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極光よ、真直なれ  作者: 風雷
11/12

第六話「明」(後)

晩餐ディナーは済ませたかい、アンナエ? お腹をすかせてから逝ってはいけないよ」


 頭上から声。同時に、眼前のロールが倒れこむ。


「おい……」


 僕がロールを受け止めようとすると、手が虚しく空を切った。先ほどまで泣き喚き、僕を殴りつけていた女は、周囲に広がる塩と同じようになって崩れ去った。

 そして消える間際――塩の塊へと成り果てる間際に、彼女は確かに――確かに笑った(・・・・・・)のだった。

 あまりにもあっけなく、ロール、そして瑞奈春過は消えた。


「瑞……奈?」

「ありがとう……と言うべきなのだろうなぁ、功刀明。お前が予想外に頑張ってくれたお陰で、私は<大門ダイモン>を手にする事ができたよ」


 これまで何度も聞かされた、低く静かな声。


「ガモーネ……何を……している……」

「何を、だと? お前こそ何をしている? ここがどこかわかっているのか? <根幹世界>! 全ての存在の根源! ここに足を踏み入れるということは、全ての世界を支配することと同義なのだ! そんなところで餓鬼のように殴り合いをするお前たちは……はははッ……滑稽だったよ。自分が神になれるというのに、全く気付かずにいるのだからな!」


 ガモーネの高笑いとともに、塔の崩壊が止んだ。


ながかった……実に永かった……」


 僕は、塔の外壁に手をかけ、よじ登った。あの男の顔を見なければならない。見てから自分がどのような行動に出るかは予想がついているが。


「この瞬間のために、何度、あの女の靴を舐めたか。何度、あの女に偽りの忠誠を誓ったか。思い出したくもない、屈辱の日々だった。だが、それも今日で終わりだ。もう、私の上に立つものはない」


 よじ登る。この男の下衆げすな台詞を聞くのは耐えがたいものがあったが、それでも、僕は無言でよじ登った。

 塔の頂上にたどり着いた時、僕はかつて見た白く輝く<大門ダイモン>のもとに、その男を見た。


「ガモーネ!」


 <直剣カトラス>を取る。この男は、斬らなければならない。直感。この男からはロールにはない邪悪さを感じる。


「おやおや、ご苦労なことに登ってきたのか?」

「何をした!」

「あぁ?」

「瑞奈に何をした!」


 ガモーネは目を大きく見開き、一瞬驚いたような顔を作った後、ククク――と下卑た声で笑い出した。


「殺したのだよ。消滅したのだ。今の私は<大門ダイモン>なのだからな」

「何を言っている!」

「アンナエを気にかけているのか? 彼女を憐れんだのか? 気にするな。いらぬ悲しみにとらわれるだけだ。他人のために悲んでやるほどの傲慢があるだろうか?」


 僕は直剣を構えると、ガモーネに向って飛び出した。


「自分で殺しておいてッ!」


 天雲。いや、この世界に雲などない。僕が影に隠れたと思ったのは、全て、刃の雨だった。


「落ちろ。<天空エーテル>。そしてこの愚か者を祝福してやれ」


 空が――落ちてくる。

 フィーナや堺を仕留めた一撃よりも更に重い一撃。それが僕の頭上に降り注いだ。

 咄嗟に<直剣>で防御を試みたが、しのげるわけがない。

 空が銀色に染まっている。空が二、銀が八、それが、僕が見た景色だった。


――危ないッ!


 僕の腰元から、銀色の剣刃が伸びる。同時に、<直剣>が輝き、大きな盾のように剣身を広げた。

 フィーナも堺も、まだ僕と一緒に戦ってくれている。

 弾丸の雨を浴びる気分だった。フィーナの盾は数秒で砕け、堺の<竜の翼(エーテル)>も同じようなものだった。

 もはや、剣ですらない。それは尖った塩の塊だった。当たり前だ。この世界には塩しかない。塩が最も硬いのだ。


「うあぁぁぁぁぁぁ!」


 死ぬ。肩の骨が砕け、刃物が脇腹を深くえぐった。体中の血が流れ去ったのではないかと思うほどに、地面が赤く染まった。


「ほう、生きているか。なるほど悪霊に憑かれているな。功刀明、お前の<完全なる理性(トヘーゲモニコン)>はそこにいるか? お前は、お前を千切って誰かに投げ与えていないか? 払ってやろう。お前を苦しめる亡霊を。お前の存在を食いつぶす寄生虫を……」


 膝から崩れ落ちた僕に向かって、ガモーネは指揮杖を向けた。


「功刀明、お前はそろそろ、ひとり立ちすべきだ。いつまでも亡霊に母親を求めてはいけない。ククッ……アッハッハハハ!」


 何かが、僕の中から抜け出た。


――ああッ……アカリ!


 いくつもの光。僕から抜け出たそれは、ガモーネの正面にその姿を現した。フィーナ、堺、京太、姉さん、僕を助けてくれた人たち――


「目障りだ。私の世界に亡霊は必要ないのだよ。石は石らしくじっとしておくものだ」


 ガモーネが指揮杖を振ると、途端に全てが――僕の支えであった皆が、一瞬で塩の柱と化した。


「あぁ……あぁぁ……」


 僕はこの時、彼が「<大門ダイモン>を手にした」といった意味を理解した。ガモーネは、<根幹世界>の主となったのだ。全てのものは、彼の意のままになる。

 神に祈りたい気分だ。何もかもが彼の手の中に落ちた。

 僕は、天を仰いだ。だが、この天空でさえも、今やガモーネのものだ。


「ククク……祈っているのか、功刀明? 何に祈る? お前は何を信じている?」


 僕にはもう、答える気力すらない。


「<大門ダイモン>に祈るのか? あるいは神に? 馬鹿めッ! 祈るならぁ! この、ガモーネだろうがぁ! 私こそ<全ての善を発する門(エウダイモニア)>だ! 全ての善は我より発し、我に還る。お前は今、奔流が如き宇宙を発する大いなる門の前にいるのだ! この宇宙で最も優れた私をぉ! 尊べ! 敬え! 跪けぇ! ハハハハハッ! 私こそ至高なのだ。この、枳殻からたち=ガモーネ=アウローラこそ、全ての頂点なのだ! もう、私の上に立つものは何もない! あの天空でさえも! 太陽でさえも! 全て私の下に平伏している!」


 終わった。何もかもが終わった。これから一体どうなるのか。僕の思考は、それだけに向いた。


「何を……するつもりだ?」

「ククッ……気になるのか? 気になるよなぁ! そうだ、功刀明。お前は証人になれ(・・・・・・・・)。証人は必要だ。何事にも、一人だけというのはよくない。何かを為すモノ、そしてそれを記憶すモノがいなければ、世界はなりたたない。そう、世界だよ。新しい世界を創るのだ。幸福に満ちた世界を!」

「幸……福?」

「そう、幸福だ。幸福とは何か? 幸福とは、必死になってかき集めるものでも、向こうからやってくるものでもない。自分が今、手にしているもの。それを何者かに投げ与えるのだ。投げ与えたものは、返っては来ない。だがそこには軌跡がある。この虹にも似た軌跡こそが、幸福なのだ。私は全てのモノに全てを投げ与える。そうでこそ、この世界は幸福で満ちるのだ。これが我々の言う<大門ダイモン>であり、お前たちの言う、真の意味での『神』なのだ!」


 ガモーネは、これが私利私欲のためではなく、この世のためだという。


「いいだろう。見せてやろう。さあ、功刀明。お前は私の世界に最初の幸福として生まれる」


 そう言って、ガモーネは指揮杖を振りかざした。塩が盛り上がり、人の形を作った。

 それは確かに、僕の知る人の姿だった。


「これが欲しいのか、功刀明? お前が愛して止まない瑞奈春過が欲しいのか?」


 瑞奈春過だ。確かに瑞奈春過。一糸もまとわぬ姿で、彼女は伏せ目がちに、憂鬱そうに、僕を見ている。


「さて、大地をやろう。水も、空気もやろう。そこでこの女とまぐわうがいい。生ませろ。増やせ。お前たち二人だけの夜具が欲しいなら、それも与えよう。まだ足りないのか? 堺密も欲しいか? それとも姉にそっくりな華棟木=アルフェンティーナか? ククク……」


 滝のように、それはガモーネの口から溢れ出た。この世にこれ以上、薄汚い言葉があるのなら聞いてみたいほどに。


「それとも、アンナエ……いや、ロールが愛しいか? 残念ながら、あれは使用済・・・だ。あれは私の前にあっけなく陥落した。心の底で下衆と軽蔑する男に体を預けるほどに、あの女は弱っていた。それとも使用前・・・のロールが欲しいか? やはり初めては初めて同士の方がいいのか?」


 瑞奈を形作った塩の塊が僕に向かって歩み寄って来た。

 膝立ちのまま僕が見上げると、それはいきなり僕に口付け、腕を、足を、絡ませてきた。口の中には塩っ気などなく、確かに生暖かい人の感触があった。

 僕は、咄嗟にそれを突き飛ばした。それは倒れこむと同時に砕け、また塩と化した。


「黙れ……」


 他に思いつく言葉がない。それが僕の死を意味していたとしてもだ。


「黙れよ、ガモーネ。見苦しいぞ。お前、怖いんだよ。不安なんだ。じゃなきゃあ、こんなにべらべらとおしゃべりするかよ?」


 立てない。立てなくとも、せめてもと僕はガモーネを睨んだ。


「何もできないさ、お前、きっと何もできない(・・・・・・・・・)


 ただの強がりだ。次の瞬間にガモーネに殺されるのは目に見えている。完敗。それは覆らない。

 案の定、ガモーネは額に血管まで浮かべて僕を睨みつけた。


「いいだろう。やはりお前はいらない。<善を行う剣(カトルトーセイス)>。あれの首を刎ねろ」


 塩の山の中から、巨大な剣が現れた。僕が持つものとは比べ物にならない。ビルを両断するほどに巨大な剣。

 それは真っ直ぐに僕に向かって落ちてきた。

 首が落ちた。景色が何度も回った。僕は塩の柱を数えた。

 水と、空気と、塩。この世界には、それしかない。

 では、ここにいる僕たちは何なのだろう――と、ふと思った。

 視界の片隅に、開いたままの<大門ダイモン>が見えた。


「さあ、新しい世界を創ろう……おや、時計はどこだ? せめて、私のためにボロ雑巾のように働いてくれたアンナエにはなむけてやろう。十二時きっかり。月曜日が来るとともに、新しい世界を始めよう。あったぞ。こんなところにしまっていたのか。ああ、まだこんな時間か。日が変わるまで随分とあるな。これでは暇を持て余してしまう。そうだ。時間を進めてしまおう。それッ! 日が変わったぞ。月曜日だ。こんなにも清々しい。月ははやく何処かに消えてしまえ。新しい太陽も用意しよう。さあ、清々しい朝だ。なんと美しい――なんと美しいのだろう。この世の滅び去る様の! 私が今、生きていることの! 全てが生まれ変わるこの時のために、全てが存在したのだ! さあ、全ての世界を一つにしてやろう。もう、何かが足りないということは、未来永劫起こり得ないのだ!」


 ガモーネがまるで世界を創造する神のように一人語散るのを、僕は聞いた。

 景色が回る。僕は首だけでコロコロと転がりながら、空と、塩と、ただ一人の人間を見続け、水の中に落ちた。僕は死んだ。




 これは走馬灯なのだろうか。

 無限に虚しい空を映し出していた水面に落ちた首は、一瞬の間に、様々なものを見ていた。

 半壊する世界。それは人が塩の粒を摘み取るような容易さで、壊され、粉々になり、そして跡形もなく消える。世界中のあらゆる都市、あらゆる自然が、わけ隔てなくガモーネの食卓に並べられたのだ。

 沈む。この海は深い。


(海? ……これは海なのか?)


 僕がそう思ったのは、沈み行くその先に光明を見たからだ。闇をこっそりと照らす月明かりではない。一切のはばかりなく、燦然さんぜんと輝く太陽にも似た光が、僕が落ちる深淵から射して来た。

 そこもまた水面だった。首だけになった僕は、とうの昔に呼吸も途切れ、血の流れも止まっているはずの僕は、水の底に塩の大地を見た。僕は自分が天空にあることを知った。空の上に水があったのだ。

 コツン――と、額が何かに当たった。水面だった。僕はそれを越えて、眼下の大地へと落ちてゆくことはできないようだった。


(あれは……<大門ダイモン>……)


 光輝く立方体。それは六面全てが開かれ、中から大量の塩が大地に振りまかれていた。塩は山を成し、風に運ばれ、砂漠のように緩やかな傾斜を造る。さらに風に流され、打ち寄せる波にさらわれ、雪の結晶を連ねたような無限の模様を形作る。


(……どこだ? ……ここは? 僕は戻ってきたのか?)


 違う。新たに盛られた神の祭壇。そこにはこの世界の主たるガモーネの姿がない。代わりに、そこには古びた天秤があった。人を一人乗せられそうなくらい、大きな天秤が。

 瞬間、僕の脳裏に、先ほどと同じような、ここから遠い世界の様子が広がった。崩壊しかけた人工の塔、枯れた泉、ひび割れた大地。そこに雪のような塩の粒が舞い降り、全ての大地の恵みとして降り注いだ。大地はゆっくりと緑に包まれ、産声にも似た喜びの声を上げた。


(これは……向こうの世界だ…… フィーナやロールの世界だ……)


 ロールが死んだ今、これはありえないことではないのか。ガモーネは全ての世界をひとつにすると言った。だが、実際には水面の向こうにも世界があり、僕たちの世界の<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>が、ロールの世界に流れ込んでいる。


ーーどういうことだ! これは!


 嘆き、戸惑い。あるいは稚児の駄々にも似た声。しかし覚えのある低い声が聞こえた。それは確かに、今は僕にとって深みとなってしまった先から聞こえてきた。


ーー何故だ! 何故、何も変わらない? 何故、<大門ダイモン>は<うつろわざる神>を吸い上げる? それは、私のものだ! ええいッ! 持ってゆくな!


 水の流れが変わり、僕は急速に後ろに引っ張られた。目が回り、闇の中を何度も流された。




 気付けば、塩の中に顔を突っ込んでいた。

 指先が痺れた。生きている。僕は、手を動かし、自分の首を触った。

 確かについている(・・・・・・・・)。僕は死んでなどいない。


「何故だ……何故生きている、功刀明?」


 立ち上がる。僕は塔の頂上、先ほどまでガモーネと対峙していた場所。凄まじい勢いで、六面に開いた立方体――<大門ダイモン>によって<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>を吸い上げられる塔の上にいた。

 膝を地につけたまま、僕はガモーネを見上げた。


「何故生きているのだと訊いている!」


 <竜の翼(エーテル)>――いや、<天空エーテル>か。これを見るのも、もう何度目だろうか。天空から太い光の束が落ち、僕を圧殺する。

 痛い。肉を貫かれ、骨を砕かれ、五体をばらばらにされながら、しかし、僕は死なない。

 雨が止んだあとにふと空を見上げるように、僕はまた、元の場所に座っていた。


「何だ。何が起こっている?」


 未知の現象に対する戸惑いか、それとも恐怖か、ガモーネは唇を震わせた。

 生きている。僕は確かに、生きている。千回死んでもなお死に足りないほどの剣刃の雨を浴びながら、僕の体には傷一つ残っていない。

 <真直なる極光(カトルトーセイス)>――この手にある。右手に持ったそれを、僕はガモーネに向けて立ち上がる。

 跳躍。僕はこれほど高く飛べたのか。たった一度の跳躍でガモーネの懐に飛び込んだ僕は、有無を言わせずにその胸を刺し貫いた。


「がッ……功刀明……無駄だ……私を殺せるモノは、この世界にはない」


 直剣を抜きとると、ガモーネの傷がたちまちにして塞がる。


「ガモーネ……少し、お前が可哀想だ(・・・・・・・)


 理解した。ここは、<根幹世界>などではない。

 堺は、この世界が全ての根幹であると言った。全てが空気と、水と、塩で表現される最小の世界。全ての並行世界がここにあると言った。

 だが、違う。ここは僕らの世界を記号化したに過ぎないものだった。無限に広がる大地は、しかし、縦にも連なっていた。水の中で僕の額が当たった壁が、世界の境界なのだ。

 では、ここは何か。そう思った僕の脳裏に一つの光景が甦った。

 ああ、どうして今まで忘れていた(・・・・・)のだろう。ロールは確かにあの時、フィーナを殺した時に言ったのだ。


――<隠者の天秤(トランクィリッタース)>はどうなさいますか? この者達の記憶を消しては?


 ガモーネの問いに、ロールは確かに答えた。


――必要ない。あれには他に(・・・・・・)使うあてがある(・・・・・・・)


 僕たちは、また、騙されていたのだ。気付かないように仕向けられたのだ。

 この世界は、ただの記号だ。ロールが目的を遂げるために穴をあけた、根幹に近い世界。僕たちの世界と存在を同じくする、しかし形が違うだけの世界。




「何を言っている? 私が憐れだと? 何を言っているのだ?」


 ガモーネの動揺は深刻だ。自分が全ての支配権を得たと思ったら、最初に、自分が殺せない人間に出会ったのだから。


「騙されたんだよ。僕も、お前も……」

「騙される? 誰に?」

「お前が使い捨てたつもりのボロ雑巾にさ……」


 僕は天空に手をかざした。そして、以前まで、決して僕のものではなかったモノの名を呼んだ。


「<天空(エーテル)>……」


 空を無限に分かつほどの光の束。天上から落ちたそれは、たちまちにしてガモーネの頭上に降り注ぐ。

 惨劇。肉片すら残らぬほどに、標的となった男は断末魔すらあげる暇もなく千切れ飛んだ。目の前で展開されたそれは、しかし数瞬の後に何もなかったかのように、全て元通りになった。


「何が……起こっているのだ! 私の世界(・・・・)で! 何が起こったのだ!」


 何という、憐れな姿だろう。この男は、神になったつもりが、道化になっていたのだ。


「ガモーネ、お前の<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>はそこにいるか? お前は、お前を千切って誰かに投げ与えていないか? 教えてやろう、ガモーネ。簡単な話、僕とお前は運び屋にされたんだよ」


 ガモーネは背後を振り返り、<大門ダイモン>を見た。先ほどまで大量に<うつろわざる神>を吸い上げていたそれは、今は息切れしたように細々と塩の粒を巻き上げている。


「まさか……ここは……違うのか? 全ての根幹ではないのか? あれは……<大門>ではないのか?」

「違う。ガモーネ。ここはただの通り道だ。僕たちが見ているのは、ただの流れ。僕やお前が動かせるのは、流れを強くするか、弱くするかでしかない。弁だよ。蛇口がこの世界での僕たちなんだ」

「何を言っている……」

「おめでとう、ガモーネ。お前は確かにこの世界の神になった。でも、可哀想に、ガモーネ。お前は<大門>に触れることすらできなかった。お前は自分からロールのための門番になったんだ!」


 塩の山が盛り上がる。それは奔流となり、僕に襲い掛かる。


「ダメだ。ガモーネ。よく見ろ。お前が暴れる度に、この世界から<うつろわざる神>が奪われてゆく。お前が作ろうとしている世界は、全部掠め取られる」

「馬鹿め! 騙されてなどいない! ロールは死んだ! 私こそ、この世界の頂点! 私こそ<全ての善を発する門(エウダイモニア)>なのだ!」


 この男、解けていない。<隠者の天秤(トランクィリッタース)>が――

 僕が水面の向こうに見たものこそが、<隠者の天秤>だった。そして僕は、それを解く術を持たない。今の僕はきっと、それよりも大切な何か(・・・・・)を忘れているのだろう。

 <真直なる極光(カトルトーセイス)>を手に取った。僕は、戦わなくてはならない。


「ガモーネ。わかったよ。ロールは、いつかの時点で気付いていたんだろうな。僕も、お前も、<完全存在重複>――同じアウローラ(・・・・・・・)だってことに。だから笑って死んだんだ」


 <極光(アウローラ)>。天の裂け目。大いなる光の現し身。美しくあれども、その実、何も照らさない光。

 一閃。<直剣>を横に薙ぎ、ガモーネの攻撃をしのぐ。


ーー神は、自分で自分自身を殺せない。


(畜生、クソ親父め。神様もきちんと死なせてやれよ……)


 『アウローラは笑って死ぬ』の一文を思い出しては、僕は心中で親父に毒づくのだった。




 どれほど戦っていただろう。五分か、十分か、あるいはそれ以上か。僕とガモーネは砂漠に吹き荒れる嵐のように、塩の大地に広がる無限の模様を乱しに乱した。

 突然、錆びた鉄がこすれるような、鈍く大きな音がなった。

 夕暮れ。この世界にそんなものがあったのか。いや、ない。

 光を失いつつあったのは、僕たちが先ほどまで<大門ダイモン>と呼んでいたものだった。

 それは、六面に開け放たれた扉を、少しずつ閉じようとしていた。

 <竜の翼(エーテル)>で空に翔け上がった僕を圧殺しようと、ガモーネが繰り出した塩の塊が襲い掛かる。僕はそれを避けながら、眼下に広がる水の流れを見た。

 速い。この世界は全てが速い。


「ガモーネめ! この野郎! 勢いよく時計を回しすぎだ! もう、月曜日が終わろうとしている! だが、お陰で時間切れだ! もうすぐこの門は閉じる。おめでとう! お前は今日からこの世界の主だ!」


 門が閉じる。全てが夕闇にも似た暗さに包まれる。夜だ。この世界の夜が来る。


「時間切れだと? 馬鹿なことを言う! 時計を回そう! 七日の後に、またこの門は開く! その時にまた、私は世界を新しく造り変えるのだ!」


 確かにガモーネは、この不毛なだけの世界での不滅を手に入れた。だが、忘れている。彼が創造者を気取れる七日に一度の日は、ロールが決めたということを、忘れているのだ。


「おおッ、夜だ! 門は閉じる。閉じろ! 閉じろ! 七日の後にまた開け!」


 宵闇に飲まれるように、ガモーネは消えた。

 僕は、塩の大地へと降り立った。門を壊すことはできない。あれは既にガモーネそのものであり、また、彼と存在を同じくする僕でもあるのだ。

 だが、それ以外の最上のもの、今はそれを拾おう。僕は、僕のために、剣をここに置こう。

 僕は塩の山をすくい取った。それを手にして、今は閉じようとしている門に向かって飛び立った。


「ロール……お前、悪い女だ。本当に悪い女だよ……」


 舌打ち。彼女は使命を果たした。だが、僕は敗北したわけではない。僕がガモーネと制し続ける限り、これ以上、<うつろわざる神(トヘーゲモニコン)>が奪い取られることはない。

 門が閉じ去る間際、僕は光の中に飛び込んだ。




第六話「(ルーメン)」了

エピローグ「バット・グッデイ」へ続く


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