような気がするが、思いつかない。

 いつものように登校、いつものように授業、全てがいつも通りのはずなのだが、昼休みなって堺に本を渡しに行ったところで、僕のいつも通りは少しずつ狂いはじめる。

 堺はいつも一人で、本を片手に、コンビニで買ったに違いない菓子パンを頬ばっている。彼女に声をかける女生徒は、最初の頃はいたのだが、今では全く見ない。


「よっ」


 僕はできるだけ気さくに声をかけたつもりだったが、堺にとっては何とも反応し辛いものだったらしい。

 読書中の彼女の癖であるに違いない、足をぷらぷらと振る癖がやんだ。


(今日も上履き忘れたんだ……)


 彼女はまた来客用のスリッパを履いている。


「何?」


 本の間から顔を出して堺が答えた。


「あ、いや別に用事というほどのことじゃないんだ。この前、堺の本が汚れちゃったからね。替えを買ってきたんだ」


 僕が彼女に『アウローラは笑って死ぬ』を渡すと、彼女は小さく笑った。


「ありがとう。実はアルフェンティーナの章が汚れで読めなかったから困ってたのよ」

「アルフェンティーナ?」


 どこかで聞いた名前だーーと、心中でとぼけるには無理がある。


「皇帝直属の親衛隊長アルフェンティーナ。もしかして読んでる?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……そのアルフェンティーナってどんな人なの?」


 僕の質問に答えたのは、堺ではなく、またあいつだった。京太は、僕の背後から、いかにも知識をひけらかすように言った。


「女だてらに名家を継いだ人で、皇女アンナエの幼馴染。アンナエが反乱を起こした際、皇室側に残って彼女と敵対する。主人公のアウローラは、彼女に助力を求められてともにアンナエと戦うんだ」



『これは冒険だ、アウローラ。止まってはいけない。冒険者は嬉々として恐るべき謎に踏み入る。アウローラ! 君の名前こそ、アウローラという人間にとっての最大の謎なのだ。解き明かせ、君の名の持つ意味を! その時君は、初めて誇りを手にするだろう! 私の名はアルフェンティーナ。次につなげる者。君の名はアウローラ。さあ、この謎を解け!』



 よくもまあ、あのボンクラ親父からこんな言葉が出てくるものだ。このことを知っている京太は物言いたげに僕に視線を移したが、僕はとりあわない。


「六章の『会戦前夜』ね。それにしてもアウローラってどういう意味なんだろう?」


 堺も堺で、僕のことなど忘れて物語に意識を向けている。


「おっとこの先はネタバレだぜ? 明の愛のこもった第二巻に請うご期待だ」

「あはは、楽しみね」


 明るそうに笑う堺を見るのはどうにも珍しい気がする。


「お前らもう結婚しろよってくらい、話が合うな」


 僕の興味は実は他にあった。二人の話が、何やらフィーナと皇女ロールの関係に聞こえたからだ。


(フィーナ、今のどう思う?)


――……(スー……スピー)うん? うにゃ……。


 寝ている。<存在重複>とやらは寝息までも聞こえるものなのだろうか。

 とその時、僕らに向かって一人の女子が近づいてきた。

 何やら喋りかけていた堺の声がピタリと止んだ。京太もすぐに振り返った。


「三人とも仲が良さそうね」


 この声は瑞奈だ。彼女から声をかけられるような覚えはない。

 瑞奈の傍にはいつも取り巻きの女子が二人いる。両方とも苗字が物部ものべで、いつも瑞奈の右手に立っているのが物部優子ものべゆうこ、左手にいるのが物部小織ものべさおりだ。「みぎこ」、もう一人は「ひだりおり」と裏で呼ばれている。何故か立ち位置がいつも同じだからだろう。勿論、この隠語を好んで使うのは、いつも瑞奈に声をかけようとして二人の親衛隊に阻まれる男子諸君だ。ちなみに右サイドテールなのが小織で、左サイドテールが優子だ。姉妹か従姉妹かと思っている生徒も多いが、実は赤の他人である。二人とも小柄なのと髪型は類似しているが、顔つきは似ていない。

 女子の間にある、友情というには同盟か臣従にも似た関係は、一体何なのだろう。瑞奈は男子とまともに話も出来ないことが迷惑ではないのだろうか。

 「ちょっと、そこどいてくれる?」とは、物部小織の言で、「春過は堺に用があるのよ」と続く物部優子の側近ぶりには目を見張るものがある。

 さて、我らが瑞奈様は、その後ろで苦笑していらっしゃるのだが、堺に用があるのは本当のようだ。


「堺さん、放課後にちょっといいかしら? 生徒会のお仕事で手伝って欲しいことがあるの」

「えっ……」

「もしかして今日は都合がつかないの?」


 物部小織が意気高々に言う。この子はどうしていつも偉そうなのだろう。一人でいる時はそうでもないのに。続いて物部優子がまくしたてるように「ちょっと堺?」と詰め寄る。

 堺は一瞬うろたえたようだが、瑞奈が一歩前に出ると、すぐに返事を返した。


「うん、大丈夫。放課後ね」

「そう、じゃあよろしくね」


 瑞奈はそういうと、親衛隊を引き連れて自分の席に戻った。というか親衛隊は彼女の両隣が自席である。


「瑞奈と何かあったのか?」


 京太はどういうわけか、険しい顔つきで堺に訊いた。


「いえ、別に……」


 口の軽い男には、それが良友であっても打ち明けてはいけないことがあることを堺は知っているようだ。単に、京太とはそれほどの仲でもないのだろうが。


「そんなに堺と仲良しになりたいのか?」


 以前の復讐のつもりで、僕が京太に言うと、


「明、お前本当に知らないのか?」


 と、妙な返事が返ってきた。


「知らない? 何を?」

「なんて奴だよ、お前は……」


 呆れているというよりは、どうやら怒っているようにも見える。滅多なことでは温和な態度を崩さない性格だけに、今の京太はどこかおかしい。


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